「読み物の部屋」に戻る
前のページに戻る


       第6話 「 焦がれる者 (後編) 」 (6)


    「やったぜ!」
    樹の上から降り立った少女の元へ、男四人が駆け寄った。ロメロが遠慮なく彼女の肩に
   手を置いて祝福する。
    「見事な戦いぶりだったよ、お前さん、すごい遣い手なんだな。あれだけの集中力と機転
    はそう滅多に拝めるもんじゃない」
    「ありがとう、ロメロ」
    マヤは軽くほほ笑み、老柳をカードに戻した。広場が光に満たされる、天に聳え立つ樹も
   あたりを埋めた綿毛も…全て夢のように消え去る。
    地面に散らばったままの大量のネズミのカードだけが、戦いが残した現実としてそこに
   在り続けるのみだ。
    少女は遠くを見つめていた、静かな、粛然とした表情をもって。彼女の視線の先にある
   のは、広場から伸びる路地の一本だ。
    「オズマさんが来ます」
    この言葉に男たちの頭が揃ってピクリと動き、同じ方向を向く。
    「今、迎えを出しますね」
    マヤがカードを掲げた、広場に巨きな黒い犬が出現する。現われたと思ったらたちまち
   走り出し、路地の奥へと黒い疾風が去った。しばらく、そこに居る全員が固唾を飲んで待つ。
    遠くで上がっていた火事の煙は今では大分細くなり、火は消し止められつつあるようだ。
   だが、ネズミが向かった街の中心部にあえて様子を見に来るような者はいない。がらんと
   した広場は先刻までの激しい戦いがウソのように、ごく静かで平穏である。
    ネズミのカードも、散らかったままコソとも音を立てない。
    やがてゼネスの耳に、イヌの脚の爪先が路地の石畳を力強く掻く音が聞こえてきた。
    「来るぞ…」
    ひとりごちると、一行の間に緊張が走る、そして彼方に黒犬の姿が現われた。その背中に
   人影が一つ、しがみつくようにして乗っている。
    黒魔犬が主の元に戻ってきた。足を止めた途端、「ドサリ」と影が落ちて転がる。
    「伯父貴…なのか?」
    ひからびた声でヴィッツが呼びかけた。
    「ヴィッツ…捜した…ずいぶん…」
    人物が口を利(き)いた。―だが、これは何としたことか、彼は普通の衣服の替わりに
   ボロ布を包帯のように巻きつけているではないか。しかも、巻いた布の下からはあちこち
   と赤い血が滲み出して染みを作っている。
    布は人物の顔にも巻かれ、出ているのは目と口と鼻の穴だけだ。
    「その声は伯父貴!何でそんなザマに…」
    驚く少年に答えたのは、ゼネスだった。
    「"過干渉"の症状だ」
    「何だ、それは」
    見上げる顔に向かい、彼は厳かに告げる。
    「人の身が耐えられる限界以上の"力"に触れてしまった。奴の身体は生命力を失い、今は
   崩壊の途上にある。こうなったらどんな治癒の呪文も効果はない、よほど高位の術者が
   特別な方法を使わない限りは。
    そうだな、オズマ。"実験"の副作用か」
    「―その通りだ、俺はもうすぐに死ぬ。…ネズミの力を…想像以上に引き出せたのは…
    嬉しい。…が、失ったものも…大きかった。
     ヴィッツ、これをやる…受け取ってくれ…」
    震える手が差し出したのは、ひと束のカードだ。
    「親父のか!本当にあんたが殺したのか、オズマ!」
    ヴィッツが叫んだ。大きく目を見開き、反射的に自分のカードを手にする。それは光を
   放って長剣に変じた。
    「悪かった…殺すつもりじゃなかった…一言、ただ一言『負けた』と…言ってくれれば
    …退くつもりだったんだ…本当だ。
     でもあいつは…オシアスは…俺のネズミに自分のクリーチャーが全て倒されても…
    負けを認めなかった…。ネズミの群れに囲まれて、顔を真っ赤にしながらも…俺をにら
    んでいる…だけで。
     しまいにはヴィルムが泣き出したんだ…『怖い』って…それであいつはひどく怒って
    …殴りつけた。そしたらヴィルの奴…可哀相に、動かなくなっちまったんだ…。
     オシアスは…さも憎そうにして言ったよ…『全く役に立たないヤツめ、お前と同じだ、
    ネズミ野郎』とな…。俺は…俺は…」
    "オズマ"の包帯だらけの体がうずくまり、震えながらしゃくりあげた。
    「カッとなっちまった…頭ン中が真っ赤になっちまって…気がついたら、食っちまって
    たんだ…何もかも…」
    声を殺してむせび泣く。
    「するとボーマンの番所を襲ったのは、もしかしてヴィッツを救うためだったのか」
    ゼネスが問うと、彼は手の甲で目元をぬぐった。
    「そうだ…軍の奴らが取り引きを持ちかけてきたから…ネズミを遣って様子を見に行った
    ら…こいつがひどい目に遭わされてた…それでまたカッとなっちまって…やっちまった。
     体がこんなになって…俺はもうロクに動けやしない…この街にもネズミを使わなきゃ
    …来れなかった…それでこの騒ぎだ…俺はもうバケモノと同じだ…。
     ヴィッツ、殺してくれ、俺を…、お前に殺されるなら…本望だ…」
