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       第7話 「 緋の裳裾 (中編) 」 (4)


     ―それは古(いにしえ)、人の目にまだ神々の御姿が見えた頃のお話です。
     この世界を統べるいともかしこき創造神さまに、反逆の心を抱いた一人のセプターが
    おりました。
     彼は神々の無限の"力"を手にせんと志し、竜の眼を左に移植して魔力を高めていたため、
    人々はこれを"竜眼のセプター"と呼び習わして、たいそう恐れていました。
     竜眼のセプターはカードの戦いをくり返して"力"を蓄え、ある時ついに創造神さまに
    挑みました。しかし彼は、神がお遣わしになった最強のセプターである"覇者"に敗れ去り
    ました。
     ところが、敗れてなお彼の魂は"大いなる闇"に還ろうとせず、神への呪いを叫んで地上
    に留まろうとします。そこで創造神さまは、この魂にひとつの罰を与えることにしました。
     竜眼のセプターは死なない身体を得て甦りました。
     けれども彼は"覇者"に敗れた屈辱を忘れることができず、常に最強の相手との対戦を望ん
    で地上を流れ歩く者となりました。
     彼の心に安らぎが訪れることはありません。戦いへの飢えと乾きに追い立てられ、屈辱の
    記憶に苛(さいな)まれる日々。それでいて、望みのかなえられる時はついに来ない運命
    (さだめ)なのです。
     神が遣わされたセプターとは、実は神の分身でありました。もとからこの地上の人では
    なかったのです。
     竜眼のセプターは、今日も幻を追い求めてこの世界のどこかをさまよい歩いています。

