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       第13話 「 壮士の剣 」 (2)


    「まぁ、雨もあがったことだしな。長居するよりはさっさと出立した方がいい」
    師が一夜の勘定を済ませて外に出ると、弟子は宿の壁に寄りかかったまま空を見上げて
   いた。これまた彼女にしては珍しい。
    「お天気良くなったね」
    もそもそ、くぐもった声で言う。天気とは裏腹にあまり嬉しそうではない。
    「何だ、あれだけ寝て寝不足か?」
    いつもと様子の違う弟子に、諧謔ぎみに言ってみた。が、返事はない。ぼんやりと空ば
   かり見ている。
    ゼネスも、同じ空を振り仰いでみた。
    よく晴れていた。ずっと薄暗く垂れ込めていた雲が開き、山に囲まれた青い空間が明る
   く澄んでいる。息を吸い込めば大気の湿り気が肺腑に満ちた。路面の濡れた石畳と共に、
   今はそれが降り続いた雨の名残りだ。
    『ん? 石畳だと?』
    頭の上から、急に足下に気がそれた。もう一度足の下を見直してまた首をひねる。村を
   貫いて東西に伸びる街道はびっしりと石畳に覆われていた、それも見える限り全てが。昨
   日この村にたどりついた時には雨に気を取られていて迂闊(うかつ)にも気がつかなかっ
   た。だが深い山の間の小さな村の道が石畳を連ねているとは、
    「ずい分と豪奢に過ぎるな」
    このことである。
    平たい石片を敷き詰める「石畳」は、道の舗装としては技術的にも金銭的にも手がかか
   る、言わば高級品だ。なので、通常は都と呼ばれるような大きな街ででもなければ踏む機
   会はない。それがこのような山の中の村に敷かれているとは、いくら街道沿いとはいえ場
   違いに思える。
    「なぜだ?」
    師の疑念に答えたのは、弟子だった。
    「この道、ハブノの王さまの退却路なんだってさ。昨日あの子の看病してる間にご両親
    から教えてもらったんだけど」
    相変わらずあまり景気のよくない声ではある。が、
    「退却路だと? なるほど、そうか」
    答えを聞いて、納得した。実は、彼らの足が向いているのはこの街道の先にあるデナーニ
   国の王都、ハブノである。この街道が危機の際の王族の通り道であるとすれば確かに、保
   全の手間暇は掛けられて当然というものだ。
    とはいえ、
    「しかし退却路にこれだけの金をつぎ込むとはな、デナーニ王という輩、臆病者か、あ
    るいは相当な戦好きと見える」
    ゼネスとしては苦笑いを禁じ得ない。彼には分かる、逃げ道の用意おさおさ怠りない者
   とは、いずれそのどちらかである。
    「ゼネス、さすが。あのね、あんまり大きな声じゃ言えないんだけど……」
    寄りかかっていた壁から身を起こし、弟子の少女はようやく街道を歩き始めた。問題の
   石畳を足早に踏んで進む。彼女と並んで歩む師の肩の辺りで栗色のくせ毛が揺れた。その
   髪の下から低くひそめた声が這い上がってくる。
    「あのね……今上のデナーニ王様って、ご自分と同じでお国の多数派のデナーニ族ばか
    り優遇してるんだって。……領内で他民族が暮らしてきた地域を力ずくで奪い取って、
    土地の無いデナーニ族の人たちに分け与えるとか、そういうご政道。
     何かこう、血なまぐさい話でしょ? でもね、あの子のご両親たら実はそのデナーニ
    族で、王様のことをすごく称えてたの。『私たちのためにとても良くしてくださる素晴
    らしい御方』ですって。……私、なんだか引いちゃって」
    肩をすくめ、くせ毛を指でくるくる何度も絡め取る。気持ちがざわついている時の彼女
   の癖だ(気づいたのは最近だが)。
    『それでか』
    宿の食堂から始まった、弟子の"らしくない"振る舞いにようやく納得した。マヤはデナ
   ーニ王の暴虐に無批判な臣民として、かの両親に不快感を抱いていたのである。 
    ゼネスはやや歩をゆるめ、少女の肩の後から声をかけた。
    「仕方もない、一般庶民などというもの所詮はその程度に過ぎんさ。自分たちの取り分
