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       第6話 「 焦がれる者 (後編) 」 (5)


    一行四人とハサンが広場に降り立つと(シャヒルは隠れ家からどうしても出たがらず、
   やむなくまたカギを閉めて置いて来た)夜にはあれほど人で賑わっていた場所が今は閑散
   として人っ子ひとりいない。町のほぼ中心に当たるここにはネズミはまだ到達していなかった。
    しかし耳を澄ませばどこからか、路地に反響しながらあの独特の押し寄せる足音が近づ
   いて来るようにゼネスには感じられる。
    「ロメロ、老柳を出す前にネズミが来たらまずい、その時にはお前にはこれを使ってもらう」
    ゼネスは一枚のカードを出して渡した。
    「こりゃあ…ふーん、"竜巻(ハリケーン)"かあ。オイラ達は壁になるってわけだな」
    カードを表から裏から何度も眺めつつ、若い男は察しの良いことを言う。
    「そうだ。あれ(老柳)は展開しきるまでに時間がかかるクリーチャーだ、もしネズミが
    先に広場に来るようだったら壁を置いて守る、覚悟をしておけよ。
     …ところで、いくら長い間カードに触れていないとはいえ、それぐらいは使えるんだろうな」
    ジロリと横目を使う竜眼を見返し、ロメロは苦笑した。
    「まあ…こいつは立ってるだけのクリーチャーだかんな、何とかなるさ。
     で、お師さんあんたは?やっぱ"炎の壁"なわけ?」
    ゼネスが手にする数枚のカードに目をやりつつ、尋ねる。
    「そんなところだ。
     よし、作戦開始だ、老柳を展開させろ。俺たちは近くの屋根の上に待機する」
    師の指示を受けて弟子はうなずき、広場のさらに中心まで走って行って立った。それは
   ちょうど昨夜ロメロが歌を披露した場所だ。
    彼女がカードを掲げた。目を射る強い輝きを放って大きな光の球が現れ出る。光は誕生
   すると同時に遣い手の足元に落ち、たちまち地面の中へと沈み込んだ。
    やがて、何かか細いものが土を破ってムクムクと頭をもたげる。一本の、まだ幼い木である。
   だが、幼木はそのままスルスルと成長をはじめた。
    ―上へ、上へ、上へ、ひたすらに上へ、またたくまに枝から芽を吹き、芽を吹いては伸び、
   さらなる枝に分かれ、葉の数を増やし、幹を太らせ、幼木から若木へ、成熟した姿へと勢い
   よく伸び続ける。樹高はみるみるうちに見上げるほどに高く、何十年という時間を一息に、
   駆け抜けるようにぐんぐんぐんぐん、猛々しいほどの速さでさらにさらに大きく伸びてゆく。
    「すげえ…オイラ達の出番なんてねえや」
    ロメロが口を開けたまま見惚れた。
    『…速い!』
    ゼネスも息を呑んだ。老柳は十分に根を張らなければ力を発揮できず、展開の際には
   そのための時間を必要とする。それがこれほどの速度で成長できるのは、遣い手がよほどの
   集中力を持っているからに間違いない。
    『これはいけるぞ、マヤ』
    老柳はいつしか、広場を囲むどの建物よりも高くなっていた。そして上だけでなく横へ、
   横へも欲しいままに領分を広げてゆく。枝を張り伸ばしては風をつかみ、葉を広げては
   光をつかみ、幹も目に見えて太り、また太り、根を下ろして深く広く土を抱え込む。
    今や樹の肌は赤黒く皺(しわ)寄り、太く堅く、大人の男数人が手を繋がねば囲めない
   ほどの幹周りを誇る。大地の上にどっしりと立ち上がり、誰よりも高く天を目指して風に
   吹かれ、ザワザワと繁ったツヤのある葉を光らせる。
    もうすっかりと古樹の風格を漂わせ、広場の半ばはこの樹の影に覆われた。街の上に
   君臨する、老柳の完成である。
    そして遣い手のマヤは、樹の頂(いただき)に近い枝の上に立っていた。
    「神経をネズミに集中させろ!」
    ゼネスが怒鳴った。少女が顔を上げ、胸を張って彼方を見つめる。
    風が止まる。ひと時の静寂の後、
    …ザザザザザッ
    樹が大きく身震いをした。小刻みに枝が揺れ葉が擦れあい、老柳の周辺に振動する空間
   を生み出す。これは魔力を吸い寄せる"磁場"の一種だ。今はマヤがネズミだけを引き寄せ
   るよう、コントロールしているはずだが…?
