「考えるな、感じろ」(5月5日)


     私は子どもがいるような年齢になってから、必要に迫られて普通自動車の免許を取る
    ことになった。
     もちろん、車の免許取得のためには自動車学校に通わねばならない。そこでは幾人か
    の講師にお世話になったわけだが、各人のコーチングの方法には少なからぬ"差異"が
    あったものだ。
     中でも、私が一番「この人に教わった際には上達したな〜」と感じた講師(女性でした)の
    コーチングは独特だった。

     講師:「あなたの目の前に"一台の車が走っている"とイメージして下さい。
         そして、その車のお尻に付いてゆく感じで運転してみてね」

     初っ端からそう言われて『どういうことか?』となかなかに面食らったものの、確かに
    「前を走る車に付いてゆくイメージ」は効き目があってあら不思議、スムーズに運転でき
    るじゃないですか自分。

     講師: 「そうそう、その調子ですよ♪」

     褒められおだてれながら、いつの間にやら自動車の運転が身に付く感じになっていった。


     ――この時の経験でよ〜くわかったのが、


     「新しい身体動作を獲得するためには、その動作を実現するための新たな"動作イメージ"
     が必要である」

     ↑このことだった。

     自動車学校の講師陣の中には、運転の動作の一つ一つについて細かく指示する人もいた
    が、それよりも「動作イメージ獲得方式」の方がよほど実践的だった(少なくとも私には)。
     これは、人間の(恐らく人間以外の生き物でも)「運動」が、身体動作をイメージできる
    場合に最もスムーズに達成される証左ではないかと考えている。


     かつて人気のあったTV番組『筋肉番付』(TBS)では、俊敏さや平衡感覚を極限まで
    試されるようなステージ(規模の大きなジャングル・ジム様の装置)が現れては挑戦者を
    脅かした。しかしかなりに奇抜な、あるいは難しいステージであっても、挑戦者のうちの
    たった一人でもが成功すると、後続から次々にクリアする人が出たものだ。
     その際に観察した限りでは、彼ら「運動の達者」たちは、必要な身体動作のイメージさえ
    つかむことができれば、そのイメージを使ってほぼ同じ動作をトレースしてステージをクリア
    できるように見えた。興味深いことである。


     ということで、ひとつ考えてみる。
     もしも、人間がある運動を実現するために「運動イメージ」に拠らないものとすれば、
    私たちは必要な動作(身体操作)の全てを文節化し、「動作手順」として一切のノウハウ
    をひたすら憶え込むことになるだろう。
     それはつまり、運動の文節ごとに常に「次の手順」を脳に参照し、確認してから次の
    文節に進む――という方法だ。しかしそんなやり方は正直、レスポンスが悪すぎて速度が
    望めず、やってられない。


     その点「動作イメージ」を運動神経に(言わば)"直付け"してしまうならば、レスポンス
    はぐぐっと速くなる道理である。


     例えば、アクションゲームなどは大人よりも子どもの方が断然、習得が早い。


     これは、彼らがゲームをプレイする様子を見ていると、モニタに映る映像を元に、自分
    の脳内で作り出した「自機イメージ」にすっかり入り込んでいるからだと思われる。彼ら
    にとって自機イメージに必要な上下・左右の回避行動は、身体レベルの運動イメージ
    そのものとして知覚されているのだろう。子どもたちは大人に比べるとはるかにイメージ
    の世界に根ざす人々であり、右に、○○の下に……といった「言葉」を介することなく
    イメージそのままに運動へと移すことができるのではないか、などと考えられる。


     ところがアクションゲーに慣れない大人は、いちいち脳に「次の参照」を、それも「言葉」
    を介して行ってしまいがちだ。これでは、とてもではないが目から入る情報に手が追い
    つくはずがない。


     また、能や歌舞伎などの伝統芸能の世界では、家元の子弟はかなり幼少の頃から稽古を
    積んで舞台にあがる。
     この方法も、世界を言葉によって解釈する以前の、未だイメージでのみつかんでいる
    時期に、基本的な動作イメージを「刷り込んでしまう」という意義があるものと思われる。
    身体動作のイメージを無意識レベルにまで叩き込み、脳への参照頻度をできるだけ下げ
    ることで「流れるような基本の動作」を作り上げるのだろう。
     (スポーツ界でも、近年ではイメージトレーニングの重要性は認識されており、一流
    クラスのプレイヤーはとにかく、自分の「成功イメージ」を繰り返し繰り返し思い浮か
    べて身体にしみ込ませる"トレーニング"を欠かさないそうだ)




     「考えるな、感じろ」とは、かのリー師父(※1)の御言葉。単に映画内の一セリフに
    留まらない、身体動作の制御の本質部分を表わす重要な言葉だろう。



     ――し〜か〜し〜、

     「動作イメージ」がどれだけ持てるか?にも個人差があると思われる。どうしてもこの
    種のイメージが「持てない、想像できない」という人も、世の中にはいるんだろうなぁ。

     果たして、そういう人にはどのような身体動作のコーチングが必要なのだろうか?

     まさか、手順の一つ一つを細かく指示して憶えてもらうの? うひゃ〜激しくマンドク
    セー! 自分の子どもならばいざ知らず、赤の他人にそんな面倒くさいコーチングなんて、
    私は金もらってもやりたくないねェ。







     ところで、当館作品『"力"の扉』内でのゼネスのコーチングの腕前は、いったいどの
    程度のものなんだろう?


     彼の場合は「俺のやる通りにやれ!」「技術は盗むものだ!」とか何とか言って、後は
    放置――になるような気が……。
     いやこれ、人によりけりなコーチング技能をカバーするための万国共通かつ伝統的な
    方式ではあるのでしょうが……。


     つまりは、師匠が有能なコーチなのではなくて、ひたすら弟子の側が有能で、師匠から
    いろいろと"掠め取っている"師弟関係、なのでしょうなぁ。




    ※1):リー師父=ブルース・リー(李小龍)。映画俳優、中国武道家。「考えるな、感じろ!」
       (「Don't Think. Feel!」)は1973年に公開されたカンフー映画の金字塔『燃えよドラゴン』の
       冒頭で語られた。武道家としてのブルース・リーの思想を象徴するセリフとして知られている。


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