「ゲーム『カルドセプト』に思う、つれづれ」(3月2日)


    その1)"自動的変化"しか起こらない世界

    ビデオゲームの"面白さ"は何処にあるのだろう?
    ――私は、それは畢竟「ボタンを押す」ことに尽きていると思う。ボタン(含むカーソル
   操作)を押し、決定するとゲーム内世界の何かが「変わる」。プレイヤーがボタンを押し、
   積極的に関わることでゲームの世界が「変化する」、そのことこそが最も重要なのではないか。
    例えば敵を倒して消す、トラップを解く、舞台の構造が変わる、あるいはNPCのセリフや
   行動が変わる、隠されていたシナリオが出現する……etc。
    そうして、それらの「変化」がプレイヤーにとり望ましいものであった時に、私たちは
  「喜び」や「満足」を味わうのだ。

    つまり、プレイヤー自身が「世界に関わり、変化させ得る」こと。それが「ボタンを押す」
   行為の期待値であり、先の面に進むための燃料だとも言えるだろう。


    ――と考えた時に、さて、
    『カルドセプト』ではボタンを押して何が「変わる」のだろう?


    確かに、勝利すれば手持ちのカードは格段に増え、ストーリーモードであれば新しいマップ
   も出現する。だが、それ自体は決してプレイヤーによる積極的な「世界の変化」だとは言えない。
    どれほどストーリーを進めてみても、『カルド』ではあらかじめ仕組まれた「自動的な
   変化」しか起こらない。「1」では世界征服を目論んでいたCPUキャラたちが改心し、「2」
   ではレオが疑心から目覚め、セレナは追いかけてくる。が、それは単に私たちがゲームを
   "進めた"からであって彼らを"変えた"からではないのだ。

    ゲーム『カルドセプト』において、「変化」はあくまでプレイする者の内部においてしか
   起こらない。カードを増やし、ブックの組み方を憶えて戦術・戦略を考えるようになる――
   という方向にのみ無限に近く広がってゆく。
    ……が、しかしそれは結局のところゲーム内世界とは直接関係のない部分での変化なのだ。
   プレイヤーが選択し決定することで起こるゲーム内世界の変化は、『カルド』には無い。

    『カルド』は「ストーリー部分が弱い」と指摘され続けてきた。その問題の中心は、実は
   上記の点にあるのではないか?
    ボタンを押しても「世界を変えられない」こと。世界を創る力を持つカードを操る人物
   となるのに、実際のゲーム内世界ではプレイヤーは主体的に何一つ変えることができない
   ――その矛盾と乖離。「足りない」のは多分、そこだ。


    これからさらに『カルド』の完全新作が作られるのか否かはわからない。だが、もしも
   本気でストーリー性を持たせるつもりであるならば……その手段は「小説家の参加」だの
   「マルチストーリー」だのではないだろう。



   その2)覇者の願い

    さて、『カルドセプト』の(ゲーム中での)物語では、カルドラ宇宙に存在する各々の世界で
   (カードの)「覇者」と認められたセプターは、どうも必ず別の新たな世界を創ってそこの「神」
   におさまると決まっているものらしい。

    物語中では、「復元されたカルドセプトは覇者の願いをかなえる」と説明されている。
    ……んだけど、私にはずっと「願いをかなえる」ことと「別の世界を創る」ことがどうして
   セットになり得るのか、合理的な説明がなかなかつけられなくて折にふれあれこれと考えていた。

    で、そうするうちに(あることをきっかけに)なんとなく浮かんできた仮説がひとつ。

    「覇者たちは、自分の居る"この世界の現実"では叶えることのできない願いを、別の世界
    (別の現実)を創り出すことで叶えるのである」

    うん、これならば納得できるな。
    "この世界の現実"はあくまで"この世界"を創り出した神の管理下にある――と考えれば、
   いかに覇者であろうとも軽々に「変更」を施すことはできないはず。
    そして逆に言えば、「新たな別の現実」を創り出さねば対応できないような、それほどに
   まで「この世界の中では実現不可能な願い」を抱える者こそが覇者を目指すのだ、とも。

    ……とはいえ、これは私の想像(妄想)にすぎないことだけれど(※注)



    実際のゲーム中ではプレイヤーの分身たる主人公キャラは、「1」でも「2」でも自ら切実に
   願ってというのではなくて、どうも"なんとなく"巻き込まれてひと肌脱ぐ羽目になっている
   ように見える。
    そして私も、あまりに重い動機を主人公に課すことはカルドのゲーム性には向いていない
   のではないか、と感じている。
    繰り返しプレイをするゲームなのだから、主人公の設定は薄くして、ストーリーモードの
   一周ごとに想像の広がりを楽しめるようにした方がいい。
    だって物語中の登場人物ならばいざ知らず、ゲームをプレイする私たちの願いはいつでも
    「面白い対戦をしたい」
    この一点に尽きているのでもあるし、ね。




    注1)当館「読み物の部屋2」に掲載する詩篇「ある覇者の願い」は、この仮説をもとに構想した。



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