    すがるように少年を見上げ、訴える。
    だがヴィッツは長剣をカードに戻した。彼の目に、苦しみとも悲しみともつかない色が浮かぶ。
    「止めてくれ、オレはそんなことしたくない。親父のことはもういい、あの人は結局、
    自分の面子(メンツ)の方がオレ達よりもずっと大事なだけの男だったんだ。
     最近になってやっとわかった、伯父貴、あんたのことが。昨日、オレは初めてクリー
    チャーのカードを使ってみたんだ。それで、すごく面白かった。こんな風に別の見方や
    感じ方が味わえるだなんて、それまでは思いもよらなかったから。
     あんたは、誰に何を言われてもいつも楽しそうにネズミを遣ってただろう。気がついた
    んだ、オレ、親父よりも伯父貴、あんたの方が本当はセプターとしてずっとすごかった
    んだってことに。
     だから伯父貴、少しでも生きてくれよ、死にたいなんて言わずに。
     それと、親父のカードはオレには一枚も使えないんだ、やるなら…」
    言ってマヤのほうを振り向き、
    「こいつにやってくれ」
    指し示した。
    「あんたは…あんたは柳の…」
    「はい、"マヤ"と言います」
    オズマに歩み寄りつつ、少女ははっきりと口にした。ヴィッツとハサンが驚いたように
   その顔に見入る。
    だが彼女は少しも気にせず、ネズミ遣いの傍らにしゃがみ込むと包帯に血の染み出した
   手を取った。
    「あんたの柳…見事だった…やっぱり上には上がいるもんだ…。勉強不足だった…俺も
    少し…いい気になってたかもしれない…」
    彼の声は温かく湿りを帯び、心なしか嬉しそうに聞こえる。
    「いいえ、オズマさん」
    男の手を両手で包んでそっと撫でながら、マヤは言った。
    「さっき私があれだけの事ができたのは、あなたのネズミを見たからです。
     あなたと対戦していて私は感じました、あなたがどれだけ深くネズミのカードを愛し、
    理解していたかを。
     私はあなたのやり方をほんの少し、形ばかりマネしただけにすぎません。オズマさん、
    あなたは人として許されないことをしてしまいましたが、でも、それでも私は同じセプター
    として、あなたを尊敬しています。あなたは優れたセプターだと思っています」
    包帯の中に覗く男の両目が、大きく見開かれた。そこに再びあふれてくるものがある。
    「お…お…お…」
    言葉にならぬまま、感情の響きだけがこぼれ落ちる。
    「やる…あんたに…俺のネズミも…全部持ってってくれ…!」
    ようやく言葉が出た。瞬間、オズマの身体が大きく揺らぎ、崩れ落ちる。
    「―あっ!!」
    ネズミ遣いの肉体は溶けて血漿となり、骨は細かく砕けて砂になった。全ては広場の土
   の上に広がり、大きな赤い染みを作ってゆく。
    「そんな…」
    マヤの手が赤く染まった土に伸ばされ、すくい取った。ヴィッツの頭ががっくりと垂れ、
   肩が小刻みに震える。その時、
    ザザザザザザザッ
    あたりに鳥の群れが飛び立つような音が響き渡った。散り敷いていたネズミのカードが
   一斉に舞い上がったのだ。
    「これは…」
    皆があ然として見守る中、カードはつむじ風に巻かれる木の葉さながらに旋回し、その
   まましゃがんでいる少女の姿を包み込んだ。
    「マヤ!」
    慌てたゼネスが右腕をカードの旋風に突っ込み、弟子を引っ張り出そうとした。だがその
   時にはもう、全てのカードは彼女の身体に吸い込まれるようにして消え去ってしまった。
    『"扉の向こう"に行ったのか』
    彼は気がついたが、もちろん他の三人には見当がつかないことだ。
    「何だったんだ、今のは一体?」
    ロメロもヴィッツもハサンも、ただ首を傾げて不思議がっている。
    「高い能力を持つセプターの中には、カードを瞬間移動させる特殊能力を持つ者もいる
    んだ。マヤ、カバンの中を見せてやれ」
    ゼネスは苦しまぎれに出まかせの方便を言った。彼の弟子が大きくうなずき、カバンを
   開いてみせる。その中にはカードがぎっしり詰まっていて、三人を納得させた。
    「あんた、女だったんだな」
    立ち上がったマヤにヴィッツが話し掛けた。何やら眩しげに目をしばたたかせ、少年は
   少し顔を赤くしている。
    「ごめんね、だますつもりじゃなかったんだよ、君にあんまり気を使わせたくなくって」
    「いや、いいんだ」
    少年の唇の端が上がった。
    「頼みがある、最後にあんたに立ち向かったネズミ、あのネズミのカードをオレにもらえ
    ないだろうか。
     あれは多分、伯父貴がずっと使ってたカードだと思うんだ」
    マヤは上着のポケットを探るようにしてから、一枚のカードを取り出した。
    「これだよ、じゃあハイ、持っていって」
    少女の手から少年の手に、ネズミのカードが渡される。ヴィッツは手にしたカードをじっと
   見つめた。