    果たして、
    独特の無数の足音が、小路の奥から次第に高く聞こえてくる…そしてついに、ネズミが
   姿を現した。四方八方、路地という路地からあっという間に濁流のように広場にあふれ出し、
   ネズミの群れが褐色の川となって老柳に押し寄せる。そのまま渦を作って幹を取り囲んだ。
    だが、
    「チチィィィィ!」
    「キイキイィ!」
    苦しみもがく悲鳴があちこちで上がった。老柳の影の下に入ったネズミ達が大地に縫い
   止められたように動けなくなっているのだ、彼らは磁場に捉えられたのである。
    「よっしゃ!」
    ロメロは手を打って歓声を上げたが、
    「いや、まだだ」
    ゼネスは制した。後から押し寄せてきた一群が動けなくなった仲間の背中の上を渡って
   樹に取り付き、続々と幹をよじ登ってゆく。この老柳を倒さない限り、自分たちに自由は
   ないものと悟ったのだ。
    「戦いはこれからだ…」
    彼の額に汗が浮いた。マヤは植物クリーチャーの力を十二分に引き出すことが出来るだろうか。
    砂糖に群がるアリさながらに、ネズミが柳にたかってゆく。太い幹を登り、四方八方に
   広がる枝に至ると獣たちは次々に鋭い門歯の力を振るい始めた。
    ザクザクザク…というような音と共に放恣に伸びた枝も繁った葉も、片端から齧られ切り
   取られる。はらはら、はらはら、雨が降るように無数の柳の枝葉が落ちに落ちる。見る見る
   うちに老柳は下の方から裸に近い無残な姿に変わっていった。
    ネズミ達は枝葉を刈り取りながら樹の上を目指す。手当たり次第にボロボロに噛み散らし、
   もうあと少しでマヤが立つ枝へと迫りそうだ。
    「何をしている、何を」
    じっとしたまま動かない弟子をもどかしく見つめ、ゼネスは歯がゆい思いでいた。少女
   は枝の上に片ヒザを突いた姿勢でネズミ達をただ眺めている。臆したとも見えないのだが?
    「ちょい、待ち」
    まだ出したままの黒天馬の手綱を取った手を、ロメロが抑える。
    「あの娘(こ)なりの考えがあるはずだぜ」
    そうささやいた時、マヤが立ち上がった。
    瞬間、老柳が再び身を揺すった。一帯に強い磁場が発生し、「おォーん」と低い唸り音
   があがる。樹の上も下もまばゆい光の粒子に包まれ、全てのネズミの姿が消えた。そして
   バラバラと枝の間から地上に何かが降って来る、カードだ。
    「やったか!」
    老柳が特殊能力である「魔力吸引」を発動したのだ。ネズミの実体を構成していた"力"
   は還元されて樹に吸収され、強制的にカードがもとの形へと戻された。地面の上にいた
   ネズミももちろん例外ではなく、柳の根元はあたり一面びっしりと絨毯のようにカード
   が散り敷いている。異様な眺めだ。
    しかし、
    散ったカードが輝きを発した。地上に光が満ちる、光の中からネズミの群れが発現する、
   ネズミ遣いがカードに魔力を与えたのだ。
    どこかにまた中継役がいるはずだ―と、ゼネスは目を凝(こ)らして周囲を見回した。
   だが敵もさる者、同じ手は食わぬとばかり身を隠している様子で、姿はおろか気配さえも
   うかがうことができない。
    復活したネズミ達もあい変らず半数近くは樹影に縛り付けられているのだが、動ける者
   はすぐさま、さらに枝葉を齧り落として大樹の力を削ごうと陸続と幹を駆け上がる。
    その途端、老柳の丸裸になった枝という枝が瞬時に芽吹いた。早緑の色がふくれ、弾け、
   爆発的に伸びる。緑の点は線に、線はいくつにも分岐して枝に、葉に、伸び上がり開き、
   大きく展開して自らの空間をぐいぐいと押し広げる。
    その勢いは速く、強く、殺到するネズミ達の脚を跳ね飛ばし、体を振りはらった。悲鳴
   と共に降るように落ちるのは今度はネズミそのものだ。辛うじて枝にしがみついた者らが
   伸びた若枝を食いちぎっても、そのすぐ下からまた一気に芽が吹いては伸びる。
    齧っても齧っても芽は吹き、伸びて枝と化し葉と化し、逞しく太り、たちまち堅い古枝が
   できあがる。汲めども尽きぬ泉の水のようにその勢いはまるで衰えを知らない。
    そのうちに樹は三度び身を震わせた。唸りを上げて磁場が現われ、魔力を吸う。枝から
   カードがバラバラと落ちて地上に散る。しかし、またしてもすぐさまネズミが復活する…。
    そんなくり返しをさらに三回は続けたろうか、
    「お師さん、ネズミにならねえカードが出てきたぜ」
    「ああ、そうだ、ようやく相手の魔力が底を尽きだしたな」
    三千と二百数十枚というネズミのカード、その中からついに"ネズミを出せない"カード
   が現われはじめた。それは、遣い手のセプターの魔力が全てのカードを使い続けるに充分
   ではなくなってきた―という事実を意味する。
