以前、私の一番大切な人が亡くなった時、
親戚のひとりが『千の風になって』の本をくださった。
私のことを少しでもなぐさめようというそのお気持ちは
大層ありがたかったものの、正直、ひと通り目を通した
感想は「退屈」以外になかった。
――世界は残酷なものだ。
「あなた」がいなくなってしまってもやがて雨は上がり、
夜は明けて、再び太陽が昇る。
時間は止まらず、季節は巡りを止めることなく、地球も
宇宙も全ての循環は動き続けてゆく。
何も変わらない。いえ、変わるはずがない。
変わりはしない、
人ひとり死んで何が変わるわけもない。
それは、私が死んでも同じこと。やはり夜は明けて
東から日は昇り、中天をよぎってやがては西へと沈む。
けれど――たぶん多くの人は耐えられない。
世界のそのような残酷さ、無常の悠久には耐えられない。
耐え難いから「千の風になって」と歌って忘れようとする。
でも、私にはそんな慰撫はいらない。
残酷さを真正面から見ている方がいい、いっそ清々しい。
「予、言うことなからんと欲す。天、何をか言うや、
四時は行われ、百物は生ず。天、何を言うや」
「風蕭々として易水寒し 壮士一たび去って復た還らず」
「この人にしてこの病あり、命なるかな」
いつも心に浮かぶのは、幾度となく唱えた漢文の一節。
何一つ誤魔化さず、無常の悠久とまともに向き合う言葉。
それだけが、今もこれからも私の友であり続けるだろう。
世界の残酷さをひと時でも忘れないために。