「読み物の部屋」に戻る
前のページに戻る


       第11話 「 師とその弟子 (後編) 」 (8)


    小屋の周辺がざわついていた。騎士たちが戸口に駆け寄り、並んで盾をかざして外向き
   の壁を作っている。師弟はその盾の垣を抜けて戸口の傍に立った。すぐさま戸が開き、近侍
   に先導されて小暗い奥から「その人」の姿は現れた。闇を払って光が現れ出たようであった。
   (――そして、小屋の屋根の上では妖精猫が優雅に座し、長い尻尾を揺すぶっている)
    騎士たちが一斉に剣を掲げ、金属の擦れ合う音が涼しく鳴った。村人らは慌てて十間以上
   も下がり、残らずひれ伏して敬意を表す。ゼネスとマヤも片膝を突いた。彼らの前で、輝く
   白刃の林に囲まれた皇帝はゆったりと右の袖を上げた。
    「諸君」
    凛と声を張った。
    「大儀でした」
    直後、
    「オォ〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」
    大歓声が沸いた。続いて「ドドドドド……」足を踏み鳴らす地響きも。山際に展開した兵士
   たちが、感激を露わにしているのだ。自らが戴く皇帝の無事を確かめ、さらにその人のねぎ
   らいの言葉をも耳にして、およそ興奮ただならぬ様子である。
    しかして彼らの大騒ぎをよそに、皇帝は静かに空を見上げた。
    「おお……!」
    地上の龍が天の竜と見つめあった。ちかちか、雲間に稲妻が散る。
    「神龍……何と見事な」
    ほう、と嘆息し少女に微笑みかけた。
    「マヤさん、というお名前でしたね、実に素晴らしい竜神です。貴女とお師匠どのによる
    こたびの活躍で我が国は救われました、礼を言いましょう、ありがたく存じます」
    そのまま軽く目礼し、なおも続ける。
    「朕は幼少時より幾たびか、カードを用いた竜の顕現に立ち会ってきました。ですが、
    これほどまでに神々しい御姿を拝見できました機会は他にありません。
     我が国では長らく、"神龍の力は数万の軍勢に勝る"と伝えられてきました。しかし、今
    この天にまします竜は数万どころか数百万、数千万相当、いや、ほとんど神とも見まごう
    ばかり。真の竜神とはいかなる存在であるものか、朕は今日初めて知らされた思いです。
     貴女は素晴らしいセプターだ。良いものを見せてもらいました、ありがたい、重ねて
    礼を言いましょう」
    うなずき、やさしく目を細めた。
    だが、それを聞いてざわめいたのは新たに到着した将校たちである。
    「何と、こちらの御仁があの竜神さまの遣い手でありましたか!」
    「我ら、天に鎮座まします御姿を拝して『さてこそ、皇帝陛下はご無事ぞ!』と奮い立ち、
    玉符(※1)副将軍どのも天晴れな働きと感じ入ったものですが」
    「そう言えば、その副将軍どののお姿が見えませんな? まさか……」
    互いに目を見交わし、口々に驚きを述べる(玉符副将軍とは、忍の襲撃を受けて負傷した
   あの上級セプターのことだろう)。どうやら本隊の兵らは、空に出現した神龍を見て、てっ
   きり自分たちのセプターが遣っているものと思い込んでいたらしい。
    事の意外さに目を丸くする彼らを、鎮めたのは騎士団長である。
    「おのおの方、この御仁は元大将軍閣下のお客人、隣においでの方はそのお師匠どので
    ござる。こたびの危急に際しては、偶然この村にご逗留であったところを我らに助太刀
    くだされた。そして我らが勝利は、お二方のお力あってこそであった。
     実はの、副将軍は諸卿らが飛ばされた直後、敵方の集中攻撃に遭って深手を負ってし
    まってな。敵はそれで我らの奥の手をつぶしたつもりであったのだろうが、元大将軍閣
    下のご推挙があり、こちらの御仁が特別に神龍を遣われる運びとなった。その結果は見
    ての通り、天は陛下に『お見方をされた』ということだ。
     それと、玉符将軍」
    「はっ!」
    本隊の騎士の一人がサッとかしこまった。
    「我らはただ今、敵の手により"遮断"の呪を掛けられてしまっておる。そのため副将軍
    の回復をはかろうにも治癒の呪文を施すことができぬ。貴殿は早急にそちらの小屋に参
    り、カードを使用して彼の傷を治してやってくれぬか」
