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      第11話 「 師とその弟子 (前編) 」 (2)


    のしのし、大股でほとんど駆け上がるように忙しく段々畑の道を登りながら、ゼネスの
   眼はずっとただ一点のみを見つめていた。山の中腹で黙々と鍬を振り上げ、振り下ろす人
   の影。少しの乱れもブレもなく、極めて正確で、それでいながら得物の重量というものを
   まるで感じさせない軽々とした動き。
    『あれは、あのクリーチャーは何だ、遣っているのは誰なんだ?』
    このような山の奥にセプターが居て、しかも戦いとは何の縁もない農作業にクリーチャー
   を使っている、彼には意外なことだった。その上クリーチャーの動きを見る限り、遣い手
   は到底ただ者とは思われない。ぞくぞく――しばらく忘れていた「渇仰」が騒ぎ出す、期待
   が、戦慄の悦びが背すじを走って力となる、彼の脚を動かす。
    ゼネスは今、本来の亜神に立ち返っていた。後ろに続く弟子のことも忘れ、ただ優れた
   セプターの気配を欲して坂道をしゃにむに突き進んだ。
    こうして山の道を一気に、息も切らさずに登りきって目指す人影の立つ畑にたどり着いた。
   そこに彼が見出したのは、質素な身なりで淡々と土を打つ一人の男だった。
    ここまで来てしまった以上、"相手"に気取られぬということはあり得ない。それでも、
   彼は慎重に一歩一歩、男の背中の側から様子をうかがいながら近づいていった。
    「彼」は見たところ、ごく当たり前の普通の人であった。黒い髪を頭の後ろでひとまとめ
   に結わえ(「総髪」という)筒袖の上衣に裁っ着け(たっつけ)の袴を穿いて足は草鞋履き、
   体格も中肉中背でこれといって目立つほどの特徴を持たない。
    だが、目の前で鍬を使う男の動作こそはまさしく非凡そのものだった。
    軽快に黒い刃を振り上げ、しなやかに打ち下ろす。「ザクッ」その度に分厚い刃が深く土
   に食い入り、次の瞬間には大きく掘り返す。湿った土の匂いがたち、彼の所にまで届く。
    そうして土を起こせばすぐに半歩下がり、またサッと鍬を振り上げ、振り下ろした。繰り
   返される変哲もない一連の動作、しかしそれが舞踊のように流麗で美しい。素早く着実に
   生き生きと、働く者の姿とはかくも見どころ多いものであったとは。
    ゼネスはいつしか足を止め、一心に見入っていた。
    ――はぁ、ふぅ、はぁ。
    この時、道の下から息を弾ませて上って来た者がいた。というか、弟子の少女である。
   女の足としては早い方だがさすがに師の全力には敵わない、今ようやく畑に着いた。が、
   師は振り向きもせず「来たか」でもない。
    黙って、体中を目ばかりにして鍬打つ男を見ている。その背後で「キュッ」マントが引っ
   張られた。
    「ね……この人なの? ホントにこの人がクリーチャーなの?
