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     『 カルドセプト ―"力"の扉― 』 

      「 巡礼 (前編) 」 (1)


    「だめだめ、ぜんっぜん話になんないよ。これだけ芋がついててしかもキズ一つ無いのに、
    金貨がたったの三枚だなんて」
    「そりゃ兄さんの言うことはわかるさ、でもなあ、アスピル(芋の名称)の相場は最近ちいっ
    とばかし下がってるんだよ。少し前だったらあんたの言う通り、金貨五枚で御の字だったん
    だがねえ」
    中年の男は頭を掻きながらもあくまで柔和な表情は崩さず、強気な商談相手を丸め込むのに
   余念が無い。
    薬問屋だという男の店先は間口こそ狭いものの奥は深く、草木の葉や根を干した束が天井か
   らびっしりとぶら下げられている。地面に直接据えられた台や棚にも、木の実や皮がうずたか
   く積み上げられていた。
    中にはまだ刈り取られたばかりの青々とした草や色とりどりの花束もあり、さらにはカゴに
   入れられた鳥や獣までがいる。さまざまなニオイが入り混じり、一種独特のクスリ臭となって
   店先だけでなく周辺の通りにまでも漂い出している。
    一体どれを何に使うものやら、ゼネスにはおよそ見当もつかない。彼は今、薬問屋の対面に
   ある店舗の壁に寄りかかりながら、マヤの交渉が終わるのを待っていた。
    彼女と店の主人との商談はもちろん奥の方で行われているのだが、竜眼を持つゼネスが神経
   を研ぎ澄ませて聞き耳を立てれば、何とか会話を聞き取ることができた。
    「少し前って、どのぐらい前なの?いい加減なことを言わないでよね、こっちが知らないと
    思ってさ。
     だったらいいよ、もう。他を当たるから」
    怒ったような顔をして、マヤがサッサと店先まで出てきた。慌てて追って出た店主が彼女の
   腕を取り、引き止めにかかる。
    「いやあ、ちょっと…ちょっと待っておくれ。じゃあこうしよう、銀貨五枚をつけようじゃ
    ないか。出血大サービスだよ、兄さん。助けると思ってこれで飲んどくれ」
    盛んに拝むマネまでするが、マヤは大げさにそっぽを向いて返事をしようともしない。
    「ダメかい…しようがないね、だったらもうヤケだ、銀貨をあと三枚つけよう!
     な、金貨三枚に銀貨八枚、これでもうカンベンしておくれ」
    店主の片手はマヤの腕をしっかりとつかんだまま、なかなか離す気配が見えない。
    ゼネスは、どうもむやみと腹が立ってきた。
    「おい、ここでおとなしくしてろよ」
    足元にうずくまる子どもに声を掛けると、そのままつかつかと店先の二人に近づいてゆく。
    「まだ話が済まんのか、早くしろ、ゴチャゴチャ謂われるなら別の店に行け」
    彼の言葉は弟子に向けられたものだったのだが、いきなり登場した恐ろしげな竜眼の男を
   見て、問屋の主人の顔色がサッと変わった。
    「あ…あなた様はこの兄さんのお連れさんで?」
    「そうだ、金貨五枚で話がつかんのならもう終いだ、帰る」
    ジロリと左眼で見返すと、
    「少し、少しお待ちを!」
    主人は急いで奥へと引っ込み、皮袋を一つ手にして戻ってきた。
    「ひぃ、ふぅ、みぃ…ほら、金貨五枚、確かにお支払いいたします。芋の買取をさせていた
   だきますですよ」
    上ずった調子で言いながら、マヤの手のひらの上に五枚の金貨を置いた。
    「じゃあ交渉成立だね、ありがとう!はい、これどうぞ」
    彼女も、薬の芋を主人の手に渡す。
    「これからも、どうぞごひいきに…」
    慇懃(いんぎん)に頭を下げる男を後に、二人は店先を離れた
    「リオリオは?」
    「あそこだ」
    ゼネスはさっきまで立っていた場所をアゴを上げて示す。
    「リオ〜!」
    駆けていったマヤは、あい変わらずうずくまっている痩せた小さな子どもを抱き上げた。
    「お金できたからね、これで白い服買えるよ」
    少年の瘡(かさ)ぶただらけの顔が、かすかに笑う。彼女に抱かれて満足げとも見える。
    『まったく、こんな厄介者を拾って…本気で"巡礼者"の格好までするつもりなんだからな』
    面白くないとふてくされ気味の耳に、しかしおかまいもなく弾んだ声が飛び込んでくる。
    「ゼネスのおかげだよ、もうそろそろ手を打とうかなと思ってたけど言い値で売れちゃった。
    見た目怖そうな人ってこういう時得だね」
    「放っとけ。
     しかしあの芋が金貨五枚とは、一体何の薬がとれるんだ」
    師の問いに、弟子はチラリと目の端で見上げつつ、
    「そう言えば、知らなかったんだっけ。
     ―あのね、精力剤。すっごく良く効くらしいよ」
    しれっとこともなげに答える。
    だが少女の口からそんな事実を聞いたゼネスは二の句が告げられず、居たたまれなくなって
   今度は彼の方がそっぽを向いた。

