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       第6話 「 焦がれる者 (前編) 」 (2)


    国境へと至る山道は、低木の森を貫いて続いている。夜ではあるが、訓練された人間の
   集団を身を隠しながら尾けてゆくのは、かなり難しいことだ。仕方なく、先頭に立つゼネス
   が感じ取れるギリギリの間隔を保って距離をへだて、道を行くしかない。
    三人とも押し黙ったまま、前方彼方に神経を集中させながら歩いた。
    兵士の集団はその後も、いささかの乱れなく進んでいる。一本道からそれるという動き
   もうかがえない。
    「もうすぐ国境の門だぜ」
    ヒソヒソ声でロメロが言った。
    遠くの足音がはたと止まる。尾けていた三人も立ち止まった。もう少し近づいて様子を
   探りたいところだが、危険だ。
    その時―
    「あ、門が開いた」
    マヤが言った。彼女の肉眼で見えるはずはないのだが…
    「お前、クリーチャーを使ってるな、風の妖精か」
    師の問いに答えたのはしかし、ロメロだった。
    「あー、少し前にマヤちゃんの手元で何か光ったよなあ。あれ、カードだったのか」
    彼は思わず舌打ちした。前方にかなり神経を使っていたとは言え、弟子がカードを使う
   気配を察知できなかったとは、全く持って遺憾だ。
    「…で、何が見える」
    上級のセプターであれば、かなりの遠隔操作でも、展開したクリーチャーの感覚を自分
   の五感のように使うことが可能だ。彼女は歩いているうちにそのことを思い出し、兵士の
   ところへと風の妖精を飛ばせたのだろう。
    ただしこのやり方を用いている間は、クリーチャーがダメージを受ければセプターもまた、
   その衝撃を感じ取って身体にショックを受けてしまうという欠点がある。時と場合によって
   は非常な危険を伴う使用法ではあるのだ。
    「だいたいでいいんだ、あまり近寄るなよ」
    そう言い添えることは忘れなかった。
    「う〜んと…門の向こう側にも兵隊さんたちが並んでる。でも旗印は違うね、向こう側
   のなのかな、お互い敬礼しあってるよ」
    「ここらの国同士はけっこう仲良くやってるんだよ、小国ばっかだからね。いがみ合う
   ようじゃあ大国に付け込まれちまう」
    ロメロが補足説明をしてくれる。確かに便利だ。
    「あ、こっち側から一人出てきた、何か書状みたいなもの読み上げてるよ、う〜んと…
    "貴国よりご依頼の件に従い、当国に潜伏中の非公認セプター一名を捕縛、連行せり。
    両国の協約に基づき、ここに当該人の引渡し手続きの開始を願う"―だって。
     あの子、セプターなんだ!」
    驚いて、彼女は師の顔を見上げた。
    「さっき奴らの中にセプターの気配があるとは感じたんだが、あの小僧だったのか」
    闇の彼方を透かし見しつつ、ゼネスも声をもらす。
    「あ、向こうからも一人出てきた…二人で何か話してるけど、よく聞こえないな…書類
    みたいなもの交換して、サインしてる。また交換して…握手した。こっち側の人が後ろ
    に合図したよ。
     …あの子だ、あの子が引き出されて来た!ああ、もう向こう側に渡されちゃった…。
     それと何か、カバンと…カード?カードだよ、一枚だけだけど、みんな渡してる。
     え?"当該人引き渡し完了"だって、お互い敬礼して…あ、回れ右した!またこっちに
    戻ってきちゃう!」
    「まずい、隠れろ!」
    三人とも慌てて道を外れ、傍に生えた低木のヤブの茂みの下にもぐり込んだ。そのまま
   息をひそめることしばし、ほどなく先ほどの兵士の隊列が再び現われた。やはり整然と、
   規則正しい足音をたててもと来た道を帰ってゆく。
    ひと時感覚を尖(とが)らせ、足音が聞こえなくなったのをよく確認してからゼネスは
   指示を出した。
    「もう大丈夫だ、出られる」
    「あー、葉っぱだらけになっちまったい」
    道に出るとロメロは、肩だの脚だのを両手でパンパンとはたいた。
    「あの子はもう連れてかれちゃったよ、早く追いかけなきゃ」
    マヤが背伸びして門の方を望んでいる。その彼女の髪にも、枯れ葉が一枚付いていた。
