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       第6話 「 焦がれる者 (後編) 」 (2)


    「さーて、そろそろかなあ…」
    焚き火の熱い灰の中から、マヤは木の棒の先で泥の固まりを三つ掻き出した。これは例
   によって魚を葉に包み、泥を塗りつけて灰の中で蒸し焼きにする調理方法である。
    周囲の乾いた泥を落として葉を開くと、盛大な湯気と共に爽やかな甘い芳香が立ち昇った。
   少女がナイフの先で魚の身をつつく。黒っぽい皮はたやすく破れ、ほくほくした白い身が
   顔をのぞかせた。よく脂が乗っている、男三人がいっせいに唾を飲み込む。
    「はい、食べて食べて」
    彼女が言うが早いか二本の手が伸び、さらにもう一本の手もやや遅れて突き出された。
    「うわ、熱ちちっ」
    「やだな、手づかみなんかするからだよ、ナイフで切り取って食べなよ」
    大きな魚三匹は、こうしてさっさと四人の胃の腑の内におさまってしまった。
    「ああ〜、食った食った。人心地(ひとごこち)ついたなあ」
    満足げに言いながら、ロメロが岸辺の草の上にドサリと足を投げ出した。
    「そんじゃあお師さん、約束だ、ネズミのこと考えようじゃないか。
     ―つっても、こン中で一番戦いに慣れてるのはあんたのハズなんだ、何がそんなにも
    難しいんだね」
    この質問に、ゼネスは顔いっぱいの渋面を作る。
    「ネズミ集団の一番厄介なところは、奴らの攻撃は"面"で来るのに、こっちの攻撃は
    "点"にしか当たらないということだ。
     ネズミの側は、とにかく千単位の数でいっせいに齧りついてくる。それなのに襲われた
    側は、反撃するにしても一度の攻撃でせいぜいネズミ数匹しか相手にできない。しかも、
    向こうの数はすぐに盛り返していっこうに減らないんだ。
     これでは、たとえ大型クリーチャーを数体出してもいずれは数の力に押し切られる。
    まずはこの"面"の攻撃にどう対抗するか、それを考え出さないことには一歩も先に進めない」
    そう答え、口をへの字に結んだ。昨晩からずうっとこんな顔つきをし続けているため、
   彼の顔面の筋肉はいささか疲れてこわばり気味だ。
    「ふ〜ん、"面"かあ、なるほどなあ。
     それに対抗しようってんなら、やっぱりこっちも"面"でいくのがいいんじゃねえのか。
    そうすっと、呪文のカードになるかね。"テンペスト"や"カタストロフィ"の連発とかさ。
    まあ、あんた方が持ってればだけど」
    手でアゴをひねくり回しながら、ロメロが提案する。だがゼネスは首を横に振った。
    「カードならある、だが難しいな。
     呪文のカードだけで対するとなると、結局は互いの魔力勝負だ。どちらが先にカード
    から"力"を引き出せなくなるか―だからな。
     しかし相手の魔力の程度がどれほどか、見当つかないような状況でそんな賭けをする
    など、あまり賢いやり方じゃない。
     第一、強力な呪文を同じ場所であまり何度も続けて使ったりすれば、世界の構成バラ
    ンスが崩れる可能性さえある、危険すぎる」
    「だったら…」
    今度はマヤが口をはさんだ。
    「前みたいに"停止"の呪文で群れの動きを止めちゃって、その間にセプターを捜せば
    いいんじゃないの」
    「バカを言うな」
    師は眉をひそめて弟子を見やった。
    「これはセプター同士の戦いなんだぞ、カード以外の呪文を使うなどあるまじき行為だ、
    反則だ、セプターの名折れもいいところだ」
    強い口調でたしなめる。
    「ふ〜ん、でもなんか、やっぱり意地なんだね。ゼネスも何だかんだ言ってるけど、ヴィッツ
    の伯父さんて人が使ってるのがネズミのカードだけだから、自分もクリーチャーのカード
    だけで相手したいんでしょ。ねえ、そうなんでしょ」
    ジロリ、という目つきで弟子も師の顔をまともに見返してくる。
    『―こいつ!』
    図星だ…と、彼も内心認めざるを得ない。ゼネスはもともとが、クリーチャーを操っての
