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      第9話 「 風の中を飛ぶ 」 (4)

 

    外に出てみると、すでに陽光には影の色が混じりはじめていた。西の空がほんのりと赤く、
   風もやや冷たい。
    烏たちは遠くにでもいるのか、姿が見えない。
    老魔術師がマヤを案内したのは、家の裏手の庭だった。表に比べれば半分ほどのこじん
   まりした場所だが、ぐるりにこんもりと葉をつけた常緑の木が植えられている。村はずれ
   ということもあいまって、これならばカードを使っても村の者らには気取られまい。
    「さあ、見せておくれ」
    促され、少女は庭の中心に立って一枚のカードを掲げた。
    「ヴゥゥ〜〜ンン……」
    強い唸り音が響き、周囲の草の葉が一斉に立ち上がった。「チリチリヂヂヂヂ」震えながら
   騒ぐ。庭の周囲の木立ちも「ゾゾゾゾゾゾ……」梢を揺るがせて蠢き、大気が緊迫する。
    「ピシッ」
    "力"が兆した。樹皮を突き破って萌え出る新芽のように、カードから伸び展(ひろ)がる。
    「おお!」
    そこからあふれだしたのは、常よりもいっそう強い"輝き"だった。白く目を灼く煌めき、
   真夏の中天にかかる日輪にも優る「出現」の光輝だ。
    「これは――」
    ゼネスも思わず手をかざして光から目をかばった。このような"招来"は彼も今だかつて
   見たことがない。そうして驚くうちにも輝きは成長し、大きく"花"を開いた。
    ――が、とても目を開いて見ていられない。何もかもが光の洪水に霞む。
    それでも、閉じかけたまぶたの裏でゼネスの感覚は"花"の中心から析出してくる何もの
   かの気配を察知していた。それは次第にふくれ、形を取り、その分だけ光の輝きは薄れて
   少しずつ鎮まってゆく。そろそろと目を開けたが、
    「あっ……!!」
    絶句した。眼前に浮かぶのは雷撃の飛竜「サンダービーク」、だが通常の灰色がかった
   体色とはまるで違う。マヤの雷飛竜はなんと、白銀の光を放つ半透明の姿をしていたのだ。
    「ほほぉ」
    老魔術師も驚き、同時にいたく興味を惹かれた様子で身を乗り出した。
    「純度の高い結晶体であるな、"凍れる雷(いかずち)"とでもいったところか。こんな
    珍しいものを拝めるとはね、長生きはするものだ」
    アゴひげをひねくって感心する、その足元をドッと風が吹きぬけた。
    気がつけば、周囲の四方八方から風が吹きつけてくる。いや、集まってきている。この
   裏庭の中心、マヤのサンダービーク目掛けて。
    『こいつの持つ強い"力"の干渉で気流が生じている』
    まるで風の神(テレイア)の分身だ――と思い、またそう思った途端にゼネスの胸は突か
   れたようにズキリと疼いた。
    『マヤ……』
    弟子の少女を見やる。彼女は雷飛竜の後方で静かに、毅然として立っている。
    マヤの右手がサッと上がった。「バチバチバヂッ!」体中から豪勢な放電の火花を散らして、
   飛竜は甲高くひと声啼いた。
    ドドドッ――
    ひときわ強い風が来た、地上の大気を束ねて引っ張り、太い上昇気流の柱を立ち上げる。
   その風に乗り、ビークの姿はあっという間に天高く舞い上がった。本当にまばたきする暇
   (いとま)さえない。
    「見事な!」
    老人が手を打ち感嘆する、ゼネスも呆然として見上げるより他に術はない。遥かな上空
   にきらきら、夕陽の光をはね返して輝く体躯、湾曲した白銀の双翼。天地の間に独り在り、