     ……私には……ぜんぜんそんな風に見えないのに……」
    息を整えながら、小さい声が訊ねてくる。だがゼネスはそれでも弟子の顔を見ようとは
   しなかった、前だけを向き目標を見据えたままで返事した。
    「いや、あれは確かにカードのクリーチャー、士(サムライ)だ。本来は鍬ではなく刀を
    持っているはずだが、俺の目に狂いはない。
     そうか、お前は士のカードは持っていなかったな。ならばわからずとも無理はないか。
     しかし、あれを遣ってやることが畑仕事とはどういう……」
    ガサガサガササ、
    突如、師弟の斜め後ろで繁った豆の木の列が揺れた。そして四つ這いになった影が一つ
   滑り出た。
    「!」
    反射的に身を引き、それでもゼネスは右の腕を弟子の前に突き出して精いっぱい彼女を
   かばいだてしていた。
    「何奴!」
    肚の底から声をあげて(そこには無論、驚きも混じっている)誰何する。"相手"は地の上
   に両手をついたまま、ゆっくりと二人を見上げ――ほほ笑んだ。
    白髪の老爺であった。細い体躯を豆の根方に寄せ、かがみ込んだ彼の脚は膝から下が
   ぶっつりと断たれたように無い。この老人は、四つ這いの格好で移動するよりない身体で
   あるのだ。
    「…………」
    言葉を失い、師も弟子も警戒の姿勢のままにしばし息を呑んでたたずんだ。
    「旅の御方よ」
    老爺が口を開いた。ほほに微笑をたたえたまま、やや渋いが太く爽やかな声が伸びてくる。
    「よくぞあの遠方からお見抜きなされた。いかにも、これは我が士にてカードのクリー
    チャーなる者、人ではござらぬ。
     密かにお見受けするところ、貴君もまたカードを遣われるセプターであられるような。
    さぞや優れた力量をお持ちと拝察つかまつりましたが、いかが」
    地面に近いところからこちらを見上げる顔、その顔をゼネスは無言で見つめ返した。
    老いた面相は日に焼け、肌などちりめん皺が寄って渋紙のようだ。しかしその上に切れ
   あがった細い眼には柔和な光がある。がっしりと張ったアゴに乗る薄い唇も、やんわりと
   両の端を上げている。この老爺の表情から「敵意」は微塵もうかがわれない。
    『"あの遠方から"と言ったな、今。俺が山の下で気づいた時にはもう、こっちのことは
    先刻承知だったというわけか。――できる、できるぞこの爺さんは。こんな所に大した
    手練れのセプターがいたとはな』
    やはり、出色に動きの良い士の主はただ者ではなかった。ゼネスの亜神としての永年の
   勘が反応する、感覚の鋭敏さといいクリーチャーの優れた働きぶりといい、これは疑いも
   なく純粋に、真っ当に「強い」相手だ。知るほどに胸の芯に火が点き、燃える。『戦りあい
   たい!』ふつふつと血潮がざわめき、沸いた。熱い歓呼の情が全身を駆けめぐる。
    ――だがその一方で彼は、会心の笑みも肉の猛りもただ今はあえて押さえ込んだ。闘志
   を開放するよりも先に、まずは目の前の老爺に己れが抱いた敬意を伝えたい、そう思った
   からである。居ずまいを正すと老セプターに目礼した。
    「丁重なお出迎え、痛み入る。知らぬこととはいえ、突然無体に押しかけた上に非礼の
    振る舞いに及んだこと、平にお詫びを申し上げよう。
     俺は流浪する者、心に適う戦いを求めて止まぬ者。ゆえに貴兄の士を目にしてその技に
    感嘆するあまり、つい前後の分別も忘れて登り来たってしまった。
     刀の替わりに鍬持つとはいえ、かくも的確かつ充実した動きを見せる士は俺も初めて
    拝見した。こちらこそ、なまなかの腕前には非ずと心中に深く感じ入らせていただいた次第。
     貴兄の如き優れたる遣い手に"力量ある"と評されるは面映ゆきこと。しかるに、この
    俺も己れを高めんとの志だけは確かに有してもいる。そこで、ここは後学のためにも是非、
    貴兄に一戦のお手合わせを願いたいと思い立った。
     重ね重ねの勝手な言い分まことに無礼の極みとは存ずる。だがお手合わせの件、どうか
    お聞き届けをくださるまいか」
    丁寧に、礼を尽くして対戦の申し入れをした。すると、老爺のほほにうっすらと赤みが
   差した。笑んでいた唇も端が下がり、何やら困ったような形へと変わる。老いた遣い手は
   はにかんでいるのだった。
    「これは……かえって貴君よりお気遣いをいただいてしまいましたな。私も馬齢を重ねる
