『力の扉』第3話より「奨進花」について(5月10日)


    考えてみたらば、この話題は今頃しか掲載できないのだった。

    当館の読み物『カルドセプト―"力"の扉―』第3話には、「奨進花」と題した一編の"うた"
   が登場する。
    それは月の明るい夜、戸外に出たセプターの少女「マヤ」が、風に寄せられた花びらを
   たよりに森の奥に満開の花咲く樹を訪ね当て、そこで舞い踊りつつ謡(うた)う場面の詞である。



    綾(あや)の絹、玉の帯とて惜しからず。
    惜しむべきはこの、花の錦(にしき)。
    いざや焚け、篝火(かがりび)。
    盛りの春、たけなわの時に臨(のぞ)まん。
    咲くや木(こ)の花、今宵花咲く。


    花咲く枝を折りたまえ。
    咲き匂う盛りを愛(め)でたまえ。
    折ってかざして舞いたまえ。
    御身の少(わか)さに酔いたまえ。


    時移れば花散り、
    歳(とし)廻りて復(ま)た開くも、
    人の身に再びの春は来たらじ。
    君よ、短き日を惜しみ、
    日、落ちなば燭(しょく)を取りてもなお遊べ。
    「過ぎ行く春よ永(なが)からん」と願いたまえ。


    花咲く枝こそ折りたまえ。
    花無き枝を手に、
    君、悔い嘆きたもうことなかれ。



    最初の五行は「序詞」、「咲くやこの花」はもちろん、『古今和歌集』仮名序にある

    「難波津に咲くやこの花冬籠り今は春べと咲くやこの花」

    より採る。ただし「難波津に」の歌の「花」は梅花であるため、桜花を暗示する「木(こ)の花」
   (=木花開耶姫:コノハナサクヤヒメ)に変えている。

    また、「さくやこのはな こよいはなさく」は一行の中でアナグラム(ある言葉を用いる際、
    言葉を構成する文字を入れ替えて別の言葉を作る"言葉遊び")めいた対称になるよう
   試みてみたもの。

    さて、この詞全体のモチーフは中国・唐代の漢詩「奨進酒(または「金縷曲」とも)」に習っている。


       「奨進酒」 作者:杜秋娘(伝)(※注)

   「勧 君 莫 惜 金 縷 衣 : 君に勧(すす)む惜しむ莫(なか)れ金縷(きんる)の衣
    勧 君 須 惜 少 年 時 : 君に勧む須(すべか)らく惜しむべし少年の時
    有 花 堪 折 直 須 折 : 花有りて折るに堪(た)えなば直ちに須らく折るべし
    莫 待 無 花 空 折 枝 : 花無きを待ちて空しく枝を折ること莫れ 」


    なお、上記の詩には小説家・詩人の佐藤春夫氏による優艶な訳詩がある。

   「 綾にしき何をか惜しむ    惜しめただ君若き日を
    いざや折れ花よかりせば   ためらわば折りて花なし 」


    「花」とはこの詩では「女性」あるいは「恋愛」を指す。多分に"酒と女"の匂いがする、
   どう読んでも遊里の酒宴で謡われるのが最もふさわしい詩と言えよう。
    だが、それでいてほのかに愛惜の意の漂う点が出色。誰しも逃れることのできない時の
   移ろいを惜しみ、咲く花に寄せて過ぎ去り行く「今」を愛おしむ心情。――そこには確かに、
   古今も洋の東西も問わない人の真実があるためだろう。

    さて、自作の「奨進花」では上掲の「奨進酒」の他にも、二編の漢詩から詞の言葉を得ている。

    第二聯の「時移れば〜 〜来たらじ」までの三行は、初唐の詩人 劉廷芝(りゅうていし)
   による「代悲白頭翁」中の有名な句

   「 年年歳歳花相似たり   歳歳年年人同じからず 」より。

    また続く「君よ〜 〜願いたまえ」の二行は漢代の「古詩十九首」中にある

   「 昼は短く夜の長きに苦しむ   何ぞ燭をとりて遊ばざる 」

   から各々発想している。

    いずれの詩も「過ぎ去り行く時を惜しむ」という、同一のモチーフを持つ。
    実は『"力"の扉』では「時間」は重要項目のひとつであり、一度全ての物語を読み
   終えた後、再読した際に初めて意味がわかるように"仕込んだ"場面がいくつもある。
    この「奨進花」もその趣向に連なる部分(効果のほどはともかくも)。

    これを特に第3話の終盤に持ってきたのは、章題でもある「呪文」が暗示する"言葉が
   招きよせる魔法の時間"の実践編のつもりでここに据えたもの。


    さて、この詞の場面は女子読者にはおおむね好評である。だが男子読者のほうはいかが
   お感じなんでしょうねえ……退屈じゃない? などと、私は少なからず心配していたり。
   (まあ、詞や音楽の出てくるシーン全般について、男子方の反応をうかがってみたいところ
   ではあるけれど)


    それでも、このような歌舞音曲や祝詞、伝説、説話がひとつも出てこないような作品は、
   そもそも「異世界ファンタジー」と名乗ったらマズいんじゃないかと自分は考えているので、
   とにかく機会ある毎に混ぜ込んでゆきたいと画策している。




    注1)「杜秋娘」は唐代・金陵(地名)出身の歌妓と伝えられている。また、美人で有名な
       女人であったとも。



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