    山越えの際に稜線から望まれた街の、ここは城外市場だ。
    所狭しと立ち並ぶ店や屋台の屋根、その間を網目のように広がる狭い道を行く人の波、そし
   て荷車を引く者や家畜を追う者。売り子の呼び声、店先を物色する客が値切り交渉をするやり
   とり。たまさかには、うろつく犬ころや物乞いが蹴飛ばされてあげる悲鳴も響く。
    全ての形と色と声と物音が渦を巻いたように騒然として混ざり合い、沸きかえっては頭上に
   広がる青空へと吸い込まれてゆく。
    その大いなる賑わいを見下ろす高い石造りの壁が、市場の向こうに聳え立って連なっていた。
   壁の上にはポツリポツリと等間隔で、警備の兵らしき人影も見える。
    『ずいぶんと念入りなことだ』
    そっぽを向いたついでに、ゼネスはしばらく石壁を眺めた。
    「さあ、早く白い服買いに行こうね。お寺にお参りができるよ、リオ。
     ―ゼネス、ねえゼネスはホントに白い服を着なくていいの?」
    呼ばれて、彼は弟子の方を向いた。彼女は痩せこけた貧弱な子どもを、いかにも大切そうに
   やさしく抱いてやっている。
    「まっぴらご免だ、"巡礼者"の格好など俺はせん。だいたい"関"を越えると言い出したの
    はお前の方なんだぞ。
     城内まで付き合ってやるだけでもありがたいと思え」
    「でも…心配だなあ…」
    言葉をにごして、彼女は腕の中の少年の顔をのぞき込んだ。

