「読み物の部屋」に戻る
続きを読む


      『 カルドセプト ―"力"の扉― 』
 

       第7話 「 緋の裳裾 (中編) 」 (1)


    次の日の早朝、まだ日の出前の暗い時分からマヤは飛び起きるようにして、村の姉弟の
   もとへと出向いていった。
    「水汲み場所を教えてもらう約束なの」
    満面に笑みをたたえた弟子の顔。それを目にすると、ゼネスはつい「油を売らずに早く
   戻れ」とは言いそびれた。
    が…、案の定少女の姿は、日が高くなってもまだ遠くの影さえ見ることができない。
    「何を遊んでるんだ、まったくいつもいつも!」
    眉をしかめてカリカリする竜眼の男。その彼を、同行の歌手は道理を言ってなだめよう
   とする。
    「まあ、しゃあないやねお師さん。こんな乾いた平原で水汲みできそうな場所つったら
    かなり限られるぜ、思いの外遠いのかも知れねえ。
     それにマヤちゃんぐらいの歳の娘っていったら、友達と一緒にいるのは逢引きすんの
    と同じぐらい楽しいモンなんだから、ちったあ大目に見てやんなきゃ」
    さらにニヤリとして軽口を叩く。
    「それとも何かい、あんたお弟子があのお姉ちゃんに夢中で放っとかれてるってんで
    妬いてんのかね?」
    「誰がいつそんなバカなことを言った!」
    もちろん、ゼネスはすぐさまロメロに噛みついた(だが顔は赤く火照ってしまっていた)。
    「俺はあいつらが面倒なゴタゴタに巻き込まれたらかなわんと思っているだけだ、
     つまらん口をはさむな!」
    しかし、歌手はなおもニヤニヤ笑いを引っ込めない。
    「ほらほら、やっぱり心配してんじゃないの、弟子思いの先生だねえ。
     でもさ、マヤちゃんは賢い上にセプターの実力もスゲえんだし、ユウリイ姉ちゃんは
    しっかり者だ。何より村のモン(者)には、あのロォワンて兄ちゃんがニラみ効かしてる。
    オイラ達がここで大人しくしてる限りは、そんなマズい事は起きねえんじゃねえかな。
     まあのんびり待とうや。オイラはちいっと、発声練習さしてもらうわ」
    そう言うとひとつググッと背伸びしてから立ち上がり、太陽の光と風の中でゆったりと、
   大きく息を吸い込みながら胸を張る。
    そして、明るく伸びやかな声がゆるやかな音のスロープを描きはじめた。
    母音を中心に低い音から高い音へ、声は上りきっては下がり、下がってはまた上り、その
   振れ幅は次第に大きくなる。彼はまだ意味ある言葉を発してはいない。それなのにすでに
   周囲の大気も土も草も、ことごとくが声の響きを吸って小刻みに震えている。
    目の前に立つ大岩さえもがうっすらと上気して、なまめかしい振動に身をゆだねている
   かのようだ。
    さて、ロメロがなぜ急に「発声練習」などを始めたのか―その理由を、ゼネスはむろん
   充分に承知していた。
    『俺たちを監視している奴、この声を聞いてさぞかし仰天しているだろうな』
    実は彼らの目が覚めたときにはすでに、村に近い遠くの岩陰から「歌手の一行」を見張る
   気配があった。
    ―「今は難しい情勢だ」―
    ―「だからこそ、怪しい奴らは追い返した方がいい」―
    昨夜村の男たちが交わしていた会話から察するに、最近あの"シンの部族"の村に何らか
   の干渉を加えようとする動きが出てきているらしい。
    そのことを警戒するからこそゼネス達への監視も怠りないのだろうが…見張る"相手"は
   朝っぱらから、世にも稀なる美声を平原中に響けとばかり惜しげもなく振りまいている。
   こんな密偵も刺客も、およそあったものではない。
    『どんな顔をしてこっちを見ていることやら』
    監視役の困惑を想像し、ゼネスは密かに笑いをこらえた。
    (だがもちろん彼は、その"困惑"がほんの少し前までの彼自身のロメロに対するとまどい
   と全く重なるとまでは思い当たっていない)

