「読み物の部屋」に戻る
前のページに戻る 続きを読む


       第6話 「 焦がれる者 (前編) 」 (3)


    「これから明るい間にひとつ、"仕込み"を済ませておく。それが上手く行くようだったら
    夜が更けてから番所の近くで騒ぎを起こし、兵士どもを撹乱する。そうして機会を作って
    小僧を連れ出すんだ」
    干し肉や干し果実などの簡単な食事を摂(と)りながら、ゼネスは自分の作戦を説明した。
    「んーっ、と…、"仕込み"って何をするの?」
    固い干し無花果(いちじく)をようやく飲み込んでから、弟子が尋ねた。
    「兵士の中に"ドッペルゲンガー"を紛れ込ませる。これは俺がやろう、だがカードの方は
    お前のものを貸してくれ」
    「へえ〜、そりゃ名案だ。でもどうやってだい?」
    ロメロがやや大げさな身振りで驚いてみせる。
    「全くうるさいな、貴様は…
     あの番所の石垣の外に、時々兵士が二人ばかり組みになって巡回してくる。そいつらを、
    物見やぐらから一番遠いあのヤブ陰で待ち伏せて引っ張り込み、すり替える」
    舞台となる予定の場所を指し示しつつ、答えた。
    「その人たちはどうするの、ゼネス…」
    マヤが急に心配そうな顔をした、捕らえられる兵士の身を案じているのだ。彼はため息をついた。
    「ケガまでさせるつもりなどない、当て身でも食らわせて、その後は"スリープ"でたっぷり
    眠ってもらうだけだ。そうつまらん心配はするな」
    それを聞いて少女はホッとしたようだったが、今度はロメロが問いかけてきた。
    「う〜ん、しかし相手は兵隊だぜ、そうおあつらえ向きに引っ張り込まれてくれるかねえ。
    ちょっとでも騒がれたら見張りに気づかれちまう。
     それよりどうだい、奴らの方からヤブに首を突っ込んでくれるように仕向けるってのは」
    調子のいい男は、またもニヤ〜リと笑ってみせた。ゼネスは何かイヤな予感がしたのだが、
   仕方なく訊く。
    「だったら貴様の案を言ってみろ」
    「あのさ、マヤちゃん」
    彼は少女のほうを向き、片手拝みに拝みながら、
    「悪いんだけどさあ、兵隊が近づいてきたらヤブの中から向こうさんに聞こえるように、
    "いやん"とか"だめよ"とか、色っぽい感じで言ってみてくんねえかな」
    聞くだに、ゼネスの頭に血が上った。
    「何をバカげたことを抜かしてるんだ貴様は!!!」
    勢いよく立ち上がり、目の前の男の胸ぐらに腕を伸ばしかけた。
    ロメロは慌てて両手の平を顔の前に掲げる。
    「わー、待った待った、お師さんが怒るのはもっともだ、可愛い弟子にずいぶんとハレンチ
    なことさせようってんだもんな。
     でもあんたも男ならわかるだろ?これが一番効くぜ、もう間違いなく奴らの方から飛び
    込んでくるぜ。騒がれねえように誘い込むにはこれしかないだろうさ、な?」
    懸命になだめにかかるが、それでも彼には許せるはずもない。
    「ええい、俺を貴様らと一緒にするんじゃない!そんな恥知らずな案が呑めるか!」
    足を一歩、音をたてて踏み出すと相手をニラみ据えた。
    ―だが…
    「そんなに怒んないでよ、ゼネス。私なら大丈夫、べつにイヤじゃないし、うまくやって
    みせる自信だってあるんだから。
     ロメロの言うのは確かにその通りだよ、作戦の方が大事のはずでしょ?だったらもう
    怒らないで、お願いだから」
    またしても、またしても彼の弟子はその男のためにとりなそうとする。
    「しかし、俺は」
    「私がやるって言ってるのに、どうしてゼネスがイヤがるの、おかしいよ、それ」
    返す言葉を失い、彼は絶句した。『お前が良かろうと、俺はイヤなんだ!』大声で叫び出し
   たいが、『どうして?』と訊かれたら最後、彼自身にだってその理由の説明はつかない。
    腕を押さえようとする少女の手を振り払い、顔をそむけた。
    「そんなにやりたいならやれ、勝手にしろ」
    これを聞いて、ロメロはすくめていた首をやれやれとばかり伸ばす。
    「ほんじゃまあ、決まりかね。悪いね、ほんと。
     じゃ、マヤちゃん、頼むわ」
    「うん、まかせて」
    笑ってうなずく少女の顔を、割り切れぬ気分のままにゼネスは横目で眺めた。


