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       第5話 「 巡礼 (前編) 」 (2)


    こんないきさつがあって、師弟二人連れは新たに少年を加えた三人旅に変わった。
    ゼネスはもっぱら幼い同行者にいい顔はしなかったのだが、マヤは実によく少年の面倒を見た。
   いろいろと工面してぼろを着せ替え、汚れた身体を拭き清める。さらに背負ったり抱いたりしては
   やさしい声を掛ける。子どもはすぐになついた。
    だがゼネスと目が合うと、恐ろしそうに首をすくめてマヤのからだに顔を押し付けてしまう。
    『かわいげのないガキだ』
    彼は少年のことを少しも好きになれなかった。
    ところで、道すがら"巡礼"に関する情報を集めてゆくと、厄介な問題があることが見えてきた。
    それは、最初に市街を望んだおりにマヤが心配していた"関"の存在である。
    目的の寺院が建つ城塞都市には東西南北の四つの門があり、そこによそ者の出入りを監視
   する"関"が設けられていた。というのも、城壁の内側には聖女ルツの聖地を示す寺院の他、
   この辺りの領主を束ねる王であるアレクセヴァ=ヴィ=ドゥルアク公の居城があったのだ。
    王膝元の市街とあれば治安にうるさいのも当然で、中でも非公認のセプターは、最も厳しく
   出入りを警戒されているらしい。公認の証書を持たない者がカードを所持して関を越えること
   は許されず、当局から少しでも怪しいと疑われると念入りな調べを受けるという噂だった。
    ただ唯一の例外が"巡礼者"であり、彼等は証しとして全身白一色の装束に身を固めていさえ
   すれば、四つの門のうち東の専用門からのみ自由に出入りできるということだった。
    関越えをどうするか、師弟はそれぞれに思案しながら城塞市の南方を流れる大河を渡った。
    そうして昨日の夕暮れ時、ゼネスとマヤは城外市場の隣りにある宿場街にたどり着いた。
   三日に一度開くという「巡礼者の関」の開門を明日に控え、宿はどこも満員だった。だが
   それでもなんとか、市場から最も遠い安宿に転がり込むことができてまずはひと息つく。
    しかしゆっくりと休むよりも先に、関越えの方法をめぐって師弟の意見は割れた。
    「俺は巡礼者の格好なぞしないぞ!」
    「しいっ、声大きいよ。だって白い服着てれば簡単に関を通れるんでしょ、私とリオはそっち
    にするよ」
    「俺を誰だと思ってる、カルドラ宇宙の亜神なんだぞ、人間が勝手にひねくり出したまがい
    物の神の巡礼者のマネなどお断わりだ!」
    「ねえ…、リオが起きちゃうよ。
     でもカード持ったままだと関は通れないんでしょう、どうするの?ゼネスだけ外で待って
    ることにする?」
    「そういうわけにはいかん、監視の眼がキツい中にお前らだけ放り込んで置けるか。
     ―マヤ、関ではどういう手続きで通行を許すんだ」
    師に訊かれ、しかし弟子は首を横に振る。
    「ううん、何だか怖くって今まで一度も通ったことなくて」
    「カードを消せるヤツが何を言っている。…まあ、今までは知らなかったからしかたないが。
     しかしそれじゃあ関での取調べの内容もわからないのか、対策の立てようがないな…」
    うまい手立ての見当がつかず、ゼネスは唇を歪めて思い悩む。本音を言えば、危険を冒して
   まで関など越えたくはないのだが…。
    「そうだよね、カード消せるの私だけだったんだよね…あっ!いいコト考えついたよ!」
    マヤがパッと明るい顔になった。
    「私、ゼネスのカードも消せるんじゃないかな。関を越える時だけ、私一人が全部のカード
    を持って通ればいいんだよ。
     そうすれば、ゼネスは普通の旅人のフリして通れるじゃない」
    「それは、カードは皆同じカルドセプトのカードだからな、試す価値はありそうだが…。
     しかし俺のカードとお前のカードとが混じってしまうのでは困るぞ」
    あまり気が進まない師は渋い顔でいるが、それにはおかまいなく、弟子は片手を差し出して
   催促にかかる。
    「ね、ゼネスのカードちょっと貸してみせて。
     他人のカードと自分のカードの区別ぐらいつくよ。大丈夫だよ、きっと」
