「 一つ目巨人の恋 」(11月25日)

    『"力"の扉』第8話「公子」には、一つ目巨人を題材にしたタペストリ(毛織物)絵画
   が登場する。この画題は現実にあり、元はギリシャ神話の「キュクロプスとガラティア」
   がそれである。


    ◎キュクロプス(英語読みはサイクロプス:Cyclops)

    「キュクロプス」とは「丸い目」の意。額の真ん中に丸い大きな目がひとつだけついた、
   一つ目巨人のことを指す。
    彼らは元は天神ウラノスと大地母神ガイアの息子であり、三人兄弟だった。つまり、本来は
   ギリシャの古い神の一員である。いにしえの神が巨人族だった――という神話は世界各地に
   割合にあるものだが、一つ目巨人もまたその例にもれない。
    さて、ギリシャ神話のキュクロプス族は卓越した鍛冶(かじ)の技術を持っていた(※注1)
   主神ゼウスの「雷霆」、海神ポセイドンの「三叉矛」、冥王ハデスの「隠れ兜」を鋳造したのは、
   上記のキュクロプス三兄弟だったと云われている。

    しかし、古くは神だった一つ目巨人も時代が下るとともに新しい神に追われて次第に神格
   を失い、ホメロス『オデュッセイア』に登場する頃にはただの粗暴な怪物「キュクロプス族」
   となってしまった。

    ◎ガラティア

    海神ネレウス(老爺の姿をした神)の娘の一人。"白い肌の人魚"であると伝えられる。
    またローマの詩人オヴィディウスによると、「水晶よりも輝かしく、白鳥の綿毛よりも
   やわらかな」姿をしたニンフであったとも。
    いずれにしろ、麗しい若き女人の姿をしていたことには変わりない。海、湖などの水を
   伴う自然美を、人の形として象徴させた存在であるのだろう。

    彼女にはアキスという相愛の美しい羊飼い(※注2)の恋人がいた。だが、キュクロプス
   族のひとり、ポリュフェモスもまた密かにガラティアに想いを寄せていた。
    醜い単眼巨人であるポリュフェモスはかなわぬ思いに焦がれ、いつも遠くから恋しい女
   を見つめていた。だが、ある日彼はガラテアがアキスに抱かれている現場を見てしまった。
    ショックを受けたポリュフェモスはアキスに嫉妬し、ついには大岩を彼に投げつけて
   殺してしまった。

    ところが、ガラティアが恋人の助命を神に願うと岩の割れ目から水が溢れ出し、アキスの
   身体は川と化して流れ出した。
    ガラティアはその後故郷の海に帰ったとも、恋人を慕って河辺に立つうち葦(よし:水辺の
   草の一種)に変身したとも語られている。


    上記のガラティア―アキスとポリュフェモスの三角関係の物語は、「醜男の横恋慕」という
   人の"猟奇のツボ"をいたく刺激する内容のせいか、これまでに何人もの著名な画家によって
   画布の上に表現されてきた。

    無難にガラティア―アキスの美男美女カップルを仲睦まじく描いた絵もあるが、有名な
   作品はいずれも「ガラティアを想うポリュフェモス」の構図である。ギュスターブ・モロー、
   オディロン・ルドンらが秀作、傑作をものしている。

    モロー描くポリュフェモスは額に三つ目の眼を持つ巨人であり、片恋に悩む苦しげな顔
   は一般の単眼巨人のイメージとは大きく違った"哲人風"である

    一方でルドンのポリュフェモスは髪の毛のない頭部に大きな、つぶらな一つ目が嵌め込
   まれていて、不気味さと共に幼児の如き無垢なあどけなさをも感じさせる。

    私は上記ルドンの「キュクロプス」は実際に鑑賞した経験を持つ。明るい色彩に囲まれ
   て眠る美女を山越しに見つめるポリュフェモス。――純情一途な魂を表わした独特の造形
   は極めて印象的で、私の単眼巨人のイメージはこのルドンの絵に拠るところが大きい。
    近代以前の絵画は怪物をただ「恐るべき者」としてのみ描くだけであった。だが、時代が
   下り近代に入ってからは、画家らの想像力はむしろ怪物たちの「内面」に寄り添うように
   変化しているようだ。
    想像上の「怪物」とは、自然の力の象徴であると共に、そうした力を欲しあるいは共振する
   人間の精神のある一面にも通ずるものかもしれず。
    ――であるからこそ、怪物たちはいずれも、どことなくエロス的に見えるのであろう。

    さて、

    『"力"の扉』第8話「公子」に登場させたタピストリのような、ガラティア―アキスに
   ポリュフェモスを配した構図は寡聞にして知らない。これは私自身が、云わば"捏造"した
   絵である。

    8話の中心イメージを担うタピストリ画が暗示する「運命」とは何か、それが「公子」の
   テーマでもあるだろう。

    ……とか何とか偉そうに語りつつ、しかし実際には8話を書き出した頃にはまだ、
   「サイクロプス」のアイディアは固まってはいなかった。

    中世後期の貴族生活の資料を調べるために図書館に出向いた際、何とはなし直接関係ない
   各種画集を集めた本棚に目が向いた。そして妙に気になった画集の一冊をパラパラと繰る
   うちに「キュクロプスとガラティア」の画題にぶつかったのである。

    「これだよ!」

    すでに書き出していた話ではあったが、ここで急遽中心イメージを決定。私の中でも8話の
   テーマが一気に集約された瞬間であった。

    長い時間ひとつの物語に取り組んでいると、こんなことがままある。
    そんな時には、自分ひとりで書いているというよりも、何かに「書かせていただいている」
   ような気分になるものである。




    注1)鍛冶の神は"隻眼"などの身体欠損の姿をもって描かれることが多い。これは
     実際の鍛冶の現場で火花が跳び、その事故のため身体を傷つけられる職人が多かった
     ためだ――との説がある。

    注2)羊飼いの仕事場は山の草地であり、これは人里と自然界の「境界域」である。
      神話の中で彼らがしばしば神や精霊と出会う役割を振られるのは、こうした
      「境界の人」という認識が広くあったためだと考えられる。



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