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      『カルドセプト ―"力"の扉―』 


         「 独白 4 夜にめざめる私の眼 」


     私の眼は今、黒い犬の顔に嵌め込まれて眠るあなたを見下ろしている。
     じっと注いでいる、
     無精ヒゲとばさばさの黒い髪と青いマントの立ち襟との間でちらりちらりと見え隠れする、
    「ひくりひくり」息をして動く喉(のど)首の肌へと。

     太くて無骨な首。でも息するたびにかすかにふるえる喉のそこだけは裸で、どうにも
    頼りなくて生まれたばかりの赤ン坊みたいで、
     "ひたり""ひそり"、赤い眼の視線を吸いつけずにはおかない。

     黒い犬の私は、眼の下の喉を眺めながら頑丈な顎(アゴ)に並ぶ白い牙を噛みしめる。
     やわらかな肌に食い込んでゆく尖った歯が味わう粘ついた負荷の感触、
     歯と歯の間からあふれ出す生ぬるい汐(しお)、その鉄サビに似た臭い。
     満ちてくる想像は舌の上を流れ、食道から胃の腑に落ちてやがて私の血とも交じるだろう。


     自分の両手のひらが今、あなたの命をつかみ締めている。
     そのことを確かめてお腹いっぱいに満ち足りて、
     私は笑う。

     『あなたなんかには捕まらない』
     『何も教えてなんてやらない』



     わたしは風に浮かぶ「羽」。
     木の梢、草の葉の陰からそうっとそっと顔をもたげてあなたを見ている。
     どんな苦しみも、痛みも、ひとつとして漏らさないように。
     あなたが時おり見る悪い夢さえ写し取ってしまうために。

     ――でも、あなたは私を「見た」ことはない。
     あなたが見ているのはいつもあなた自身の望みばかりだから、
     わたしを「見る」ための余地なんて、あなたの視線にはついぞ書き込まれたためしがないの。


     あなた、
     わたしを見て、わたしに触れて、わたしを知って。
     ううん嘘、嘘、だめ、近づいてこないで。
     わたしはただあなたを見て、あなたを知るだけ。わたしに必要なことを抜き取ってしまうだけ。


     嫌いだ、あなたなんか嫌いだ、――ずっと逃げてたくせに。
     嫌い、大嫌いだ、――何も知らないくせに。
     嫌い、嫌い、嫌いなんだよ――知ろうともしてこなかったくせに。
     だから、苛立ちと軽蔑を込めて私は云う、


     『あなたになんか捕らわれない』
     『いつだって捨てて行ける』



     でも、
     朝が来て起き出す頃にはきっとまた、忘れてしまう。
     夜の間「黒い犬」や「風の羽」になって感じていた思いを、
     昼間の私はひとつも憶えていない。
     そして今日もまた陽が落ちるまで、あの人の後ろについて旅の道を歩いてゆく。


     黒い髪と青いマントの背中を密かに見つめながら。


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