   ゼネスは気になり、取ってやろうかどうしようかと思ったのだがその時にはすでに、ロメロ
   がサッと手を伸ばしてつまみ上げていた。
    「お嬢さん、いい髪飾りだね」
    「あれ?…ありがと!」
    慈しむような笑みを浮かべて少女を見る、若い男。ゼネスは強烈な焦りに襲われた。目の
   前にいるこのやたらに調子のいい男に、ひどく"遅れを取っている"という気がして仕方が
   ない(とはいえ、「何」に「どう」遅れを取っているかという事の実体については、彼はまだ
   計りかねてはいたのだが)。
    しかし何であれ、他人に遅れを取るなどとはゼネスには到底、耐えがたいことだ。彼は
   わざと一つセキ払いをしてから言った。
    「追いかけるつもりがあるなら、こんな所で油を売っている時間などないぞ。
     門はまだ開いているのか、そんなはずはないだろう、マヤ」
    弟子の顔はたちまち引き締まった。
    「うん、引渡しが済んだと思ったらすぐに閉まっちゃった。今はもう、だいぶ先にまで
    連れてかれてるよ。向こう側も、ここみたいな山道が続いてるんだけど…。
     あの門、朝まで開かないよね」
    彼女はロメロに確かめる。
    「今日のこと思えば実際、朝になってもすぐに開くかどうかはあやしいよなあ。
     でもオイラ、ここの抜け道なら知ってるぜ」
    「抜け道だと?あっ、貴様もしかして、さっきの集落にくる時にもその道を使ったのか」
    「当ったり〜」
    調子のいい男はさも嬉しそうにニヤリと笑った。
    「兵隊どもに通せんぼ食ってる間に閉門の時刻になっちまってさ、奴らの顔なんて見な
    がら夜を過ごすなんざイヤだろ?頭きたから出し抜いてやったのさ。
     ―なんちゃって、本音はあすこの村の馴染み宿にいる、看板娘に会いたかったんだけどね」
    『こいつ、ヘラヘラしてるがどうして侮れんヤツ…!』
    ゼネスは覚えず、男の顔を見直した。何がしか、非常事態の到来に殺気立つ兵士の目を
   くぐり抜け、道もない山中をただ一人突破してくるとは並大抵の胆力ではない。なにしろ
   見つかろうものなら、即座に殺されたって文句は言えない状況なのだ。
    しかもこの男、セプターでありながらカードを持たず、その上ざっと見渡しても武器と
   呼べるような物は何一つとして身に帯びていない、全くの丸腰なのだ。
    『こんな状態でよくも、平気な顔して危険と隣り合わせでいられるな。こいつバカか?
    …いや、単なるバカならとうに死んでいる』
    胆力だけでない、生きのびるために必要なだけの知力もまた、十分に備えているであろう
   彼。密かに目の端でニラみながら、心中は舌を巻いていた。
    「そういうことなら、行くべき道は一つだな。案内してもらおうか」
    今度はロメロを先頭に、三人はまた山道を外れてヤブの奥深くへと分け入った。

    闇の中にせせらぎの音を聞きながら、三人は夜の山を踏破していた。
    ロメロが案内したのは、山中の沢すじを伝う進路だった。なるほどこれならば、たとえ
   月のない夜でも自分の位置を把握しながら、迷わずに進むことができる。
    ただし、問題が一つ。
    「この沢すじにはよく、毒ヘビが出るんだよなあ、だから兵隊も来ねえんだよ。あんた
    たちも十分注意してくれよ」
    もちろん、ゼネスとマヤは例の"波動"をまとった。ロメロもマヤがやり方を教えてやった
   ため、今は足元にさほどの注意を払わずに歩いてゆける。
    「小僧はどうなった?」
    しばらく進んでから、師が弟子に確かめた。マヤの風の妖精は国境を越えた後も、少年
   を連行する兵士の隊列を追い続けている。
    「門から山道をずっと歩いて、最初に出た小さい町のはずれにいるよ、今は。
     わりと大きな建物…兵隊さんばっかりの…そこに閉じ込められてる」
    「そりゃきっと、ボーマンの番所だな」
    ロメロが言った。
    「わかるのか」
    「ああ、国境に一番近い町には必ず、兵隊がいつでも詰めてる"番所"があるんだ。特に
    ボーマンの町は湿地にも近いからな、けっこう大事な場所なんだよ。
     あんた達も通ってきたあの湿地は、どこの国の領土でもねえ自由地だ。ま、使いモン
    にならねえ場所だからそうなっちまってるんだけどね。
