「読み物の部屋」に戻る
前のページに戻る 続きを読む


       第7話 「 緋の裳裾 (中編) 」 (3)


    昼をだいぶ過ぎてから、マヤとツァーザイは「そろそろユウリイが帰るから」と言って
   いったん村に引き揚げていった。
    三人が男たちの元へと戻って来たのは夕方だ。昨日と同じくマヤの白馬に荷物を積み、
   少女二人と少年が仲良く並んで近づいてくる。遠目にも、ツァーザイが姉の手をしっかり
   握り締めている様子がうかがえた。
    竜眼の男も歌手の男も、心中に複雑な思いを抱きつつやってくる彼らの姿を見守る。
    夕風が、寂しいような音をたてて吹き過ぎてゆく。
    だが、弟子の少女の声はあくまで明るかった。
    「ご飯食べよう〜」
    彼女と姉娘とで、てきぱきと食事の用意を整える。今夜の晩餐は、蒸した鳥の肉を細く
   割(さ)いたものと香り野菜の細切りだ。これをめいめいが小麦粉の白い薄焼きで包み、
   タレをつけて食べる。
    この日の食事も賑やかに進み、皆々腹だけでなく気持ちまでもが満たされた。
    さて、たっぷり食べ終えると食後の茶の時間である。ホッとひと息つきながら熱い茶を
   すすっていると、ロメロがユウリイに問いかけた。
    「なあ、お前さん方のお袋さんのこと、良かったらちょっくら話してくんねえかい」
    実は午前中、彼はツァーザイに「笛を始めたきっかけは何か?」と尋ね、
    「母さんの形見の笛があったから」
    との答えを得ていたのである。
    (少年には母親の記憶がほとんどないため、このことは姉に訊くしかない)
    ユウリイはフッと寂しい様子になり、視線を落とした。だがすぐに頭を上げ、村とは
   反対方向の遠い平原の彼方を見やる。彼女はそのままの姿勢で話し始めた。
    「母は、私たちの母親は16の歳に人買いに連れられて村にやってきて、父に買われた
    女です」
    「…人買い!…」
    マヤが息を呑んだ。顔色もやや蒼ざめている。
    「そうです。私たちの部族は他所の村とは交わりをしませんので、時おりそうして女の子
    の売り買いをするのです。
     母はもとは遠い国の賑やかな町に生まれ、豊かな商家の娘として育ちました。でも戦
    (いくさ)が起こって全てを失い、人買いに捕まってこの地に流れ着いたのです。
     …母が育った町は女も男と同じように働き、しゃべり、笑い、思うことを言い合える
    自由な気風だったそうです。ですから、村での生活は母にはずいぶん辛かったでしょう。
     ここでの女は…子を産む奴隷のようなもの。ひたすら父や夫の言うままに従うことしか
    許されず、自分の考えを持つことなどできません。
     私のように、カードを継ぐ者が正式に決まらない家の娘は、それが決まるまで男装して
    カードを預かりはしますが…この村しか知らない女が形ばかり男をまねたところで、その
    力を使いこなすなどは難しいことです。
     そうして、ますます"女にカードは使えないもの"と決め付けられてしまうのです。
     母は…父の目を盗んでよく私に教えてくれました。
     『いつも自分を見失わないようにね』と。
     今、私が曲がりなりにもカードを遣うことができるのは、父のおかげというより母の
    おかげだと思います」
    そこまで言って、ユウリイは深いため息をついた。
    「不憫な。カードの"力"は使い手の意志の力に準ずるものだ。確たる己れの意志を持って
