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      『 カルドセプト ―"力"の扉― 』
 

       第6話 「 焦がれる者 (後編) 」 (1)


    「ヴィッツ、そっち、そっち行ったよ今!」
    「見えてる、まかせろ!」
    少年が両腕を勢いよく川の中に突っ込んだ。
    バシャンッ!
    大きな水音が上がる。そしてすぐさま立ち上がった彼は、ビチビチ尾を振る大きな魚を、
   肌脱ぎした胸にしっかりと抱え込んでいる。
    「やったねえ、これで三匹めだ」
    マヤの歓声、二人とも満面の笑顔。魚は逃れ出ようと必死に身をもがくが、少年は手を
   えらぶたに突っ込んで放さない。慣れた扱いである。
    「さすがは湿地育ちだなあ、いや大したモンだ」
    ジャブジャブと水の中を歩きながら、少女の後ろからロメロも近づいてきた。彼とマヤ
   との二人して、川の淀(よど)みからヴィッツの待ち構える浅い場所へと魚を追い込んだ
   のである。
    「今日はこれでお腹一杯食べられるね」
    「ヴィッツ様さまだな、ここんとこアゴがくたびれるようなモンしか食ってねえからさ、
   ホントありがてえや」
    若い男はそう言いながら腹をさすり、
    「もう腹(ここ)の虫が鳴いてやがる」
    苦笑した。
    ―だが、
    「お前ら、よくもそんなに呑気に構えていられるな」
    一人岸辺に座り込み、不機嫌な顔をしているのはゼネスだ。
    彼は、昨晩は夜通し山の中を歩きながらずっと、ネズミ対策に頭を悩ませていた。こん
   なにも長い時間、作戦を考え続けた経験はあまり覚えがない。それでも良いと思える案は
   ついに浮かばず、一眠りして起きた今もなんだか額の辺が重いのだ。
    「ネズミをどうするかは、ここにいる全員の問題なんだぞ。俺にばかりまかせて遊んで
   いないで、少しはお前らも考えろ」
    渋い表情で、注意というよりはほとんど苦情を述べる。
    「遊んでるわけじゃないよ、魚捕りだよ。街まであと丸一日は歩かなくちゃいけないの
    にもう食べるものがないんだから、これは大事な仕事なの。
     お腹すいたまんまじゃイザという時に動けないし、いい知恵だって出ないと思うよ」
    川から上がりながら、マヤが口を尖らせる。けれど、
    「三人がかりでやるほどのことか、俺には遊んでるとしか見えん」
    彼は挑発めいた言辞を口にした。
    ―「皆で考えればいいよ」―
    そんなことを言っていた彼女だが、昨晩は考えあぐねる師の傍らでロメロに諸国遍歴話
   をせがんでばかりいた。そうして休んだ後は、他の二人と魚捕りに興じている。ゼネスに
   は全く気に入らない事ばかりで、彼の機嫌はすっかりねじ曲がってしまっているのである。
    それに対し、
    「何その言いかた、結構大変なんだよ、魚を捕るのも。皆んなで頑張ったから大漁なのに、
    そういうこと言うならいいよ、ゼネスにはあげないもんね、お腹空かしてればいいんだもんね」
    弟子もまた師に憎まれ口を叩き返す。
    ―と、
    「まあまあ、ケンカは止めにしとこうぜ。この先生がオイラ達の頼りじゃねえか。
     済まなかったなあ、お師さん。オイラも少ぉしうまいモン食いたくってさ、つい夢中
    になっちまった。
     あんたにばっかり頭絞らせるつもりはねえんだ。腹の虫がおさまったらキッチリ考え
    るからから堪忍してくれや、な」
    愛嬌のある笑顔を見せながら、ロメロが仲裁に入る。師弟はまだ互いにそっぽを向いて
   いたが、てんでにその言葉を耳には入れていた。
    マヤは、ややわざとらしく若い男のほうを向き、
    「ロメロは魚のウロコを取っといてくれる、私はヴィッツと葉っぱを摘むから。大きな
    葉っぱで包んで蒸し焼きにして食べよう」
    提案した。
    その意見に、調子のいい男は口笛で応えた。ゼネスでさえ、不覚にも生唾(ツバ)が湧く
   のを禁じえない。食事らしい食事は全く久しぶりだ。
    だが魚を抱えたまま岸辺に上がってきた少年は、目を真ん丸くして師弟の様子を見ている。
    「ハハハハ、ヴィッツはこのお師匠と弟子のやり取りが珍しいんだとさ。
     そりゃまあ、セプターってもんは上下の序列にやかましいのが普通だからなあ、ビックリ
    すんのも無理ねえや。でもこのお二人さんはいっつもこんな調子なんだぜ。言いたい事
    言いあって清々しいもんだ。お師さんの度量のおかげかね、こりゃ」
    ロメロは楽しげに言った。彼はこのことをさして含むところもなく口にしたのだろうが、
   聞いたゼネスはしかし、忸怩(じくじ)たる気分になる。
    マヤに対し、彼が本当に伝えたい言葉を面と向かって言えたためしなどまだ一度もない。