    「私どもの間では、"彼に出遭った者には災いが降りかかるが、彼に対戦を望まれた者は
    最強のセプターになることができる"と言われております」
    姉娘の話は、この言葉で締めくくられた。
    『これはどうも…俺のこととバルテアスのことが一緒くたになっているような話だな』
    ひとくさり聞き終えて、ゼネスの胸の内には曰く言いがたい落ち着かない気分がモヤモヤ
   とくすぶっていた。
    「バルテアス」―遥かな昔、創世神の地位を得んとして究極絶対神カルドラに反逆した、
   リュエードの抑制神(増減のバランスを司る神)。カルドセプトを奪い、数多くの魔獣や
   魔物、禍々(まがまが)しい呪文を創り出したあげくに、カルドラ神自らカルドセプトを
   打ち砕く仕儀にまで至らせた、カードをめぐる全ての争いの出発点。
    カルドセプトが砕かれた時、バルテアスは一度は神としての力を失い、カルドラ神に
   よって封印された。しかし"彼"はあきらめず、砕かれてカードとなったカルドセプトの
   破片を集めて再び神の力を得ようと目論んだのだ。
    その折の一連の騒動こそが、最初の"カードの覇者を巡る戦い"なのである。
    この戦いでは、最後まで残ったゼネスと最初の覇者とがバルテアスに打ち勝ち、完全に
   消滅させた(今ゼネスが亜神の身分を得ているのも、この時の働きが"功績"と認められた
   ためである)。
    ―はずなのではあるが。
    『リュエードも例の"大変動"とやらで、神話や伝承のたぐいなどはゴチャ混ぜになって
    しまっているのだろう。こんな話があるのもしかたがないか…』
    頭ではそう思うものの、どこか奥底の方で神経がうずく。
    神を強烈に呪うあまり闇に還ることさえできず、永遠に戦いを求めて彷徨(さまよ)う者。
    ―それはお前のことだ―
    『違う!』
    胸をつかんだ、息が苦しい。
    ―ならば何故、今も戦いを求める―
    『楽しいだけだ、何が悪い!』
    心臓がイヤな音をたてて鳴る。
    「ゼネス…ゼネス…?」
    声が聞こえた。ハッと気づく。左側を見る。
    「どうかしたの?何だか苦しそうだけど…」
    とび色の瞳が、気遣わしげに彼を見上げている。
    「いや…」
    "何でもない"と言おうとしたが、言葉が出てこない。
    「ご気分を悪くされてしまったのですか?申しわけありません」
    ユウリイも恐縮している。彼は慌てて手を振った。
    「違う…違う、いささか同情しただけだ、そいつに。俺も強い奴との戦いを常に望んで
    いる者だからな」
    微妙に本音の混じった出まかせを言う。すると、
    「やっぱりおじさんもその人のこと気になるんだね」
    ここまで黙っていたツァーザイが口をはさんできた。
    「ずうっと捜し続けるって、どんな気持ちなんだろう?そんなに神さまが憎いのかな?
    それとも、勝ちたいだけなのかな?でも…それでもし勝っちゃったらどうなるんだろう?
     なんだか、いろいろ考えちゃう…」
    天才少年はどこか遠くを見るような眼をして言う、想像の世界にひたってでもいるのだ
   ろうか。―だが、
    「まあ!"おじさん"だなんて、失礼よ、ツァーザイ!」
    姉娘にはすかさず注意される。
    「いやあ、かまわねえ、かまわねえ。この先生はそんなつまらねえことで怒るような狭い
    了見じゃねえから気にしなさんな」
    ロメロが勝手に請けあってしまう。さらに、
    「それよりもお前さん方、そろそろ帰り支度した方が良さそうだぜ、ほら」
    暗い上空を指差す。見上げると、翼持つ巨獣が空の高みに静止している。
    「あれはつい先刻飛んで来た、クリーチャーだけだがどうやら敵意はなさそうだ。例の
    若者…ロォワンのグリフォンだな?」
    ゼネスがユウリイに確かめた。彼女は小さくうなずく。
    「もう〜、また来たんだ、あいつ!」
    ツァーザイはふてくされている。
    「ロォワンは"仕事"に出て村にいない時は、夜になるといっつも"あれ"をよこすんだもの、
    ずうずうしいや!」
    大いに気に入らないとばかり、上空をにらむ。
    「そんなこと言うもんじゃないわ、心配してくれてるのよ彼は、私たちのこと。
     それでは皆さん、今夜はもうこれで帰ります。また明日うかがいますね」
    丁寧に頭を下げて姉娘は礼を言った。さらに、空の巨獣に手を振る。
    グリフォンが翼を広げたままスーッと降下してくる。風を巧みに使い、穏やかに地面に
   四肢を下ろす。
    ユウリイとマヤは手早く巨獣の背にナベや道具類を積んだ。
    「さあ、帰るのよツァーザイ」
    「…ボクはこれで行くの、ヤだ」
    まだゴネている弟を、姉はさっさと抱き上げる。
    「止めてよ、赤ちゃんじゃないよ」
    そう言いつつも、何やらまんざらでもなさそうなツァーザイ。二人はグリフォンの背に
   乗り込んだ。
    「お願いね、ロォワン」
    娘の手がやさしく、やさしく巨獣の羽根に覆われた首すじをなでる。炯々と光る黄色の眼
   が、うっとりと細められる。
    「おやすみなさい」
    「おやすみー、また明日ね!」
    あいさつと同時にグリフォンは啼き声を上げ、彼らはゆるやかに上昇した。充分に高度
   を上げた所で、風を呼ぶ。
    巨獣は村の方角へ速やかに飛び去った。

