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      『 カルドセプト ―"力"の扉― 』
 

       第6話 「 焦がれる者 (前編) 」 (1)


    くねくねと折れ曲がる細い道が続いていた。辺りはもうとっぷりと暮れなずみ、頼りは
   月明かりしかない。とはいえゼネスが竜眼を働かせれば、闇の色もたそがれ時程度の
   薄さとしか感じられないのではあったが。
    時おり風がやってくる。背高い葦(アシ)原を騒がせて、生ぬるいような風が肌にまと
   わりつく。
    ここは広い湿地帯の周辺部分だ。水の気の強い地域で弟子にカードを使う稽古をつける
   つもりだったのだが、うっかりと湿原に出てしまった。
    道が細く曲がっているのは、少しでも乾いた地面、水気の無い場所へと人の足が向いた
   結果だ。道を外れようものなら、たちまちのうちに足がドロの中につかる。もとより、人が
   居るべきところではない。
    「きゃあ!」
    後ろでマヤの悲鳴が上がった。振り向けば、片足をぬかるみに取られている。ゼネスほ
   ど夜目の効かない彼女は、道を踏みあやまったのだ。
    「何だその声は、女だとバレバレだぞ。周りに他のヤツがいたらどうする、どんな時も
    気を抜くんじゃない」
    もがく弟子に手を差し伸べようともせず、師はただ叱咤のみ口にする。しかし少女は、
   「は〜い」と返事した。
    だがすぐ、
    「やだ〜、蚋(ブユ)が来るよ」
    また情けない声を出して、盛んに両手を振る影が見える。このような湿地には付き物の、
   吸血虫の群れに取り巻かれてしまったらしい。
    「うるさい、そんなことを言うヒマがあったら早く気を充実させろ、虫を払え」
      ある程度の魔力を持つ術者であれば、精神を集中させて魔力を練り、自分の身体の
   周りに特殊な波動をまとうことができる。この波動は、人を襲うような生き物を遠ざける
   働きを持つのだ。
    もちろんゼネスもマヤも、湿地帯を移動してくる間はずっとその波動をまとっていた。
   だが、マヤはさっきぬかるみに踏み込んだ拍子に気を散らし、波動を途切らせてしまった
   のだろう。
    ゼネスはずっと腕組みして待っているだけだったが、弟子はやがて自力でドロの中から
   足首を引き抜き、道に戻った。例の波動も復活させている。
    「もういいな、行くぞ」
    師弟は再び曲がりくねる細道をたどり始めた。
    しばらく歩くと、上り坂に差し掛かった。湿地帯から突き出た台地か、あるいは山岳部
   へと至る場所か。いずれにしても土地が高くなるほどに湿気は去り、踏みしめる土が固く
   しっかり締まってゆくのはありがたい。二人ともそのまま黙々と進んだ。
    登り切ってみると、そこは少しばかりの開けた場所となっていた。数軒の家屋が、肩を
   寄せるようにして建ち並んでいる。ゼネスが道の奥を見透かすと、どうやら先は山の中へ
   と続いてゆく様子だった。
    「ここは旅人相手の商売をする集落だな、とするとこの先が国境(くにざかい)か。もう
    とっくに閉門しているだろうから、明るくなるまで休んでいるしかないな」
    「良かったー、疲れたなー。でも、今開いてるお家なんてもうないみたいだよ。
     このまま外で寝るの?」
    家々の様子を確かめながら、マヤが訊く。
    「もうこんな夜更けだ、仕方ないだろう。乾いた地面の上で休めるだけでもありがたい
    と思え」
    そう応えつつ、彼が休み場所を物色していると、
    「ねえ、あんな所で寝てる人がいる」
    少女が集落のはずれを指差した。
    「ああ、わかってる、どうせ酔っぱらいだ」
    もちろん、ゼネスはとうに承知のことだ。しかし彼の弟子は、
    「でも…あんなとこでただ寝てたらカゼひいちゃうよ、ちょっと起こしてくるね」
    そう言うなり、スタスタと行ってしまおうとする。
    「おい待て、無用心だぞ」
    師が呼び止めようと、返事もしない。
    「…まったく!」
