「読み物の部屋」に戻る
前のページに戻る 続きを読む


       第6話 「 焦がれる者 (後編) 」 (4)


    いくつもの角を曲がり、路地から別の路地へと入り組んだ道筋を少年は黙々とたどる。
   時おり人の波をかき分けながら、あとの三人も黙ってひたすらついて行く。
    いい加減歩いた先のとある角で、ヴィッツがピタリと立ち止まった。彼の視線は路地
   の先の奥まった場所に注がれている。
    「あそこ、あそこに立ってる白いシャツ着たヤツを呼んで来てくれないか。あいつは
    情報屋で、オレの知り合いなんだ」
    そっと指差した相手は、褐色の肌の背の高い若者だった。目標を示し、彼はすぐさま
   横のひときわ暗く狭い路地へと引っ込む。灯がなければ何も見えないようなそこには、
   さすがに他に人影はない。
    「よっしゃ」
    ロメロがサッと進み出て背の高い若者に向かった。何事か話し掛け、やがて二人連れ
   となって戻ってくる。やって来た彼は顔立ちは精悍ながら目元に愛嬌のある、二十歳前後
   の男だった。
    そのまま皆で暗い路地に入る。マヤが手のひらの上に小さな呪文の明かりを灯した。
   その光が、顔を隠すストールを引き上げた少年の顔を照らし出す。
    「よお、ハサン」
    ヴィッツがニヤリと笑って背の高い若者を見上げた。"ハサン"と呼ばれた若者は驚愕した。
    「ヴィッツ、ヴィッツじゃないかお前、生きてたのか!」
    目を丸くしポカンと口を開けて相手に見入る。
    「シッ、声が大きいぜまったく、そんな簡単に死んでたまるかよ。それよりやっぱり
    伯父貴のネズミのことは噂になってんだな」
    「噂も何も…」
    ハサンは胸に手を当てて我が身の驚きをなだめながら答える。
    「お前の親父は殺られるわ、ボーマンでも大変な数の人死にが出るわで、ここいらの
    セプターは皆んなブルッちまってさ、戦々恐々てやつだ。
     一人じゃ居らんないもんだから、今はほとんどの奴が街に集まってんだぜ。それでも
    ネズミが怖いだなんて口には出せないんだな、やたらカラ元気振りまいてるセプター
    が多くて笑っちまうよ。
     …でもお前、こんなとこに居て大丈夫なのか?早く遠くへ逃げた方が良かないか?」
     知人の無事を確かめた後は急に心配になったものか、声が曇る。しかしヴィッツは
    決然として尋ねた。
    「情報屋、あんたから情報を一つ買いたい。伯父貴にネズミのカードを売った奴は今、
    どこに居る?」
    すると情報屋の顔が厳しく引き締まった。
    「それは今オレの手元にはない、すぐに捜すとなると高くつくぞ、対価はあるのか」
    ヴィッツは自分のカードを取り出した。
    「オレも今はこれしかない。悪いが、あとは出世払いにしてくれ、必ず払う」
    「おいおいおい、待ちなよ兄ちゃん」
    見かねたようにロメロが割って入った。
    「そりゃあお前さんの大事なモンじゃねえか、早く引っ込めとけやい。
     水臭えなあ、何のためにオイラが稼いだと思ってんだい。オイラ達は道連れだぜ、
    この金は四人みんなの金だ、遠慮なく使いな。ほらよ、情報屋の兄ちゃん」
    金貨入りの袋を一つさっさと取り出し、ハサンの手に押し付けてしまった。
    「これで足りるかね」
    「大丈夫だと思う、じゃ、ここで待っててくれ」
    背の高い若者は駆け出し、入り組んだ路地の奥に消える。暗く細い道で、四人はその
   まま彼の帰りを待つことにした。
    「あの、オレ、何て言ったらいいか」
    ヴィッツが泣き出しそうな顔でロメロを見上げた。若い男は右の手をひらひらと振り、
    「まあいいってことよ、困った時は相身互いさ。それにそのカードは親父さんの形見
    じゃねえか。いろいろ思うところはあるだろうけど、やっぱりお前さんが持ってた方
    がいいと思うぜ」
    少年は無言で深く頭を下げた。
    「ところで、あの情報屋は確かに信用できる奴なのか」
    ゼネスが口をはさんだ。彼はこのようなやり方には不慣れなのだ。
    「それなら心配ない、ハサンは若いけど仕事はプロだ。上客もついてて信用が高い。
    この街で売人をやってくなら命よりも信用が大事なんだって、前にオレに話してくれ
    たこともある。まかせられる奴だ」
    『ほう…』
    ゼネスは心中密かに感心した。ハサンのあの精悍さは、より正確な情報を嗅ぎ分ける
   日々の鍛錬によって獲得されたものだろう。そんな彼に思い切って全幅の信頼を寄せる