    「オレ、考えてみる、あんたの言ってたこと。このネズミと長剣のカードを使いながら、
    自分が何をしたいのか、何が出来るのかを試してみる、一生かけても。
     誰かに何か言われてもいいんだ、もう気になんかしない、カードの可能性を開くのは
    セプターだ。オレ、このカードにふさわしいセプターになりたい。いや、なってみせるから」
    「ヴィッツ」
    マヤの顔にきらめく笑みが広がった。
    「私も、君のおかげでとても大事なことにさわれたんじゃないかって気がするよ。
     本当に会えて良かった」
    見交わし喜びを分かち合う目と目、顔と顔。少年がふと、思い出したように尋ねた。
    「それで、あの…気持ち良かったのか?老柳遣うのは」
    少女のほほが染まり、はにかむ。
    「うん…、お日様の下で背伸びするのって、あんなに気持ちいいことなんだってわかった」
    「そうか」
    うなずく少年、だが急に広場が騒がしくなってきた。何人もの男たちが路地から出て来た
   のだ、彼らは手に手に何がしかの武器を取っている。
    「街のやつら、やっとこさネズミの様子を見る気になったのか。遅いっちゅうんだよ、
    まったく」
    ぼやくハサンにゼネスが声を掛ける。
    「情報屋、一つ聞き入れてくれ、俺たちのことは決して口外しないで欲しい。他のセプター
    や"力"が欲しい奴らに嗅ぎつけられたくない、わかるな」
    「ああ、よくわかるさ」
    若者は肩をすくめて応える。
    「ピカ一の能力ってのも、目立ちすぎるとロクなことにならないもんな。情報屋として
    はこの件をお蔵入りにするのは残念だけど、でもあんた達は街の恩人だ、恩を仇で
    返すようなマネはしないよ、オレは」
    白い歯を見せて、笑った。
    「じゃあ、オイラ達はさっさと退散しようかね」
    そそくさと広場を後にするため、四人は手近な路地に足を向けた。
    すると…
    「ヴィッツ、ヴィッツだろう、そこに居るのは」
    遠くからだみ声が飛んできた。年配の男の声だ、少年が弾かれたように振り向く。
    背が高く、ガッチリした初老の男がこちらに向かって懸命に走ってくるのが見えた。
   彼の手には短槍が握られている。
    「じいさん!エドモントさん!」
    ヴィッツもまた男に向かって駆け出した。老人が槍を投げ捨て、両腕を広げる。二人
   は広場の中ほどで抱き合った。
    「あれがヤツの面倒を見てくれた"傭兵のじいさん"とやらか」
    「う〜ん、涙の再会かあ、いいねえ」
    去りかけた足の向きを戻し、残された三人は抱き合う二人の元に近づく。
    「なんで、なんでこんなとこに居るんだよ」
    「捜しに来たんだ、ここに来ればお前の手掛かりをつかめるかも知れないじゃないか。
     お前は俺の息子みたいなもんだ、子どもがいなくなって捜さない親がいるか」
    少年は老人の腕の中で泣きじゃくっていた。老人の目にも光るものがある。
    「良かったね、ヴィッツ…」
    マヤも何度か目元をこすった。
    ひとしきり泣くと気分が落ち着いたのか、ヴィッツ少年はずいぶんとスッキリした顔に
   なっていた。涙を拭き、マヤの顔を真っ直ぐに見つめる。
    「オレ、エドさんと行きたい。でもさっきあんたに言った気持ちは変わらない、オレ自身
    がカードで出来ることは探し続けるつもりだ。
     ありがとう、マヤ、あんたのことは忘れない」
    サッと片手を差し出した。少女もその手をしっかりと握り返す。
    「私も、君のこと忘れないからね」
    「それと…、ちょっと耳貸して」
    少年が爪先立ち、少女の耳元に口を寄せた。そして何事かささやいたとたん、彼女の
   顔が赤くなる。
    「大事なことだからな、そっちも忘れんなよ」
    それだけ言い、ゼネスとロメロにぺコリと頭を下げた。後ろの老人も深くお辞儀をする。
    「もういいな、行くぞ」
    軽く礼を返しつつ、ゼネスはカードを一枚取り出した。だいぶ時間を食ったため、もう
   一気に湖を飛び越すつもりで黒い天馬を呼び出す。弟子も続けて飛竜を呼び出した。
    「こらロメロ、お前はこっちだ」
    いそいそと飛竜の背に乗ろうとする調子のいい男を見咎(とが)め、ゼネスが注意した。
    「えー、何でだよう、飛竜の背中の方がずっと広いじゃねえか」
    大いに残念そうに文句をつけるのを、
    「そいつは飛びはじめて日が浅い、二人乗りなどもっての外だ」
    グイとにらんで決めつける。
    「それで男二人でお馬の背中に揺られんの?楽しくねえなあ。
     あ、それともお師さん、もしかしてあんたオイラに気があるとか」
    「バカを言うな!」
    真っ赤になってゼネスが怒鳴った。カラカラと笑いながら、ロメロが彼の後ろによじ登る。
    ―そして強い風が広場を吹きぬけた、天馬と飛竜が空の高みへ舞い上がる。
    黒と金の背から三人が見下ろすと、少年がいつまでもいつまでも手を振っているのが見えた。