    さえ確保してもらえればいくらでも上に尾を振るし、他の者のことなど目にも入らん。
    政道と言えば聞こえは良いが、その中身は多勢の既得権益を守る仕組み??というのが
    世の常だ。だから、ここでお前が気に病んでも始まらんのだ、まあ歩け」
    すぼめられて沈んだ肩を励ましたつもりだった。だが、
    「……私、そんな割り切れない。ハブノのお祭りにももう行きたくなくなっちゃった」
    急にその肩が止まった。マヤが足を止めたからだ。ゼネスも急遽歩みを止めた。
    「しかし……そもそもお前が『行きたい』と言い出してここまで来たんだろうが。
    あと一つ二つ山を越せば都が見える、今さら引き返すのか?」
    思わず聞き返した。というのも、今師弟がこの街道を進んでいるのは、王都ハブノの夏
   の大祭を見物するためだったからである。数日前に弟子が行商人から「一生一度は見たい、
   豪勢そのものの祭り」という話を聞き込んで以来、彼女自身が希望しての旅程だった。
    ゼネスとしては、どうせ行き先を決めない修行の旅であれば、たまさかには娯楽を目的
   とするも良し、と許したのである。が、まさか今になって「行かない、止めた」と本人が
   言い出すとは。弟子の気質を思えば無理からぬ心変わりと思うものの……。
    「いや、俺は行きたい。お前の話を聞いてかえって行きたい気分が増した」
    足を止めたまま言った。少女の顔が上がり、とび色の目が「本気か?」との色で師を見る。
    「他民族を圧迫しながら栄華を求めようという王と臣民、デナーリ族の面々とやらを見
    たくなった。そういう奴らが日々どんな顔をして何を話しているのか、お前は知りたく
    ならないのか? 俺は知りたい。デナーニの王の面(つら)も、できることならとっく
    りと見極めてやりたいぐらいだな」
    「ゼネスがそんなこと言い出すなんて……前は"関係ない"しか言わなかったのに」
    「前は前、今は今だ」
    踵(きびす)を返し、街道の先を向いた。言葉にウソはない。弟子が語るデナーニ王の
   "ご政道"の話を聞いて、彼の内には王に対する一種の暗い興味がわき起こっていた。その
   興味関心こそが今しも、石畳の上で彼の足を動かす。前へ、先へと身体を運んでゆく。
    「待って」
    弟子は取り残されそうになり、師を追った。彼らの、通常とは異なる道行きだった。


    こうしてしばらくの間、師が弟子を引っ張る形で二人は街道を進んだ。師は大股に歩き、
   弟子は懸命にその背を追う、街道沿いにたちまち村はずれまでやってきた。道の脇に家が
   まばらになり、ぽつり、ぽつり鍬やら籠やらを持つ村人の影、あるいは荷物を負う行商の
   姿とすれ違う。そのうち立ち話をしているらしき二人の横を通り過ぎようとして、しかし
   弟子の方が不意に立ち止まった。
    「薬屋……さん?」
    師も弟子に釣られて足を止め、振り向く。
    道ばたに農夫らしき初老の男が立ち、身振り手振りで何やら話をしていた。話し相手は
   女、白い手巾で髪を覆い、手甲脚絆で旅の身ごしらえをした行商人だ。彼女は足元に小ぶ
   りの棚を置いていた。小さな引き出しがたくさんついた、独特の作りの棚だ。
    見ていると、女はしゃがみこんで棚の引き出しをいくつか選んで開け、そこから折り畳
   んだ紙の包みを取り出した。
    「熱があってセキと鼻水が出て、だけど腹痛やぼつぼつはない……というお話でしたね。
    でしたらこちらをどうぞ、お家に戻られてからすぐに赤い包みの方を飲ませてあげて、
    熱がおさまったら白い包みを。朝・昼・晩、一日三回を目安にお食事の後にあげてくだ
    さいまし」
    包みを持つ手指は細く長く美しい。その手ずから薬を渡され、農夫はありがたそうに頭
   を下げて押し頂いた。
    「ありがてえ、これでうちの孫も助かる。あんたさんがここを通りかかってくれてほん
    に良かった」
    すぐさま懐に手を突っ込み、薬と入れ替わりに女の手の上に小粒の金をいくつか置いた。
    「毎度ありがとうございます」
