「読み物の部屋」に戻る
前のページに戻る 続きを読む


       第7話 「 緋の裳裾 (中編) 」 (2)


    「ふー、やーれやれだ」
    ロメロは足元から拾い上げた小石を一つ、村とは反対方向の遠くへと放り投げた。
    そうしてから振り返り、
    「んでもさ、ツァーザイ。せっかくこうしてお前さんが来てくれたんだ、もうイヤな話
    はお終いにして笛を吹いちゃあどうだい。
     気分直しだ、お前さんが作った中でも一番気に入ってるやつを聞かしておくれよ」
    促す。
    「うん…うん、そうだね、聞いて聞いて、ボクの笛!」
    ツァーザイはいそいそと笛を取り出した(これは常に肩から下げている袋に入っている)。
   両手で構え、小さな唇に近づける。
    「はっ」と素早くひと息吸い込み、(笛の)吹き口に唇をあてがって強く吹き込む。
   たちまち、勇壮な旋律が手指の間からほとばしり出た。

    ―その「風」は、山からやって来た。雪を乗せた山頂から雪崩(なだれ)と共に岩がちの懸崖を
   駆け下り、赤茶けた麓(ふもと)を越えて平原を横切ろうとする。
    砂粒を巻き上げ、草茂みをひれふさせ、葉陰に身を潜めていた幾多の獣の姿を露わにさらす。
    啼き騒ぐ彼らの声をからめ取り、風はさらに行く。強く厳しい音を轟かせる荒野の王、
   それは乾いた大地を渡り、まだ見ぬ海を目指してひた進む…。

    ゼネスはまたしても深い驚きをもって耳を傾けていた。何と鮮やかにも情熱的な音と調べ。
   とても十(とお)の子どもが作り、そして奏でているとは思われない。
    「ヒューッ」と一声、去り行く風の後ろ姿を仕上げに描いて曲は終わった。ロメロ、そして
   マヤが惜しみなく大きな拍手をして称える。
    「おう!こりゃとびっきりだったなあ!」
    「すごい、すごいよツァーザイ、これ何ていう曲?」
    彼女はほほを紅潮させ、目を輝かせて尋ねた。少年は静かに笛を唇から離し、
    「"烈風"」
    誇らしげに微笑して答える。
    「もっと吹いて、もっと聞かせて!」
    たった三人の聴き手ではあるが、反応はすこぶる良い。小さな演奏者は胸を張り、首を
   やや傾けて再度笛を構えた。
    今度はゆっくりと息を吸い、細く静かに吹き込む。すると、涼やかな水の音が流れ出した。

    ―泉、細かな砂をふつふつと舞い躍らせ、湧き出づる水。コケに表面を覆われた岩肌を
   伝い、ピチョン、ピチョン、滴が垂れる、垂れ落ちて波紋を作る。無数の水滴が集まり、
   あふれ、あふれて動き出す。
    ピシャピシャ、さんざめきつつ光と戯れ、シトシト、草木の根と生き物の渇きを潤し、
   清水の流れはやがて水汲む乙女の手を濡らす。生命の第一の糧を称え、彼女は感謝の祈り
   をささげるのだった―。

    清らかなつぶやきの声を思わせる複雑な旋律が、この曲の締めくくりだった。音が鳴り
   止んでもなお、耳の周りをひたひたと水の流れが取り巻くような余韻が残る。
    「これは、"清泉"」
    少年の声に、三人ともホウッと嘆息して応えた。
    「ああ…なんだか体中が洗い流されちゃったみたいないい気持ち…。ツァーザイ、君って
    魔法使いだったんだね」
    上気した笑顔のマヤ。ロメロも、
    「う〜ん、オイラの頭ん中でもまだ水の音がする。確かにお前さんは、笛の魔法使いに
    違いねえや。それも"大魔法使い"だな」
    この二人ともあい変らず、受けて生じた感動をすぐさま言葉に変えて送り手に投げ返す。
   だがゼネスは…彼は己れの内に少年の笛の音に共鳴する"響き"を感じはしながらも、それ
   を何と呼べばいいのかわからない。ただ戸惑っていることしか出来ない。
    喉元までいっぱいにあふれ、しかし開放されずにいる"ざわめき"の感触。未だ名づけ
   られずにいるその感覚に圧迫され、彼は今、息苦しくさえある。
    しかし他の二人は笛の音と曲の出来に感嘆するあまりか、ゼネスの変調には気づかないままだ。
    「風、水ときたら次は…"火"かなあ?」
    わくわくと弾む声でマヤが「次の曲」の見当をつける。と、少年はとろけるような笑顔
   になった。
    「うん、そう!火の曲。これは"火の羽"って言って、お姉ちゃんの曲なんだよ」
    極上の笑み、それは慕ってやまない姉の印象から起こした曲ゆえなのだ。
    「ユウリイの?わあ、それは楽しみだなあ、私も」
    「あのお姉ちゃんが"火"かあ。あ、でもなんかわかる気がするな」
    少女も若い男も急いで座りなおした。ゼネスは…やはり身をすくめて黙り込んだまま、
   耳のみ懸命にそばだてている。
    ツァーザイの笛持つ手がゆっくりと上がり、吹き口を唇に押し当てた。
    曲が、始まった。