     そんなわけで、湿地帯は非公認の奴らの縄張り内なんだよ、実のところ。奴ら、あそこ
    を通り道にしてあっちゃの国、こっちゃの国にご出張なさって争いを起こすのさ。
     だからどこの国も、湿地に一番近い町には番所を立てて、いつも兵隊を置いちゃ監視
    おさおさ怠りないって寸法なんだ」
    彼の話の内容は、師弟のこれまでの旅路ではあまり縁のなかった現在のリュエード世界
   の一端を物語っていた。カードを支配しようとする確執が社会の根に深く食い入っている、
   ありのままの現状を。
    「ふ〜む…
     今夜はもう遅いからそこに連れて行かれたのか…とすれば、明日はまた移動するかも
    知れんな。早めに追いつくに越したことはない」
    そうして、ゼネスがさらに歩を早めようとした時、
    「…ヤだ!止めて!」
    突然、マヤが叫んだ。
    見れば、あの気丈な彼女が両腕で頭を抱えるようにして身を縮め、うずくまっている。
    「どうしたい!」
    師よりも早くロメロが駆け寄った。しゃがみ込み、ふるえる少女の顔をのぞき込もうと
   するが、
    「止めて!そんなにひどく打(ぶ)たないで!」
    また叫んだ。ゼネスはハッと気づいた。
    「マヤ、見るな、妖精を移動させろ」
    「いったいぜんたい、どうなってんだ?」
    今度は彼の方を見上げるロメロの声だけを聞きつつ、師もまた弟子に近づいた。
    「あの小僧が責められてるんだ、多分な。彼女の妖精が、今その現場を目にしている。
     さあ、しばらく意識を離せ。もしくはクリーチャーを屋根の上にでもあげておけ」
    だが、彼女は全身を振るって拒んだ。
    「だめ、そんなことできない…!
     だってあの子、我慢してるんだもの。誰だかの居場所を吐けってもう何度も木の棒で
    打たれてるのに、ひとことも口きかずに頑張ってるんだよ、ちゃんと…ちゃんと見てて
    あげなくっちゃ!
     …ああ!とうとう気絶しちゃった…水掛けられても起きない…かわいそうに、なんて
    酷いことを…!」
    うずくまったままで、身を震わせている。ただ見守るしかない精神の苦痛に耐えている。
    「ゼネス…ゼネス、私あの子を助けたい、何とかしたい。何をしたのかは知らないけど、
    でもあんなのひどい、殺されちゃうよ、そんなのイヤだ…」
    苦しみのままに掻(か)き口説(くど)く言葉、彼の胸の内にもざわざわと騒ぐ思いが湧き
   広がった。この苦しみに応えたい、彼女の気持ちをなだめたい、しかし今はどうすれば…?
    躊躇する間に、またもロメロがさっさと手を出して少女の背中をなで下ろし、なぐさめ
   始めてしまった。
    「うん、うん、辛えよな、ただ見てるだけなんてのは。でも大丈夫だ、早く乗り込んで
    助け出してやろうぜ。
     だから…な、もう行こうや、な?」
    その男は、震える相手にやさしい声で静かに言い聞かせた。しばらくすると気分が落ち
   着いたのか、マヤも顔をこすって立ち上がる。
    「うん、そうだね、こんな所でゆっくりなんかしてられないよね。ありがとう、ロメロ」
    無理に作った笑顔を見せる。ゼネスは心臓のあたりがチクチクと痛むように感じた。

    その後もロメロの案内に従って沢すじを歩き続け、宵闇が薄くなりはじめた頃、沢から
   あがって山の斜面をよじ登った。道のついていない斜面は降り積もった落ち葉や浮き石の
   せいで滑りやすかったが、旅慣れた三人は難なく素早く登り切ってしまう。
    「ほら見えた、あれがボーマンの町だぜ」
    低い山頂からヤブを透かして、眼の下に人家の並びがうかがえる。その一番手前に高い
   石垣に囲まれた、しっかりした造りの建物が見えた。
    「あれが"番所"か」
    ゼネスが確かめると、ロメロはうなずいた。
    「もう少し明るくなれば、見張りに立ってる兵隊も見えるぜ」
    「そのようだな、俺の眼にはもう見えている。しかし、番所というよりこれは"砦"だ」
    建物は高い石垣だけでなく、見張り用のやぐらも備えていた。有事の際には拠点の役も
   十分に務められそうだ。明かりを手にした見張りの兵士が、緊迫した様子で表と裏の門を
   固めている。やぐらの上にも二人がいた、警備は厳重だ。
    三人がそうして見ている間にも、朝は来ていた。日が昇り、山の間の町にも次第に光が