   風を切り風を裂いて飛び翔ける。
    「うむ、そうか、うむ」
    つぶやいては何度もうなずきながら、老魔術師はしばしの間じっと天空の飛竜を見つめた。
    やがて、
    「マヤさんや」
    穏やかな、温もりある声が少女に向かった。
    「私がかつて拝見したミリアどののサンダービークは、ひたすらに大らかで豊かな慈愛
    の気に満たされておった。
     対するに、今日こうして見せていただいたあなたの飛竜からは、鋭く気品高く、それ
    でいてどこか寂々とした孤高の気配がうかがわれる。
     どちらが良いとは私は言わぬ、これは個性だからな。ただ、もしマヤさんがミリアどの
    の慈愛に近づかれたいと願われるならば、先ほどあなた自身が言われたように、多くの
    人々と会われるのが宜しい。問い尋ね、大いに思うところを語って言葉を交わすことだ。
    その経験こそが、着実にあなたを豊かにしてくれることだろう」
    「お言葉、ありがとうございます」
    マヤは深く頭を下げた。栗色の髪が風にそよいで揺れる。
    「老先生にお会いでき、お話をうかがえましたことで、私は大きな一歩を前に踏み出せ
    たように思います。この道をさらに進もうという、勇気も湧いてきました。本当にあり
    がとうございます。
     はい、私はこれからもいろいろな方にお会いして、お話をして、そうして考える経験
    をたくさん積んでゆきたいと思います。それで……あの、先生」
    さく、さくと足元の草を踏み、少女は魔術師に近づいた。
    「いずれ経験を重ねましたら、また私の飛竜を老先生に見ていただけますでしょうか」
    両の手を固く組み、ほとんど懇願と呼ぶべき懸命の面持ちで言う。――だが、老人は
    ゆっくりと首を横に振った。
    「またここに来てくれるのは一向に構わんし大歓迎だよ、マヤさん。しかしな、あなた
    を見守るお役目は本来そちらのお師匠どののものだ」
    静かに、だがひたととび色の瞳を見返した。
    「もっとご自分の先生のことを信頼して、懐に飛び込んでゆかんと。お師匠どのはな、
    あなたが考えておるよりもずっと、広く深くしっかりとあなたを受け止めることがお出来に
    なるお方なのだからね。
     マヤさんにとって今一番大事なのは、そのことだよ」
    ――さっと少女の顔に血の色が昇った。眉をしかめ、唇をゆがめてうつむく……スカーフ
   からわずかにのぞくうなじ、そして耳の裏までも、全てが赤い。
    強い愧(は)じらいによって赤い。
    黙っている、黙してうつむき立ち尽くしている。
    そして、ゼネスもまた同じように立ちすくみ、ものを言えずにいた。
    ――『もっと信頼して』――と、老魔術師は言った。ならば、マヤは最初からずっと彼に
   心を許してなどはいなかったのか。これまで彼女がいつも、彼を信じ全力でぶつかって
   きてくれたと思っていた数々の行動も、
    『みんな"まやかし"だったのか……』
    にわかには信じ難い。だが、今うつむいている弟子の表情を見る限りでは、ギョーム老
   の指摘が「正しい」と認めるしかない。
    『お前は、俺を欺いていたのか?』
    不意に、以前マヤが眠りについた時に現われていた、黒魔犬の表情が思い出された。
    ――「俺のことを見尽くしたと思ったら、お前は何処かへ行ってしまうつもりなんじゃ
    ないだろうな」――
    そう問いかけた彼に、あの黒犬は微妙な"笑い"を浮かべてみせた気がする。あの時は
   錯覚かと思ったが、実際にはそうでなかったのだとしたら?