    ―ひらひら、ひらひら…空の高いところで紅い"花"が揺れながら風に舞っている。澄んだ
   濃い橙黄色の花びら、そのひとひらひとひらが縮み、伸び、震え、揺らぎ、なびきつつゆる
   やかに円を描いて降りてくる。
    "花"が羽ばたいた、パッと赤い火の粉が散る。ゆらゆら、朱の色の長い尾羽根が光の糸
   を引く。高きにあって"花"と見えたのは"鳥"だった。
    それは火の力を命の芯とし、絶えず燃え続ける羽根を持つ火の鳥。炎の中から生まれ、
   歳老いれば炎に身をくべて何度でも生まれ変わる不死の鳥。風に乗る、燃え立つ翼が打ち
   揮(ふる)われて金砂を振りまく。
    紅(くれない)の生きた炎が舞い躍る、青く輝くまぶしい空を背景にして。

    ―少年はじっと眼を閉じ、巧みな息づかい、指使いで笛の音を操る。思い切って華やかな
   旋律が広がり、渦を巻く。曲は今や最高潮だ。
    「ピルピルピル…」急に調子が変わった。鳥が舞を止め、首を空に向ける。サッと一直線
   に高み目指して飛び立つ。
    笛の音が小刻みに震えながら次第に小さくなる、蒼穹の奥へと遠ざかる炎の色のように。
    やがて音色はフッと消えた。ツァーザイは唇から笛を離したが、彼の周囲にはまだ火の
   羽毛がフワフワと漂う気配が感じられる。
    「…美しい…」
    ゼネスは自ら覚えぬままにつぶやいていた。意味ある言葉というより、感嘆の吐息に近く。
    「あれ?」
    耳ざとく、彼の弟子が聞きつけた。
    「ゼネスがそんなこと言うの、初めて聞いた」
    「俺は今…何と言った?」
    言葉を発した記憶など無い。彼は弟子の顔を見た。彼女は少し驚いたように目を丸くし、
   まじまじと師を見上げている。
    「わかってなかったの?『美しい』って言ったんだよ、ツァーザイの火の曲を聴いて。
    ゼネスは今確かに『美しい』って言ったんだよ。
     何だったら、もう一度自分で言ってみればいいんじゃない」
    そう告げて、少女の口元はいたずらっぽくほころんだ。目を細め、ずっと年上のはずの
   男を見守るような温もりを含んだ笑み。ゼネスはまた、我知らず赤面した。
    「"美しい"だと?俺がそんなことを…?」
    口ではそう言いつつもしかし、彼は身中に湧きあふれる感覚の名をようやく見出した事
   に気づいていた。『美しい』、そう、これは人が外界の何ものかに共鳴し、否応なく惹きつけ
   られる情の動きの名。
    自分が最後に「美しい」と言ったのは何時だったのか―彼は思い出してみようと密かに
   努めたが、まるで雲をつかむように記憶の取りとめがない。
    そんな師を尻目に、マヤはツァーザイに笑いかける。
    「"竜の目にも涙"って言うじゃない、ゼネスに"美しい"なんて言わせられるんだから、
    これはツァーザイの笛聴いて感激しない人の方がおかしいんだと思うよ」
    「そうだそうだ、お前さん胸張って自信持つべきだね。ぜひとも世の中に出てって音楽
    好きの耳を喜ばしてやんなけりゃあ、もったいねえって。創造の神さんのバチが当たっちまう」
    ロメロも負けじと力込めて誉めそやす。少年のほほが紅潮した。
    「ありがとう!」
    「"火の羽"、これユウリイの曲だって言ったよね、ユウリイは不死鳥のカードを遣うの?」
    少女が問うた。と、少年の顔にうっすらと影が差す。
    「うん…ボクがまだ小さかった頃は、転んで痛かったり怒られて悲しかったりして泣い
    てると、お姉ちゃんが火の鳥を出して見せてくれたんだ。
     ―すごくきれいだった、燃える羽を風の中で揺らして踊るんだもの。
     でもいつの間にか、お姉ちゃんは火の鳥の踊りを見せてくれなくなっちゃった。たまに