    「ユウリイとロォワンて、きっとお互い好き合ってるんだろうね。ユウリイは彼と戦う
    って言ってるけど」
    姉弟の消えた方向を目で追いながら、マヤがつぶやく。
    「うん、どう見てもそんな感じだなあ」
    ロメロも同意する。
    「ロォワンがユウリイを"仕事"に連れてかないのは、戦わせたくないからかも知れない。
    危ない目に遭わせたり、殺し合いさせたりなんてこと、したくないんだろうな…」
    「んー、そこんとこは微妙だなあ。ハナっから"男だけの仕事"だと信じ込んでるのかも
    しんねえし。
     まあ、あの兄ちゃんは村の男の中じゃあ、ちったあ"わかってる"ほうじゃねえかとは
    思ってるけどね、オイラは」
    と、ロメロ。しかしマヤは、
    「そうかなあ、本当に"わかってる"のかなあ…」
    疑わしげである。
    「少なくともさあ、女に可愛がってもらえねえ男の人生なんてつまんねえもんだって
    ことは、よくわかってると思うぜ。
     なあお師さん、あんたもそこんとこは"わかってる"よなあ」
    またいきなりそんな話を振ってきた。もちろんゼネスは面食らう。
    「何だそれは、俺はそんな事に興味は無い」
    (だいたい彼は、二人の話題に出る"わかっている"の内容が何を指すのかさえ、あまり
    よくわかっていない)
    そう返したが、
    「あれ、何言ってんだろうねえ、この人は」
    調子のいい男はいかにもあきれたという声を出した。
    「マヤちゃんみたいないい娘(こ)と毎日々々、朝起きるっから夜寝るまで一緒にいて、
    うまい飯作ってもらって熱いお茶ァ淹れてもらって、女のありがたみってヤツにドップリ
    つかってんじゃん、あんた。よくもまァそゆこと言うもんだねえ」
    ゼネスは三度び赤面した。
    さて、マヤは男二人のやりとりにしばらくクスクス笑いをしていたが、やがて笑いを
   納めると急に真面目な顔つきになる。
    「ユウリイ、凄かった…全然別の人みたいだった。
     私、まだできないことばっかりなんだって、つくづく思った」
    「当たり前だ」
    師もまた顔を引き締めた。
    「やるべき時はやる、あれこそセプターという者だ、思い知ったか。お前なんぞまだまだだ」
    すると、弟子はジロリと師を見上げる。
    「ゼネスはいつものゼネスだった」
    憎まれ口を言う。
    「ふん、俺はいつだってセプターだ。
     そんなことよりお前、あの騎士の"片手突き"はかならずモノにしろよ、あれは簡単には
    破られない強力な必殺技だからな」
    彼の口調は戦闘の興奮を思い出し、つい熱っぽくなる。だが弟子の方は冷静だ。
    「そんなこと言って、ゼネスは自分が楽しみたいだけでしょ。私があの"突き"ができる
    ようになれば、好きな時に『稽古だ』って言って相手できるようになるから。
     もう見え見えだもんね、あなたの考えることは」
    そう言って、少女は少し笑う。けれどまた真顔になり、夜空と地平線の間の彼方を見る。
    「でもいいや、私、やる。
     ユウリイのあの"突き"、できるようになる。
     もっともっと、いろいろな事がわかるようになりたいもの!」
    きっぱりと言い切った。
    師は思わず弟子の顔を見直した。
    ―「もっと強くなりたい」ではなく「わかるようになりたい」。こんなセプターは他には
   知らない、そしてこれこそがマヤだ。
    マヤという娘の中心だ―彼はそう思う。
    ―「世界を見たい」―
    いつか頭の中に響いた"声"を想い出す。
    「……」
    ゼネスはふと、少女が颯と何処かへ飛び去ってしまうような錯覚に捕われた。
    言いようのない不安を覚えた。