    そうして午後の陽射しが影を色濃く染め出す頃、三人は、番所の石垣に近いヤブの中に
   身を潜めて"獲物"を待っていた。
    見張りの兵士二人組みは、もう何度かは目の前を通り過ぎている。しかしまだ、作戦は
   実行に移されてはいない。実はロメロがなかなか「うん」と言わないのだ。
    「目つきの鋭い奴らは止めといたがいいや、かえって怪しまれちまう。もっとこう、
    鼻の下の長いヤツが来ねえかな」
    ゼネスはイラついていた。
    「貴様の言うことは当てにならん、次で決められないようなら、俺が力ずくで引っ張り
    込んでやる」
    身動きを控えてひたすら待つうち、また新たな見張り兵が巡回してきた。
    この二人組みはほかの者とは違い、互いに私語を交わして足取りにもやや乱れがある。
    「おー、やった、あいつら良さそうじゃん。マヤちゃん、出番だ」
    ロメロが合図を送ると、マヤが誘いの声をあげ始めた。
    「あ…あ…いや…ん、だめ、だめ…よ…そんな、ああ…」
    甘く切迫した声、聞くからに恥ずかしさにいたたまれず、ゼネスは顔が火を噴く前に
   耳をふさぎたい気分でいっぱいだった。ところが、
    「いやあ、うまいもんだなあ。オイラなんか、わかってたって覗いちゃうな、こりゃ」
    隣りにしゃがみ込む男は、小声で感心さえしている。
    『黙ってろ、貴様は!』
    胸の内で毒づきつつ(実際に口にしたら、怒鳴り声になってしまいそうだったので)、
   彼はヤブの葉陰を透かして兵士らの様子をうかがった。
    すると果たして、彼らは互いに顔を見合わせ、ついで相好を崩すとやぐらの上の目を
   気にしながらも、ソロソロとこちらに近づいてくるではないか。
    ゆっくりと静かに立ち上がり、ゼネスは手刀を固めて相手の首すじに叩き込む用意を整えた。

    「やー、あんたはスゴイね、お師さん。一人で二人をアッちゅう間だ」
    気絶した兵士二人を素早く縛り上げながら、ロメロは盛んにゼネスを誉めた。マヤの
   声に誘われてヤブに忍び入った彼らは、まさに一瞬のうちに倒されたのだ。
    「ふん、大したことはない」
    うそぶきつつゼネスがさらに後ろのヤブを見つめると、そこから白っぽい人影に似た
   ものが二体、出て来た。どちらも全身もやもやと見定めがたく、顔のあたりは何もない
   のっぺらぼうだ。これがカードのクリーチャー"ドッペルゲンガー"である。
    人影は、縛られて転がされている兵士ら(二人の鎧と上着は剥がされ、下着姿だった)に
   近づき、傍に立った。
    「擬態(mimick)」
    遣い手が低い声で唱えると、人影が急速に変化し始めた。からだの表面には皮膚の色
   や下着の形などが浮き上がり、顔も粘土をこねるようにして目鼻立ちが形作られてゆく。
   体つきもはっきりしてきて、たちまちのうちに気絶した兵士らの似姿ができあがった。
   これがこのクリーチャーの特殊能力、「擬態」だ。
    大急ぎで服と鎧を着せ付ければ、もうこれがニセモノとは誰にも見分けがつかない。
    「よし、始めるぞ」
    指示に従い、二体のクリーチャーは何食わぬ顔で巡視の任に戻った。