    「心得ました!」
    玉符将軍――と呼ばれた本隊のセプターは、すぐさま小屋の中に飛び込んだ。
    その後姿を見送り、しばらく皆が待っていると……屋の戸が開き、二人の人物が出てきた。
   本隊のセプターと、負傷していた「副将軍」こと本来の神龍担当のセプターである。副将軍
   はまだのど首に血のついた布を巻いていたが、もう一人で立てるほど回復を果たしていた。
   ただし、彼の顔つきそのものは涙でくしゃくしゃであったが。
    「陛下……ご無事で……」
    よろよろと歩き、皇帝の前に進み出ると「ばたり」、両の手を突いて平伏をした。
    「ご無事で……良うございました……それにしましても、わ……私は何と云う不覚を……」
    肩も背もがくがく震わせ、ほとんど泣き声を出す。
    「何とお詫びを申し上げますれば……役立たずの……我が身が口惜しゅうございます……」
    「いや、詫びを言うべきはむしろ朕の方でしょう」
    己れの不肖を嘆く臣下に、しかし皇帝は温かな言葉をかける。
    「もとはと言えば、こたびの作戦を強行したのは朕の我儘を通すため。されば副将軍、
    卿こそ命に別状無くて良かったと朕は心から嬉しく思うております」
    「あ、ありがたきお言葉……」
    さらに平身低頭した男の背を、彼の傷を治した将軍がポンと叩いた。
    「さあ、そろそろ顔を上げられよ副将軍。この天を見たまえ、我らが神龍がお出ましだぞ」
    「え……? ……あっ!」
    言われて見上げたまま、副将軍の身体は固まった。ぽかんと口を開け、巨大な竜にただ
   見入っている。
    「どうだ、驚いたか。実は私も大いに驚かされた。あの竜神さまはなんと、元大将軍の
    お客人が出されたものだそうな。上には上がいるものだ、さ。私も思い知ったわ」
    肩をすくめ、苦笑いをしてみせる。一同になごやかな気分が広がった。

    ※註1)「玉符(:ぎょくふ)」とは、タイハン国内でのカードの美称。つまり「玉符将軍」とはタイハン軍内に
         おいてセプター部隊を統括する者を差す。



    ――ところへ、
    「あの、皇帝陛下」
    不意に固い声が差しはさまれた。マヤである。
    「陛下、私は……」
    跪(ひざまず)いたまま頭を垂れ、口にしかけて言いよどむ。が、すくと顔を上げた。
   青白く冷えた額だった。
    「私には、あなたさまにどうしてもお話をしなければならない事がひとつ、ございます」
    『待て――』
    ゼネスは両目を剥(む)いた。体中がこわばり、力む。止めたい、弟子は皇帝に例のカード
   の一件を話し出そうとしている、間違いない、止めなければ。だが声はノドの上側あたり
   で干乾び、張りついた。首元も手足もきつく縛(いまし)められたように重い、動かせない。
    「マヤ殿、でしたな」
    騎士団長が彼女の前に歩み出た。彼はそうして、少女と皇帝の間にさり気なく割り込む。
    「我が国では、卿大夫(:官位を持つ臣)でない方が陛下に直接の言上を試みることは許
    されてはおりませぬ。たとえ貴女さまであっても、法の定めに従っていただいてしかる
    べき手続きを経られる必要がございます。まずはお申し出の旨を書面にしたためていた
    だいて……」
    「近衛上将軍よ、それには及びません」
    白い片手を挙げ、青年皇帝は騎士団長の言辞をさえぎった。慌てて振り向く相手に軽く
   笑み、しかしながら首は断固横に振ってダメを押す。
    「はっ……これは出過ぎた真似を、失礼をばいたしました!」
    実直そうな騎士は畏れ入って元の位置まで下がる。その進退を見届け、皇帝はあらため
   て少女に目を向けた。
    「手続きなどはいりません、マヤさん。貴女は他ならぬ国の救い主、それにここは都でも
    宮廷でもない、形式張る必要もないでしょう。朕は貴女の言葉をこの耳で直に聞きたい
    と思います。さあ、どうぞお話をなさい」
    うながされ、マヤもまた竜顔(:皇帝の顔)を見返した。
    「ありがとうございます、陛下。それではまず、お国の神龍をお返し申し上げます」
    言うや立ち、両手の平を天へと差し伸ばした。止める間もない。
    「戻りたまえ!」