   その上、自分の手の内に納まり切らない彼女を強引に支配しようと目論んだことさえある。
   「度量が広い」などと褒められたところで、ただ愧(は)ずかしい。
    「止めてくれ、そんな言い方は」
    思わず顔をそむけ、ため息をつく。
    若い男は竜眼の男のそんな複雑な表情をしばらく興味深そうに見ていたが、やがて少年
   へと注意を向けた。岸に上がったヴィッツは今しも暴れる魚を押さえつけ、頭の後ろを石
   で打ってしめたところだ。
    「やあ、そいつも大人しくなったな。あとの下ごしらえはオイラがやっとくから、お前
   さんは葉っぱ採りに回ってくれや」
    少年はうなずき、立ち上がると待っているマヤに近づいていった。彼女は岸辺に近い林
   の中でも、ひときわ大きな木の下にいる。
    「手伝ってくれるんだね、これ…使える?」
    一枚のカードを示し、差し出す。
    「何だ?―黄色っぽい毛の…リスみたいなヤツだな」
    受け取ったカードを手に、彼が目を細めながらつぶやいた。
    「ああ、"見える"なら大丈夫だね。それは"カーバンクル"だよ、出してごらん」
    言われて、ヴィッツは手にしたカードを掲げた。白く明るい輝きが、午後の濃い木の下
   闇(このしたやみ)の中に生まれ出る。それはすぐに、小さな獣の形をとった。
    黄色い和毛(にこげ)に包まれた敏捷な体はリスよりやや大きく、ウサギよりは小さい。
   自身の体長を越える長いふかふかした尾を打ち振っては、ピンと立ったふさ毛付きの耳を
   ピクピク動かす。大きな黒い眼と眼の間にある、宝玉のような赤い突起が美しい。
    「うわ…!」
    少年が目を見張った。
    「いろんな匂いがする…音も…」
    「カーバンクルは人よりもずうっと敏感だからね。
     クリーチャーのカードを使うのは、初めて?」
    少女に尋ねられると、少年はやや顔を赤らめて「うん」とうなずいた。
    「じゃあビックリするよね、クリーチャーを遣ってみるとものの感じ方がずい分違うから。
    でもそれが楽しいんだ、ヴィッツならすぐに慣れると思うよ」
    やさしい笑みをたたえ、マヤは言う。少年の黄色い小獣は地面に立ち上がり、黒い丸い
   眼をくりくり動かしながら盛んに周囲を見回していた。時おり鼻ヅラも持ち上げ、クンクン
   と匂いを探る。初めて経験する感覚にいささか興奮気味の様子で、首すじから背中にかけ
   ての毛が逆立っている。
    少女もカードを掲げ、同じクリーチャーを呼び出した。
    「カーバンクルは小さいけど、あの額の石で呪文の攻撃を跳ね返せるんだよ。
     さあ、この木の上まで登って葉っぱを摘もう」
    目の前に立つ木の梢を指差すと、彼女の黄色い小獣は太い幹を覆うザラザラした木肌に
   爪をかけ、サッサッと軽快に登り始めた。
    ヴィッツはしばらく真剣そのものの表情でその動きを見つめていたが、やがて彼のクリー
   チャーもまた幹に取り付いて登り出す。しかしこちらはそろりそろりと、まるで巣穴から
   初めて顔を出した幼い獣のような、慎重かつぎごちない動きである。
    「こんな小さいヤツでも、いざ遣うとなるとけっこう大変なんだな」
    額にうっすら汗しながら、つぶやく。
    「はじめて遣うクリーチャーって、いつもの感覚と違うからホントにドキドキするよね。
     でも私も、カードをいろいろと使いだしたのってつい最近のことなんだ。先生につく
    までは、"力"はただ戦うために使うものみたいに思えて好きになれなかったから。
     それでもね、ちゃんと教えてもらったら少しずつだけど楽しいって感じられるように
    変わってきたんだよ。
     遣うクリーチャーによって感じ方が違うのが面白いなあって、同じ世界の中にいるの
    に、いろんな見え方や受け取り方があるんだなあって。
     ああ…そうだ、案外こんなことが大事なのかもしれない。セプターがカードを使う上
    での、大事なことなのかもしれない。
     君と話してると、モヤモヤしてた考えがしっかり形になっていくみたいだ、嬉しいな。
    やっぱり一緒にいてよ、ヴィッツ」
    少女のクリーチャーは一番下の枝の上に立ち、仲間が登ってくるのを待っていた。少年
   のクリーチャーは少しずつ、少しずつ足取りに確かさを加えながらついに最初の枝にたどり着く。
    すると再び手本を見せるかのように、少女の小獣がさらに上の枝に跳んで乗った。少年
   の小獣もすぐに後を追う。二体の黄色い小さな姿が、次第に梢と葉の向こうへと遠ざかる。
    しばらくすると、
    「あっ!」
    ヴィッツが声を上げた。
    「枝の上の方ってすごく明るいんだな、初めて見た。目の下が葉っぱや枝ばっかりで地面
    なんて見えない、宙に浮いてるみたいだ」
