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         「 "千の風"は嫌いだ 」 (2007年7月14日)



      以前、私の一番大切な人が亡くなった時、
     親戚のひとりが『千の風になって』の本をくださった。
      私のことを少しでもなぐさめようというそのお気持ちは
     大層ありがたかったものの、正直、ひと通り目を通した
     感想は「退屈」以外になかった。


      ――世界は残酷なものだ。

      「あなた」がいなくなってしまってもやがて雨は上がり、
     夜は明けて、再び太陽が昇る。

      時間は止まらず、季節は巡りを止めることなく、地球も
     宇宙も全ての循環は動き続けてゆく。

      何も変わらない。いえ、変わるはずがない。
      変わりはしない、
      人ひとり死んで何が変わるわけもない。

      それは、私が死んでも同じこと。やはり夜は明けて
     東から日は昇り、中天をよぎってやがては西へと沈む。
     けれど――たぶん多くの人は耐えられない。

      世界のそのような残酷さ、無常の悠久には耐えられない。
     耐え難いから「千の風になって」と歌って忘れようとする。

      でも、私にはそんな慰撫はいらない。
      残酷さを真正面から見ている方がいい、いっそ清々しい。

      「予、言うことなからんと欲す。天、何をか言うや、
      四時は行われ、百物は生ず。天、何を言うや」

      「風蕭々として易水寒し 壮士一たび去って復た還らず」

      「この人にしてこの病あり、命なるかな」

      いつも心に浮かぶのは、幾度となく唱えた漢文の一節。
      何一つ誤魔化さず、無常の悠久とまともに向き合う言葉。
     それだけが、今もこれからも私の友であり続けるだろう。

      世界の残酷さをひと時でも忘れないために。

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