モニタに浮かぶ、3Dゲームの画面。
伸びてゆく一本の通路。灰色の壁と床と天井、その奥にわだかまる闇。
一歩を進むたび、通路の先に立ち上がるひとマス分の壁と床と天井。
そして、闇もまたひとマスを退がる。
けれど、進んでも進んでもついに最奥を「見る」ことはできない。いつでも、
モニタの「その先」はぼんやりとして暗い。
あるいは、ダイスを振りカードを繰るゲーム。
自らが振るダイスの目、自らが組んだカードを引く順番、誰も
それを行うより先に「予知」することはできない。
期待も、落胆も、常に「偶然」という名の闇の中にある。対戦を終えても
なお、手に触れ得ない最奥はゲームの存在と共にあり続ける。
どれだけ知ったマップであろうと、通路の、偶然の最奥の闇に何が潜んで
いるのかを知ることはできない。
ひと足ごとに「道」はつくられてゆく、だがその「道」が私を何処に導いて
ゆくのか、それもまたあらかじめ全てが「わかっている」わけではない。
――似ている、とても、「書く」という作業に。
ひとつ、ひとつ描写を積み重ねることで立ち上がり、露わになる文章、
偶然の導きで出逢う「ことば」の世界に。
ただ進んで、進むたびできあがってゆく道の奥の闇を見つめている。
未だ形を成さない"もの"が形象を獲得する、その瞬間をつかむために。
まだ見えてこない通路、振られていないダイスの目、引かれていないカード、
のような。
プロットを踏まえながらも、先立つ「闇」から未知なる何かがやってくる。
しかし私はむしろ、その未知をこそ待ち構えているのだ。進みながら、
書きながら、いつだって。
それが「小説」だ、私にとっては。文章による「小説」、ゲームの形をした「小説」、
全ての「小説」的なる生の本質。
常に混沌の自由を孕むもの、あえてそこに挑む者だけが一瞬の「意味」を引き出す
ことができるだろう。
真実の「小説」に追いつく資格を持つことができるだろう、と。