   戦いに強い感興を抱くセプターだ。呪文カードのみで相手を屈服させるなど、全くもって
   "趣味ではない"。
    もしも勝つことだけが目的ならば、魔力の高さにおいて並ぶ者のない(と思われる)彼の
   弟子に、さっさと『呪文カードを連続で使え』との指示を出しているだろう。しかしそん
   なことは、彼の趣味性が断じて許さないのだ。
    マヤの言う通り、ゼネスはあくまでクリーチャーのみでネズミ遣いに対したいのだった。
   ずっと考えあぐねているのも、もっぱらそのためなのである。
    「ハハハ…でもしょうがねえよ、男から意地ってもンを抜いちまったら何にも残りゃし
    ねえ、ペシャンコさ。そこんとこは大目に見てもらわねえとなあ」
    ロメロが助け舟を出した。しかしこれは際どい物言いだ、マヤが男ではないとバレるの
   ではないかとゼネスは気になり、それとなくヴィッツの様子をうかがった。
    が、彼は彼で地の上に目を落とし、じっとして考え事にふけっている。今の言葉はそれ
   ほど注意を引かなかったようだ―と、ホッとする。
    「でも、どうしてわざわざネズミなんだろう、それもすごい数で。
    オズマって人は、今は魔力がうんと高いんでしょう。だったら大型の強いクリーチャー
    をいくつか遣ったり、ロメロがさっき言ったような力の大きな呪文を使ってもいいはず
    なのに。
     遣うクリーチャーの数が多くなればなるだけ、集中力が必要だってゼネスから聞いた
    ことがあるよ。自分に負担がかかってもネズミを群れで使うって、そうまでしてこだわる
    のはやっぱり、意地なのかな」
    「オレも今、それを考えてた」
    地面を見つめたまま、ヴィッツが言った。
    「ネズミを使うのはきっと、意地というより執念なんだ、ネズミが伯父貴そのものだから。
    それで、ネズミをバカにしてた奴らにネズミの力を見せつけるつもりなんだと思う」
    彼の見解はゼネスにも深くうなずける。
    「ネズミに賭ける執念か、確かにそうでなければ実現できないことだな、あれは」
    クリーチャーの集団運用、それは限りなく不可能に近い用法であるはずだった。無数に
   分裂した意識と感覚を統御し続ける―そんなことがどんな人間(亜人種も含めた)にできる
   というのか。あまりにも多くのクリーチャーを展開したところで、使い手が個々の動きを
   統括できなければ、いずれ目的のはっきりしない散漫な行動を繰り返すだけに違いないのだ。
    しかし、ネズミ遣いは実現してしまった。それもすこぶる高い次元で。
    ゼネスが目の当たりにしたネズミの群れは、決して烏合(うごう)の衆ではなかった。
   点の集団は常に、全体が一個の生き物であるかのようなスキのない動きを見せ、獲物を
   包囲しては確実に「片付けて」いった。彼は確かに不可能を可能にしてみせたのである。
    「あのネズミの集団の核にあるのは、セプターの強い意志の力だ。ネズミ遣いはことに
    よると、ネズミこそが最強のカードだと証明するためにこそ、多大な魔力を手に入れた
    のかも知れない。
     もしそうだとすれば、ますますもって手強い相手だ。カードの力は常に、セプターの
    精神を反映する。強い信念によってカードの可能性を拡張しようとする奴こそが、いつ
    だって最も恐ろしいセプターなんだからな。
     そういうセプターを相手にするなら、こちら側もそいつ以上にカードの力の可能性を
    開くことで対抗しなければならないだろう。意志の力には意志の力で立ち向かうしかない」
    言いながらゼネスは、肚の底からふつふつと熱い震えが湧き上がってくるのを感じていた。
    戦いたい、ネズミ遣いと今度こそ正面きって相対したい。先日はあまりにも思いがけない
   展開につい戦慄の方が先に立ってしまったが、今は違う。ネズミ遣いの精神に打ち克(か)とう
   と、考えるほどに彼の闘志は激しく燃え盛ってくる。
    だが、
    「"カードの可能性を開く"ってのは、そりゃあもちろんのことだ。セプターは本来そう
    あるもんだと、オイラも思ってるよ。
     ―で、お師さん、心構えはそれでいいとして、実際どういう"手"で行くんだね?