    生きる術(すべ)を知らぬ者に、カードを真に遣うことなどできようはずがないものを」
    ゼネスもつぶやく。セプターの能力を持ちながら、その十全な開花を封じられて生きる
   女たち。彼の中には今、彼女たちを哀れと思う感情が生じていた(昔の彼であれば、"バカ
   な奴らだ"と歯牙にも掛けなかったかも知れないが)。
    ユウリイは再び話を続けた。
    「子どもの頃、母から聞く異国の町の様子は私には信じられないことばかりでした。
    家族が同じ卓につき、同じお皿からおかずを取って食べる―という話などは特に。
     私の家では母も私も父の機嫌を損ねないようにいつも気を使い、息を潜めていました
    し、食事はいつも父が先に食べて、私たちは後でその残りを食べていたのですから。
     父はセプター仲間の間では面倒見の良い、頼れる男として通っていましたけれども、
    私たち家族にとっては思いやりというものの薄い人でした。
     ―それで、母のたった一つの楽しみが、父のいない時に笛を吹くことだったのです。
     よく憶えています、外に音が漏れ出ないように窓も戸も固く閉めた暗い部屋の中で、
    母が小さな私に聴かせてくれた笛の音を。
     でも母が亡くなってから、私は思い出すことが悲しくて母の笛は仕舞い込んだままで
    いました。ツァーザイはいつの間にか、それを見つけ出して吹けるようになったのです。
     この子の笛、いえ音楽の才は、亡き母からの贈り物なのかもしれません」
    そう言ってユウリイは隣りに座る弟を抱き寄せ、その頭をやさしくなでた。ツァーザイ
   もまた、姉の豊かな胸に身を持たせかける(さすがに多少は照れくさそうな顔をしながらも)。
    「…そうかね、ツァーザイの力はお袋さんから来てるのかね。う〜ん、オイラ何だかこう、
    すごく腑に落ちたって気がするよ。
     なあお姉ちゃん、だったらなおさらお前さん方は村を出て外の世界を目指すべきなん
    じゃないのかね。お袋さんのためにも」
    姉弟の姿を静かに見守りつつ、ロメロは勧める。外へ、自由へ、ロードランナーのように、
   不死鳥のように飛び出し羽ばたいてゆけばよい。機会は今、彼らの目の前にある。
    だが、ユウリイはまた昨夜と同じ苦しそうな表情になってしまった。
    「やらなければいけないことがあるんです、私には、この村で。どうしても越えなければ、
    果たさなければいけない、自分で決めたことが」
    言葉の一つ一つをハッキリと区切り、自らに言い聞かせるように語る。
    マヤが彼女の元に寄った。
    「ユウリイ、それは村の人たちにセプターとして認めてもらうってこと?」
    姉娘の目が大きく見開かれた。自分と同じ男装の少女セプターの顔を、彼女は身じろぎ
   もせずに見つめる。
    「そう」
    小さくうなずき、腹の底から押し出すような重い声で答える。
    「私は、ロォワンに勝ちたいの。勝たなくちゃいけないの、彼が今村で一番強いセプター
    だから。
     ロォワンに勝って初めて、私はあの村から出て行ける。挑戦できるのは、たぶん一度
    きり。二度目はないの、だから必ず勝たなくちゃいけない。
     でも…私まだ何かが足りないの、歯がゆいの、今一つ信じ切ることが出来なくて…」
    そう言って彼女は、弟を抱いていた手を握り締めた。その上にそっと、マヤは自分の手
   を重ねて置く。
    「信じ切れないのは自分のこと?それともカード?
