「ゼフィリース」の由来 (『"力"の扉』第10話ネタバレあり)(7月5日)


    ※以下には当館の読み物『"力"の扉』第10話のネタバレがあります、未だお読みでない方はご注意ください)


     ――「東はオーデの"ゼフィリース"、西はヴィザルの"ロザリエト"が遊里の妓(おんな)
     の最高位……一国の王妃さまをも凌ぐ高値の花、 男どもの女神さまでござんす」――

    (『"力"の扉』第10話より)


     「ゼフィリース」とは「ゼフィルス」より採って私が作った名称である。また、元ネタで
    ある「ゼフィルス」はギリシャ神話の西風の神「ゼピュロス(zephyrus)」の英語読み。
    また、そこから転じて小型の蝶類であるミドリシジミ亜科の学名ともなっている。
     10話に登場した「ゼフィリース」は西風ではなく、このミドリシジミ亜科の方を指す。

     ミドリシジミ亜科は樹上性のシジミ蝶の仲間。彼ら(のオス)は小さいながらも宝石の
    ような輝きを放つ美しい羽色を持ち、蝶マニアの間では極めて人気が高い。


     漫画家・手塚治虫氏(昆虫マニア)もこの蝶のことはもちろんご存知で、かつお気に入り
    だったらしい。氏の短編作品の中には、その題名もズバリ『ゼフィルス』という一編がある。
    また長編『地球を呑む』では、男という男を虜(とりこ)にする蠱惑(こわく)の魅力をたた
    えた絶世の美女たちが、自ら「ゼフィルス」と名乗って登場し、妖しい策謀をめぐらせる。


     「男をたぶらかす女」――といえば、私には上記の巨匠の作の美女たちのイメージが強い。
    そこで自作の『"力"の扉』内でも、東の遊里・オーデの最高位の妓女の二つ名(源氏名)に、
    この「ゼフィルス」を採用することとした。
     ちなみに、作中に名のみ登場する西の遊里・ヴィザルの妓女の最高位「ロザリエト」は、
    東の「蝶々」に対して「花」=バラの花(ローズ)をもじった名称だったり。



     さらに言えば、東の遊里・オーデの"元ネタ"は江戸期の遊郭「吉原」だ。

     吉原の遊女にもさまざまなランクがあり、その最高位は「太夫(たゆう)」と呼ばれた。
    彼女らは美貌ばかりでなく舞踊や詩歌などの教養にも長けた妓たちであり、殿様や豪商と
    いった格の高い客の相手をした。
     こうした高級遊女は、遊女として名を売るのみにとどまらず、新しい服装や髪型といった
    ファッション面でも江戸のリーダー格だった。吉原は表向きは「悪所」と差別されていたが、
    実質は江戸期文化の代表的な発祥地でもあった。
     歌舞伎・浄瑠璃などで現在でも上演される演目(「助六」など)にはしばしば、重要な
    役どころとして遊女が登場してくる。劇中の遊女はいずれも女神のごとくに美しく、聡明で
    かつ悲劇的でもある。江戸の人々の遊郭という場所への憧れ(言ってみればファンタジー)
    がここからはうかがえよう。

     当時の遊郭は売買春という最終目的のみにとどまらず、男性の社交場という一面もあり、
    遊びに粋と機知を競うのが客の美学とされていた。単純に大金をばら撒くだけでは表向き
    はひと通りのもてなしは受けても、裏で「野暮」のそしりを受けてしまう。そして「野暮」
    「田舎者」と呼ばれることほど、江戸の人々にとって口惜しいことはなかったのである。
     そのためランクの高い遊女になるほどは、実際に一夜を共にするまでにいくつもの手順が
    決められていた。そして、客は身分によらずもろもろの段階を踏み、宴席での粋な振る舞い
    や機知に富んだやりとりを見せることで、目指す相手に「気に入ってもらえる」よう腐心した
    のである。
     そうして客たちから(上手く)金を搾り取る手管として、吉原には年間を通していくつも
    の行事があった。「独白・5」中にヒロイン、マヤが語る「春の祭り」は、実際に江戸期の
    吉原で行われていた「花見の行事」(桜の木を持ってきて植え、花の時期だけ楽しんで花が
    終われば抜いてしまう)そのままである。

     つまり、遊郭での男女の交わりはこれ全て「遊び」であり、あくまで恋愛遊戯を楽しむ
    場所である――というのが建前であった。遊びの相手に本気になるのは「野暮」のすること、
    遊女の恋人になったつもりで「情緒を楽しむ」きれいな金の使い方が、遊郭という場における
    ステータスだったのである(※注1)


     ただし、高級遊女である太夫は揚代(あげだい:遊女の身柄を一晩買うための代金のこと)も
    また相応に高かったため、時代が下ると次第にすたれてもっと"安い"妓たちが遊郭の中心に
    なっていったそうである。

     諸行無常、盛者必衰の理はここにも、また。



    ◎参考リンク◎
    ・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より、「吉原遊郭」の項
     → http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%8E%9F%E9%81%8A%E9%83%AD
    ・『吉原再見』(近世、江戸時代吉原遊郭に関する資料サイト。図版、画像多数あり)
     → http://yosiwarasaiken.net/
    ・『ぷてろんワールド』(蝶の百科ホームページ)より、「ミドリシジミ族のページ」
     → http://www.pteron-world.com/topics/classfication/lycaenidae/theclinae/theclini1.html#neozephyrus




    注1)要するにマヤは、「本気は野暮」「惚れたら負け」という価値観の中で育った少女なのである。
       彼女の言動を理解する上でこの点は極めて重要だ――ということを、ここに記しておく。



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