     スペルを使わない理屈はわかったけど、クリーチャーだけで対抗すんのは正直、キツく
    ないかい?悪いけど、使えそうな手なんざオイラ全然思いつかねえや」
    ロメロが珍しく、かなり難しい顔になった。そしてゼネスの方も、問題の厳しさに再び
   直面してややうんざりした心地になる。
    闘志を燃やすのはいい。が、しかし、その闘志を込めて表現すべき"手段"が見つからない
   ままでは何もできない。誕生したもののカッと燃焼しきるすべのない炎が彼の胸の内で
   わだかまり、ぶすぶすといら立ちの声を上げる…。
    「むむ…くそっ!」
    思わず、草の上に大の字となって寝転がった。亜神とも思えぬ行儀の悪さ、だが焦りと
   もどかしさばかりが空回りする今の彼には、そんなことを気にするほどの余裕も無い。
    大きく一つ息を吸う、と、体の下敷きになった草いきれが匂う。
    頭の上からは木漏れ日が降ってくる。午後の陽射しはもうだいぶ傾きながら、なおも
   梢を透かしてまだらの光を川岸に投げかけてくる。
    風が穏やかに林の中を抜ける。さやさや、さやさやと木の葉をそよがせ、ちらちらと
   花を揺らす。悩みなどなければ、気分が解けて木々の息吹と一体になれるのではないか
   と思えるほどにいい陽気だ。
    しかしこの爽やかな風光も、今は四人を楽しませることは出来なかった。皆みなただ
   唇を結び、難しく押し黙ったまま考えあぐねている。
    やがて、マヤも師に習い、パタンと仰向けに寝転がった。
    「あ〜あ…もう考えるの疲れちゃった…」
    ほとんど無意識のつぶやきをもらし、物憂げなまなざしを上の梢に向ける。
    彼女はそうしてしばらくぼんやりと見上げていたが、ふと我に返ったようにその瞳孔が
   大きく広がった。
    「すごいなあ…あの若葉。何か、破裂するみたいに枝から吹き出して伸びてるよ」
    弟子の声につられて、師もまた眼を梢に向けた。確かに、林の木々はどの枝も一斉に
   新緑の季節を迎えている。
    見れば、濡れたようにみずみずしい葉、白く粉を吹いたような葉、種類ごとに微妙に
   色の違う若葉が先を争って成長の盛りにあるのだった。
    それらは伸び広がる姿もまた様々だ。球が割れるようであったりツンツンと槍の穂先
   のようであったり、思い思いのやり方で枝の中から外へ、外気へ、陽光へと吹きだし伸び
   上がり、各々の体をいっぱいに開こうとしている。
    「きれいだなあ…息するとからだの中まで緑色になりそう。でも、今までずうっと気が
    つかずにいたんだね、私たち」
    ため息とともに言う。
    そういえば―と、ゼネスも気づいた。ここ数日はあまりにも様々な問題が立て続けに
   起きて、彼自身もゆっくりと周囲の様子を確かめるゆとりを失っていたということに。
    『こんな体たらくでは、どんな戦いにだって勝てるはずがないな』
    自嘲気味の苦笑を浮かべ、彼はあらためて梢の若葉に見入った。ロメロもヴィッツも、
   同じように静かに枝を見上げ、眺めている。
    「木や草は動物みたいに自分から動いたりはしないけど、こうやって葉っぱや枝が伸び
    たり花が咲いたりする時の勢いってすごい。私、薬草や毒草のこと少しずつ勉強したり、
    農家のお手伝いで作物の手入れや草取りなんかしたことあるから知ってるよ」
    うっとりと緑の色を楽しむように見上げつつ、少女は話を続ける。
    「若い木や草は一日でビックリするほど伸びることがあるし、大きく育った木でも生き
    てる限りは毎年毎年新しい葉を出して枝を生やすものね、見ててホントに面白い。
     それでよく思うんだけど、ああして芽を吹き出したり、葉や枝を伸ばしたり広げたり
    するのってどういう"感じ"なんだろう?気持ちいいのかな、木や草は。
     きっと気持ちいいんだろうね、でないとあんなにスクスク伸びたりはできないよね。
    植物のクリーチャーを遣ってみればわかるのかな、そういう時の木や草の感じ方が」