     ユウリイ、あなたがカードを使うところを見せて。クリーチャーを遣う稽古をしたい
    なら、私いくらでも相手になる。
     一人で悩むより、ここにはゼネスもロメロもいるんだから、見てもらって一緒に考えた
    ほうがいいよ、ね」
    重ねた手にさらにもう片方の手を添えて、マヤは姉娘の手の甲を何度もなでさすった。
   うつむいた頭の亜麻色の髪の下で、緑の瞳が誘(いざな)う者の手をじっと見下ろしている。
    そして、
    「わかったわ、…見て」
    ユウリイはマヤの顔をひたと見た。次いでゼネスとロメロにも面を向け、立ち上がる。
    「ツァーザイ、あなたは下がっていなさい」
    弟はうなずき、離れた。他の三人も彼女のジャマにならぬよう、4〜5歩ばかり下がる。
    手が高く掲げられた、二枚のカードを持って。強い輝きが生まれ、平原の大地の上に"力"
   が呼び出される。まばゆい光の中から現われ出た者は…
    金属の光沢が全身を覆う、甲冑姿。たくましい長身が乾いた土を踏みしめて立ち上がる。
   左腰に佩(は)かれたのは両手持ちの大剣。赤で縁取られた鞘、そして鳥の翼のように上に
   持ち上がった二本の鍔の先の、三つの輪飾りが目を引く。
    その剣の長さときたら、実にツァーザイの身長ほどもある。同じ剣でも"長剣"とは比べ物に
   ならない強力な武器だ。
    「騎士(ナイト)、そして大剣"クレイモア"か!」
    ゼネスは驚きを隠せなかった。
    数あるカードのクリーチャーと道具(アイテム)の中でも、この二つは最も白兵戦(:武器
   を手に取り、面と向かい合って戦う事)に特化した組み合わせだ。優美な不死鳥ならば
   ともかく、いかにも女らしい容姿をしたユウリイには不似合いのように思われる。
    だが、彼の弟子は眉一つ動かさない厳しい表情で出現した騎士を見つめていた。
    「私も」
    彼女もまた、カードを二枚掲げる。もう一つの輝きが招来され、同じく騎士と大剣の一組
   を呼び出す(これは全く同一のクリーチャーと道具を使うことで、互いの技量の程度を推し
   測るためだ)。
    『この対戦も"奴ら"は見ているわけだが…』
    監視役の目が少し気になり、ゼネスは遠くの岩陰を竜眼の端で見た。
    『だが俺たちは別に、姉娘のカードを取り上げようというのではない。彼女の力を高め
    たいだけだ、村に害を及ぼすわけじゃなし…そう気にするまでもないか』
    そう、思い直して目の前の二体の騎士に集中した。
    騎士たちは、すでに十歩ばかり離れた位置で向かい合っている。
    「よし、始めろ」
    審判役におさまったゼネスが対戦の開始を宣言する。
    二体の騎士は各々の大剣を手に抜き持ち、構えた。
    その途端、ユウリイの騎士が激しい闘気を放射しはじめた。
    「―あっ!」
    マヤが小さく叫ぶ(思わず)。ロメロが目を見開いて後じさりし、ゼネスは一気に緊張を
   高める。
    「この娘、できる!」
    大気が震えていた。一方の騎士の全身から微細な"針"の群れにも似た"闘気"が飛び出して
   くる。肌の露出した部分がピリピリと刺激され、息を吸う肺の中までもがチクチクと痛むほどに。
    かの騎士は両脚の間を肩の幅よりもやや広く取り、腰を落とし加減にしていた。両手に
   持った大剣の刃は、右肩の上に負うように斜めに長く突き出されている。近づく者あらば
   すぐさま薙ぎ払う構えだ。
    そのままビクとも動かない。騎士は規則正しい息づかいをしながら、"針"の群れを白刃
   の中心に収束させてゆく。
    高速で回転するコマが静止して見えるように、動かないユウリイの闘志は今、強靭な
   運動力の高まりと共にある。
    気づくと、これに対峙するマヤは顔中に汗を噴き出させていた。明らかに"押されて"いる、
   こんな彼女を見るのは初めてだ。
    『無理もない、あいつの剣技ではあれほどの騎士に騎士で対するわけにはゆかんだろう』
