「 デジタルの情報は"永遠"の夢を見るか? 」 (4月22日)

    1)デジタル情報の「宿命」
    最近ネット上の知人が、打ち込み途中のデータがSDカードの不調で読み込めなくなる
   ――という不運な目に遭った。
    いや他人事ではない、かく言う私も「データ消失」では大変苦い経験を持つ。
    数年前のことになるが、我が家のゲーム機「サターン」の記憶カートリッジ内のデータに
   バグが出て、全件消去・初期化をせねばならない仕儀におちいった。
    ……入っていたゲームデータの全てがパア、血と汗と涙の結晶(誇張でもなんでもなく)
   を消すのは本当に辛いことで、さすがにこの時には私もかなりヘコんだ。
   (もちろんその中には、サターン版『カルドセプト』のコンプリート済みデータもあった)
    そしてつくづくと実感したのは、
    「デジタルのデータ(情報)は、人の肉眼で直接読み取ることができない」
    という、厳然たる事実である。
    記録した情報そのものは「永遠」であるとしても、人の目での読み取りが不可になれば、
   それはもう「全く無い」のと同じことなる。
    それが、デジタルのデータの「宿命」なのだ。そう、思い知った。
    またそのほかの痛い「宿命」としては、記録媒体・再生機の日進月歩やその普及ぶりが、
   情報の読み取り環境を大きく左右しすぎる――という点もある。
    例えば、今は無き「ベータ」(お若い方には「何のことやら」でしょうが)。かつてビデオ
   の記録媒体としてビクターの「VHS」と市場を争ったソニー陣営のこの媒体(テープです)
   も、敗れ去った後は秋葉原の好事家向けの店舗ででもなければ再生機さえ手に入らず、単体
   で残された「情報」はもはや死蔵の憂き目に遭うしかない。
   (ちなみに、アニメ『カウボーイ ビバップ』の「スピーク ライク ア チャイルド」は、
   この辺りの事情を巧みにからめつつ"記憶から消去された現実の記録"を描く、可笑しうて
   やがて悲しい物語として秀逸。余談ですが)
    さらに、かつての勝者「VHS」も現在ではDVD・カード・チップというより手軽かつ大容量の
   記録媒体に押され、消え行く途上にある。
    本当に大切なデータであれば、遺伝子が肉体を乗り継ぎながら残るように、記録媒体を変え
   つつコピーを繰り返して残されてゆくのだろうけれども……その他の雑多な「とりあえず記録」
   は媒体と命運を共にするしかない。
    だがデジタルのデータにとって最も重要な「宿命」は、実は上記の事柄とは別にある。
    「いかなる媒体も永遠ではない」
    その事実である。
    以前ある人(映画好きの文筆家)のエッセイにこんな話があったのを読んだ。
    ――「遠い未来、地球人の文明が滅び無人となった地球に異星人が訪れた。彼らは都市の
   廃墟で大量の記録媒体の残骸を発見したが、いずれも老朽または風化しており記録の再生は
   できなかった。
    彼らが辛うじて文明の痕跡として見出したのは、地球の古代人が残した、石に刻み付けた
   文字だけであった」(以上、抜粋ではなく管理人のうろ覚えによる引用です)――
    ああ、確かに……と、けっこうセンチメンタルな気分におちいったものだ、その時は。
    高度情報化時代ともてはやされ、なんだかんだと「記録」「保存」「コピー」を繰り返そう
   とも、いつかは全てが「砂」になる。
    CD、LDで読み取り可能限度は30年――なんて話も聞いたことがあるし(注、ウラは取って
   ませんよ)次世代DVDだってどれだけ"持つ"ものか。
    現在地上に「保存」されている大量のデジタルデータ、それらの大半は「永遠」に到達すること
   なく廃棄か風化の道が待っている。
    「あなたの思い出をいつまでも」なんて、記録媒体のメーカーがいかにコマーシャルしようとも。

    2)超・長期保存――何を残すべきか?
    ところで、
    上記のように超・長期保存には意外に弱いデジタル記録データ。その一方で、アナログに
   よる記録データは媒体を選び保存方法にさえ気をつければ、かなりの長期保存が可能だ。
    まず、「紙」。古書というものがあるように紙の命は長い。それも、現代的製法の品より
   昔からの製法であるコウゾ、ミツマタなどの植物繊維を漉(す)いた「和紙」が保存に耐える。
    現存品から考えても、和紙に(これまた)伝統製法で作った墨をすって書きつけたデータは
   千年以上は持つはず。これはデジタル記録とは比べものにならない長期保存ではないか。
   (ただし、湿気の無い風通しの良い場所で保存すること。奈良・東大寺の正倉院みたいな)
    そして、何よりも「石」。引用したエッセイにも出てきたが、石に刻み付けたデータであれば
   もう、数万年という単位でも保存可能。
    また「金(Au)」も、自然状態で長期にわたり変化しにくい素材であり記録媒体として優れる
   (そのため、宇宙に放った"地球人からのメッセージ"には大抵、金メッキがほどこされている)。
    ただ「石」も「金」も地上に置く限りは、長い年月の間には風化をまぬかれない。風化で摩滅する
   のを防ぐためには、記録後、土中深くに埋めておく必要がある。
    ――しかし、"漉いた紙にすった墨で手書き"にしろ"石・金に文字を刻み付けて土中に埋める"
   にしろ、さすがにアナログの記録は現代人の感覚では手間ヒマがかかりすぎる。
    となれば、実際にこれらのアナログ記録に挑戦する際には、今の私たちにとってこれほどの
   労力をかけてまで残すべき「情報」とはいったい「何」であるのか?――という、もっと根源的な
   問題が浮上してくるだろう。

    さて、あなたならば何を残したい?



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