    そこは…光源がどこにあるともわからない、ぼんやりとほの暗い場所だった。
    前方の遠くより、得体の知れない"影"がひとつ近づいて来る。
    ザンバラ髪に長マントをはためかせる"影"だった。そう、ヒョウヒョウと音たてて、
   ここには生ぬるい風が吹きすさんでいる。
    "影"は全体が暗くて顔つきはよくわからない。ただ、顔の左側で赤い異様な眼が光って
   いる。「竜の眼」だ。
    もう、すぐ前にまで来た。
    『貴様は誰だ!』
    誰何した。"影"が足を止める。
    『伝説のセプターなのか、それとも…まさかバルテアス!』
    『そんな奴は知らんな』
    "影"が応えた。聞いたことのある声だ。
    『俺は…いや、名乗る名など無い、止めておこう。しかし俺を呼んだのはお前だぞ』
    体を揺すった、笑っているらしい。
    『何だ、忘れているのか、ヒドい奴だな。
     まあいい、本題だ。
     俺は昔お前と一つだった、だが今は違ってしまっている。お前はもうそろそろそのこと
    を自覚せねばならん』
    『どういう意味だ』
    汗がいく筋も流れる、動悸が早くなる。聞きたくない、聞きたくないと身体の中から悲鳴
   があがる、だが耳をふさぐことができない。
    ここではできない。
    『俺は復讐のために戦いを求めていた、だがお前は違う。いや、お前が戦いを求める理由
    はもともと俺とは違っていたのだ。
     お前の真の目的は、戦いそのものではない』
    『何だと』
    『そんなこと、お前自身が一番良く知っているはずだぞ。
     よく聞け、俺の罰はすでに明らかだ、だがお前の罰はまだ明らかになっていない』
    『罰ではないぞ、俺が放浪しているのは』
    叫んだつもりだったが、声に力が入らない。
    "影"はまた笑っているような気配だ。
    『お前がそう信じているだけさ。
     まあいい、楽しみにして待つことだな、いずれわかる』
    うっそりと言った。そして突然全てが暗転した。

    ―ゼネスは飛び起きた。深夜だ、まだ闇は濃い。
    「夢か…」
    つぶやいて、ため息を吐く。傍らでは、マヤとロメロが眠っている。
    彼は、弟子の寝顔を見た。
    ―「世界を、見たい」―
    忘れることのできない、言葉。
    「師匠…」
    ずっと凍結されていた記憶が溶け、ほどけて甦(よみがえ)る。

    ―「ゼネスよ」
    "その人"は、ほほ笑んで言った。
    「そんなに私の背中ばかり見つめないでおくれ、くすぐったいではないか。
     世界を見なさい、お前は、この広い世界をこそ。
     すみずみまで見て、触れて、ありのままに感ずるがいい。
     そして私に教えておくれ、
     お前が何に、どのように心を動かされたのか、どんな思いが浮かんできたのかを。
     焦らずともよいのだよ、繰り返していればきっと"扉"はお前のために開かれる。
     "カード"とは、そういうものなのだからね」

    「師匠、俺は…」
    ―「大切な人と別れてでも、やりたいことを追っかけてなんて行けたの」―
    「そんなものは無かった、何も無かった、包まれていたいだけだった、あの慈しみと
    温もりの中に。
     もう二度と失いたくないだけだった、ただそれだけだったんだ。
     空っぽだ、俺は、昔も今もずっと。
     戦いの興奮で満たしていなければ、つぶれてしまう。
     何と、何と弱い男だ」
    彼は空を向いた。その眼に映る月も星も、ゆらゆらと歪んだ光がにじんでいる。
    しばらくはただ、そうして動けずにいた。けれどやがて腕で目元をぬぐい、ふたたび弟子
   の少女を見おろす。
    「お前は俺とは違う、求めるものがある。そしてきっと、何をおいても追って行く。
    なのに…なぜ俺について来た?どうして俺を苦しめることを謂う?お前と出遭って俺は
    変わってしまった、もう以前の俺には戻れない。
     辛い、苦しい事実から逃げおおせていた俺には戻れないというのに。
     お前は遠からず、俺を越える。そうなれば、こんな空っぽの男など用無しだ。たとえ
    過去の行状を知られずに済んだとしても…いずれお前は俺を捨てて去る。
     だが俺は、俺はすでに、お前のいなくなる日のことを考えることができない。
     マヤ、お前がここに居ることこそが、俺の"罰"なのか」
    口にしてしまった、ついに。認めてしまった、自覚などしたくはなかったのに。
    明日からは、時の流れが針を踏むような痛みを伴って自分を襲うのだろう、彼はそう思った。
    そして、この宇宙の「時」を支配するのはかの絶対神カルドラであったのだなと、これは
   まだ実感に乏しい心地でぼんやりと思い出していたのだった。


                                                        ――  第7話 (中編) 了 ――

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