    『もう少しだ、そのまま行け!』
    ゼネスは胸の内で弟子に呼びかけた。
    そのマヤは、彼の弟子の少女は、なおも高い樹上にあって疲れの色を見せずにいる。
   すっくと背を伸ばし、足元に近づこうとあがくネズミ達を静かに、一心に見つめている。
   何事かを読み取ろうとする真剣さを持って、相手のクリーチャーに対し続けている。
    老柳の勢いは今、ネズミを圧倒しつつあった。一時は裸になった下部の幹周りも今は
   すっかり元通りとなり、それどころかさらに一層の枝の数と葉の繁りを加えたかのようだ。
   ネズミが齧るたび、枝が二倍に増える、ワサワサと音がたつほど新芽が伸びては広がり、
   いつか樹の全体がひと回り以上は大きくなっている。
    また樹がザワザワと身を揺すぶり、魔力を吸った。カードが散り、ネズミが復元され―
   だが、その数がガクンと落ちた。這い上がれる者はもう、百匹ほどにまで減っている。
    そして、数の力を頼めなくなったネズミ達は戦法を変えた。今度は集団で固まり、幹の
   太いところに陣取って齧りつき、盛んに皮を剥ぎ取る挙に出たのだ。
    「まずいぞ…」
    ゼネスは唇を噛んだ。樹木の木肌は枝葉ほど旺盛な復元力を持たない、あの勢いで皮を
   齧られてはすぐに、幹周りがそっくりと剥ぎ取られてしまう。そうなれば養分の通り道を
   失って樹は枯死するのだ。
    だが、皮を齧ったネズミ達はすぐに苦しみ悶えて次々に転げ落ちた。てんでに口から泡
   を吹き、唾を吐き散らしている。
    「はっはあ、木の皮の中の苦みをうんとこさ濃くしたんだな、やるねえ」
    ロメロが興がってまた手を打った。
    「動けなくってもこんな反撃の手があるんだなあ」
    植物の苦み成分や毒は、全て身を守るために自ら作り出したものだ。マヤはその仕組み
   を巧みに使ったのである。
    地に落ちたネズミ達にはもはや、動く力さえ残っていなかった。弱々しく鼻づらをあげ、
   樹を仰ぐ。老柳が磁場を生み、遠慮会釈なく彼らの魔力を食らった、ネズミがカードに還る。
   ―そして、散り積もるカードからもう一度立ち上がってくるネズミはついに一匹も出ない。
    広場は静まり返り、ただ柳の葉が風に騒ぐ音だけが聞こえてくる。
    「勝った、勝ったぞ!」
    両手を高々と差し上げ、ロメロが叫んだ。
    「樹が、樹の様子が変わる…!」
    今度はヴィッツが指を差した、見れば老柳の枝先の色が微妙に変わり始めている。
    各枝の先端近くの梢で、葉と葉の間から獣の尾のような形の"穂"が続々と伸び出して
   きた。それは最初淡い黄緑色をしていたが、次第に白っぽい毛が生えてふわふわと穂全体
   を包んでゆく。
    「うわあ、種だよ、ありゃ、柳の」
    ロメロがすっとんきょうな声を出した。白いのは種に付いた綿毛だ、あの"尾"は老柳の
   種子を宿した穂だったのだ。梢という梢がうっすらと白く霞む、霧か雲でも被ったように。
    そしてまた樹が身震いした。だが今度は磁場ではなくドッと強い風が巻く、白い綿毛が
   一時に樹を離れた。はかなく白い色が無数に舞い、乱れて飛ぶ。風と共に親樹を旋回し、
   時期外れの雪となって広場に吹雪き、白く空に漂う。
    老柳が魔力を食らうのはこのためだったのか―と、ようやくゼネスも気づいた。クリー
   チャーは今、本来の姿を全うしたのだ。
    「あっ!ネズミがまだいた!」
    皆が種子の乱舞に見惚れる中、ハサンが悲鳴に近い声をあげた。慌てて指し示すのを見る
   と、一匹のネズミが今しも老柳の幹を駆け上がってゆくではないか。"彼"は綿毛の雪吹雪
   に見え隠れしながら、もう枝にも葉にも目をくれようともせず、一心不乱に樹上に立つ相手
   セプター目指して走り登る。
    「いけねえ、柳は種を飛ばしちまった、しばらくは魔力を吸わねえんじゃないか」
    頭を抱えるロメロ、だがゼネスは落ち着いて示した。
    「大丈夫だ、まだ魔力は食らえる」
    彼の目はしかと捉えていた、マヤが立つ樹の頂上部分だけはまだ、種を飛ばしていない
   ということを。穂が緑色をしている、種子が熟しきっていないのだ。
    最後のネズミが枝を蹴り、マヤに飛びかかった。彼女の周囲の枝が震え、そこにだけあの
   磁場が生じる。迫り来るネズミの体が磁場に捕らえられた。
    もう少し、あともう少しで相手に触れ得る、まさにその寸前でネズミは全ての魔力を失った。
   彼の姿が光の粒子と化し、一枚のカードに還元される。ひらひらと落ちかかるのをはっし
   とマヤの手がつかんだ。そして彼女の周りの枝からも、種子が熟して白い綿毛が飛び散る。
    戦いは、終わった。

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