    パチパチと音をたてて燃える火を眺めながら、マヤは少し沈んだ様子をしていた。
    「どうしたね、おや、そのカードは?」
    ロメロが彼女の手元を覗き込む、そこにあるのは一枚のカード。
    「うん、ヴィッツのお父さんが持ってたカード。それがね、さわってると小さい男の子
    が見えて…」
    彼女には、カードに込められた他人の記憶を感じ取る力がある。他のセプターには無い
   特別な能力だが、なぜこんなことができるのかはゼネスにもわからない。
    「誰かなあ、ヴィッツ?とも最初は思ったんだけど…何だか違う。
     それで…もしかするとヴィッツのお父さんの小さい頃だったのかなあって。
     …オズマさん、きっと思い出してたんじゃないかな、このカードを見ながら。
    まだ小さくて『おにいちゃん』て自分の後を追いかけて来てた弟のことを。
     …どうして、どうしてこんなことになっちゃうんだろう?」
    悲しみを噛みしめるように口をつぐみ、カードを見つめる。
    「う〜ん、難しいよなあ…人は他人に認められたい生き物だからなあ。
     誰とも比べようのない自分を持って生きるってのは…それをやり遂げられるヤツは、
    そうは居ないんだよなあ」
    頬杖をついてロメロも炎に見入る。だがゼネスの目から見る限り、眼前のこの男こそ
   は、揺るぎない自分を軽やかに保ちながら生きている者と思えるのであるが。
    「やっぱり、欲しいよね、神様。見ていてくださる方が。
     私の神様はね…誰も救わないけど全てを見ていらっしゃる御方なの。だから私、
    何とか今まで生きてこられた」
    「ほう…手は出さなくても見ててはくれるのか、そいつはステキな神さんだなあ」
    ゼネスは耳をそばだてた、マヤが自分の信仰の話などするのは初めてだ。
    だが…彼女はそれきり神のことは言わなかった。
    「ヴィッツ、今頃どうしてるかな」
    だいぶたってから、ぽつりと懐かしげにつぶやく少女に
    「寂しくなっちまったかね」
    ロメロが尋ねた。
    「うん…ヴィッツ、可愛かったし。同じことゼネスが言うとカチンとくるのに、
    ヴィッツが言うと可愛いんだよね、なんでかな」
    「貴様、それが師に対する言い草か」
    ここまでしんみり聞いていた態度を返上し、ゼネスは憤然として弟子に注意する。
    だがそれでも、少年の話が出たついでに気になっていたことを彼女に聞きたくなった。
    「あいつは…ヴィッツは別れる時にお前に何を言ったんだ」
    少女は夜空を見上げて答えた。
    「それがね、『あんたの先生はあんたの事をとってもよく考えてるんだから、何が
    あってもちゃんと信じてやるんだぞ』だってさ。
     ケンカしなくなったなあとは思ってたけど、いつの間にかずい分仲良くなっちゃって
    たんだね」
    揺れる炎の明かりに照らされながら、少女はニコニコと笑む。
    『そんなことを…』
    どういう顔をしたら良いのかわからず、ゼネスは戸惑った。少年と話したあの夕暮れ
   の時を想い出す。―何があっても、何が明るみに出ても、マヤは自分を信じ続けて
   くれるのだろうか?―彼の胸の奥がチクリと細く、深く痛む。
    「いい子だったもんな、オイラもちびっとばかし寂しいんだ、ホンネ言って。
     じゃあ、今夜は特別に歌うか。実は新曲があるんだぜ」
    「うわあ!ロメロみたいな大歌手の新曲が聞けるなんて!
     すんごく嬉しいよ、ね、早く聞かせて」
    眼を輝かせ、マヤがせがむ。ゼネスも眼を閉じて耳を傾けた。
    静かな、伸びやかな声が夜の中に広がりはじめた。