    ゼネスは少しく反省していた。マヤにはもちろん剣の手ほどきもしてやってはいる。が、
   何分にも彼の我流剣である上に駆け出しだ。一応、騎士で大剣を使えるレヴェルに達して
   はいるが、本格的な剣の道を知る者には及ぶべくもない。
    だからユウリイが騎士を出した時点で、「同じ騎士で相手するのは控えろ」と注意すべき
   だったのである。これは師であるゼネスの落ち度と言う他ない。
    『しかし…まあ、これも一つの経験か』
    いったんは止めようかと考えた彼だったが、思い直した。どうせ声を掛けたところで、
   あの弟子が素直に引き下がるはずがない。それに"今は敵わぬ相手"と対戦することは、
   強くなるためには欠かせない体験でもある。
    注意深く目配りしながら、彼はしばらく様子を見ることにした。
    ―さて、ユウリイの騎士は剣を構えたままずっと微動だにしない。対するマヤの騎士も
   構えの形こそは同じものの、こちらはジリジリと右に左に動いては、相手の剣の間合いを
   探っている。
    そして動かずにはいられない分だけ、マヤの方が"弱い"。
    優れた剣の遣い手になるほどは、自分の間合いを相手に悟らせることはない。相手が
   間合いに入るのを辛抱強く待つか誘い込むかして、入った瞬間に撃つ。
    だから、先に動くのならば戦略が必要なのだ。応じて動く相手を上回るための戦略が。
    マヤももちろん、そのことはよく承知している。しかし、今の彼女には大切なその戦略が
   ない。人並みはずれた魔力も高い集中力も、ユウリイの騎士と大剣に同じ騎士と大剣とで
   まともに対する限りは、何の役にも立たない。
    それでも彼女は、唇を噛みしめ脂汗を流しながらもなお、優れた騎士に対峙し続けた。
   非常な緊張を持続させ得る集中力の高さが、ゼネスの想像を越えて長く彼女を持ちこたえ
   させている。
    ジワジワと移動し、時おりサッと柄(つか)を上げて打ちかかる構えを見せる。
    だが、姉娘の騎士は動かない。彼女の精神のコマは一定の速さで回転し続け、毛ひと筋
   ほどの乱れもない。
    フッと、マヤの騎士が構えを解いた。
    「ごめん…」
    大剣が力なく下がる。
    「私じゃユウリイの相手、できない…」
    眉をしかめ口をゆがめ、今にも泣き出しそうな顔になって悄然と肩を落とした。
    「俺が代わろう」
    スタスタと歩み出ながら、ゼネスが二人に声を掛ける。彼は弟子に近づきざま、
    「今のお前にしてはよくやった。これは俺の責任でもある、泣くな」
    正直な気持ちを伝えた。けれど少女はうなだれたまま、無言で目元をぬぐうだけだった。

    弟子が騎士を元のカードに還すのと入れ違いに、今度は師が自らの騎士と大剣のカード
   を掲げた。都合三体目の騎士が出現する。
    「行くぞ」
    ゼネスはひと言のみ告げた。大剣はしかし、まだ鞘に入っている。彼の騎士の手は左こそ
   柄を取っているが、右は鞘の中ほどを握り込んだままだ。
    「抜いてください」
    ユウリイが返す、だがゼネスは薄く笑った。
    「ここで抜いたらお前に見切られる、このままでいい。
     俺の流儀は現場の叩き上げだ、御膳試合でもあるまいに、上品なことなどやってられるか」
    彼の言葉に、姉娘もまた微笑した。いや、「しかたない」というような苦笑か。
    瞬間、ゼネスの騎士が突進した。ひと息に間合いを詰めようと走る。
    だが相手の反応は早かった。サッと腰をひねり、同時に大剣が一閃して宙を薙ぐ。ゼネスの
   竜眼でも「キラ」と何か光ったようにしか見えない、ほんの少し遅れて「ヴン」という振動と
   刃風が到達した、ヒヤリとほほをなでて過ぎる。
    ゼネスは辛うじて"射程"の寸前で自分の騎士を止めていた。これは歴戦のカン働きに
   よるものだ。
    そうして空振りした大剣は再び、非常な速さで元の位置に戻されている。ユウリイの騎士