    『見せて』って頼んでも、困ったような悲しいような顔して首振るばっかりで。
     だからボクは、お姉ちゃんの火の鳥を忘れないようにこの曲を作ったんだよ」
    「ふ〜ん、そうなんだ…どうしたんだろうね。そのうちには訳を教えてもらえるのかな。
     でね、ツァーザイ。話は変わるんだけど、風・水・火の三つの曲を聴かせてもらった
    よね。あと一つ、"地"の曲もあるんじゃないの?」
    期待に満ちた目で、マヤはさらに促した。だが…少年は今度は頭に片手をあてて、残念
   そうな表情になる。
    「う〜ん、それがねえ、"地の曲"だったらやっぱり森の音から作りたいと思ってるん
    だけど、ボクは森のことってよくわからなくって」
    「あ、そうか」
    「そりゃそうだ」
    ほとんど同時にマヤとロメロが応えた。ゼネスも言われて気づく。
    ここは平原の奥地、乾燥した山岳地帯との境い目だ。ツァーザイは生まれてよりこの方、
   木々が生い茂る有様など目にした経験がない。森を主題にした曲など作りようがないのである。
    「こうやって聴いてると、お前さんはいろんな場所に出掛けていろんな体験をすればそれ
    だけ、いい曲が作れるようになるんじゃないかって気がするよなあ。
     まあ、村を出れば森に行く機会もあるってもんさ、慌てずにやろうや」
    若い男はそう言ってポンと少年の肩に手を置いた。励まされ、相手ももじもじと顔を上げる。
    「森はね、ホント言ってこの近くにもあるはあるんだ、村を通り抜けた向こうの谷の底に。
    村からは下り坂を降りた先だからここから見るとちっともわからないんだけど、行けば
    すぐにわかるよ。背の高い木が集まって、濃い緑がこんもりしてる。
     でも…あの森のことは村のセプターがものすごく大事にしてて、ボクみたいな子どもや
    女の人は近づいちゃいけないって決まってるの」
    そんな事を言った。
    「決まり、また決まりか。お前の村はよくわからない決まり事だらけだな」
    ゼネスがウンザリしつつ言うと、ツァーザイも大きくうなずく。
    「うん、本当に。だからボクもイヤなんだ。
     お姉ちゃんが言うには、森の中には深い湖があって、そこでセプターが大事な儀式を
    するからなんだって。僕も大きくなれば何やってるかぐらいは教えてもらえるんだろう
    けど…でもお姉ちゃんはセプターなのに除け者なんだから、そんな儀式なんてどうでも
    いいや。
     村の中ではいつでも誰かしらが見てるから、こっそり行くなんてこともできない、
    せっかく近くに森があるのに…」
    村の方角を見つめ、彼は唇を固く引き結んだ。"地の曲"が完成すれば四大元素の全てが
   揃う。それを中途でさえぎられている彼の無念さはいかばかりか。
    ゼネスもさすがに同情の念を禁じえない。だが同時に、常に姉から離れない少年の思い
   に一種の"危うさ"をも感じた。
    「面白くない話だと俺も思うが、それもここを離れてしまえば何ということはない。
     お前の姉がなぜすぐに村を出ようとしないのかは計りかねるが、もしあの娘が"村に
    残る"と決めたらお前はどうする?
     それでもお前は自分の音楽のために、姉と離れて俺たちと共に行けるか?」
    彼は緑色の瞳をのぞき込んだ。そこにとまどいいの色が浮かび、すぐさま顔中に広がって
   ゆく。ツァーザイは、ユウリイと離れる可能性など露ほども考えていなかったのだ。
    「お姉ちゃんと、さよならする…そんなの、そんなのって…」
    じっと村の向こうの山々を眺めながら、少年の声は少し涙ぐむように震えて聞こえた。

