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         「 犬と人と 」 (2006年11月30日)



      毎日のように朝夕車で通りかかる、
      とある住宅街の小路。

      夕方の帰宅時間、時おり一匹の白犬と
     その飼い主とが"散歩"するのを見る。

      犬はまあずい分と老いさらばえ、
     腰骨が高く突き出るほどに痩せ痩せとして
     歩く足元はおぼつかなく。

      首を上げる筋力もとうに失せたようで、
     肩から斜めに下がった首筋の先、かれの
     鼻面はいつも地面すれすれをさまよっている。

      飼い主の初老の男性はしかし、
     そんな犬の身体を引き綱で支えてやりつつ
     おぼつかない足に合わせてそろりそろりと歩む。

      一匹と一人とはいつでも、
      そろりそろりと歩いてゆく。

      「そんな歩くことさえ大儀な体、
     一日寝て過ごせば互いに楽なものを」

      などと云うのは物知らずな健常者の
     世迷言にして、

      思うように動かぬ体こそは、努めて動く
     ことを怠ればたちまち硬くこわばり、もはや
     自力で立つことさえ難くなるのが理。

      犬も本能でその自然の理を悟るものか、
     ふるえがちな足を踏みしめ踏みしめ、
     鼻面に精一杯の力を込めて進もうとする。

      よろよろ、ふらふら、歩いてゆく。


      かれの白い毛皮は汚れなく、
     目の周りのしょぼしょぼとした
     薄い茶色のわずかなシミを除けば
     身体は常に清潔さを保たれており、

      年老いたかれの穏やかな暮らしぶりが
     それとなく偲ばれる。

      犬の様子を気遣う人、

      懸命に歩く犬、

      一人と一匹の連れ。



      そこにはもう、「飼う」
     「飼われる」の関係はなく
     ただ「連れ」があるのみ。

      共に老いてきた時間があるのみ。

      だから……

      私は車のスピードを落とし、
     そっと彼らのそばを通り抜ける。

      この「連れ」が持つ「時間」に
     ひそやかな敬意を抱きながら。

      終わり近い道程の先ゆきの、
     少しでも長くあれかしと祈り願って。

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