    話は二日前にさかのぼる。
    山を下りた後、二人は城塞都市へと続く街道に入った。「買い物をしたい」というマヤの意向
   により、市の立つ場所まで出るつもりだったのだ。
    ところが街道沿いの最初の集落で、彼らはとんだ"拾いもの"をしてしまった。
    しょぼつく雨の降る日だった。集落の住人たちは畑仕事に出ていないようで、道を往くのは
   旅人らしい拵(こしら)えの者ばかり。どこからともなくトントンと何か叩く響きや、カラカラと
   機織る音やらが聞こえてくる。
    昼時を少し過ぎて腹が減ってきたため、二人は集落のはずれにある廃屋で雨宿りがてら休む
   ことにした。
    先に人の気配に気づいたのは、もちろんゼネスだ。
    「先客がいるな…しかしこれは…子どもか?」
    「子ども?」
    そう聞いて、マヤがさっさと飛び込んだ。止めるヒマもない。
    そして廃屋の中にいる"先客"をうかがいながら、呆れる師に向かって手招きする。
    「ほんとだ、男の子だよ。でも…病気みたい」
    ゼネスが近づいた時には、彼女はすでにしゃがみ込み、その子をヒザの上に抱き上げていた。
    彼らが見つけた少年は、ひどく痩せこけた上に病に侵されていた。全身瘡ぶただらけであち
   こちから膿(ウミ)が染み出している。屋の中には臭気が漂っていた。
    歳を聞いてもどこからきたのかと尋ねても、ただ力なく首を振るばかりでらちがあかない。
    親は死んだのか、それとも子どもを捨てて去ったものか、これもまた首を振るばかりが答えだ。
   よく見れば六〜七歳ぐらいだが全体に小さく弱々しく、発育の状態が悪い。
    『これはもう、長くはないな』
    ゼネスは正直、あまり掛り合いになりたくはなかった。子どもがこれだけ弱ってしかも病身
   となれば、回復は難しい。下手に面倒を見て情が移ったあげくに死なれるのはかなわない。
    薄情なようだが、ここは少しばかり食料を置いて早急に立ち去るのが正解だ。
    だが、そんなことはマヤが承知しそうになかった。彼女はいとおしそうに痩せた体を抱いて、
   やさしく話し掛けている。
    「安心していいよ、こんな格好はしてるけど、私はお姉さんだから。"マヤ"って呼んでね。
     君のことは、なんて呼んだらいいの?」
    「…リオリオ…」
    ようやく少年が返事をした。子どもらしくもない、かすれてしゃがれた声だ。
    「愛称だな、それは。母親か誰かがそう呼んでいたんだろう」
    「ふ〜ん、じゃ、私も"リオ"って呼ぶね」
    これまでに聞いたことのない柔らかく甘い声で、少女は少年の名を呼んだ。少年は光のない
   眼をゆっくりと上げて呼ぶ者の顔をしばらく見守り、やがて心の底から安心したようなほほ笑み
   を浮かべた。
    「まーや…」
    そうして、マヤの胸に顔を押し付けると抱かれたまま眠り込んでしまった。
    「眠ったのか」
    「うん。…この子の病気、呪文じゃ直せないんでしょ?」
    「ムリだな、呪文で直せるのはケガだけだ。病はいくつもの要因が重なって引き起こされる、
    呪文だけじゃ対処できん。
     子どもの体がこれだけ弱っているとなると、もうあまり長くはないぞ。わかってるのか」
    「わかってる、これまでにも何人もこういう子を見てきたから。
     やっぱり呪文もカードも役に立たないんだね、この子たちには。抱いて名前を呼ぶぐらい
    のことしかできないんだ、私には。
     だったら、できるだけ一緒にいてあげたい。生まれてきて、ただ苦しいことばかりで死んで
    くなんてあんまりだ。いいでしょう、ゼネス。だってこうして遇(あ)っちゃったんだもの」
    『"遇っちゃったんだもの"…か』
    さてどうしたものかと考えていると、集落の者らしき女が一人、廃屋に近づいてきた。布で
   くるんだカゴを下げ、屋をのぞいて二人に気づき、驚く。
    「あれ、その子をどうなさるのですか」
    どうも、この少年の面倒を見ていた者らしい。彼女に話を聞くと、子どもが現われたのはつい
   一昨日のことで、
    「この子が"お寺にお参りをしたい"と言いますので、私どものしきたりに習い、巡礼者として
    世話していたのでございます」
    とのことだった。
    「その"寺"というのは何だ」
    ゼネスが訊くと、女は首を傾げた。
    「おや、ごぞんじありませんのですか。
     この先のお城街には『天なる御父』の聖女ルツ様のお墓があるのですよ。名高い聖地として
    いつも大勢の巡礼の方々がお参りに来られます。
     巡礼の方には病に苦しまれたり戦さに焼け出された方もいらっしゃいまして、この辺りで
    行き倒れておられるのをお見掛けすることもあります。
     その子の親御はきっと、巡礼の途上で命を落とされたのかあるいは、子を捨ててどこへか
    去られたものと察します。お参りに行くという親の言葉を忘れず、ここまでたどり着いたの
    ではありますまいか」
    そう言うのだった。
    「ねえ、私たちも行こうよ、お寺へ。リオを連れて行ってあげよう、喜ぶよ、きっと。
     …いいでしょう?」
    ひたと見上げてくるとび色の瞳。その瞳(め)に見つめられると、ゼネスはどうにも「ダメだ」と
   言うことができなかった。

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