    女は丁寧に頭を下げ、金を自分の懐中にしまうとまた棚に手をかけた。一番下の左隅の
   引き出しに指をかけ、引き開ける。今度は中から半透明の丸いものを取り出した。
    「お孫さん、お小さい方でしたよね。おまけです、これもどうぞ、今お包みしますから」
    「あっ!」
    見るなり、ゼネスの横でマヤが小さく声をあげた。薬売りの女が差し出したのは、彼も
   憶えのある薄赤い縞入りの飴玉だ。思わずじっと視線を注ぐ。
    師弟の目の前で、女は飴玉を数粒紙に包んだ。細い指先が紙をひねると、先がひらりと
   花開いた。


    農夫はすぐにその場を離れて村に戻り、道には薬売りの女が残った。彼女も足元の小棚
   を背負い上げ、歩き出そうとする。師弟の行く先と同じ方向だった。
    「あの、薬屋さん、ちょっと待ってください」
    ためらいがちにマヤが声をかけ、近づく。女が振り向いた。ほっそりとして背の高い、
   きびきびした身ごなしの女だ。
    「ご用でございますか?」
    相手は微笑を浮かべて応えた。商人らしく柔らかな、耳当たりよい声である。手巾の内
   の顔も柔和でみずみずしい。にもかかわらずゼネスには、彼女の歳のほどが全く見当つか
   なかった(マヤよりそれなりに年上だということのみ辛うじてわかっただけだ)。
    「昨晩はお薬の差し入れ、ありがとうございました。おかげさまでお腹痛の子どもさん
    がおひとり、助かりました」
    少女は出し抜けに言い、すぐさま頭を下げた。単刀直入、というやり方だ。
    果たして、女は首をかしげる。
    「何のことでございましょう?」
    「飴玉、晩に疳の虫の薬草と一緒に私たちの宿の部屋に投げ込まれた紙の包みに、さっ
    きあなたが出されたのと同じ色と形の飴の玉が入っていました。だから、あなたが薬を
    をくださったのだと」
    「おやおや……」
    女は片方の眉を上げ、困ったような笑顔になった。
    「すいません、仰る意味がよくわかりませんの。あの飴玉は薬屋なら子どもさんのため
    に誰でも持っておりますが、そんなにお珍しいものでしたか?」
    表情も声音もあくまで柔和に、しかし口調は断固としていた。「人違いだ」とこの女は
   遠回しに言っているのである。
    「ご用でなければ、申し訳ございませんが私は先を急ぎますので、これで」
    また丁寧な辞儀をして、身を返す。すたすたと歩き出した。長身の彼女は歩みも早く、
   見る間に遠ざかってゆく。
    「でも……」
    口ごもる少女が残された、文字通り取りつく島も無い、との感で。立ちまどう弟子に声
   を掛けようとして、だがゼネスの意識は街道に引き戻された。
    道の先にある藪影から男がひとり、現れて薬売りを追う。すぐに先行く女に追いつき、
   肩を並べた。女の顔が男に向かい、何事か話しかける。男は応えない。
    『あれは……奴は、できる!』
    血が沸き立った。現れた男は女よりやや背が低く、枯れ木のように痩せている。しかし
   体躯が発散する気は鋭く研ぎすまされていた――離れた場所に立つゼネスの感覚を引き
   つけ釘付けして止まぬほどに。
    思わず二、三歩足を進めた。瞬間、男が振り返った。
    「う……」
    呻き、戦慄した。彼方の目は暗く虚ろな「穴」だ。振り向きはしたが何も、誰も見ていな
   い。底無しの、冷え冷えと穿たれた髑髏(どくろ)の眼窩にも似た。人の目とは思われない。
    『奴は、何者だ?』
    道の上に立ち尽くしたまま、ゼネスは痩せた影をにらみつけた。いつしか身体がじっとり
   汗ばんでいる。
    「おい」
    まだ茫然としている弟子に声を投げ、彼は歩き始めた。
    「あの二人を尾(つ)けるぞ」
    「どうして?」
    少女はとまどったが、かまわない。すでに遠い影を追ってさらに足を早める。
    「奴ら、セプターだ」
    戦闘に憑かれた直感が今、ゼネスの意識と身体を痩せ男へと引き絞っていた。


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