    「"きっと"とは何だ、もっと確実性のあることを言え」
    だが文句を言いながらも、ゼネスは試みに数枚のカードを渡した。
    少女の手の上で、そのカードはすぐさま消えた。そして彼女が念じると、消えたときと同じ
   枚数のカードが現われ出る。
    戻ってきたカードをゼネスが確認すると、それは確かに彼自身のものに相違なかった。
    「ほら、ちゃんとできた。楽勝だね、これで」
    懸念が一気に解消されたと、マヤは晴れ晴れした様子でいる。
    「それは、影も形もないものを探し出せるヤツなどおらんだろうが…。
     俺はそれでいいとしてもお前の方は本当に大丈夫なのか」
    やはり心配は抜けきらず、師は弟子に念を押さずにいられない。
    「巡礼者の白い服着て巡礼者の関を通るんだもの、大丈夫だよ。
     でも、消えたカードっていったいどこへ行っちゃうんだろうね。時々気にはなるんだけど、
    全然わからない」
    手のひらの上で自分のカードを消したり出したりしながら、彼女は考え込んでいる。
    「お前が消したカードの行方か。俺は"力"の場所に戻るんじゃないかと考えちゃあいるが、
    人の身ではハッキリしたことなど確かめようがない。考えるだけムダだな」
    「"力"の場所?」
    マヤが眼を上げ、ゼネスの顔をじっと見返した。
    「それは"力"がもともとある場所ってこと?どこにあるの、それ」
    だが弟子の眼差しから逃れるように、師は顔をそむけてため息をつく。
    「そんなこと俺が知るか。神にでも聞け」
    「…何処から来るのか、正体が何なのかもわからないものを、私たち当たり前みたいに使っ
    てるんだね。
     あれ、起こしちゃった?リオ」
    マヤも休む固いベッドの上で、彼女のブランケットに包(くる)まって眠っていた少年が、
   目を開けてモゾモゾと動いている。
    彼女はすぐに腕を伸べて少年を抱き上げた。
    『まったく、赤ん坊でもあるまいに」
    弟子が子どもを甘やかしているとしか思えず、ゼネスは横目で見ながら胸の内で舌打ちする。
    「ごめんね、ちょっと声が大きかったね。あ、そうだリオ、これにさわってみる?」
    さっきまで手の上で宙に出し入れしていたカードを、少年の手に渡す。
    「ね、何か感じる?何かこう、頭の中に浮かんできたりしない?」
    マヤは熱心に確かめるが、痩せた少年はただ困ったような顔をして手の中のカードを眺めて
   いるだけだ。やがて彼女を見上げて首を振った。
    「ムダなことを。
     そいつがセプターだったらとうに俺が察知してる、やたらに余計なヤツにカードを渡すな」
    機嫌の悪い師の小言を、しかし弟子は聞こえないフリをする。
    「そうなんだ…。あ、でもいいよ、気にしなくて。変なこと訊いてゴメンね。
     リオはリオだよ、大好きだからね」
    そう言って少年をしっかりと抱きしめた。子どもは甘えたような笑みを浮かべたが、ゼネス
   はそっぽを向いた。

    そしてこの日―。
    一行はいよいよ城外市場に入り、関越えの準備を始めたのである。
    薬問屋に荒地で採れた芋を売り、多少まとまった金は入った。後は巡礼服を買い求め、開門
   したら二手に分かれて関を通るだけだ。
    「心配してるんだよ、ゼネスのこと。
     だって白い服着なくてカードも持たないで、一人で関を通るんでしょう。
     …気をつけてね、お役人が相手だとさっきの薬屋さんみたいにはいかないもの。
     何か言われても、やたらに怒ったらダメだよ」
    眉根を寄せ、いかにも気掛かりという様子で師を仰ぎ見る。
    「ふん、いらぬ世話だ。必要とあれば普通人の言い分だって聞かないわけじゃない。
     それよりお前らこそ、関を越えたからってフラフラ動き回るんじゃないぞ。迷子になられでも
    したらこっちこそいい迷惑だ」
    「大丈夫だよ、それは。ちゃんとゼネスが通る門のところに行って待ってるから」
    少女の顔が、にこやかにほころぶ。
    「どんなに大勢の人の中からでも、ゼネスのことならすぐに見つけられるよ、私」
    「当然だ、俺みたいに目立つヤツはそういない」