    驚愕、疑念、怒り、嘆かわしさ、虚無――今やいくつもの感情がごたごたと一つに混じり
   合い、ゼネスの内部でぐるぐると堂々巡りをしているのだった。頭は何も考えられず、
   空っぽだ。
    裏庭はしんと静まり返った。誰も動かない。……そこへ、上空よりひらひらひら、何かが
   落ちてきてマヤの足元の草に引っ掛かった。
    カードだ、彼女が心を大きく乱したために、サンダービークが形を保てなくなってカード
   に還ってしまったのだ。
    がくり、少女がしゃがみ込んだ。
    身体を小さく縮め、手のひらを目の上に押し当てて――ギュウギュウと強く押し当てて
   ――泣いている。背中を震わせ、声を殺して泣き伏している。
    さわさわさわ、彼女のくるぶしを隠す草の葉がそよいだ。側々、風の音に混じる忍び泣き
   の声が耳に刺さる。
    ファサッ
    その時突然、烏が一羽舞い降りてきてマヤの肩に止まった。ロアだ、ようやく遠出から
   戻ってきたのだ。
    かれは首をかしげて、しばらく"友人"の嘆きを見ていた。が、そっと少女の頭の後ろに
   くちばしを差し伸べると、その髪を梳(す)いてやりはじめた。
    少しずつ、少しずつ髪を取ってはくちばしを滑らせて、丁寧に梳いてゆく。何度も繰り
   返す、相手をなぐさめるかのように。
    ゼネスはついにいたたまれなくなり、踵(きびす)を返して裏庭を後にした。


    裏庭を離れたゼネスは、家屋を回って表の庭に向かっていた。とにかく、今は弟子の
   姿を見ていたくない、自分がみじめに思えてきてたまらなくなる。
    「とんだ茶番だ、あいつのことで悩んだのも、結局は俺の一人相撲だったわけだ、バカ
    バカしい」
    信じてついて来てくれたものと思い込んでいた。だからこそ、その信に値しない男だと
   苦しみ続けた。これまで自分が見ていた弟子とは「何」だったのだろう?本当のマヤは、
   もっと冷徹に――あの黒魔犬の赤い目のように――己れの師の力量と限界とを見定めて、
   必要な技術の習得にのみ利用していたのではなかったろうか。
    「バカだ、俺は……」
    立ち止まり、目をつむった。『もう、全てがこのまま消えてしまったとしてもいいでは
   ないか』――そんな自棄な思いが肚の底からささやきかける。
    だが、
    「術師どの」
    彼は後ろから追いかけてくる声を聞きつけた。その主は急ぎ足でこちらに近づいてくる。
    「…………」
    何も云わず、ゼネスはただ顔をしかめた。この声――ギョーム老が余計なことを口にして
   くれたおかげで、一瞬にして彼と弟子との関係が変わってしまった。二人の間に本当は
   あった亀裂、今までゼネスの側からは見えていなかったそれが暴き出されてしまったのだ。
    ところが、
    「なかなかのご機嫌とお見受けするが、これからどうなさるおつもりだね?」
    魔術師はいつものように人懐かしい笑みを浮かべ、平然として彼に訊ねたものである。
    『こいつ、いけしゃあしゃあと……』
    猛然と怒りが沸く。だが、それは八つ当たりというものだ。ゼネスは辛うじて顔をそむけ、
   捨てゼリフを言うに止めた。
    「弟子に信頼されていない者に師が務まるか、あいつは……むしろあんたのところにでも
    弟子入りすればいいんだ」
    そして、懐から黒天馬のカードを取り出そうとした。だが、次の老人の言葉を耳にして、
   彼の動きは固まった。
    「ふうむ、ふむ、ふむ……やはり今ひとつお分かりではないようであるな、術師どのに
    は、マヤさんの涙の意味が」
    『何だと?』
    弟子の涙の意味、ゼネスはそれはてっきり、彼への不信を隠し欺いていた事実への、
   恥と罪の意識のゆえと思っていたのであるが……。
    「あんたには、分かるとでも言うのか」
    覚えず、問い返す。
    「だいたいはね」
    老人はそう答え、笑顔を引っ込めると真面目な顔を作った。
    「それではお教えして進ぜよう、お師匠どのよ。これはとても大事な話だ、どうしてあの
    娘が涙を流さずにはいられないのか」
    魔術師はゼネスの顔をまじまじと見、さらに一歩二歩と歩み寄った。
    「"自信"が無いのだよ、彼女は。あんたに自分の丸ごとを受け止めてもらえるという、
    確たる自信が持てずにおるのだよ。分かって欲しい人に、しかし分かってもらえそうに
    無いと思い込むのは辛いことだ。