    カッ――と天一面が輝いた。音も無いまま目眩むような光が弾ける、まるで光の"爆発"
   だ。光は厚い雲を貫き、幾百幾千の真直の剣、輝きの雨となって降り注いだ。雲の上で今、
   神龍の巨大な体躯が還元されたのだ。
    大量の光に蹴散らされ、雷雲はまたたくまに片々に千切れた。同時に、鳴り響いていた
   雷鳴もばったり途絶える。替わって頭上に広がったのは濃い青空だ。輝く日輪が現れて夏
   の陽光をたっぷりと地上に浴びせかけた、途端にムッと暑く蒸す大気が身体を取り巻く。
    いつもの村の日常が戻ってきた。
    そしてその間、マヤの広げた両手の間では、宙から次第に「形」を露わにしつつある影が
   一つあった。手のひら大の、薄い石版状の何ものかが。
    「おおお……」
    おごそかな嘆声が彼女を囲んでもれた。皇帝も近侍も騎士たちも、じっと目を凝らして
   実体化してゆくカードを見つめる。その内にも光の洪水は徐々におさまり、反対にカード
   はその輪郭をいよいよくっきりと浮かびあがらせる。
    やがて、マヤの手は実体化を終えたカードを取った。次いで彼女は首に掛けていた青い石
   も取り外した。
    「陛下、お借りしておりました神龍と水の護りにございます。二つながらここにお返し
    申し上げます、どうぞご確認をなさってお納めくださいませ」
    言って、カードと石を奉じた姿勢のまま深く会釈した。
    「わかりました、受け取りましょう。
     貴女も、大儀でありましたね」
    皇帝がうなずき、ねぎらう。と同時に控えていた近侍がするすると進み出て、少女の手
   からうやうやしくカードと石とを受け取った。
    「はい、間違いありませぬ。このカードは確かに伝国の神龍にございます」
    両手のひらにカードを包み込むようにして表面をなで、初老の人は安堵のにじむ声で主
   に告げる。周囲にも「ホッ」と息つく気配が満ちた。
    「ヤンどのはすでに一年以上も神龍を管理されて、朝夕カードを磨いておられる。その
    御仁が『確か』と言われるのであれば、我らもひと安心でござるな」
    そう言って騎士団長が破顔した。
    「さあ、マヤどの。ご奏上を」
    シェイ=ヤンがうながした。少女の顔の白さも固さも、彼には皇帝に言上する緊張とし
   か見えていない。
    「――待て」
    声が出た。ゼネスはここに来てようやく、ノドから声を絞り出した。
    「止めろ、マヤ」
    ちら、と振り返り弟子は師を見た。強い視線だった、毅然として妥協を許さない目だ。
   突き放されたのか、そう思った。しかし、彼も逆に睨(にら)みつけた。ここで尻尾を丸めて
   引き下がるわけにはゆかないではないか。
    「過ぎたことだ、もはや。あれはすでにお前を選んだ、今さら変更も否定もできん」
    だが少女は思いの他落ち着いていた。
    「それとは別のことなの、ゼネス。私、やっぱりこの方にはカードのこときちんとお話
    しておかなくちゃいけないって、そう思えて仕方ないから。だから、ごめん」
    言って、再び前を向く。皇帝と向き合った。
    だがこの師弟のやり取りを見て、聞いて、騎士たちの面上からはいつしか笑顔が消えて
   いる。マヤの言葉を、人々は微かな戦慄の予感と共に待ち受けた。
    「お待たせしました、それではお話を申し上げます。
     陛下、私のお話とは、およそ一年ほど前にタイハン国が紛失された、三百六十五枚の
    カードの事にございます」
    彼女が口にした、途端、
    「なぜ、それをご存知か――!」
    騎士たちが気色ばんだ。あるいは青ざめあるいは紅潮し、いずれも表情険しく弟子と師
   の周りに詰め寄って、腰の剣に手を掛けた者さえある。
    「確かに、これは是非とも詳しい話をお聞かせいただかねば」
    「それに貴女もどうやら、それなりの覚悟は決めておられるご様子」
    恰幅の良い武装の男たちに取り巻かれ、とがった目つきで見つめられる。これでは高い
   壁の内に閉じ込められたも同然だ。ゼネスは弟子とは逆方向の覚悟を固めた。
    だが、
    「お待ちなさい!」
    壁の外から凛とした声がかかった、打ち破るばかりに強く。
    「マヤさんとお師匠どのに無礼を働くことはなりません、朕が許しません。この方は、