    みだりに他人と関わりを持ちたくなどないのだが、彼もまた、寝ている人物へと近づか
   ざるを得なかった。
    そうして慌てて追いかけたというのに、近づけば少女はすでに、その人物に話しかけている。
    「こんばんは、起きてくださいよ、あなたもあぶれちゃったんですか?私たちこれから
    火を焚きますから、一緒に暖まりませんか」
    横になっていたのは若い男だった。こげ茶の髪、中肉中背で体格そのものはゼネスと似通っている。
    「ん〜ん、ムニャムニャ…幸せにおなりよフィーネ…」
    マヤの声が聞こえているのかいないのか、彼は関係のない寝言をつぶやく。
    「聞いたか、やっぱり酔っぱらいだ」
    「でもお酒のニオイはしないよ。ねえ、起きてくださいってば、ねえ」
    少女はとうとう男を揺り起こしにかかった。
    ―と、
    「う〜んとなっと…あり?オイラ寝ちまったんだな。ってアリャリャ?あんたら何だい」
    男が起き上がり、目を丸くした。目の色も濃い茶色だ、そして体格こそは変わらないものの、
   ゼネスの引き締まった鋭い印象に比べてこの若い男には何かしら、ゆるりとくつろいだように
   柔軟な雰囲気がある。
    「ああ、ビックリさせちゃってごめんなさい。私たちも旅をしてるんですよ、せっかく
    人のお家があるところに来たのにもう遅くってあぶれちゃって。
     これから火を焚きますから、あなたも一緒にあたりませんか」
    彼女は男の前に顔を突き出してよく見えるようにしながら、もう一度同じことを言った。
    「あ…ハァ、そりゃご親切にどうも。いやね、オイラも締め出されちまってさあ、火は
    焚いてたはずなんだけど…消えちまったかなあ」
    言いながら傍らを見る。そこには確かに、焚き火の跡があった。
    「私たちの火だったら消えないから大丈夫ですよ」
    そう言うなり、マヤは手の平を焚き火跡にかざして呪文を唱えた。たちまち"力"が召喚
   され、炎と化して燃え上がる。
    「そんな無駄遣いをしおって…魔力は惜しんで遣うものだと日頃から言っているハズだぞ」
    ゼネスは苦言を呈したが、少女はチラリと師の方を向いて軽く肩をすくめ、チロッと舌を
   出して詫びの代わりにしただけだ。
    「へえ〜、あんたら何、魔術師なわけ?たいしたもんだねえ」
    大いに驚いた様子で、男はしばらく呪文の火を眺めていた。が、ややあって、火に照ら
   されるマヤの横顔に視線を移したかと思うと、ガバと跳ね上がった。
    「おんやあ、あんた兄ちゃんだとばっかり思ってたら、娘さんかね!」
    ゼネスは素早く弟子を押しのけて前に出ると、男の胸ぐらをつかんだ。
    「貴様、大きな声を出すんじゃない、余計なことを抜かすとただでは済まんぞ」
    左の竜眼を怒らせてニラみつけながら、低い声で凄んでみせる。
    しかし男は少しもひるまなかった。
    「なんだよお、ナイショだったんかいな、だったらオイラも言わないさ。
     それよりおっさん、あんたこの娘(こ)の何なんだい。兄(アニ)さんかい、それとも
    …まさか父ちゃん?でもどっちゃにしても、似てねえよなあ」
    師弟の顔をつくづくと見比べ、首をひねっている。
    「"おっさん"だと?口を慎しめ!」
    この無遠慮な反応にさらに怒りをつのらせ、ゼネスは相手の胸ぐらをつかんだ手を乱暴に
   差し上げようとした。
    ―ところが、
    「ちょっと待って、そんなに怒らないで」
    マヤが止めに入った。彼女は笑いをこらえながら、
    「あのね、この人は私の先生なんですよ、魔術の」
    男に説明する。
    「へえ〜、お師さんかい、そりゃどうも。じゃああんた、顔は怖いけどけっこう行儀のいい
    人なんだな」
    胸ぐらをつかまれたまま、彼は感心したような顔をして竜眼の男を見上げる。
    「どういう意味だ、それは」
    つかんだ手を離さずに、ゼネスは訊いた。どうも、何か不穏な了見という気がするのだが…。
    「だってさ、この娘さんからは男の匂いがしねえからな。こりゃ、あんたが手ェ出して
