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      『 カルドセプト ―"力"の扉― 』
 

       第11話 「 師とその弟子 (前編) 」 (1)


    ――え? 「踊り」のこと、聞きたいの?
    うん、うん、いいよ。話してあげる。
    好きだったの、「街」にいた頃も、歌って踊ることだけは。誰のためとかじゃなくて、
   地の底の母神さまにお見せする……そういう気持ちになれる大切な時間だったから。
    「踊り」ってね、本当に上手な人が舞うと神さまが降りてくるんだよ。人の身体を借りて
   神さまが現われるの――わかる? 「まだよくわからない」、そうなの……。
    人が踊ってる時にはね、見てると『あ、今難しいところだから気をつけてるな、次の踊り
   の手順を思い浮かべてるな』てことがわかっちゃう。それでも上手な人は確かに上手では
   あるんだけど……でも、それは決して神さまの踊りじゃないの。
    人が踊ってるだけなの、あくまでも。
    神さまの踊りは何も思い浮かべない。きっと、憶えたことを全部忘れきった上で舞って
   るんだと思う。「踊る」こと、「舞う」ことだけがそこに在って動いてる……「もう、このまま
   永遠に止まらなくたっていい」そう願わずにはいられないぐらい、見てると気持ちが吸い
   込まれてひとつになるような。
    不思議だね。だけど、どうしてそれができる人とできない人とがいるのか……は、まだ
   わからないの、私にも。
    そのことがわかるようになれば、もっと多くの人が「できる」ようになるのかしら。
   降りてきた神さまも、もっと皆が見えるようになるのかしら。


    ―×―×―×―×―×―×―×―×―×―×―×―×―×―×―×―×―×―×―×―


    しばらくは、当てもなく旅していた。ただ東南に向かっていた。深い山中を数日かけて
   歩き、狭く暗い谷を抜けると急に目の前が開けた。
    空から真っ直ぐに光が射し込み、さえぎる物なく目の中に飛び込んでくる、まぶしい。
   年がら年中半日陰の場所を過ぎたと思ったら、いきなり輝かしくも光あふれる場所に立ち
   出でてしまった。そのあまりの落差の激しさに、師も弟子も、うっかり巣穴から迷い出た
   仔ネズミのように目をしばたたかせた。
    この"明るさ"は、山中にはつきものの藪や下草が全く「無い」がゆえだ。その替わりに、
   平らに水を張った奇妙な「畑」が広がっている。それらは泥を盛り上げた細い土手によって
   いくつにも区切られ、区切られた中に細長い葉を束にして生やかした草の株が、行儀良く
   列を作って植えられていた。明らかに人の手になるものだ。
    さやさやさやさや…………
    風が吹いてきた。それは二人の後ろ側の谷から吹き出し、目の前の開墾地に吹き渡った。
   細長い葉が一斉になびき、葉擦れの音をさせる。光る水面も遠くまでさざ波たって和す。
    そんな光景が、背高い山々の足元に広がるこの細長い平地いっぱいに展開されていた。
    ――いや、平地だけではなかった。周囲をよくうかがい見れば、いくつかの山の中腹に
   までこの水の「畑」は這い上がっている。まるで山肌に薄い棚をぎっしり作りつけたかの
   如くに、細かな段々を刻んでいるではないか。なかなかの眺めだ。
    「すごい……でもこれ何? 何の畑なの?」
    吹き出た汗を手の甲でぬぐいながら、弟子の少女は「思わず」といった風情で口にした。
    「"水田"というヤツだ、これは」
    すぐに師は答えた。彼はさすがに年の功で、過去に何度かはこの種の作物を見た経験を
   持っている。
    「あの草は"稲"と言ってな、主食になる穀物の"米"ができる」
    「ああ、お米!」
    少女=マヤの顔から疲れが飛んだ。彼女は口元をほころばせ、谷から流れ出す川に沿って
   駆け下った。
    「知ってる、食べたことある! 白くてつやつやしてて、甘くって粘り気があって……
    お米ってこんな畑で作ってるんだ!」
    何やら興奮した様子でしゃべりながら水田をのぞき込んでいる。その弟子に注意を促す
   ため、師=ゼネスもまた後に続いて谷から平地へのゆるやかな坂を降りた。
    「おい、あまり騒ぐな、他所者を嫌う土地柄かも知れんのだぞ。それと……こら、やたら
    に水田の土手に近づくんじゃない。
     その土手は"畦"といって水田の水を保つ要だ、うっかり崩したりひび割れでも入れたり
    すれば、田の水が漏れて稲が干上がってしまうぞ」
    だがもちろん、そんな師の注意にかしこまるような弟子ではない。
    「そんなことぐらい、ひと目見ればわかるもん。土手の上になんて乗りませんたら、
    ちょっと近づいて見せてもらうだけ……」
    バシャッ、
    不意に水音がたった。
    「キャッ! 何か跳んだ、足元!」
    一段と高く少女の声があがった。彼女の指差す方を見れば、稲の列の間につーいつい、
   力強く水を掻いて遠ざかる一対の長い脚が。
    「なんだ、カエルじゃないか。湿地でもさんざ見たろうに、今さら驚くな」
    まるで従順ではない弟子に、師の口調はいささか小言めいてくる。しかし、
    「だって……あんな大っきいカエル、湿地にはいなかったもの。私の手のひらぐらいは
    あったの、ああ〜びっくりした」
    師の不興もものかは、弟子はあらためて畦のそばにしゃがみ込んでしげしげ、熱心に田
   をのぞいて稲の観察を始めたのだった。
    「ふう……」
    つい、ため息した。それからゼネスは頭を上げ、周囲をひと渡り見回してみた。
    水田は静かだった。時おり山から、あるいは谷から吹く風に稲の葉がそよぐだけ、この
   近辺に今、彼らの他に人の影はない。時季のせいか時刻のせいか――ちょうど昼をやや回った
   頃合いだった――水田の作業はひと段落しているもようである。
    見咎めそうな者はいない、そうわかって彼もまた再び弟子が見ている田の稲の株に目を
   やってみた。
    細長い草の束は、まだ穂を出すほどの大きさではなかった。ただ今は盛んに茎を増やし
   葉を伸ばして大いに成長の途上であると見える。水の下のぬるい泥の中では、細やかな根
   もしっかりと張り巡らされて日々背丈を伸ばす株を支えているはずだ。
    「なんか……麦に似てるね、この草。そのうちには、稲もやっぱり麦みたいな穂を出すの
    かしら」
    やや首をかしげて長い茎だの葉だのをのぞき込みながら、少女は誰にともなくぶつぶつ
   とつぶやく。
    「そうだ、稲も穂を出して種子をつける。それが米になる。
     ただ――麦のようにピンと突っ立った穂じゃない、垂れるんだ、稲穂は。こう」
    師は自らの手を鎌首のようにうなだれさせて実った稲の穂の形を模してやった。弟子は
   興味しんしんといった顔つきで師の手と水田の稲とを見比べている。
    「さあ、それだけ見ていれば稲がどんな作物かはだいたいわかったろう。そろそろ行く
    ぞ、もう昼時も過ぎる、田の主が戻ってきたら面倒だ。あとは歩きながらにしろ」
    そう声を掛け、ゼネスは田の端から足を踏み出すと、谷から流れ出す川沿いに続く農道
   をたどりはじめた。するとさすがに、弟子もしぶしぶながら立ち上がって同じ道に降り立ち
   歩き出す。
    こうして、平地のほぼ中央を流れる川を左手に、二人は自然に水田地帯のただ中を行く
   形となった。