   の構えはピタリと定まり、少しも動揺を見せない。
    『これは…これほどまでの遣い手はめったにいるものじゃない、運がいいぞ、俺は』
    舌を巻きながらも、胸の内に火が点(つ)く。熱く強く燃え上がる、戦いへの渇仰。
   彼は今、笑い出したい気分だ。
    『こいつ、今のはただの威(おど)しだな、空振りを承知でやった。―とすれば、間合い
    はこれだけじゃないはずだ。
     ひとつ、試してみるか』
    ゼネスの騎士は素早く二歩下がり、その位置から強く踏み出しながら両手で剣を鞘ごと
   突いて出た。
    その間、彼の視線は相手の足元に貼り付いていた。が、その視界の片隅で相手騎士の
   左手が大剣からパッと離れる。
    「!!」
    慌てて右ヒザをガクリと大きく曲げ、半ば倒れながら体勢を変える。その一瞬、斜めに傾いだ
   身体のすぐ上を真っ直ぐに、白光がほとばしって空を裂いた。
    その勢いに弾き飛ばされるように、そのままゴロゴロと横転して間合いを離す。
    『剣が伸びた…!』
    驚愕した。同じクレイモアであるはずなのに、向こうの突きの方が"長い"。
    『"片手突き"とは…』
    予想だにしなかった。両手持ちの大剣を片手で突いて出るとは、まさに盲点。経験豊富
   な彼でさえ、見たことも聞いたこともない。
    しかもこの騎士は突いて出る際、足を少しも引かなかった。ただヒザと腰の回転のみで
   反動をつけ、大剣を繰り出してみせた。何と恐るべき技量ではないか。
    彼の中に再び、肚の底からの悦(よろこ)びが湧きあがる。
    「ふふ…ふふふふ…はは、お前はすごい奴だな。これほど楽しくなったのは久しぶりだ。
    礼を言うぞ」
    笑うゼネス。だが今度は、ユウリイは表情を変えない。しんと立ち、闘気を持続させている。
    『さて』
    考えをめぐらせる。さしもの彼も大剣の片手突きまではできない。リーチ、そして剣を
   振り、突く際の速さ、いずれもユウリイが勝っている。
    『まさに"神速"とはあれか。しかしあの娘にも弱点がないわけじゃない。
     あいつは実戦に臨んだ経験が無いんだ、突くとすればそこだな』
    数々の激しい戦い、それも接戦の経験。その蓄積こそはゼネスの誇るべき財産だ。
    セプターの「価値」を決めるのは、カードの数でも魔力でも技量でもない、経験から
   抽(ひ)き出した知恵と、それを実行する胆力あってこそ―というのが、彼の実感である。
    だからこのような力と力のぶつかり合いでは、自分は決して負けないのだと信じている。
    『あの剣を止めることだ。―よし、"手"は思いついたぞ、お前の力を逆に利用させて
    もらう!』
    作戦が定まれば、後は完遂するのみ。彼の騎士はもう一度大きく退がり、初めて鞘を
   払った。大剣の柄を両手でガッチリと握り、切っ先を前方に向けて脇に固める(すぐに
   も"突き"を出せる体勢だ)。
    「勝負!」
    疾走開始、相手方へと一目散に馳せ向かう。
    対するユウリイ側は、突っ込んで来る騎士を見て即座に右足を引き、強く踏み込んだ。
   ほとんど同時に左手が柄を離れ、右のヒジも引く。
    踏み足の反動が瞬発力を生む。駆け上がる力がヒザと腰でひねられ、威力を増す。力の
   奔流は右腕に流れ込む。手首がかえる、重心が移る、一気に、目にも留まらぬ速さで体が
   伸張し、前方に剣を撃ち出す。
    大剣の質量と身体の回転の勢いを乗せ、突進してくる重量の圧力に立ち向かう。
    だがゼネスは相手が初動に入った瞬間、騎士の体をごくわずか右に傾けた。刹那、白刃が
   左の肩部を鎧ごと貫く。ところが顔色を変えたのはユウリイの方だ、固い肩の骨がガッキと
   剣を噛み、それ以上刺しも引きも払いもならない。
    急ぎ大剣から右手を離し、殺到する突きをかわした。が、体勢は流れている。そこに