   ヴィッツもまた、人を見る目のある賢しい少年だ。
    『だがそれでも、父親に対しては見切ることが出来なかった。捨てられるまで愛され
    たいと願わずにはいられなかったんだな』
    人の感情こそは御し難い。知恵や理性の手綱を付けたところで、暴れ出せば全て振り
   ちぎる。そのありさまは何かに似ているような気がするのだが―と、彼は考える。が、
   今はうまく言い表わせる言葉が見つからない…。
    「明るくなってきたね」
    細く切り取られた頭の上の空を仰いで、マヤがつぶやいた。街に上陸した時にはまだ
   暗かった上空が、今は白み始めている。未だ闇の名残が残るこの路地も、もうすぐ互い
   の顔が見極められるぐらいになるだろう。
    ―ザワザワザワ…と、通りの方から大勢の動いてゆく気配が伝わってきた。
    引っ込んだ場所より首を出してゼネスが様子をうかがってみると、あちこちの路地か
   らより広い道へ、顔を隠した者らが列を作るようにして続々と歩いている。
    彼らの進む方向は一定で、揃って船着き場方面を目指していた。売人ならぬ"買人"
   たちは夜明けとともに引き上げるものらしい(とはいえネズミの襲撃を恐れるセプター
   らは、引き上げずにこのまま街に留まっているのだろうが)。
    情報屋はなかなか帰って来ない。四人が待つうちに空はますます明るさを増し、もう
   「夜明け」から「朝」の時間帯に移った。街からもだいぶ人気が減り、密やかな賑わいは
   落ち着いている。あとは不夜を返上してしらじらした静けさの中、けだるい眠りにつくだけ
   という様子である。
    そこへ、カツカツと急ぎ走ってくる靴音が響いた。
    「待たせたな!」
    ハサンだった。顔が明るい、良い情報(しらせ)を持ってきた証拠だ。
    「ネズミのカードを売った奴は見つかったぞ」
    白い歯を見せ、金の袋を差し出す。
    「これだけ残った、オレはもう代金を受け取ったから、あとは釣りだ」
    袋はもとから四分の一ほどのふくらみに変わっていた。情報は金を食うものだが、釣り
   をきちんと返すところに彼の"信用"を重んずる姿勢がうかがわれる。
    「案内をしよう、ついて来てくれ」
    情報屋を先頭に、四人は再び迷路のような細い道をたどり始めた。

    「ここの地下だ」
    彼らが連れてこられたのは、とあるしもた屋の前だった。扉は固く閉ざされ、「貸家」の
   木札が打ちつけられている。
    「どこから入るの?」
    マヤが訊くとハサンはニッと笑い、
    「裏手に回る、話はもうつけてある」
    そう言って、隣りの建物との境い目にある小さな木戸を押し開け、くぐった。四人も彼
   に習って続く。
    細い細いスキ間をほとんど横歩きしながら進むと、狭い裏庭に出た。しもた屋の勝手口
   が見える。ハサンがカギを出して戸を開けると、そこには地下に通ずる階段があった。
    一行は階下に降りた。地下の空気は冷やりと湿っぽく、よどんでいる。薄暗い中に浮く
   地下室の灰色の扉をトントンと叩き、情報屋が声を掛けた。
    「シャヒル、いるな、情報屋のハサンだ、あんたの客を連れてきた。
     オズマのネズミについて知りたいと言っている、会ってやってくれ」
    少しの間を置き、扉が細く開いた。用心深げな中年の男の片目がこちらを覗く。
    「…尾けられてはいないだろうな」
    押し殺した声で、問う。
    「大丈夫だ、心配いらない」
    ハサンが請けあうとようやく、人が入れるほど扉が開けられた。
    そこに立っていたのは四十がらみの男だった。淡い茶の髪には白髪が混じり、げっそり
   とやつれた顔つきをしている。ほほにもアゴにも不精ヒゲが伸び放題で服は薄汚れ、やや
   臭った。どうもしばらくこの場所にこもりきりで暮らしているらしい。
    「じゃあ、案内が済んだからオレはこれで帰るよ。シャヒル、上の戸はオレがちゃんと
    カギを掛けとくから、お客を帰す時にはあんたがまた開けてやってくれよな」
    それだけ言ってハサンはヴィッツに軽く手を振り、さっと踵(きびす)を返した。
    腕こきの情報屋はさすが去り際もさっぱりときれいなものだ。
    四人は地下室に入って戸を閉め、今度はゼネスがやや大きな呪文の灯を点けた。明るく
   照らされた部屋の中で、少年が顔を隠していた赤いストールを取り去る。
    「オレはヴィッツ、ネズミ遣いオズマの甥だ。ヤツを捜してる、連絡(つなぎ)のつけ方
    を教えてくれ」
    中年男は目の玉を飛び出すばかりにひん剥いた。
    「ゲッ…!!