    ゼネスは肩をそびやかしたが、マヤの口元には微苦笑が浮かんだ。
    「まあ…お金できたし、私はこれから白い服を買いに行ってくるね。
     ゼネスは何か欲しいものある?」
    「そうだな…」
    首をひねり、少し考えてから、
    「だったら、眼帯を一つ頼む。
     確かに俺の顔は目立ちすぎる、警備の厳しい所で要らん注目を浴びるのもバカバカしい。
     モノはお前にまかせるから、選んできてくれ」
    マヤは首を大きく縦に振ってうなづいた。
    「わかった、リオを見ててね」
    そして彼女の姿は市場の雑踏の中に消えた。

    「どう?用意できたんだけど」
    呼ばれて宿の部屋の戸を開けると、巡礼者の服を着たマヤがリオを抱いて立っていた。
    「…本当に"白い"な…」
    パリッとした白木綿地の服は、彼女の首からくるぶしの辺りまでを隠すほど長い。腰のやや
   上から切れ込みが入って、足さばき良く動きやすいようだ。その下には、同じく白い木綿製の
   ズボンをはいていた。
    服の袖も長く、手の甲の半ばにまで達している。全体にゆったりとした寛衣だ。そして頭に
   も、髪を隠すように白布が巻かれていた。
    頭の先から足の先に至るまで、見事に全身が白一色だ。これまでのホコリっぽい服から一変
   した姿に、別人を見る思いがする。
    「ね、どうかな。ヘンじゃない?」
    「いや…何だ…ヘンだということは…」
    白に包まれて立つ少女から、不思議な"聖性"が放たれてゼネスに射し入る。気圧され尻込み
   しそうになる感覚を抑えつつ言葉を交わそうとするのだが、どうもうまくゆかない。
    「変ということは…別に無いが…」
    この心情は彼自身にも不可解だ。そうこうするうち、マヤの眼がふと笑みの形を作った。
    「変じゃなければいいや。
     カードはもう全部もらったし、とにかくバレないように頑張ろうね」
    「そうだ、今日はそれが一番の大事だ」
    ようやく本来の自分らしい声が出て、彼は少し落ち着いた。
    開門の時間が近い。
    宿の外に出ると、宿場街はすでに白服を着た人々でごった返していた。その流れに混じって、
   師弟もまた目指す場所へと歩き始める。
    巡礼者の関への道は、市場を大きく回り込みながら続いていた。
    市の賑わいを左手に眺めながら、白い砂が敷き詰められた通りをひたすらに進む。右手には、
   幾種類もの作物が植え付けられた畑が広がっていた。
    春とはいえ、今日はやや風が冷たい。だが午前の陽射しは段々に強く射してきて、道の両脇
   に育つ木の陰に入るたびに心地良さを感じる。
    歩きながらゼネスは、少年を拾った集落で聞いた、「城塞都市の聖地」にまつわる伝説のことを
   思い返していた。
    集落で少年に食を施していた女は、それを「聖女ルツ様のものがたり」と呼んだ。

    ―「それは、城塞市のお城に五代前の城主様がお出での頃です。
     城壁の外を流れる大河ファヅンの河口近くの集落に、ひとりのこじきの女がおりました。
     女の名はルツ。でも彼女は生まれつき貧しく、そのうえ目も耳も口も利くことのできない
     哀れな身の上でありました。
      ルツは子どもの頃から晩年に至るまでずっと、牛馬のようにもの言うことなく人の情け
     を乞う日々を過ごしてきました。
      ところが、彼女が老いさらばえて死に瀕した時、利けなかったはずの口から急に言葉が
     流れ出しはじめたのです。
      「わたしは夢に神に出会った。神の言葉を残したい」
      そのように言うので、集落の者はいとど驚きました。
      貧しいルツは文字というものを知りません。それに生まれつきの妨げもあります、人が
     どのような言葉を話すのか、聞いたことは一度も無いはずなのです。
      いったい誰が彼女に言葉をもたらしたのでしょう。本当に神に出会ったのでしょうか。
      近隣の集落では大いに噂となり、その噂はやがて城主様のお耳にも入りました。
      城主様はこれを希(:まれなこと)とされ、書記官シーバ=アズロを遣わしてルツの言葉
     二万言余を書き取らせました。
      シーバ=アズロによる書き取りが済むと同時に、ルツは安らかに永眠しました。