    あれほどの強大な神龍をカードに戻した上であえて話を切り出された。そのお気持ちを、
    卿らは何と心得るつもりですか」
    口跡こそは爽やかであった。が、内容ははっきりと叱責だ。騎士らはたちまち顔を伏せ、
   互いにひそひそと目配せをしながら数歩といわず下がった。壁は消えた。
    皇帝は自ら歩み出た。
    「驚かせてしまいましたね、マヤさん。申し訳ない。ただ、貴女がこれから話されよう
    としている件は、そのまま我が国の重大な機密事項でもあるのです。だからこそ、臣下
    たちも色めき立ってしまった。その点をご理解いただき、どうぞ朕の顔に免じて許して
    やっていただきたい」
    そう言いつつ、少女の手を取る。マヤもさすがに驚いた表情になった。
    「ここはひとつ、人払いをいたしましょう。朕とシェイ=ヤン、貴女とお師匠どの、その
    四人のみでお話をすることとしましょうか」
    やさしく彼女を見つめ、そしてゼネスの眼をも見やる。にっこりと微笑した。
    それは何とも人懐かしげな笑みであった。闘志を逸らされ、歴戦の男も思わず膝の力が
   抜けそうになる。
    とまどうゼネスの様子を見、次いで皇帝はぐるりと周囲の臣たちを眺め渡した。
    「わかりましたね? 卿らはしばらく下がっておいでなさい」
    告げられた者どもは急いで後退した。騎士団長のみは「しかし、陛下」と言いかけたが、
    「下がりなさい」
    今一度命じられ、背を丸めて彼も大きく引き下がる。四人だけを残し、畑地は広く静か
   になった。
    「さあ、これでいかがですか」
    さらに誘(いざな)う。マヤも安心したと見え、固かった表情が少しゆるんだ。
    「ありがとうございます、陛下。実は――」
    彼女は語った。訥々(とつとつ)と粛々と語った、全てを。運命のあの日、"街"にタイハン
   国のセプターたちがやってきたこと。カードの大会の優勝者となった彼らがそこで宴会を
   開き、勝利の興奮と酔いの勢いのままにカードを見せびらかしたこと。そのカードを彼女
   もまた手にし、力を感じた瞬間に"異変"が起きたこと。その場の全てのカードが舞い上が
   り、彼女の元に来てしまったこと。予想外の出来事に怖じ恐れ、宴席からも"街"からもその
   まま逃げ出してしまったこと。その後、タイハンのセプターたちもまた逃げたこと――
    皇帝は瞠目し、驚きを露わにしながら聞き入っていた。時にため息し、時にうなずき、
   目の前の少女の言葉ひとつひとつに、じっと耳を傾けた。
    そうしてマヤが全てを語り終えると、
    「そうですか、そんなことがあったのですか」
    言ったきり、静かにまぶたを閉じた。
    黙っていた――長い間。風の音もせせらぎの音も遠く思えるほど密やかに、身じろぎも
   せず寂として目をつむっている。
    だが。この青年は何を考えているのか、とゼネスはその間も気が気ではなかった。いくら
   人知の及ばぬカルドセプトのカードの事とは言え、戦って勝ちを収めたわけでもないセプ
   ターの元に、ひとりでにカードが"やって来る"などとは尋常ではない。否、いっそ非常識
   だ。そのようなマヤの説明を、仮にも一国の皇帝ともあろう者が、なおも信用に足ると認
   めてくれるだろうか。
    いや、それ以上に一つの「懸念」が今、彼の胸中には暗く渦巻いて焦燥を高めていた。
   こうしてマヤの所持カードが元はタイハンのものだと知らされたことで、皇帝は「ならば
   カードを返してくれ」と申し出てくるのではないか。またそうなれば、彼女はむざむざと
   カードを返却してしまうのではないか。むしろそのためにこそ、自分の秘中の秘を明るみ
   に出したのではないか、と。しかしもしそうだとして、己れは師としてそんな事態を許し
   て良いのか。いや、許せるはずがない。
    じりじり、待っていた、ひたすらに。照りつける夏の陽射しの下、噴き出す汗をぬぐう
   ことも忘れて待った。皇帝が口を開く瞬間を。
    突然、その人の目は開かれた。
    ゼネスは反射的に右の手をマントの内に突っ込み、カードをつかみ出そうとして、
    ――だがそこで彼の動きは固まった。
    「貴女のお話を信じます、マヤさん」
    耳にしたのは、了承の言葉であった。
    『何と……!』
