ゼネス随想・二題 (12月31日)


     その1)「少年ゼネスの相手役」

     大宮ソフトのゲーム『カルドセプト』の「1」に登場する少年キャラ・ゼネスについて
    は、私は一編だけSS(18禁作品 ※註1)を書いている。
     そこで彼の相手役を務めた女性キャラは、歳上の艶麗な魔女であった。というのも私
    にはどうも、若ゼネスの相手に彼と同年輩の少女たちを思い浮かべることがムツかしい
    もので。

     私が一番最初にプレイした『カルドセプト』はサターン版だ。そのストーリーモードを
    クリアした時、そこまでずうっと自分キャラを追いかけ回していたゼネスは、

     「神と同等になった貴様に手出しするほど俺はバカじゃない」
     (↑うろ覚え)

     とか何とか言って、サバサバと去っていってしまった。
     当時、それは本当に言葉(セリフ)通りと感じられた。神になれば人の世界(戦いの
    世界)から「一抜けた」してしまう主人公キャラには、彼はもう興味を持ってはくれない
    のだろうな、と。
     そうして覇者が抜けた後もなお、充実した戦いを求めてさすらい続けるのだろうな、とも。
     (またそういう点が、「2」のレオ君とは決定的に違う)
     『そうか、もう追っかけて来てはくれないのか、さみしいなぁ……』――そう思ったこと
    をよく憶えている。


     その後自分なりのゼネスの物語を書き出した今となってもなお、「1」での少年ゼネス
    のイメージは上記のままだ。より具体的に言えば私の若ゼネスの印象は常に、

     「どの釣り堀でも一番デカい(ムリめとも云うな)魚を狙う人」
     ↑これなんである。

     若い彼はデカい魚を"釣り上げる"ことに熱中する人であり、その目的のためには日々
    レベルアップの努力をも欠かさない人でもあるだろう。
    (ただし、まかり間違って"釣って"しまった後のことは考えちゃあいない)
     が、しかし、釣り堀から天に昇ってしまった魚については、いくらデカくとも「もう、俺
    とは関係なくなったな」と思う。あくまで、今現在彼の目の前に居て泳いでいる魚だけ
    が対象。んでもって、
     セプターとしては無論のこと、若い男子としてのゼネスもまた同年配女子といった
    「中小程度の魚」には目もくれず、ひたすら背伸びして歳上・手だれのいい女という
    「大物」しか目に入らない性質なんじゃ……という気がする。
    (そりゃームリだよアンタ、という忠告なんぞ聞きゃしねー)

     というワケで、私のゼネス解釈ではどうやっても若い頃の彼の性愛の"相手"は同年輩
    女子にはなんない(苦笑)。
     ――て、こうやって整理してみるとまるでまるで「おバカ男子」そのものだね、だから
    こその「ゼネス」なんだろうけど。
     今後また若ゼネスのSSを書く機会があるとしても、私はやはり彼の相手は「ムリめの
    デカい魚」しか想像できないんだろうな(しみじみ)。



     その2)「二人のゼネス」

     DS版カルドが発売されて1年あまり……

     今もヒマを見ては「1」カルドに向かい、組んだブックを回して調整するため、あるい
    は経験の浅いマップに慣れるためにゼネスと対戦し、頭をヒネっている。
     (と言うか、最近になってPS2が故障してしまったので、ただ今は2Exはプレイ
    したくともできない状態)

     そうしてDSのモニタに映る(こればかりは懐かしの)ゼネスアバターやらブック内容
    やらAIのアルゴリズムやらに接していると、つくづく私にとってゲーム内のゼネスとは、
    「対戦相手として好きで、だからこそ尊重したいキャラクター」なのだなぁ……と再確認
    される。

     それは、ゲーム内のゼネスはあくまで「ゲーム内のゼネス」として私自身に認識され
    尊重されているという意味。だから、ゲームで出会うゼネスは"アンタッチャブルな"
    存在だ、私にとっては。いくら枯渇させようが自マイン踏もうが敵セプターに貢いでしま
    おうが、あらゆる価値判断の外に屹立する、独自の、独立独歩の「触れ得ざる何者か」
    ――なのである。

     その一方で、私が自作のカルド二次読み物の中で描く「ゼネス」。彼はあくまでゲーム
    内のゼネスをもとに私が想像した「ゼネス」である。だからゲーム内のゼネスと「ゼネス」
    とは、決して同一ではない。質的、というより存在として両者は"違う"。そしてそれは、
    カルドをプレイする私に妄想は訪れず、カルドを手から離してはじめて妄想がむくむくと
    頭をもたげる――あり方に似ている、かも知れない。


     ゼネスと「ゼネス」とは決して混同されない。攻略と妄想が入り混じることは(少なく
    とも私の中では)「無い」と断言できる。さらに言えば、どちらも結局のところ「彼らは
    彼ら自身のものであって私のものではない」。このことはとてもハッキリしているし、
    私が最も大切にする事実であり事柄である(※註2)
     そう、尊重するからこそ私はいつでもその名を「ゼネス」としか記さない。略称でも
    愛称でも通俗化でも矮小化でもなく、独自の存在としての二人のゼネス像を抱いている。
     これまでもそうしてきたし、これからもずっとそうし続けるだろう。



     ※註1 18禁作品についてはこちらの「ご案内ページ」をどうぞ。

     ※註2 私は「自分の趣味」とキャラクターへの「愛」とを混同はしない。「ゼネス」は私に
    とって「遊びの道具」ではなく、その体系化を目指す「個人」である。


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