    マヤがツァーザイを伴なって帰って来たのは、それから間もなくのことだった。
    「ロメロの声、良く聞こえてたよ。遠くまで水汲みに行って疲れちゃったけど、もう全部
    吹っ飛んじゃった。村の女の人たちにも聞かせてあげたいのになあ」
    両手に下げていた水桶を下ろし、彼女は明るい表情で額の汗をぬぐう。
    「遅いぞ」
    ブスッとした顔を作り、師は一言だけ文句を言った。だが、
    「ごめんなさい、水汲みは本当はボクの仕事なんだけど、今日はマヤ姉ちゃんに手伝って
    もらっちゃったから」
    ツァーザイが済まなそうにわびる。遅れたのは、この二人して重労働にいそしんでいた
   ためだったのである。
    「水汲みの場所ってのは、どこいら辺なんだね」
    ロメロが少年に尋ねると、
    「あのね、あっちのお山の下のほう」
    小さな指が、村の後方に迫る山々のうち最も手前に立つものを指した。村と山との間隔
   は、大人の足で歩いて七〜八百歩というところか(ちなみに、今彼らがキャンプしている
   場所はその二倍以上は村から離れている)。
    そのような距離を、子どもが水を汲んで行き来するのは確かに大変だ。
    「お前さん方、毎日水汲みに行くんかね」
    「うん、毎日。でも今日はマヤ姉ちゃんが手伝ってくれたから、三回運んだだけで終わった」
    ニコニコして言う。けれどマヤは、
    「それがねえ、水汲みに来てるのはツァーザイみたいな子どもと女の人だけなんだよ。
    村にはカード持ってる男の人がいるんだから、クリーチャーか何かでちょっとぐらいは
    助けてあげたっていいのに。
     でもユウリイに訊いたら、カードは男の人が自分たちの仕事や儀式にしか使わないって
    決まってるんだって。なんかヤだな、そういうの…」
    「で、そのお姉ちゃんは今日はこっちには来ないんかね」
    若い男は今度は少女に尋ねた。
    「うん、水汲み場所とは別の山にある"畑"に行くんだって、朝から出ちゃった。帰るの
    は午後になるみたい。
     そっちもお手伝いするよって言ったんだけど、山の畑には他所の人を連れて行けない
    から待っててねって言われて…」
    彼女はつまらなそうに、肩をすくめ加減にして答える。
    「畑?山の?」
    聞いて首をひねるロメロ。だが、
    「あの、"畑"のことはあんまり言ったらダメだってなってるから、村の人が怒るから…
    もう訊かないで…ごめん」
    少年の方は身体を小さく縮めた。
    「そうかい、だったら聞かねえさ、オイラもう忘れたな。
     ―でさあツァーザイ、別の話だ。昨日お姉ちゃんと一緒に来た、あのロォワンとかいう
    兄ちゃんのこと、ちびっと教えちゃくんねえかな」
    ロメロは今度は青年セプターの名を口にした。話し方はさりげないが、彼の目は慎重に
   少年の様子をうかがっている。ゼネスはそれを不審に感じたのだが…
    「ロォワンのこと?…ボク、あいつ嫌い!」
    その名を耳にしたとたん、ツァーザイの眉根が強くしかめられた。ロメロは『やっぱり』
   というように苦笑したが、ゼネスにはそれが何ゆえかさっぱり見当がつかない。
    「だって、父さんがまだ生きてた時だったけど、あいつお姉ちゃんのこと"お嫁に欲しい"
    だなんて言ってきたんだもの。父さんが"まだ早い"って許さなかったから良かったけど。
     お姉ちゃんはね、"お嫁になんか行かない"って言ったんだ、ボクがセプターになった
    よって教えてあげた時に。『どこへも行かない、二人で頑張ろうね』って、そう言ったん
    だから」
    彼は口を尖らせ、姉への強い愛着と青年に対する反発とを露わにした。
    ゼネスにもようやく知れた。わずか2歳で母を亡くしたこの少年にとり、8歳年長の姉
   は母親代わりの大切な存在だ。その彼女に近づいて来る男のいることに、とうてい我慢が
   ならないのである。
    「しかしヤツはなかなかに"できそう"だったな、セプターとしての腕の評判については
    どうなんだ?村の中では」
    プリプリ怒る少年の顔を見ながら、それでもゼネスはその点を確かめずにはいられない。
   昨夜目にしたあの若者のグリフォンは、俊敏かつ力強い動きを見せていた。実は自らも同じ
   クリーチャーを得意とするだけに、ゼネスは彼の力量はかなり高いものと踏んでいるのだ。
    ツァーザイはあい変らず眉根を寄せ口を尖らせたままだったが、竜眼の男を上目使いに
   見上げ、しぶしぶという様子で答える。
    「ロォワンは今、村の中で一番強いって言われるセプターだよ。
     半年にいっぺん、村の人同士でセプターの力比べをするんだけど、ここんとこは三回
    続けてロォワンが一位。その前はだいたい父さんが一番だったんだけど。
     あいつが遣うのはグリフォンと狂戦士だよ、大きくて乱暴なのが得意なんだ、お姉ちゃん
    とは大違いなんだから!」
    ―とまあ、彼はあくまで若者と姉娘を並べたくないらしい。だが、返答を聞いたゼネス
   が考えることはもちろん別だ。
    『ほほう、村一番のセプターか…それであの男、昨夜は一人で止めに入って来たんだな』
    ロォワンという若者、村長(おさ)の息子という立場だけでなくセプターとしての力量にも
   自信を持つからこそ、昨晩はあのような行動に出たのだろう―と、彼は合点した。
    『そんなヤツなら、何とか口実を設けて戦ってみたいものだ』
    とまあ、結局行き着く目論見は"そこ"であるが。
    すると、ここまで聞いていたマヤが身体をかがめて少年に話し掛けた。
    「だけど、ユウリイはロォワンのこと何て言ってるの?ツァーザイ。
     あの人、今朝もお家に来てたよね。"乱暴"なんてことない、きちんと戸の外に立って、
    礼儀正しい感じに見えたけどな、私には。
     ユウリイも『一緒に連れてって』とか言ってたじゃない、結局は口ゲンカみたいになっ
    ちゃったけど。でも嫌ってるようには見えなかったよ」
    少女の顔は不機嫌な少年の頭のすぐ上にある。やさしい物言いに接してツァーザイの顔が
   少し赤らみ、怒りの色もやや薄くなる。
    「お姉ちゃんは、あいつのことなんか何とも思ってないよ。村の男の人でまともに話が
    できるのがロォワンだけだから…だからだよ」
    「おやおや、聞き捨てなんねえな、そりゃ」
    調子のいい男が俄然、身を乗り出した。
    「良かったら今朝のそこら辺のコトを、聞かせちゃあくんないかねえ」
    ツァーザイは困った様子であさっての方を向いた。だが、ダメだともイヤだとも言いは
   しない。その態度を承諾と取ったか、マヤが身体を伸ばしてロメロの方を向く。
    「あのね、今朝ユウリイがお家を出る少し前にロォワンが訪ねて来たんだよ。私はあの
    人からは見えない所にすぐに隠れたんだけど、二人の話す声は聞こえたの」
    ―彼女の話をまとめると、今朝方の会話は以下の通りだったらしい。