     だからあんたは、師としてあの娘の思い込みを取り除いてやらにゃあならん」
    ガン、と一発頭を殴りつけられたようだった、愕然とした。老人の明かすひとつひとつ
   が、ゼネスには衝撃以外の何ものでもない。
    「あいつが……マヤが俺に……そんな……」
    受け止めて欲しい、だがそれはできない――胸の底で密かに望み、望むたびにしかし自ら
   否定していたのは彼の方であるはずだった。弟子が彼に対し同じ思いを抱いていたなどとは、
   これまで全く、本当に毛筋ほども気がついてはいなかった。
    『何と……ああ、やっぱり俺はバカだ』
    いつも自分のことしか考えていない、今は身に沁みてそのバカさ加減が切ない。ふらり、
   足を踏み出して顔を上げ、己れが後にしてきた裏庭の方角を見つめた。
    ――と、魔術師宅の屋根の上に、鳥よりもずっと大きな影がひとつ浮いている。黒い鳥
   の影二つと共に。
    「サンダービーク……」
    それはしかし、先刻の白銀の翼ではなかった。ごく通常の、当たり前の灰色がかった淡い
   茶の体色のクリーチャーだ。夕暮れの空をふらふらと、強い風にあおられそうになっては
   持ち直し、立ち直ってはまた不安定にかしぎ、ゆらぎながら漂う。
    高空を、風を切り裂きつつ飛んだ面影はさらにない。放心した魂の、あてどない彷徨。
   二羽の烏がその周りを舞っては、盛んに声を掛けている。
    「ロアとカーラが励ましとるなァ」
    ぽつねんと心細げな雷飛竜。眺めるほどに哀切さを思い、胸が掻きむしられる。いつしか
   裏庭へと戻りかけたゼネスの足を、老人の明るい声が捕らえた。
    「振り回されるだろう、弟子には。
     しかしそこが得難い。己れの越し方を振り返り、時には洗いざらい検討し直す作業さえ
    強いられる。だがそれゆえにこそ、我らは弟子を取るのではなかろうかね、術師どのよ。
     あの娘を一人にしてはならん、そしてあんたも独りになってはいかん」
    声音にも言葉の内にも、しみじみとした温もりがある。ゼネスは立ち止まり、振り返ると
   黙ったまま深く頭を下げた。
    「いや、まあそれはともかく――。
     私はね、術師どのにぜひとも一つ確かめておかねばならないことがあるのだが」
    魔術師は、ゼネスの面上からは視線を逸らせて空の飛竜を見上げた。そしてゆっくりと
   深い呼吸をして、肚に力を入れる。
    「ああしているのを見ると、お弟子どのは世の常のセプターと何ほども変わらぬように
    うかがえるな」
    「だから、以前にも"そうだ"と言ったはずだが」
    老人がなぜ今、そんな話を持ち出したのか。ゼネスの背中でざわり、畏れが走る。
    「あれはただの当たり前のセプターだと――」
    「だが今は、カギがかかっているだけなのかも知らん」
    やはり相手の顔は見ないまま、魔術師は一方的に続けた。というか、すっとぼけている。
    「扉の中の扉、"力"の扉」
    アゴひげに埋もれた口がそう唱えた。ゼネスは心底、ギョッとした。
    「何を……言いたい」
    「アドルフォさまは『"力"の孔』であらせられた。であれば、『"力"の扉』である方も
    何処かにおられるやも知れん。
     私はずっと密かにそう考えておった。そうして、やはりその方は現われた」
    「止めろ」
    風が冷たい。ひたひたとイヤに冷たく粘こく肌にまつわる。こめかみの奥にジーン……
   鈍い痛みが疼く。
    「『"力"の扉』が開いた時には何が起こるのか、我ら全ての者の上に一体何がもたら
    されるのか。見たいのう、知りたいのう、お師匠どのよ。カード術師としてのあんたは
    必ずや、扉が開くその瞬間を待ち望んでおるはずだ」
    「言うな……」
    声がかすれていた。口が乾く、喉から腹の奥の奥底までがすっかり干からびてしまった
   かのようだ。
    「だが……しかしその一方で、男としてのあんたは"扉"が目覚める日などこなければ
    良いと思うておる。
     いかがかね、この私の推察は?」
    グレーの瞳は相変わらず軽い笑みを含んでゼネスを見ている。だがゼネスにしてみれば、
   この老人の目はやはり猛禽の慧眼そのものなのだった。彼自身さえも気づけないほど胸の
   底深い場所に隠してしまった思いを、きっかりと見透かしてつかみ出してしまう。
    「いかがかね?」そう訊かれたところで答えられるはずもなく、荒い息を吐き脂汗をにじ
