「ポケモンじゃなくって、ガンダム」 (1月17日)

  ここで公開している私の二次創作内では、カードのクリ―チャ―は「召還し、戦わせる」
 ものではなく、使うセプタ―自らが「操縦し、戦う」ものという設定に変えてあります。
 つまり、「ポケモン」じゃなくって「ガンダム」扱いです。
  どうしてそういうことになっているのかと説明しますと――

  以前テレビで、犬の障害物競走(“スーパードッグ”とか称していたような)を観る機
 会がありました。そこでは、犬と飼い主とが協力し合いながら数々の障害物をクリアし、
 ゴールまでを走り抜いたタイムを競っていました。
  観ていますと、新たな障害物を前にした犬は必ず、マスター(飼い主)の顔をチラリと
 うかがいます。そしてマスターの的確な指示(ジャンプとか、回れとか)、あるいは落ち
 着いた表情(ただいまの自分の状況への肯定の意)を見て取って後、犬もまた自信に
 満ちた様子で元気よく障害物にチャレンジしてゆくのです。
  しかし、何らかのアクシデント(マスターがレース中に転倒とか、指示のタイミングが
 ずれたとか)が起きてマスターとの呼吸が合わなくなると、犬はたちまち自信を失い、
 途方にくれてしまうのでありました。
  で、この時に私は思いました。
  「んー、ポケモン使うのって、きっとこんな感じなんだろうなあ」
  かなり納得!できた瞬間でした。
  しかし、しかしですよ。
  ポケモンならそれでいい。でも「カルドセプト」はどうなんだ?犬と同じでいいのか?
  そう、犬と同じでいいのか?が、まさに大問題なんです。

  ゲーム「カルドセプト」では、カードから出現するクリ―チャ―には人型タイプのもの
 が多いですね。ナイト、ニンジャ、エルフ…等々。でも“召還”した彼等が、何かしよう
 とする度にこっちを向いて顔色をうかがうって図は、私としてはあんまり想像したくない。
 指示待ち顔のニンジャとか、イヤだよなあ。
  じゃあ、どう考えたらいいのか―ということで、ひねり出したのが「ガンダム」方式。
 カードのクリ―チャ―そのものには、意識も個性もない。動かすのは、あくまでセプタ―
 本人。その代わり、同じ種類のクリ―チャ―であれば常にスペックも能力も同じ。だから、
 戦いの行方を決めるのは、セプタ―の力(技量、判断力、決断力などの総合的能力)のみ。
  そしてカードを所持するだけでは意味がない、クリ―チャ―の能力を充分に引き出して
 使えなければ宝の持ち腐れ―という点でも、正しくガンダム(乗れなきゃただの粗大ゴミ)
 を踏襲しております。

  さて、クリ―チャ―を「ガンダム」に変えた結果、お話の中では、セプタ―の能力差が
 わかりやすく提示できるようになったかなと思っています。要は操縦が上手いか下手かっ
 てことで、かの「遊戯王」とも差別化できそうな感じ。
  ただ、バトルシーンのほうも確実に「ガンダム」ぽくなりました(特に第2話)。どうせなら、
 東宝怪獣映画路線を狙いたい所なんですがねえ。いずれにしても、「ポケモン」でなきゃ
 イヤだって方には「ごめんなさい」とお詫びするしかありません。

  「カルドセプト」の物語を文章のみで作り上げたいと思い、ゲームやコミックとは違う
 言葉だけの世界、文章でなければ実現できない表現を目指して日々孤独に試行錯誤
 しております。長い「ひとこと」におつきあいいただき、ありがとうございました。


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