    耳を疑った。
    信じ難い。亜神のゼネスにとってさえ、あのような出来事はマヤという娘のことでなけれ
   ば荒唐無稽と一蹴するであろう話だ。それを何故、この青年は「信じる」と言い切ることが
   できるのか。動きを止めたのは、半ば唖然としたためだった。
    「卿らよ、もうよろしい。近こう寄りなさい」
    いったん下がった臣たちを見渡し、皇帝は再び呼び寄せた。そして彼らが周囲に戻ると、
    「以前我が国がヤパンの大会の後に失うたカードは、今はこの方が所持されていること
    がわかりました。何でも、カードの方から自ずと来てしまったのだそうです」
    しごく落ち着いた声で、異常なはずの事を告げる。果たして、
    「何ですと!」
    「そんなバカな!」
    「陛下はそのようなあり得ない話をお信じになられるのですか!」
    場は騒然となった。もちろん、この説明を真に受ける騎士はいない。
    だが、彼らの憤然をよそに皇帝は真面目な顔をしていた。
    「まあ、黙ってお聞きなさい。諸侯の間の取り決めでは――」
    マヤに対し、変わらぬやさしい態度で話を続ける。
    「カードに署名はできぬもの。されば、国がカードの所有権を主張できるのは、国庫に
    納められてある分と国の公認セプターが任務の際に携行する分とに限られています。
    しかしどこの国にも所属せぬ非公認セプターの所持カードに関しては、奪った国のもの
    となります。
     で、失礼ですが、貴女もお師匠どのもここに客分として居られるということは、非公認
    のセプターなのですね?」
    こくり、うなずく相手を確かめ、問いかけた。
    「ならば、貴女は黙っていれば良かった。ご自分のカードが元はタイハンのものである
    などと言わずにおれば、朕も臣たちも貴女がたを恩人として謝するのみで済みました。
     なぜ、朕に今のお話をされるつもりになったのですか」
    問う声はあくまで穏やかにもやさしい。が、聞くマヤは深くうなだれている。
    「ずっと……ずっと心苦しく思っていました」
    首を垂れて地面を見つめ、彼女は答えた。
    「望んだわけでもないのに急に沢山のカードを手にすることになってしまい、またその
    ために多くの方の人生を狂わせてしまいましたから。
     手にした初めの頃には、いっそタイハン国にお返ししようか――とも考えました。
    でも、その頃のお国は長く戦を続けていらして、そこにカードをお返しすればきっと、
    戦に使われるのだろうと思い……それが辛くってどうしてもできませんでした」
    長いため息を吐いた。
    「戦とか、争いごとにカードを使われたくない。でも、自分が持っていることも正しい
    とは思えない。いったいどうしたら良いのか……と、毎日悩んでばかりでした。
     でも、最近になってようやく、私の先生にこの顛末をお話することができました。
    すると先生から、『カードは人が所有できるものではない、誰もが一時的に預かること
    しかできないものだ。それでもこのいきさつを自分の罪だと思うならば、背負って生きろ』
    とのお言葉をいただきました。
     私は、その時初めて救われた気持ちになりました。
     けれど、こうして陛下にお目もじかない、「戦を止める」とのご決意をうかがいましたら、
    どうにも黙って過ごすことが耐え難くなってしまいました。こうしてカードのことはお話し
    いたしましたが、それで何をどうしようということは、実はまるで考えておりません。
     ただ、黙っていることができなくてお話し申し上げてしまったのです。ですのでこの
    上は、カードの処遇のことは陛下のご判断におまかせする所存にございます」
    『マヤ……!』
    胸がつぶれるようだった。やはり彼女はこういうことを言い出したか、と思えば。
    マヤはタイハンにカードを返してもいい、と言っているも同然だ。だがゼネスの見ると
   ころ、彼女と彼女のカードはすでに不可分なのである。風の妖精や黒魔犬のことを想えば
   ことにも。それを、もしここで彼女のカードの多くが取り上げられるような事態になったと
   すれば、マヤは納得してもむしろゼネスの方が痛手を感じて耐えられそうにない。
    『そんなことになるぐらいなら……』