     オシアス(ヴィッツの父の名)達が殺られたのは俺のせいじゃねえ、俺は何にも知ら
    ねえでネズミのカードを渡しただけだ、助けてくれ!」
    強い恐怖のあまりへたり込み、引きつった顔をしてブルブル震えだす。
    「あんたに何かする気はない、だいたいこの街じゃ誰が何を売ろうと買おうと、横から
    一切口を出さないのが決まりじゃないか」
    あきれたように眉根を寄せて、少年が男を見下ろす。
    「それが…今度ばかりはそうでもねえんだ。セプターの奴ら、オズマにネズミを売った
    俺を逆恨みしやがって狙ってやがるんだよ。ほとぼりが冷めるまでは危なくって、ここ
    を出られたもんじゃない」
    最後は泣き声になってこぼす。湿地のセプター達もネズミ集団の破壊力に恐れをなして、
   だいぶ被害妄想に駆られているようだ。
    「おっさん、オイラ達は一応、ネズミに対抗できそうな手立ては考えて来てんだよ。
    まずはあんたが何時、何枚のネズミをオズマに渡したのか、そこんとこから教えちゃ
    くんないかねえ」
    ロメロが男の目線までしゃがみ込み、気さくな調子で尋ねた。聞いた彼の目の色が変わ
   り、ガバと若い男の手にすがりつく。
    「そりゃホントか!だったら話す、話すぜ!
     ―俺はシャヒル、カードの売人をもう長いことやってる者だ(ここでゼネスの片眉が
    不快そうにピクリと跳ね上がったのは言うまでもない)。
     オズマから"話"があったのは、二ヶ月ばかり前だった。奴がこの街にフラリと現れ
    て俺に持ちかけたんだ。『カードを何枚か売りたい、ただし欲しいのは金じゃあない、
    ネズミのカードだ。対価としてふさわしいだけの数のネズミと交換したい』てな。
     最初聞いたときにはビックリして、こいつ気が違ったかと思った」
    カード売人はそこでいったん言葉を切った。一息ついて、
    「でも、奴はその時交換したいというカードを実際に持ってきてたんだ…それ見て二度
    ビックリだったぜ。なにしろ"テンペスト"に"メテオ"(隕石を落とす呪文)に"アース
    シェイカー"(大地震を起こす呪文)、それと火竜クラスの強力なクリーチャーカードが
    合わせてざっと十数枚はあったんだ。全部本物だった、俺も確かめる手が震えたな」
    その時の興奮を思い出したのか、男はややうっとりした面持ちにになる。が、すぐまた
   真顔に戻った。
    「思えばその時すでに奴は一度、所属先の国からカードを持ち出していたんだろうな。
    どうやってごまかしたのかはわからねえが、カードの管理に甘いところがあってそこを
    突いたのかも知れねえ。
     とにかくその一件で俺はネズミのカードを集めて交換する約束を交わしたんだ。
     それから俺は、せっせとネズミを集めだした。まあ、とはいってもあんまり目立った
    やり方をすると怪しまれるから、注意深く立ち回りはしたがね。
     ネズミなんてどこでも二束三文でダブついてるシロモノだ、根気良くあちこち回ったら
    そうさな、三千枚がとこはあつまった。正確な数字?う〜ん、三千と…二百数十枚って
    ものだったかな。
     とにかくそれだけは集めて、俺は奴からの連絡を待ったんだ。『しばらくしたらまた
    声を掛ける』と言われていたんでね」
    ここで彼は再び言葉を切り、部屋の隅まで行くとそこに置いてある桶から柄杓(ひしゃく)
   で水を汲んで一口飲んだ。
    「貴様はオズマが見せたカードの出所については気にしなかったのか」
    ゼネスはあきれ返るあまり、思わず尋ねた。亜神である彼にはカードの売買はもちろん、