     そっとおやすみ いい夢を見て
     眼をつむるのがさみしかったら、ボクの手を握ってていいよ
     安心しておやすみ、ボクはずっとキミのそばにいるから
     怖いものなんて何もない 約束するよ、キミを守るって
     だからおやすみ 朝までゆっくりと

     でも、本当は逆なんだ
     キミを守るなんて言って、いつも守られてるのはボクのほう
     ずっと弱虫だったんだよ
     怖いものがたくさんあって 見ないフリばかりしてきた
     でも、キミがそばに来てくれて、笑いかけてくれた時に
     やっと気がついた 「勇気」という言葉の意味
     それは ボクの中にある弱さを 乗り越えることだったんだね

     強くなりたいよ
     キミがボクの心を守ってくれるように
     ボクもキミの心を守れるようになりたい
     傷つくことも失うことも恐れずに 全てと向かい合うんだ
     そばに居て欲しい キミに いつまでもずっと。 でも
     縛ることはできないんだね
     自由に飛び回るキミであってこその ボクの喜び
     いつかキミが ボクの前から居なくなってしまう日が来ても
     キミがボクのことを 忘れてしまう時が来るのだとしても
     ボクは憶えているよ 大切にずっと抱きしめてる
     ボクを守る力として キミの全てを

     そっとおやすみ ゆっくりおやすみ
     ああ…ほほ笑んでいるね
     キミは今、いい夢の中にいるんだね


    歌の声は聞き続ける二人のからだを取り巻き、包み、めぐって、さらに星のまたたく
   夜空の中へと吸い込まれてゆくのだった。


                                                        ――  第6話 (後編) 了 ――

前のページに戻る
「読み物の部屋」に戻る