    クリーチャーの感覚が流れ込み、彼は大きく目を見開いていた。黒い瞳に生き生きした
   光が満ちあふれている。
    「それとなんか、甘いような匂いもするな。…花だ、花がたくさん咲いてる、花畑だ」
    「こういう背の高い木の花って、上のほうの一番外側の枝先に咲くんだよ。お日様の光
    がよく当たるし、鳥や虫も呼びやすいのかも。
     林の下側はこんな薄暗いのに、枝先は光がいっぱいで花も咲いてて、ウソみたいだよね」
    少女が少年に説明する。二人ともに梢の彼方を透かし見て微笑を浮かべ、黄色い小獣に
   乗せた心を宙に遊ばせている。
    「あ、そうだ、葉っぱを摘まなくちゃね。
     ヴィッツ、できるだけ柔らかそうなのを一枚採ってくれる?」
    「わかった…うわっ、この葉っぱ、いい匂いがするんだなあ」
    驚きを口にする彼の顔は今、出会いの頃には思いも及ばなかったほどに明るく素直だ。
   これが本来のヴィッツ少年なのだろうか…と、ゼネスは考える。
    やがて、二体の黄色い獣は各々葉を咥(くわ)えて幹を伝い、地上に降りてきた。少年の
   小獣の動きはもうかなり軽やかとなり、危なげない。
    「君は慣れるの早いねえ、クリーチャー遣うのに向いてるんじゃないかな。
     どう?ゼネス」
    急に訊かれてやや驚いたが、彼は
    「ああ、そのようだな。魔力は少なくとも、お前は確かにクリーチャーを遣う感覚に優れ
    ている。修行次第ではかなりの遣い手になるだろう」
    正直に思うところを述べた。ただ、『さすがはあのネズミ遣いの縁者』との感想だけは
   差し控えたが。
    ヴィッツは自分のところに戻した小獣から大きな葉(それは彼自身の手のひらの五倍は
   あった)を受け取り、少女に渡した。
    「ありがと、魚は三匹だから、後二枚ずつはいるかな。続けて採ろう」
    二体の黄色い獣は再び木の幹をよじ登り…、そうして彼らは地上と高い梢の間を合計で
   三度往復した。
    マヤの手に三枚目の葉を渡すと、少年はしばらくの間自分のカーバンクルをじっと見つ
   めた。小さな獣は今は落ち着き払い、地面の上にちょこんと座り込んでいる。
    「こんな可愛いクリーチャーだったら、ヴィルムのやつも喜んで遣ったろうにな」
    ふと、もらす。
    「ヴィルムって?」
    「弟だ」
    少女の問いに、彼は沈んだ声で答えた。
    「弟くんはどんな子だったの。良かったら、聞かせて」
    そっと静かに、いたわるような口調で彼女は再び尋ねる。
    ヴィッツは黄色い獣の頭をなでながら、答えた。
    「弱虫で泣き虫で、自分が出したクリーチャーに自分でビックリして逃げ出すような奴
    だった。魔力は高かったけど、そんなだから親父にはいつも臆病者呼ばわりされて…、
    セプターには向いてなかったのかもしれない。
     でもオレ、あいつのことよくイジめたんだ、うらやましくって憎たらしくって、可愛
    がった覚えなんてほとんどない。あいつは、あいつの方じゃ五年前にお袋が死んじまって
    るし、オレのこと頼りにしてオレの後にばかりくっついて歩いてたのに。
     いい兄貴じゃなかったんだ、オレ。だから本当に殺されたんだとしても、敵討ちだなん
    てとても言えない」
    少年の重い告白。マヤもゼネスもロメロも、彼に掛けるべき言葉が見つけられずにしば
   らく黙りこむ。
    魔力は低いがクリーチャーを使う能力には秀でる兄、その一方で、魔力は高いがクリー
   チャーを恐れる弟。運命の廻り合わせはままならない。
    ややあって、ロメロがようやく声を掛けた。
    「男兄弟ってのは結局はライバルだもんなあ、お前さんの気持ちもわからないわけじゃ
    ないや。オイラなんか五人兄弟の真ん中だったもんでね、上からも下からも角突かれて
    そりゃあキツかったぜ。
     まあ…さ、先のことわかる奴なんていやしねえんだ、気に病むなよヴィッツ。何しろ
    お前さんは、弟の分までしぶとく生きのびなきゃいけねえんだぜ。
     辛い思い出でも、今は大事にしまっときな。会えなくなった人のことは忘れちゃいけ
    ねえ、心ン中に棲みついてもらえりゃあ、きっとお前さんを支えてくれるようになるさ」
    温かい言葉だった、それは確かな励ましとして少年に届いたようだ。小獣に落としていた
   視線を上げ、ヴィッツは若い男の顔を見返すとゆっくりとひとつ、うなずいた。
    マヤもホッと安堵のため息をつく。
    「少し元気出た?食べればもっと元気出るよ。葉っぱも摘んだしそろそろ魚を蒸し焼き
   にしようか」
    そう言うと、彼女はてきぱきと調理の準備をはじめた。

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