      その後お城に持ち帰られたルツの言葉を仔細に調べ上げた結果、それらは全て『天なる御父』
     の尊い教えの言葉にぴったりと合うことがわかりました。
      『天なる御父』とは、人に災いをもたらす古き神を打ち破り、私たち全ての者に救いをもた
     らしてくださるありがたい御神です。
      城主様はお使いを出して、ルツ女の奇蹟を『天なる御父』の教えを奉ずる神官に伝えました。
     神官はこの奇蹟をお認めになり、そうしてついにルツ女こそは聖女であるとの称号が下され
     たのでした。
      城主様は城下のこの名誉を大変お喜びになり、城塞の中にルツ女改め聖女ルツ=エリマ
     の御墓と御寺をもうけられました。
      以来かの地は聖地として、『天なる御父』の教えを尊ぶ私どもの巡礼の場所となったのです」―

    女はこのものがたりを、時に感動の涙で声を詰まらせながら語ってくれた。
    だが、ゼネスの見立てはもちろん違う。
    街道沿いで聞き込んだ話では、五代前の城主は領内に転がり込んだ"聖地"という幸運を機に、
   この地で以前から勢力のあった『天の御父』なる教団と太い繋がりを結んだ。そして教団の力と
   聖地の守護者という立場を利用して、周辺の諸侯を束ねる王となったのだ。
    『聖女伝説など、どうせデッチあげだ』
    群れなす白い服の人々も、だから彼の眼には愚か者の集団としか映らない。
    そうして黙々と歩き続けるうち、やがて灰色の石壁に大きく開いた鉄製の扉が見えてきた。
    扉の左右には、いかめしく武装した兵士たちが数十人ずつは並んでいる。彼らが手にした槍
   や弓矢の影が林のように黒々と見えて、周囲に威圧の雰囲気をみなぎらせる。その中には彼が
   よく承知の気配もあった。
    『セプターも何人かは混じってるな』
    ゼネスは急いで左の"竜の眼"に眼帯を着けた。
    マヤが選んだ黒皮の眼帯は、彼の頭にピッタリと合って着け心地が良かった。
    白い列は粛々として進む。彼等のほかの人は皆口々に、祈りのような文句をブツブツと唱え
   ている。伏し目がちに足元を見る者ばかりで、ゼネスのようにしっかりと頭を上げて門の方を
   ニラみつけているような者は他にはいない。
    鉄扉が近づくにつれて広かった道は次第に狭まり、しぜん、たくさんの白い頭が密集するよ
   うになる。進む速度も落ちた。
    他人と肩を触れ合うなどゼネスにとってはかなり不快なことだったが、耐えた。マヤは少年
   を抱く手にさらに力を込めたようだ。
    「そこの男、列から出ろ!」
    いきなり、強い口調の声が飛んできた。
    「そこの眼帯の男、お前だ!巡礼者でない者はこの列に並ぶんじゃない!」
    声は右斜め前からくる。ひしめく白い頭の向こう、鉄扉の傍らに居並ぶ男の一人だった。
    大きな天蓋を広げて一段高い場所に立つその男たちは、武装はしていない。白い襟のついた
   揃いの紺色の上着を着用し、高い帽子を被っている。その帽子も紺色で、柑子色の飾りヒモが
   巻かれている。
    彼らが、この関の役人である様子だった。
    であれば、グズグズするのは危険だ。彼は弟子の顔をチラリと見て一度だけうなずき、静か
   に離れた。弟子もすぐ師にうなずき返す。
    心細げな、それでも口元を結んだ顔をして。
    彼女に抱かれた少年も、今はさすがにすがるような眼をしてじっと彼の方を見ていた。
    からだを無理やり引き剥がすような心地で白い列から抜け出ると、近くに立っていた兵士が
   ジロリと彼を見た。紺色の服の男が一人、近づいてくる。
    「巡礼者でない者はこの扉からは入れん、他所へ行け」
    「わかっている。ここから一番近い関は北扉だったな」
    この点については、すでに調べをつけてある。
    「そうだ、通るならそちらへ回れ」
    こうして二、三言葉を交わす間にも、白い列は歩みを止めずに続々と鉄扉の内に吸い込まれ
   てゆく。ゼネスは目を凝らしたが、求める姿はもう確かめることができなかった。
    彼は城壁に沿って、急ぎ北へと走り出した。

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