    マヤが風の妖精を遠隔操作した時と同じように、今はゼネスの意識の内にも、ニセの
   兵士の目に映る光景が浮かんでいる。入り口の門をくぐり、建物の内部を迷うことなく
   歩いて兵士らの部屋へと向う。
    ここの内部構造についてはすでに、先に忍び込んだ風の妖精がすっかり調べ上げていた。
   おかげでゼネスのクリーチャーも、今は自分の家のような自然な態度で歩き回ることができる。
    兵士らが詰める部屋は大きな広間になっており、大勢の兵士たちがてんでに毛布など
   を掛けて寝転んでいた。夜に備えて仮眠を取っている様子だ。
    部屋は広いが人数がかなり詰め込まれ気味で、居心地は悪い。
    『ざっと見て二百人あまりか…』
    詰める兵士の数を見積もってから、二体も部屋の隅に積まれた毛布を取り、鎧を脱いで
   寝転がった。
    すると、
    「おい、おいラオゾ、どうだった、外の様子は」
   一体の側で寝ていた兵士が小声で呼びかけてきた。すり替えた兵士の顔見知りらしい。
    「問題ない、早く寝ろ」
    あまり話すとボロが出る恐れがある、適当にあしらおうとしたが、相手はひどく不安
   そうだった。
    「"交渉"がうまくいけばいいのにな、できればセプターとは戦いたくない、あいつら
    何をやってくるか知れない。
     武器を取っての戦いなら、俺にもどんなものかは想像がつく。呪文の攻撃も、ここは
    ランドプロテクト(呪文攻撃防御の呪文)がかかっているからしばらくはしのげる。
     ―しかしなあ、セプターの奴らがカードを使う戦いだけは別だ、どういう戦法で来る
    のか、全く予測がつかない…。
     セプターの相手なぞはセプターにさせればいいんだ、せめて城付きの上級セプターを
    呼んでくれればいいのに、上の奴ら、カードを盗られたことを大臣たちには伏せておき
    たいんだぜ。…ああイヤだ、矢面(やおもて)には立ちたくない…」
    やや蒼ざめた顔を見ながら、ゼネスは見下したような軽蔑と少しばかりの憐憫を感じた。
    そう、これが一般の者の正直な感覚なのだ。手の内も出方もわからない相手は恐ろしい。
   だからこそ、白い目で臨(のぞ)み爪弾きしようとする。
    だが、この兵士の話の中には重要な情報が含まれていた。まず、今回の騒ぎの中心が
   やはりセプターであるということ。そうして、軍がこのセプターと何らかの取り引きを
   しようとしていること…。
    「何か打診はあるのか、向こうから」
    もっと詳しい情報が欲しい、注意深く尋ねる。
    「さあ…聞いてないな、あの小僧の身柄と引き換えにカードを返せと呼びかけている
    らしいが、そんな話に乗るかどうか。
     なにしろ、魔力を増やす実験に志願してたった一人生き残った奴なんだろう、おい
    それとカードを持ってくるとは思えない」
    『何だと!』
    内心、驚ろいた。魔力の大きさは本来、生まれてから死ぬまで変化しないはずだ。だが
   確かに、変わらぬはずのものを少しでも増やそうという研究自体は、昔からどこの世界
   でも行われてきた。とはいえ、成功したという話はまだ一度も聞いたことがない…。
    「そいつにとって、小僧がどれだけ魅力的に映るかだな。下手をすると無視される場合
    だって十分に有りうる」
    うなずきつつ、さらに話を聞き出そうとする。
    「一家皆殺しを狙ってるらしいからな、食いついてくれればありがたい。
     だが恐ろしい話だ、実の弟と甥児を殺したとは。小僧は親父も弟も奴に殺されて、
    孤児になっちまった。この上は自分の運命をあきらめて、おとなしく交渉の道具になる
    のがせめても世のため人のためだ」
    この身勝手な言い分には胸の内がむかついたが、これでかなり事件の全貌が見えてきた。
    この国のカードのいくらかを持って、一人のセプターが逃走した。それは魔力増幅実験
   の被験者であり、同時にあの少年の伯父であるという。そして、逃走後に少年の父親と
   弟を殺害した。残った少年も命を狙われ、いまや取り引きの道具にされかかっている。
    「やっぱり、セプターなんてものは信用がならん。特に、もともと非公認だった奴はな。
     "言うこと聞きます、面倒見てください"なんて尻尾を振って近づいておきながら、
    いざとなれば簡単に裏切りやがる、その上に身内殺しだ。
     小僧の親父はここらじゃ名の知れた非公認セプターだったそうだが、息子ともども
    骨も残らない最期だと聞いたぞ。何かよほど深い恨みでも買ってたんだろうが、とても
    人のやることとは思えないよな…」
    首をすくめ、さもさも恐ろしげに語るうちに、部屋に飾りのついた軍服を着込んだ男
   が一人、入ってきた。
    「騒がしいぞ、心がはやるのは結構だが、兵士は寝るのも任務の内だ。夜に備えよ!」
    この命令以降、兵士らのヒソヒソ声はピタリと止んでしまった。そのためゼネスも、
   二体のニセ兵士をそのまましばらく寝入らせることにした。

前のページに戻る 続きを読む
 「読み物の部屋」に戻る