    マントの下で密かにカードをつかみ直し、食い入るように皇帝の顔をうかがった。
    清(さや)かな声が耳を打った。
    「朕の答えはすでに決まっています。
     貴女のお師匠どのと同じ考えです」
    聞こえた。が、瞬時に意味が捉(とら)え切れず呆気に取られた。それは他の騎士たち
   も同様で、場は穴が開いたように白く静まりかえった。
    「ありがとうございます」
    静寂の中にひとり、少女の声が通る。マヤは地につくほども深く額(ぬか)づいていた。
    「陛下!」
    「陛下、それでは――」
    ようやく我に返った騎士たちが異口同音に叫び、腰を浮かせかける。のを、またしても
   皇帝が片手をもって制した。そして、
    「マヤさん、貴女は朕にご自分の秘密をお話しくださった。朕もお返しに、己れの秘密
    をひとつお話ししましょう。
     これまで、朕の他にはシェイ=ヤンと先生、さらにダリオ・ウム・ハーンの三名のみ
    しか知らぬ、本当に秘密の話です」
    口にされた言葉を耳にして、臣下たちは一様に居ずまいを正し、平伏した。皇帝の秘事
   を知らされるとは、臣として光栄という以上に畏れ多いことだからである。
    「先生、どうか先生も此方にお寄りくださいましてお聞きください」
    青年はさらにウェイ老をも呼び寄せた。老爺は慎ましく身をかがめて寄り来たった。
    「サァーー」、風が吹き渡った。きらめく夏の日の下、開けた畑地の上にすっくと白銀の
   鎧姿が立つ。皇帝は北東の方、霊山を遥拝し、そして語り出した。
    「――十八年前のことです。我が国は先帝の誤まったご判断により、自ら国の重鎮を失っ
    てしまいました。元の大将軍にして朕の剣の師、ウェイ=ウー氏です。
     当時、朕はすでに皇太子であった。とは言え、先帝のお言葉には逆らう術を持ち得ない
    ほんの子どもでしかありませんでした。優れた武勲と剣技を称えられたお人が、両の脚
    を断たれるという残酷な刑罰を科され――執行の間、先生はうめき声ひとつ上げられなか
    ったと聞き及んでおります――罪人を乗せる駕籠で都の北門から追われた、あの夕暮れ。
    宮殿の居室の窓から空しく見送った光景は、今も日々朕の胸を刺し続けて止みません。
     朕は泣きました。嘆きました、呪いました、己れの無力さを、運命の過酷さを。腸(はら
    わた)が焦げ千切れるほどにも口惜しく、切なく、死んでしまいたかった。食事も水も
    ノドを通らず、自室にこもったまま三日三晩は嘆き暮らしました。
     そうしてどれほどの時を経たものなのか……ふと、突っ伏した目の前に明るみを感じ、
    目を開けました。嘆き疲れて夢うつつとなった、朝まだきであったと憶えています。
     カードがありました、そこに。カルドセプトの石版が一枚、朕の目の前で宙に浮かみ
    漂いつつ、光を発しながら次第に姿を現わすところでした。ちょうど、先ほどマヤさん
    が神龍をカードに戻された時と同じようにして。
     驚き見つめるまま、それはたちまちのうちに形を取り、そうするうちにも光は収まっ
    てただカードが一枚、静かに静かに宙に浮かびます。朕は夢中でそれを手に取りました。
     すると――不思議や、一人の剣士の姿が想い浮かべられました。総髪に袴をつけ、ひと
    ふりの刀を正眼に構えた目元涼しい青年。お懐かしい先生の御姿です。
     朕はセプターではない。だから、本来ならばカードの力が感得されるはずがない。
    にもかかわらず、そのカードの持つ力については手に取った瞬間にわかりました。そし
    て同時に悟りました。ひらめきました、雷に撃たれたように。
     『わたくしはこのカードを先生にお渡ししなければならない』と」
    風が吹いていた、変わらず静寂の上を。「さやさや」稲葉の騒ぐ音が遠く近く耳に染む。
   誰もが沈黙していた、息を呑んで皇帝の言を聞いていた。
    「朕は密かに諜報部のダリオ・ウム・ハーンを呼び寄せました。彼こそは先生の同門の
    友であり、またかねてからセプターとして大変優れた技量を持つと先生よりうかがって
    いたからです。招きに応じて来てくれた彼に、朕はカードを見せ、いきさつを話した上
