「 散文は見つめ、韻文はうたう 」 (5月19日)

    「書く」作業は、建築に似ている。まず「構想」という設計図を描き、次には「設定・考証」という土台を
   きっちり固め、その上に設計図を元にしながら「描写」というレンガを一つ一つ積み上げて、何がしかの形を
   創りあげてゆく(そしてそのレンガを積む際に使う接着剤は、「執念」とか「忍耐」などの成分でできている)。
    ただ、実際の建築の過程と異なる点が一つ(いや、ホントは実際の建築でもママあることのようなんだけど)、
   それはレンガ積み作業中でも遠慮会釈なく、設計図の書き直しが行われるという点である。
    まあ書き直しといっても、さすがに骨組みそのものにはそう簡単に手をつけたりはしない(それをしなきゃ
   ならない様だったら、元の「構想」そのものが練りこみ不足ということだ)。でもレンガを積み上げるうちに、
   意外な細部に重要な意味が生じて、「窓から扉に変更」とか「建て増し」あるいは「回廊を付ける」ぐらいの
   ことはもうしょっちゅうある。
    でもそのあげく、あんまり盛り込みすぎて全体のデザインが崩れたり内部が迷宮状態になることも。
    だから時々は、遠くから眺めて全体を確認したり内部を客観的に(これが難しいんだけどね)視察するなんて
   作業もこなしておかなくちゃならない。
    ―そう、実は良く「書く」ためには意外にも、良く「見る」スキルが必須なのである。
    しかも「見る」スキルを使うのは全体や内部構造の確認だけではない。黙々と積み上げるレンガ(描写)
   そのものにも、「見る」力は関わっている。
    「書く」作業で積み上げてゆくレンガは、実際の建築物とは違って全部"自前"だ。一個一個、全て著者の
   手作り品。そしてそのレンガの出来―すなわち精度の確かさこそが、建物全体の精度の高さに直結している。
    実際のレンガはパテですき間を埋めながら積んでゆくのに対し、描写というレンガは玩具の積み木を積む
   のに近い…と言えばおわかりか。だから歪んだレンガを使っていては、精度の高い建築はできないのだ。
    では、レンガの精度は何によって決まるのか…というと、これが「見る」力である(断定)。
    ただ断っておくが、ここで言う「見る」力とは光学的・物理的能力を指さない。それは何より、描写の
   対象の真実を正確に把握する能力を指す。つまり、カメラではなく画家の眼だ。
    人間が何かを表現する上で使えるものは、自分が知っていることだけだ。
    本当に良く知っていることだけしか使えはしない。だからこそ、「見る」力(スキル)がどうしても必要に
   なってくる。正確に見抜く眼があってこそ、はじめて良く「書く」ことができる。
    (なお、上記はもちろん大いに自戒を込めて書いております)
    もし私の言うことが信用できないとしたら、文豪とされる方々の作品に目を通し、よ〜く読んでみてください。
   どんな細部のレンガ(描写)であっても、実に正確無比な形をしているはずですからね。

    さてしかし、
    上記で述べた行程は"散文"に限ってのもの。当「黒猫館」で公開中の読み物を例に取れば、「第○話」と
   章立てされた本文を書く際の作業である。
    これが「断章」になると、まるで違う過程をたどって文章になる。
    「断章」の文は詩や歌に近い"韻文"(日本語の文章の場合、文に内在するリズムこそが韻の働きを
   すると私は考えるので、リズム優先の文は韻文の仲間に入れされていただく)だ。
    こちらは、最初にカギになる言葉や文が単独で浮かんでくる。するとそこに吸い寄せられるように、続きの
   言葉や文が生まれてはくっついてゆく。星雲生成の過程によく似た感じ。その間できかけを何度も何度も暗誦し
   ては、ひたすら全体のリズムの流れを調節する。
    とにかくリズム重視、言葉の響きあい重視、意味なぞ後からついてくる〜っと。
    大切なことは、最初の言葉が出てくるかどうか。詩人に奇矯な人間が多い理由が、な〜んとなくわかる気が…。
    まあ、本職の詩人の方がどのような発想をなさるのかは実は知らないんでありますが。

    こうして自分なりに散文と韻文の違いを考えてみると、「文字」以後と以前との違いなのだろうなという仮説に
   至る。「文字」以前からある、口述のみの「うた」の流れを引き継ぐ韻文は、耳で。「文字」以後の「字を記す」
   新しい文化の上にある散文は、眼で。それぞれを綴りゆく際に使う感覚が異なってくるのは、ごく自然なこと
   なのだろう。

    ところで、私は作曲の経験がほとんどないのですが、一曲を作る時に最初に流れ出すのってやっぱりサビの
   部分なんですかねえ?これも"星雲生成"方式ではないかと密かにニラんでおるのでありますが…さて?



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