    男:「俺はこれから"仕事"に出る。今回は近場だが、(村に)戻るのは早くても明日の
      昼過ぎだろう。出来るだけ早く帰るようにはするが、どうしても一晩は留守になる、
      承知しておいてくれ」
    女:「ロォワン、私も"仕事"をしたいの、連れて行って」
    男:「またそんな事を…女には無理だ」
    女:「どうして、私もセプターなのよ、カードが使えるのよ。父さんのを継いで、稽古
      だってほとんど毎日欠かさずにしてるのに。
       セプターの仕事をさせて欲しいの、いつまでもただ村に厄介になっているのはイヤ
      なのよ」
    男:「タオジョン(姉弟の父の名)は俺たちをかばって亡くなったんだ、それぐらいは
      当然だ。
       それにユウリイ、お前だってちゃんと"畑"に出てるじゃないか。女は女の仕事を
      すればいい」
    女:「私はセプターなの、"畑"の仕事が大事なのはわかってるけど、セプターの仕事
      だってさせて欲しいのよ、どうしてわかってくれないの。
       私、ちゃんとできる、戦える。傷つけることも殺すこともしっかりやってみせる。
      だから一緒に連れて行って、ロォワン」
    男:「バカな、戦いはきれい事じゃない、女の出る幕じゃないんだ。お前はタオジョンの
      カードは継いでも、手取り足取り教えてもらったわけじゃないんだろう?いい加減
      あきらめろ」
    女:「ロォワン!」