    昼過ぎ、四人は簡単な昼食をとった。マヤが昨夜と同じ蒸しパンにヤギのチーズを挟ん
   だ品を作ってきてくれており、熱い茶を飲みながらてんでに食べた。
    ヤギチーズは独特のクセはあるものの濃厚な味わいを持ち、腹をくちくしてくれる。
   ―のだが、ツァーザイはちっとも手を出さない。
    彼は乾いた地面の上にばかり目を落とし、ずっと口を閉じたきりでいる。
    ゼネスは少年にはかまわず、黙々と自分の食事を進めていた。その彼の背後に、これは
   さっさと食べ終えたマヤがそろりそろりと近づいて来て、師のマントを引っ張る。
    「何だ」
    弟子が言ってくる内容はもう大体見当がついていたが、彼は返事だけはした。
    「ツァーザイがパン食べてくれない」
    彼女は口をとがらせ、文句いっぱいという目つきで師を見返す。
    「放っておけ、本人の勝手だ」
    「違うよ、ゼネスがあんなこと言うからだよ」
    『やっぱりか』―予想通りの言葉だと、内心辟易した。こういう問題をマヤと話し合う
   のは苦手だ。彼女が引かないことは目に見えていて、疲れる。
    そこでもう返事はせず、全く取り合わない態度でいた。だがそんなことにはおかまいも
   なく(というより、何もかも承知の上でなお)、少女は一方的にしゃべる。
    「ツァーザイはまだ10歳なんだよ、お母さんの思い出も2歳じゃほとんどないだろう
    し、ユウリイのこと大事に思うのは当たり前でしょ。
     それなのに"離れられるか"だなんて、ショック受けるに決まってるよ、可哀そうに。
    あの子が元気ないの、ゼネスのせいなんだからね」
    つらつらと文句を聞かされて、せっかくの食事がマズくなったような気がする(相手に
   言われっぱなしでも平気でいるには、ゼネスの自尊心は高すぎるのだ)。彼は反撃に出る
   ことにした。
    「ふん、俺は覚悟の話をしたまでだ。まだ10歳じゃない、もう10歳だぞ、乳離れに
    は遅いぐらいだ、お前は子どもに甘くていかん」
    そう言って、ジロリにらみ返す。さらに、
    「あいつも姉娘もセプターで、こんな時世の中に居るんだ。いつ何時、どんな別れが来る
    かなど誰にもわからん。
     それでも自分の進みたい道を進めるのかと俺は確かめただけだ、何が悪い」
    言い放った。少女の唇がギュッと一文字に結ばれ、言葉を飲み込む。
    じばらくそのまま黙っている…意外にも。
    どうせまたあれこれ言い返されるだろうと身構えていたゼネスは、やや拍子抜けした。
    そうしてひと時の沈黙の後、弟子はようやく口を開いて言う。
    「ゼネスの言うことはわかるけど、でもそんな辛い話をいきなり子どもに言ったって無理
    だよ、大人にだって難しいのに」
    そこまでで彼女はまた言葉を切った。うつむき、再び口ごもっている。
    ―が、やがて決心したように決然と顔を上げ、真っ直ぐに師を見た。
    「そう言うあなたはツァーザイみたいな子どもだった時、自分の大事な人と別れてでも
    やりたいことを追っ掛けてなんて行けたの?」
    問うた。ゼネスは自分の顔からサッと血の気が引く音を聞いた。
    『こいつ…!どうしてこいつはいつも、俺の一番思い出したくない事をほじくり返して
    見たくない部分を突きつけてくるんだ!』
    蒼ざめた面を引きつらせ、絶句して少女をにらみつける。師弟はそのまま剣と盾のように
   厳しく対峙した。
    そこへ、
    「おいおいおい、お二人さんケンカは止しなって、ツァーザイが心配しちまってるぜ」
    穏やかな声が割って入った。剣と盾の固い緊張に温もりある風が吹き込む。
    師も弟子も、ロメロの方を見やった。若い男のそばにはツァーザイが立ち、眉を曇らせて
   二人の様子をうかがっている。
    「お師さん、そんな恐あい顔しなさんな。それとマヤちゃん、大人ってのはたとえ自分
    ができなくっても、大事なことは子どもに言っといてやらなくちゃいけねえんだよ。
     さっきあんたの先生がこの子に言ったのは、その大事なことの一つだ。やり抜きたい
    ことがあるヤツなら、いつでも片手に持ってなくちゃいけない覚悟なんだぜ」
    口の端に笑みをにじませ、静かにゆっくりと語りかける。マヤの顔が下向き加減になった。
    「マヤ姉ちゃん、ボク、おじさんに言われたこと今まで全然考えてなかった。お姉ちゃん
    が一緒に行かないかもしれないなんて。
     お姉ちゃんがこのまま村にいても、あんまり幸せじゃないんじゃないかって思う。
    でも…決めるのはお姉ちゃんだ。ボクはお姉ちゃんが"行かない"って決めた時にどう
    するか、考えておくよ」
    震える声で、それでも最後までしっかりと言った。マヤが小走りして彼に寄り添い、
   しゃがみ込んで体を抱きしめる。
    「ツァーザイ、ユウリイはきっと一緒に村を出てくれるよ。もしかしてあのロォワンて
    人に認めて欲しいのかもしれないけど、それなら私もできることはしてお手伝いする。
    カードを使う練習相手になったっていいんだし。
     だから心配しないで、ね」
    彼女に抱かれて少年の唇がへの字になった。緑の瞳がうるみ、彼は何度も手の甲で目元を
   ぬぐったのだった。

前のページに戻る 続きを読む
 「読み物の部屋」に戻る