    ―そこまで言った時だった。
    「それだよ!」
    突然、ロメロが大声を上げた。他の三人は驚いて彼を見る、若い男の顔は興奮のあまり
   紅潮している。
    「老柳(オールドウィロウ)だよ、老柳を持ってるかね、それがあればネズミどもを抑え
    こめるんじゃないか」
    目をきらきらと輝かせながらゼネスに向き直った。
    「老柳だと?あんな木のクリーチャー、ただ突っ立ってるだけでロクな攻撃もできない
    シロモノだぞ、そんなもので何をする?」
    不審の念に駆られ、竜眼の男は顔をしかめた。彼にはロメロの興奮の根拠が少しも理解
   できない。
    「だからさあ、老柳は"魔力を吸い取る"っていう特別な能力のある魔木だろう。それで
    ネズミをみんな引きつけて、魔力を根こそぎ吸い取っちまえばいいんだよ。そうすりゃ、
    カードに還っちまうんだから」
    若い男は早口で一気にまくし立てた。しかしゼネスはまだ腑に落ちていない。
    「あれに魔力を吸い取る能力は確かにあるが、相手はとにかく数が多いんだぞ、全部吸い
    取る前によってたかって齧り倒されるのが関の山だ」
    そんなこともわからないのか?と言いたげに、あきれた表情で彼は相手を見る。
    が、しかし、
    「だからさあ、吸った魔力を元手に齧られるそばから新しい枝をどんどん生やかすんだ
    よ、ネズミの勢いを凌ぐ速さで。
     植物の力の源は根っこだ、その根っこは土の下の方にあるから、ネズミどもには手が
    出せねえ。上が齧られても根っこが無傷なら、新しい枝や葉をどんどん出せるじゃないか。
     動物は手足をもがれたらどうにもなんねえが、植物は違う。奴らは根が元気で養分が
    ありさえすれば、いくらでも再生が効くんだ。それでほら、老柳の一番の養分は魔力じゃ
    ねえか。ネズミからせっせと魔力を調達しちゃあ、枝葉を伸ばす方に回すんだよ。
     うまくいけば、先にネズミ遣いの魔力が尽きる。そうなれば老柳の勝ちだぜ」
    聞いてゼネスは呆気(あっけ)に取られた。自らは動かず、相手の魔力を吸い取ること
   で再生し続け、勝利する。これは彼には夢にも考えつかない発想だ。
    「理屈は…確かに、その通りだが…」
    たじろぎを覚えつつ、しぶしぶと認めた。ロメロの作戦のあらましはわかった。そして
   どうやら、老柳がネズミ集団に対抗できそうだということも飲み込めた。
    が、彼は今一つ乗り気になれない。どうも気が進まない。
    「どしたい、なんかまだアラがあるのかね?」
    竜眼の男が眉をひそめムッツリと唇を曲げているのを見て、若い男は少し心配そうな顔
   になる。その彼の服のすそを、マヤが引っ張った。
    「あのね、ゼネスは自分から殴りに行くのが好きな人だから、ただ立ってるだけの植物
    のクリーチャーなんてあんまり使ったことないんだよ、きっと。
     それでどうしようか困ってるんだと思うよ」
    この弟子はいつもまことに余計なことを言う、しかもまたしても図星だ―と、ゼネスは
   この場からすぐさま消え入りたいような気分におちいった。遥かに年下の少女にきっちり
   と見抜かれている自分が、つくづくと恥ずかしく情けない。
    「うるさいぞ、お前は。
     俺を誰だと思ってる、植物のクリーチャーだって問題なく使える。…まあ、老柳は今
    手元にないからお前のカードを借りるしかないが…。
     余計な心配などせんでもいい、この作戦は要するにガマン比べだ。確かに俺向きのやり方
    とは言えないが、あらゆる戦い方を試みてこそセプターの感覚は磨かれる。
     とにかく作戦は決まった、老柳を使う。必ずネズミ遣いを上回る精神力を見せてやるぞ」
    弟子の言への反発もあり、ゼネスはついに老柳を使うことを宣言した。とは言え、その
   心中にはまだけっこうな逡巡を抱えていたのではあったが。

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