   踏み止まったゼネス側は足払いをかけた、たまらずドウと仰向けに倒れる。
    倒れた相手の胸部を遠慮なく踏みつけ、ゼネスの騎士は両手の剣を逆しまに突き下ろした。
   ―しかし、切っ先はノド元の寸前でピタリと止められる。
    「参りました」
    ユウリイの声が聞こえた。振り返れば、彼女の顔は玉の汗を吹いている。
    踏んでいた足が除けられた。倒れていた騎士は静かに立ち上がり、甲(かぶと)を脱ぐ。
    その下から現われたのは―亜麻色の髪、深い緑の瞳を持つ青年の顔。ユウリイの面立ちを
   そっくり写してはいるが、それよりもむしろ、ツァーザイが長じた暁にはこうもあろうかと
   いう容貌に見える。
    素顔となった騎士はゼネスの前に片ヒザを突き、かしこまって頭を垂れた。
    「ワザと肩を突かせて剣を止めるなんて…本当に、戦いはきれい事ではありませんね。
     さすがです、竜眼のセプター様」
    「いや、お前の剣技こそ見事だった。
     ただ、二撃目で早くもあの突きを見せたのはまずかったな。必殺の技は最後の"決め"
    まで取っておくものだ、憶えておくがいい」
    「ご教示ありがとうございます」
    遣い手もまた深々と頭を下げる。ゼネスは両の唇の端を二ッと上げた。汗に当たる風が
   心地良い。
    「しかし大剣を"片手突き"するとはな、恐れ入った。あれはお前の父の技か」
    「はい。直接習ってはおりませんが、父の得意技でした。私はその稽古を見て憶えたのです」
    淡々と答える。だが父母を語る際はいつも、彼女の眉宇はくもりがちだ。
    「私は今、五枚のカードを持っています。でも…父が存命中に使わせてもらえたのは、
    そのうちの"不死鳥(フェニックス)"だけでした。
     父にとって、私はただカードを弟にゆずり渡すための棚のようなもので、ついに私を
    自分の後継ぎのセプターとは認めてくれませんでしたから」
    そう言って、片ヒザ突く騎士を見やる。
    「クリーチャーのカードは、他にはこの騎士だけです。何か足りないと感じるのはこの
    カードのことで。
     私、まだこの騎士を自分のものだと思えずにいるんです。未だに父のカードではないか
    と。そのことが歯がゆくて、ロォワンに挑めずにいます」
    彼女の視線は騎士の上にじぃっと注がれている。ゼネスは緑の瞳の中に、深い哀しみが
   たたえられてあるように感じた。母の生を踏みにじり、彼女の心を踏みにじった生みの男
   への、しかし憎しみではなく憐れみの情が。
    なぜそれが憎悪ではないのかが、彼には不思議だ。
    それでも、取りあえずはこの優秀なセプターを勇気づけてやりたいとは思う。
    「お前に足りないのは、一にも二にも経験だ。他人と対戦する数をこなせば、自然と
    クリーチャーの感覚もしっくりくるようになる。
     お前はそう言うが、俺から見ればお前の騎士の扱いは素晴らしい。ぜひ毎日でも手合
    わせしたいところだな、俺たちがここにいる間は気兼ねなく来るがいい、相手になろう」
    姉娘の口元が、ようやくほころんだ。
    「ありがとうございます、竜眼のセプター様にお褒めいただけるのは光栄です。あなたは
    伝説のセプターとはもちろん違う方なのでしょうが、それでも嬉しゅうございます」
    もう一度、深く深く礼をささげる。
    「その…"竜眼のセプターの伝説"とやら、内容を詳しく話してもらえないか。
     昨日ツァーザイからもあらましは聞いたんだが、さすがに気になる。俺も同じご面相
    だからな」
    ようやく、気になっていたことを尋ねる機会がめぐって来た―とばかり、だがごくさり
   げなく彼は訊いた(あまり強く関心を示すのも、うまくないだろう)。
    「ご所望とあらば…」
    ユウリイは騎士をカードに戻し、五人は車座になって彼女の語る話に耳を傾けた。

前のページに戻る 続きを読む
「読み物の部屋」に戻る