   ばかりで未だ修行の途上にある身、過分なるお褒めのお言葉には全く持って汗顔の至りで
   ございます。なれど――」
    ここで、老爺もまた背すじを正しくして座りなおした。はにかみを含んでいた顔もきっ
   と引き締まる。
    「お申し出のこと、実は私も貴君と同じ望みを抱いておりました。ここでお会いできた
    もひとつの縁(えにし)、この縁に謝するに"試合"をもって行うことこそ我らの流儀に適う
    ものでございましょう。
     とはいえ、今は畑仕事の中途ゆえ得物も場所も互いにとって適当とは申せませぬな。
    そこで、どうでありましょう、多少の間は置きまするが仕事が片付きました後、私が常
    の稽古場にてお手合わせいたす、との段では?」
    要するに、今は仕事の最中なので時を置き、場所を変えて対戦したい――というのである。
   この案はもっともであり、ゼネスも否やがあろうはずはない。彼は老爺に対し初めて表情を
   ゆるめた。
    「不躾な願いをお聞き届け下さったこと、感謝する。俺の名はゼネス、脇に控える者は
    我が弟子のマヤと申す者にて、以後はお見知りおきを。
     して、貴兄の御名は」
    問うと、老いてなお志高き人は清々しい笑みとともに答えた。
    「私は、ウェイ・ランと申す老骨にてございまする。
     いずれ修行の道を歩む同士なれば、歳の隔てはお気になさらず、どうぞただに"ウェイ"
    とのみお呼びくだされ」


    さて、こうして互いに名乗りあえばすでに他人とも思えず、師弟はそのまま二人揃って
   ウェイ老人の畑仕事を手伝うことにした(老人も、当初は辞退したものの受けてくれた)。
    とはいえ、実はゼネスにとって農事の作業などは初めての体験である。鍬を振るって土
   を起こし、石を掘り出したり固い土を砕いたり、堆肥を梳(す)き込む。あるいは、草取りに
   虫取り、生育の悪い苗を間引いたり、反対に大きくなった株を分ける……いずれも見た目
   ほど簡単な作業ではない、ということを、彼はこの日の午後つくづくと思い知った。
    なにしろ、鍬を使って土を耕すことからしてなかなか格好がつかない。ウェイ老の士を
   見習って何とか形ばかり真似をしてみるものの、十回も刃を振れば早くも腕や腰が張ってくる。
    『むむむ……』
    身体のどこかにムダな力が入っているか、ムダな動きをしている証拠だ。そこでいったん
   手を休め、汗をぬぐって傍らの士を眺めれば、
    「ザック、ザック、ザック……」
    やはり、相も変わらず鍬の刃は一定のリズムで正確な弧を描いて地を打っていた。端正
   な輪郭を持った運動が淡々と行使され、それは百回でも千回でも倦まず乱れず繰り返され
   る。自分とは、どうにも動きの「質」が違う。
    省みて、如何に身体を動かせば良いのかと鍬を振って試行錯誤を続けるうち、いつしか
   彼の手のひらにはいくつかの「豆」ができていた。
    「ゼネス、大丈夫?」
    手のひらを広げて見つめていた耳に、弟子の声が入ってきた。
    「豆できたんでしょ、やっぱり鍬持つの初めてだったんだ」
    声のする方を振り向けば、栗色の髪の少女は何やらニヤニヤして立っている。
    「その"やっぱり"というのは何だ、気に食わん」
    ムスッと師は顔をしかめた。が、弟子は平気である。
    「だぁって」
    さらにニマッと笑い、
    「ホントにへっぴり腰って感じだったもんね、最初のうちなんか。腕ばっかりで振ってて、
    それじゃすぐに疲れちゃうよ〜って見てたの、草取りしながら」
    そういえば、彼女は一人で旅していた間には百姓屋の手伝いなどもしたと言っていたな
   ――と、今さらながらに思い出した。つまり、師よりも弟子のほうがこの方面に関しては
   ずっと先輩なのである。
    「あ、またそんなふくれっ面してる。でもさ、もうだいぶ上手になってるよ、さすがは
    ゼネスだなぁって思ってるもの、今は」
    「生意気なことを」
    弟子からの褒め(?)言葉に、彼は照れとも恥ずかしさともつかない妙な気分におち
   いって軽くにらんだ。
    「お前にできることが師である俺にできなくてどうする。畑仕事の習得ぐらい朝飯前だ。
    それより……」
    ふと思い立ち、視線を弟子の顔の上から左方向へと滑らせた。
    「お前はあのクリーチャーを見てどう思う?」
    鍬を使うウェイ老の士を示し、問うてみる。