    天気は良かった。平地を見下ろす山々はいずれも緑濃く、奥になるほど青く霞む。その
   また遠くには雪をいただく連峰も見える――だけに、吹く風にはいささかの冷気も混じる。
    だが、陽射しの恵みがその寒さを中和してあまりあるほどに暖かいのだった。そこは
   やはり、南に来ただけのことはあるようだ。
    川沿いの道は白く乾いていた。水田が水と泥に満たされた場所であるのとは対照的に、
   人が歩くための道はよく踏み固められて足裏に頼もしい感触を伝えてくれる。
    シャバシャバシャバシャバ…………
    水の流れる音が響いていた。谷から流れ出る川の音――だけではない、水田のそこここで
   しぶく瀬の音がする。その正体は、田と田の間を縦横に走る溝の流れだった。どうやら、
   この溝で周りの山から流れ出す小川を導き、田から田へと水を引いているらしい。
    耳に聞こえる音が示す通り、溝はどれも澄んだ水をたっぷりと、それも勢いよく流して
   いた。このありさまが昼夜も季節も分かたず続いているのだとすれば、年間ではいったい
   どれだけの量の水がこの地から流れ出しているのであろうか。
    水の乏しい地域(例えば、ツァーザイたちが居た乾燥地帯)、あるいは水はあっても停滞
   している地域(ヴィッツと出会った湿地帯)に比べ、流れる水の地域はまた違った土地の顔
   と人の暮らしを見せてくれる。
    ゼネスの歩調はいつしか、ゆるやかなリズムへと変わっていた。彼はこれまでの旅のあれ
   これを思い返しながら、リュエードという世界の広さと多様さとをつくづくと噛みしめた。
    と、その彼の背に後ろから呼ぶ声が飛んできた。
    「ねぇ、この溝、蟹(カニ)がいるよ」
    吾に返って振り向けば、マヤが道の右の脇に寄って溝の中をのぞき込んでいる。
    「川蝦(エビ)なら知ってるけど、川に棲む蟹なんて初めて見た。赤っぽくて小さくって
    可愛い」
    ニコニコ、いかにも嬉しそうな横顔で。
    『さっきから下ばかり見ているヤツめ』
    覚えず漏れる苦笑いにほほをゆるめ、彼の足は弟子を待って歩みを止めた。
    そして、止めたついでに再度ぐるりと頭を回し、遠くまで平野を見晴るかした。
    「む……」
    ゼネスの目はその時になってようやく、川の下流方向にいくつかの影を認めた。
    『人だ、村人が作業に出て来たな』
    水田の中や川沿いの道に、ちらほらと動く人の姿が見える。彼らはいずれも、手や肩に
   鍬などの農具を携えているようだった。昼の休憩を終えて、この開墾地で耕作を営む村の
   者らが各々の作業に戻って来たのだ。
    『これは……まずいな、道を変えるか』
    胸の内に少しく懸念が生じた。水田地帯は全体に草の丈が低く、目をさえぎるものが無い。
   師弟がこのまま川沿いに進めばすぐさま、村人たちに見つかってしまう。
    しかし、ゼネスとしてはあくまでここは通り過ぎるだけのつもりであり、関係の無い者
   にあまり余計な脅威は与えたくはなかった(商人や芸人ならばいざ知らず、ひと目でその
   正体が計り知れないゼネスのような男は、こうした小さな共同体にとり"物騒な輩"以外の
   何者でもない)。
    「マヤ、人が来る、川を渡るぞ」
    弟子にひと声を掛け、彼はそのまま川岸に降りていって川幅の狭くなっているところを
   探した。反対側に渡り、水田を抜けて山際を進もうという算段である。
    川は三間(約6m)ばかりの幅を保って流れていたが、幸い中ほどに大きな岩が突き出て
   いる場所が見つかった。ゼネスは助走もせずに川岸を蹴り、跳躍するとその岩を足がかり
   にものの二跳びで向こう岸に渡ってしまった。
    「ふん、俺が本気を出せばざっとこんなもんだ」
    ひとりごちるすぐ隣りに、「ストッ」と軽い音と共に宙から飛び降りた足がある。
    「"飛行(フライ)"で補助したのか、まあ仕方もない」
    ジロリ、脇を見てやや横柄に"講評"を述べた師に先の足の持ち主は、
    「"仕方ない"だなんて……ムリだってわかってるのにそゆこと言うんだから、もう、
    ゼネスったら本当にいけず」
    負けじとばかり言い返した。
    「そう怒るな、今の判断そのものは悪くはない、遠目には自力で跳んだように見えただ
    ろうからな。
     さあ、少し横道に逸れるぞ。山際を行く」
    苦笑いして弟子の文句に応えてやると、師は先に立って今度は水田の畦道を山に向けて
   進んでいった。