    ―そのまま、腕を捕まえようとするユウリイの手を逃れるようにして、若者はそそくさ
   と背を向けて去ったのだという。
    「ふ〜ん、するてえとお姉ちゃんは認めて欲しいってワケだよな、自分がセプターだって
    ことを、そのロォワンに」
    「うん、私もそうだって思った。
     でも…戦って相手を傷つけたり殺したりできなくちゃ認めてもらえないだなんて、それ
    どういうこと?ねえゼネス、セプターってそういうものなの?」
    この問いには正直、あまり答えたくない―とゼネスは思った。「セプターってそういう
   ものなの?」と訊いてはいるが、彼女のその言葉は反語だ。マヤの考えはもとから一つで
   あり、それはゼネスの考えとは違っている。答えてもいさかいになるだけだ、という事は
   言う前から目に見えている。
    だがそれでも、弟子の問いに答えないわけにはゆかない。"師"とはなかなか辛いものだ。
    「生きるか死ぬかという時に"力"を有効に使えないようでは、セプターとは言えんな。
     それに、どうしても戦わずにいられない、戦いを望んで止まないヤツだっているんだ。
    そういう相手にはむしろ、真剣勝負の全力で対してやる方が礼儀というものじゃないのか」
    横目を使って少女の顔を見ながら、彼はできるだけ重々しい調子で答えてみせる。
    しかし、
    「やっぱりそういうこと言うんだ、ゼネスは」
    マヤの眉が逆立った。案の定、怒っている(やれやれだ、とゼネスはうんざりする)。
    「戦わずにいられないなんて、そんなゼネスみたいな人ばっかりじゃないよ。何かあった
    時に戦いで解決することしか考えない人が多いから、"生きるか死ぬか"っていうことが
    いつまでたっても無くならないんじゃないの。
     それだったら、そんなギリギリの目に遭わなくて済むように"力"を使えばいいんだ。
    そうだよ、始めっからそっちの方で頑張ればいいんだ、戦いで決めるなんてことしないで」
    言いつのるうちにも彼女の声は高く、トゲトゲしくなる。ここでこんな水掛け論をするの
   は勘弁してほしい、全くごめんだ―とゼネスが閉口していると、
    「おいおいお二人さん、話がズレてるぜ。この村のセプター連中のやることにオイラ達は
    直接口をはさめるわけじゃないんだ、ここでそんな言い合いしてたって始まらねえや。
     ツァーザイよ、村のセプターの"仕事"ってのは確か、荷物を運んだり守ったりする事
    だって言ってたよな。そりゃあしょっちゅう命のやり取りをしなきゃなんねえほど大変
    なのかい?」
    ロメロが懸命にも話題の軌道修正をしてくれた。もちろん、ゼネスがホッと息をついた
   事は言うまでもない。
    「普通の荷物だったらセプターじゃない男の人も混じって出てるんだけど、お姉ちゃん
    達が行ってる山の"畑"で獲れたものを運ぶ時には、強いセプターだけでチームを組んで
    出掛けるみたい。父さんもそうだったから。
     他の"仕事"よりも断然危ない、でもそれだけ村には大事なことなんだって、いつも
    偉そうに言ってたよ、父さんは。
     ごめんね…教えてあげられるのはこれくらい」
    上目使いで若い男の顔をうかがいながら、少年の声は小さく歯切れが悪い。
    どうも、山の"畑"がらみのことは全て話題にしてはならないもようである。
    「いやいや、こっちの話もやっぱ忘れるわ、オイラ。
     つまんねえこと訊いちまって悪かったな」
    苦笑いしながら手を伸べ、少年の頭をなでる。ツァーザイは一息つき、少し笑った。
    ゼネスも咳払いし、おもむろに別の話題に移る。
    「お前はさっき"半年に一度セプターの力比べがある"と言っていたな。それは村の男の
    セプターだけで行うのか」
    聞いて、ひと時和らいだ少年の表情が、再び硬くなった。
    「そうだよ、村でセプターって言ったら、それはカードを使える男の人のことだけなんだ。
     お姉ちゃんは女の人だから、セプターの数に入れてもらえない。だからクリーチャー
    を遣うお稽古もいつも一人きりでしてる。父さんの稽古も、ただ見てることしか許して
    もらえなかったし…。
     でもお姉ちゃんは、ボクのお姉ちゃんだって本当は強いセプターなんだ、ロォワンに
    だって絶対負けやしないんだ。力比べに出れば…出してもらえればお姉ちゃんだって…」
    そう言うツァーザイの顔は、姉の気持ちに成り代わったような残念さと無念さに満ちて
   いる。実力がありながら正当に評価されないとは、何とも辛いことだが―
    『ふむ、こいつがそこまで言うなら、姉娘の腕前も一度見てみたいものだな』
    彼はロォワンだけでなくユウリイに対しても、"覇者の試し人"としての興味を覚えた。

続きを読む
「読み物の部屋」に戻る