    ねえって証拠だ。や〜、感心だねえ、まったく」
    瞬間、ゼネスは頭の中が沸騰したかと思った。耳が熱い、怒りというよりも羞恥で熱い。
   賢明なる術者が異性の弟子を避ける最大の理由を、彼は今こそ心底から悟った。
    「貴様、それ以上くだらん御託(ゴタク)を並べるならその口、引き裂いてくれるぞ!」
    慌てふためいて男の胸ぐらを強く引きつけ、怒鳴った。
    それでもなお、彼の相手は大して恐れた風を見せない。
    「ありゃま〜、ずいぶんとまた赤くなったもんだね、あんた。オイラ、ホめたつもりだった
    んだけどなあ。
     いやいや娘さん、このお師さんは行儀はいいけどえらくまあ怒りっぽい人なんだね」
    ゆうゆうとマヤに話しかける。
    ゼネスもまた、つい弟子の顔を盗み見た。彼女も同じように恥らっているものと思った
   のだが…案に相違してただクスクスと笑っているだけだ、赤面などはしていない。
    「もう離してあげようよ、この人悪気なんて全然ないよ。
     それに、あなたがこれだけ怒ってるのにちっとも怖がらずにいるだなんて、ホントに
    肝の座った人だよねえ」
    とりなしの言葉はもっともなのだが、彼はまだ手を離すわけにはゆかなかった。この男
   には、確かめるべき重要なことがある。
    「そんなことはどうでもいい、
     おい、貴様はセプターだな、隠したところでムダだぞ、俺にはわかる。貴様はどこか
    に所属しているヤツか、それとも野にあるヤツか、正直に答えろ!」
    若い男の顔がはじめて、驚きの表情を浮かべた。
    「へえ…そんなこともわかっちまうのかい、あんたには。ビックリだねえ。
     ああそうさ、オイラはセプターだ。でもどこにも所属なんかしちゃいねえよ、自分以外
    にゃあね。だいたい、カードなんてものも持っちゃいないしさ。
     あんな物は使う気なんてねえんだよ、オイラは。歌があるからな、歌で世の中を渡る
    のがオイラの生業(なりわい)さ。だからカードは使えても、本当の意味でのセプター
    とは違うモンだと思ってるよ、自分じゃ。
     なあ、正直に言ったぜ、そろそろこの手離しちゃくんねえかな」
    男は落ち着きはらって答えた。ゼネスはなおもしばらくその顔をニラんでいたが、ついに
   手を離し、開放した。
    「ウソは言っていないようだな…。
     しかしセプターのくせにカードを使う気がないだとは、全く気に入らん言い草だ。
    こういう輩(やから)がいるから宇宙が危機にさらされるようなことに…」
    「何言ってるの、あなたは自分が面白くないから文句つけてるだけでしょ。
     この人の言う通りだよ、カードを持つかどうかなんて、セプターそれぞれの考えが
    あっていいはずだよ」
    師の言葉をさえぎって、弟子は若い男の方の肩を持つ。ゼネスは渋い顔を作った。腹が
   立つ、しかしマヤが一度こう言い出したら、彼にはどうすることもできない。
    「ふん、だったら勝手にするがいい。貴様の身過ぎ世過ぎなど、どうせ俺には関係のない
    ことだからな」
    言い放ち、そっぽを向いた。
    ようやく自由になった男は、さっそくとばかりに少女に親しくたずねる。
    「なあなあ、あんたらは山のほうから来たのかい、それとも湿地の方からかい?」
    「湿地の方からですよ、あなたは?」
    「オイラは山のほうだよ。しかしついてなかったなあ、国境に兵隊がしこたま繰り出し
    て非常線張りやがってさあ…、抜けるのにえらく手間取っちまった。
     おかげで、せっかくここに着いたのに野宿のありさまだよ」
    ゼネスは耳をそばだてた。
    「おい、その話もっと詳しく聞かせろ。この先の山の中の国境のことか」
    兵士が大挙出るような事件が起こっているのであれば、警戒するに越したことはない。
    「ああそうだよ、なんでかはよくわからねえんだけど…とにかく、人の出入りにえらく
    やかましくってさあ。特にカードについては厳しく調べられてたな。
     だから、国の公認セプターか誰かがカードひっさらって逃げようとしてんじゃねえかっ