   射し込むようになる。
    「これは明るい間は無理できんな、しばらくここで様子を見るしかない。
    マヤ、少し寝ておけ。小僧が移動させられるようだったら起こしてやる」
    「あ〜あ、オイラも寝かしてもらっていいかな、さすがに疲れたぜ。
    でもお師さん、あんたはずっと起きてても平気なんかい?」
    たずねる相手に、竜眼の男は薄笑いを浮かべて答えた。
    「俺のからだは貴様らとはデキが違う、つまらん心配など無用だ、寝たいならさっさと
    そこいらで寝るがいい」
    「へえ〜、すげえな。しっかしあんた、絶対公認にはならないタイプのセプターだよなあ。
    じゃ、マヤちゃん、オイラたちは先に休むとしようや」
    「うん、おやすみなさい」
    夜通し歩いて疲れきっていた弟子は、横になるなり深い眠りに落ちた。その傍らで調子
   のいい男も、じきに眠り始める。
    ゼネスはつくづくと、その彼の顔を見た。
    過去にも何人か、こんな雰囲気をもったセプターに会ったことがある―と、想い出す。
    ゼネスを前にしてひたすらな対抗心を燃やすでもなく、かといって泥のような卑屈さに
   まみれるわけでもない、ただひょうひょうとして自らを見失わない者。
    「そういうヤツはいずれも、優れた"覇者"になった…」
    そう、この男のようなセプターにはいつでも、彼はまるで歯が立たなかった。反対に、
   ただ強さのみを求めて頂点を狙う者が相手であれば、苦しんだとしても最後には、勝ちを
   収めるのが習いであったというのに。
    セプターの力量を決める要素とは何だろう。カードの枚数か、魔力の多さか。それらは
   確かに多い方が有利であるには違いない、だが必ず多くなければならないとも言えない。
    それが証拠にこのロメロのようなセプター達は、ゼネスよりも少ないカード、少ない
   魔力であってもなお、驚くような戦い方やクリーチャーの鮮やかな運動を駆使することで、
   彼を圧倒したのだから。
    繰り返してきた戦いを通じて、ゼネスは何も学ばずに来たわけではない。ただ、自らが
   得たものが何であるのかを、振り返って確かめることをせずにいたというだけで。
    ―だがそれなのに、目の前にいるこの男は今、「カードは持たない、使わない」と言う。
    『やはり何かがおかしい、何かが食い違ってしまっているんだ』
    世界が、宇宙の何かが狂っている。ゼネスにはまだ見えないどこかで。
    ふうッと一つため息して、再び番所の見張りに戻る。
    日が昇りきり、眼の下の町並みはもうすっかりと明るい。番所のやぐらの上に二人いた
   兵士が一人減った。だが石垣の外には時おり、二人組みの兵士が巡回している。
    それでも彼らの表情からは心なしか、暗い時間の緊迫感がゆるんだようにもうかがえた。
    「闇を恐れているのか、奴らは」
    ひとりごちつつ、さらに様子を見つづける。そのうちに建物の煙突から、炊事の煙が立ち
   昇り始めた。それを目にしたゼネスは腹が減ったと気づいたが、同行の二人が起きるまでは
   食事はお預けだ。
    そのまま時間は過ぎ、やがて二度目の炊事の煙が昇るようになってもなお、何の動きも見え
   なかった。少年はどうやら、このまま番所の中に留め置かれるようだ。
    「う〜ん…っとお、はあ〜、寝かしてもらったよ、ありがとさん。で、どうだいそっちは」
    ロメロが起き上がり、大きく伸びをした。
    「動きはない、明るくなったら奴ら、緊張がゆるんだ」
    「"暗いの怖い"ねえ、守りに入ってるってことなんかな?でも、何を怖がってんだか」
    調子のいい男もゼネスに並んで番所を眺めはじめた。彼の様子は楽しげだ、兵士が固める
   拠点から囚われの少年を一人かつぎ出すという、乱暴な試みに荷担する者とは見えない。
    「とはいえ、昼間から押し込むわけにもゆかんだろう、顔を見られるのはマズいからな。
     やはりやるなら夜だ、警戒が厳しかろうとやむをえん。それだけに、まずはしっかりと
    計画を練ることだ。―おい、マヤ、そろそろ起きろ、作戦会議をやるぞ」
    彼は弟子を起こし、少年救出の見取り図を描いてみることにした。

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