    平地を囲む山の際の道は、さすがに藪が残っていたり背の高い作物が植えられていたり
   で、水田の中の道ほどは師弟の姿も目立たないようであった。そのためゼネスは、眼帯も
   着けずに竜の眼を晒したまま歩いていた。
    それにしても、道の左にそびえる山の様子を目の当たりにすればまことに「驚き」という
   ものを禁じえない。なにしろ、少しでも勾配のゆるい斜面はことごとく、見上げる以上の
   高さにまで段々に耕されて田か畑が作られているのだ。しかもどの段々も良く手入れされ、
   草なども刈り込まれてこざっぱりとしている。およそゼネスには想像もつかない類いの
   勤勉さの証しではないか。
    そして、ここでもまた絶えることのない水の音が、そこにかしこに銀色の尾を引いて流れ
   ている。
    「土地があって水もあれば、あんな山の上の方まで人のものにできちゃうんだね」
    また後ろから声がした。マヤは今度は一転して上を見ながら歩いているようだ。
    弟子の感慨に無言の同調を覚えつつ、ゼネスは相変わらず辺りにぽつりぽつりと見える
   人の影にそれとなく注意を向けていた。水田の中で屈んでいる者、山の畑で作物の手入れ
   に余念のない者――
    「や? あれは?」
    ふと、視界の上の方に捕らえられた人影ひとつ。山の斜面に鍬を振るうその影にしかし、
   彼の感覚は強烈に惹きつけられた。
    思わず立ち止まり、凝視する。
    「何、どうしたの?」
    急に師の様子が変わったのを見て取って、弟子の少女も同じく歩みを止め、師の視線を
   山の上に追う。
    「見たか、あの上の畑のヤツ……あれは人じゃない、クリーチャーだ。カードのクリー
    チャーが畑で土を耕している……」
    そうつぶやいた時にはすでに、ゼネスの足は猛然と「影」を目指して山を登り始めていた。

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