   その出所由来さえ問わずに商品としてのみ評価するという感覚が、どうにも肌に合わない。
    「ここでそんなことを問題にする奴はいねえ。確かに在りさえすれば、全てのモノは
    交換のネタになる。大事なのは、ネタが本物かガセかだけだ。
     素性なんてものは、この街に入った時点で全部消える。その代わりここで交換を持ち
    かける以上は、必ず本物でなけりゃあならねえ。それが街の鉄則だ。
     俺はガセなんてやっちゃいねえ、なのになんでこんな目に遭うんだ、くそっ。
     …話がそれたな。
     奴からの連絡を待ち続けて痺れを切らしかけた頃に、ようやく来たんだ。―ネズミが」
    「ネズミだと!」
    ヴィッツが問い返す、男は首をすくめた。
    「ジャイアント・ラットそのものさ、それも何だかオズマみたいな目つきをしやがった
    いやに人臭いネズミだった。そいつが闇の路地から出てきた時には、俺もさすがにいい
    気持ちはしなかったがね。
     でも、そのネズミが以前見せられたカードを持って来たんだ。包みに入れたのを咥えて」
    「それで貴様はネズミのカードを渡したのか」
    今度はゼネスが問う。
    「ああ、俺が知ってるのはここまでだ」
    カード売人は手の甲で額をこすった。
    「じゃあ、伯父貴の行方や連絡の方法はわからないんだな」
    少年が肩を落とす。若い男がその肩に手を置いて、
    「まあ、それでも事情が少しは飲み込めたじゃねえか」
    なぐさめかけた時…
    「バタンッ」と上の方で慌しく戸が開く音がした。継いで転がるように忙しく駆け下り
   てくる足音、それは扉の前で止まり、ドンドンと地下の戸を叩く。
    「大変だ、ヴィッツ、ネズミが出た、大群だ、早く逃げろ!」
    ハサンの声だ、かなり切迫している。
    「ネズミ?!」
    ヴィッツがすぐさま扉に駆け寄り、開けた。勢いあまったハサンが中に転げ込む。
    「どうした!ネズミだって、どこだ!」
    膝を突いて問う少年。若者は飛び起きた。
    「逃げろ、ネズミだ、オズマだ、きっとお前を狙ってる!あっちからこっちから出てきて
    皆んなパニックだ」
    「行くぞ!」
    ゼネスが部屋から飛び出し、階段を駆け登った。外の裏庭に出て、隣家との境に立つ塀
   の上に躍り上がる。そこを足場にさらに跳躍を決め、屋根の上へと降り立った。
    見渡すと、街の所々から火の手が上がっている。チラチラと紅い影が揺れ、もうもうと
   上空高くまで黒い煙の柱が立ち昇る、五、六本は見えた。炎が呼ぶ風が吹き、風のまにまに
   逃げ惑う人々の叫喚の声が響いて聞こえる。
    「チッ、どっかのバカがネズミを追い払おうと火を放ったな。こんな建て込んだ場所で
    自殺行為だ。
     ここにいるはずのセプターどもは何をやってるんだ?」
    ぐるりっと見回すと…なんと、数多くの飛行クリーチャー(飛竜、天馬はもちろんグリ
   フォン、ガーゴイルの姿もあった)が空に浮き、街を後にする光景が目に入った。さらに
   湖面の上にも、サイクロプス(一つ目巨人)や嵐の巨人などの大型クリーチャーが去って
   行く後姿が見える。
    街に集まっていた湿地のセプター達は、ネズミの襲撃にわれ先と退避しているのだった。
    「役に立たん奴らめ!」
    思わず毒づく彼の耳に、
    「ゼネス、広場に行こう!ネズミを止めよう!」
    マヤの声が聞こえた。それは凛然と決意を込めて響く。
    「天馬を出せ、一気に飛ぶぞ!」
    地上に飛び降り、ゼネスはカードを都合三枚掲げた。

前のページに戻る 続きを読む
 「読み物の部屋」に戻る