   ませてようやく立っていた。
    「ふうむ、"当たり"か」
    黙っているゼネスをしばらく見つめた後、魔術師は一人うなずいた。あくまでも温かみ
   を忘れない笑顔で。
    「まあ良いさ、何も今すぐに態度を決めにゃならんわけでもなかろ。
     時間はあるはずだ、ゆっくりお考えなされよ。――それにしても、あんたのマヤさんを
    見ていたら、私も久しぶりに弟子を置きたくなったな。
     "一人の弟子を持つことは百年の修行にも勝る"という話をご存知かね、いやまったく、
    弟子というものは持つべきだ」
    老魔術師はいかにも愉快そうに笑い、立ち尽くすばかりのゼネスの背中をポンとひとつ叩いた。


    パチパチパチ……
    呪文の火が赤く炎をあげていた。深い森の中で他に光を発するものはなく、また音もない。
   この火が消えてしまえば、周囲は耳鳴りがするほどの濃い静寂と暗闇とに支配されるに違い
   ない。
    ちらちら揺れる光は、マヤの顔を照らし出していた。あの後、陽が沈んでからすぐに魔
   術師の家を辞し、そのまま西へ西へと進んで来て師弟は今ここにいる。二人とも、あれから
   ずっと言葉と呼べるものを交わしてはいない。
    マヤは食事や茶を用意しても「どうぞ」と短く口にするだけであるし、ゼネスもまた黙して
   受け取っている。
    『お前は、誰だ?』
    時おり、そっと視界の端の方に少女の姿を入れてみる。「マヤ」という名の彼女がいか
   なる実像を備えているのか、近づいたと思えば遠くなり、つかめたと信じた部分もただ、
   ゼネスの独り合点であったに過ぎなかった。
    知りたい。
    彼の内に、一つの「方向」が立ち上がり始めていた。知りたい、マヤを知りたい。彼女の
   能力やその根拠ではなく、彼女そのものを知りたい、理解して確かに手の内に収めたい。
    パチパチパチパチ
    炎は小さかったがその光は強く、真紅の焔(ほむら)を上げて輝きながらとろりとろりと
   踊っているのだった。


    ―×―×―×―×―×―×―×―×―


    「むむ、ひと足、いやふた足は遅かったか」
    禿頭の老人の顔は、残念そうに眉を下げた。彼が降り立った小さな村のはずれは、夜の
   しじまの中にひっそりとたたずんでいる。怪しい気配などはどこにもない。
    「テレイアの力を異常に高い密度で引き出した者がいる――との報せを受けて来たのだが
    ……わたしの感覚だけでは場所を突き止めるまでに時間がかかってしまっていかぬな。
     まったく、ゼネスさえおればのう、あやつならばよっぽどこうした件には敏感なはずで
    あるものを、好き勝手なことばかり抜かしおって。
     こうして見回してみても、カードの戦いがあった形跡は無いようだ。一体誰がどのよう
    な目的で……むむむ」
    老人はコツ、コツと硬い音をたてて地上を跳んで歩いた。一本だけの足――いや、実は
   彼の身体そのものが一本の「杖」なのだ、持ち手に禿頭・白いアゴひげの老人の頭が付いた。
   魔法で創り出された特別な道具、「アーティファクト」が彼の正体なのである。
    以前に城塞都市でこの"杖の老人"と遭遇したゼネスは、彼のことを「ゴリガン」と呼ん
   でいた。またこう見えても、今の彼はこの世界「リュエード」の抑制神(創造と破壊の間で
   バランスを取る神)という重い立場である。
    老人はひとしきり周囲の様子をうかがい、異常無しと確認するとため息をついた。
    「カルドラさま。このリュエードに、いやこのカルドラ宇宙に何が起ころうとしている
    のでありましょう。そしてなぜにあなたさまはずっと、ただ黙って事の推移を眺めて
    おいでなのでしょうか。
     辛うございます。わたくしども己が身体と精神とを持つ者は、得体の知れない物事に
    触れるのは恐ろしゅうてならんのでございますのに。
     ――それとも、これもまたカルドセプトが我らに課した試練のひとつとお考えなので
    ありまするか、カルドラさまよ」
    夜空の星を見上げ、杖の老人はひとりごちると「ふっ」、とその姿は闇の内に掻き消えて
   しまったのだった。


                                                        ――  第9話 了 ――
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