   て思ったがね、オイラは。
     あんたらもセプターかい、もしカード持ってんだったら悪いこた言わねえ、しばらく
    ここらで時間つぶして騒ぎがおさまってから通り抜けたほうがいいぜ」
    ゼネスに凄まれたにもかかわらず、この男は貴重な情報を惜しげもなく教えてくれる。
   根っからの善人と見える。
    「ふーむ…騒ぎとやらが本当なら、貴様の言うことには一理ある。しばらく様子を見た
    方がいいかも知れないな」
    「ねえねえ歌手さん、あなたのお名前を教えて。私はマヤ、こっちの先生はゼネスって
    言うんですよ、よろしくね」
    慎重に考え込む師の傍らにいながら、弟子はしごく呑気(のんき)なことを訊く。
    「あっ、こら、俺の名まで気安く教えるんじゃない!だいたい術者はやたらに他人に名
    乗るものではないぞ」
    小言を言うゼネスを、しかし男が手を上げて押さえにかかる。
    「まあまあ、いいじゃねえか硬いコト言わねえでも。オイラはロメロてんだ、歌うこと
    とあちこち旅することが好きなブラブラ野郎さ、こっちこそよろしくな。
     にしてもあんたら、なかなか面白いよなあ。どうだい、しばらくオイラを道連れにして
    見る気はないかね」
    この申し出にマヤはニコニコと顔をほころばせた。が、ゼネスは無論受ける気などない。
    「断わる、貴様のような道連れなど余計だ。だいたい他人を捕まえて"面白い"などとは
    不謹慎だぞ、気に入らん!」
    「ええ〜、いいじゃないゼネス、私この人のこと好きだな。それに旅して歩いてるなら、
    この辺の国のこともよく知ってるだろうし、今日みたいに迷ってヘンな場所に出ないよう
    にしっかり教えてもらおうよ」
    またしても彼女は男の肩を持った。ますますもって気に入らない―とゼネスは口をへの
   字に曲げたが、いかんともしがたい。
    「ふん、それなら好きにするがいい。
     しかし俺は認めちゃいないんだからな、気安く声なぞ掛けてくるんじゃないぞ」
    そう言った時、突然下の方から大勢が歩いてくるような足音が聞こえてきた。湿地から
   上がって来る道だ、それは乱れなく整然として近づいてくる。
    「何だ?―兵士の隊列か!」
    ゼネスはマヤの前に出て隠すように立ち、眼帯を着けた。足音は次第に近づいてきて、
   ついに列の先頭が目に入る。果たして、彼の予測通りそれは兵士の一団であった。
    道端で火を囲む三人には目もくれず、二十人ばかりの兵士らは粛々として国境への道を進む。
    「あっ!」
    マヤが小さく声をあげた。隊列の中央には十三、四の少年が一人、縄で両手を縛られて
   連行されていた。
    彼の顔にはアザがつき、ひどく腫れあがっている。両脇を二人の兵士にガッチリと捕ら
   えられ、足を曳きずるようにして引き立てられてゆく。
    「まだガキなのによお、ひでえことしやがる」
    隊列を見送ってから、ロメロがつぶやいた。
    「でもちと変だなあ、あいつらの旗印はこっち側の国のだけど、あの小僧を国境に連れ
    てってどうすんだ?」
    首をひねっている。ゼネスもじっと見送っていたのだが、急に腕を引っ張られた。マヤだ。
    「ねえ、私たちも行ってみようよ。あの子がどうなるのか、すごく気になる」
    そんなことを言って、さっさと兵士たちの後を尾(つ)け始めた。
    「何でそうお人好しなんだ、子どもだといってもマズい事をしでかしたヤツかも知れないん
    だぞ、せめて理由ぐらい探ってから出方を考えろ」
    弟子に注意する彼の肩を、ポンとたたく者がいる。こちらはロメロだ。
    「まあいいじゃねえか、あれ見て他人事にしないってのはエラいぜ、気に入ったね。
     とにかく行ってみようや、な、お師さん」
    そう言って片目をつぶり、マヤに続いてゆく。
    これでは放っておくわけにもゆかず、ゼネスもまた山道に向かって歩き始めた。

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