    「すごいね、あの人」
    瞬時に答えは返ってきた。とび色の眼はすでに大きく開き、瞳孔の中心に一人の青年の
   姿を捉えている。
    「ウェイさんから"私のクリーチャーだ"って聞いてもまだ信じらんない、あれがカード
    の力だなんて。――ほら、ほら、鍬使ってても速いし、軽やかなのにみっちりした感じって
    いうか、身体の中からどんどん動きが流れ出してくるようなっていうか……」
    ひそひそと低めた声だった。しかし、芯には力がある。発見の、喜びの力が響く。
    「何だかね、もの凄いような踊り手を見てるみたい。そういう人と似た感じがするの……
    ヘンな比べ方かな?」
    「いや、お前の言いたいことはわかる」
    ゼネスは頷いてやった。弟子のこの興奮の質は、今では彼にもおおよそは理解できる。
    「それでね、教えて、ゼネス。
     士って、剣士なんでしょ? 騎士とは見た目のほかに何が違うの?」
    弟子は眼で士を追ったまま訊ねる。師もまた同じ方を向いたまま答えた。
    「士はだな、最も剣の技に秀でたクリーチャーだ。特に『刀』という片刃の両手持ち剣は、
    この士が使うことによって初めて真価が発揮される。
     優れた士が天下の名刀を手にすれば、鋼製の鎧兜と言えど両断にできると聞く。あの、
    騎士とクレイモアの組み合わせのさらに上を行く威力だ。
     ただし……士も刀も、その持てる力を十二分に引き出すことがひどく難しい。騎士以上
    に、セプター自身に剣技の心得がなくてはならんからだ。さもなくば、小枝一本もまとも
    には斬れん。
     そのせいか、どこの世界でもあえて士を極めようというセプターは稀(まれ)だ。
    この俺でさえ、実働する士は本当に久方ぶりに目にした」
    正直な感慨であった。遣い手の少ないクリーチャーの妙技を見る機会はそうは訪れない、
   この度の遭遇は、互いにセプターとして非常な幸運と呼べるはずだ。
    「そうなんだ……うん」
    少女はなおも「彼」を見つめ、大きく息を吸った。
    「わくわくする――」
    「なに?」
    軽い驚きがあった、ゼネスは弟子の顔を見下ろした。
    「あの士、刀を持ったらどれだけ凄いんだろうね。それでウェイさんにはどんな世界が
    見えてるんだろう、そう思うと自分でも動かしてみたくなるの。
     ユウリィの騎士や、ギョームさんから聞いたミリアさんの話でも同じ……わくわくして
    ドキドキして、たまらなくなる。私も、私もやってみたい、どこまでできるか試してみたい!
    って、そんな」
    「そうか……」
    ――『俺とお前は"そこ"が違う』
    フッと、寂しいような風が胸に吹く。
    ――『俺はいつも、"あいつには負けない、負けたくない!"だった……』
    ゼネスは少女の顔をそっとうかがい見た。翼が空を打つ音を感じた、「バサッ」耳に聞こえ
   たわけではない、だが肌に響く。
    『待て――』
    口に出しそうになって我に返った、密かに細く長く息を吐いた。
    「お前は常に、"開く"ことで掴もうとするのだな」
    「え?」
    「いや……何でもない、こっちの話だ」
    少女の顔から視線をはずし、彼は再び士に目をやった。
    「しかし、変わったなお前。最初に会った頃にはカードを使うこと全般に懐疑的だった
    くせに」
    「だって」
    マヤの声が笑う。
    「もしかして、ゼネスに似てきたのかも、私」
    「何だと?」
    一瞬だが、返す言葉を失った。思いもかけないセリフだった、師は当惑のままに弟子の
   顔を見た。
    するとしかし、そこでぶつかったのは小意地の悪い微笑だ。
    「嘘だよ、ウ・ソ、言ってみただけ。
     私、ゼネスみたいに戦いに血道あげる人じゃないもん。ミリアさんが言った"表わし"
    のところに感じるんだと思う。『きれい』とか『素敵』とか、そっちの方に近い気持ちなの、
    きっとこれは」
    ――あなたとは違う――
    彼女からまともにそう告げられたように思った。やはりこの少女には油断がならない、
   心中がグラリと傾き、沈む――のを彼は自尊心をもって辛うじて抑えつけた。
    「…………」
    そのまましばらく黙りこんだ。

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