    で下問しました。『これは我が国の国庫より来たカードなのだろうか?』と。
     彼はカードを調べ、『いいえ』と答えました。『我が国は、未だ士のカードを有したこと
    はございません』。朕はさらに問いました。
     『ならば、わたくしはこのカードを国庫に納めるべきであろう、皇太子としては。
    しかし……しかしわたくしは、わたくし自身はこのカードを、士を先生に、追放された
    元の大将軍にこそお渡ししたい。強く強く、それだけが思われてならないのだ。たとえ
    それが我が国に対する重大な罪であっても、皇太子の身分を失うことになったとしても。
     ダリオよ、このわたくしの考えは間違っているだろうか?』
    するとダリオ・ウム・ハーンはゆるりと笑みました。温かな笑顔でした。彼は言いました。
     『それは確かに、国の法には触れましょう。ですが、人とカードとの間柄は本来、法を
    越えています。カードとは、それがやって来ることを人は拒むことができず、去ることを
    止めることもできない、そういうものにてございます、殿下』
    動いた者があった。マヤだった。彼女は背を伸ばし首を立て、じっと皇帝を見上げた。
    「そうして彼は約束をしてくれました。先生にカードをお渡しすることがひとつ、さらには
    皇太子の朕が国に背(そむ)く罪を肩代わりしてくれることを、です。彼は移民の出で、
    三代目の彼にしてようやく我が国の民として認められた家柄だったのですが――その全て
    を投げ打ち、朕の元を辞したその足で国を出奔しました。表向きには『元大将軍の断罪と
    追放に対する抗議』として
     その数ヶ月後、ついに朕は約束が果たされた証(あかし)を見出しました。城中の朕の居
    室から見える竜樹の頂に咲く、白の造花。それが二人の間で密かに定められた合図でした」
    風の音が変わった。気がつけば、強い陽射しにもいつしか陰りが混じっている。畑地は
   やはり、寂々として人の声が絶えていた。白銀の鎧の人は、ひれ伏す臣下のひとりひとり
   に目を当てた。
    「朕の秘密のお話というのは以上です。玉符将軍、副将軍」
    「はっ!」
    「はいっ!」
    名を呼ばれた二名はかしこまって面を上げた。
    「あなた方はセプターです、セプターとして日々カードを扱っていれば自ずと感受される
    はずでしょう、カードは人と出会うものだということを」
    「は……はいっ」
    「仰せの通り……」
    応える声はむせんでいた。二人共に顔を朱に染め、うっすらと涙さえ見せる。
    「ですから、カードは武器のような道具ではない。もっと別の何ものかであると、朕は
    己れの経験から考えます。先帝の御世に我が国がカードを失のうたのは、ことによると
    その点に対する理解が足らなかったゆえかも知れません。
     マヤさん、貴女が得たカード群の中には"水化(シンク)"が入ってはいませんでしたか?」
    急に下問を向けられた。が、少女はすぐに
    「はい、五枚ございます、陛下」
    「朕の記憶が正しければ、確かカードを失うきっかけとなった大会の優勝景品がその水化
    のカードであったはず。先帝の代では、水化と神龍をもって北方の不正義の戦を有利に
    進める計画だったのでしょう。しかしカードの神は――カードに神がいれば、の話ですが
    ――そのような愚挙をお許しにはならなかった、朕にはそのように思えてなりません。
     ですからマヤさん、貴女が以前にタイハンのものであったカードを得てしまったから
    といって気に病む必要はないでしょう。貴女の元にカードが自ずからやって来てしまった
    のであれば、そこには何らかの意味があるはずです。かつて朕の元に士のカードが現れ
    たように。
     朕は皇帝として、あるいは貴女にカードも含めての我が国への出仕を求めるべきかも
    知れない。いや、本来はそうでなくてはならないでしょう。
     ですが、朕個人の思いとして、ここで貴女を引き止めて籠の鳥にはしたくない。それに
    そんな事をすればきっと、カードの神に怒られてしまいそうです。
     マヤさん、貴女は先に神龍と水の護りとを返してくれました。カードと石も、貴女の手
    から我が国に戻って来てくれました。それだけでもう十分です、それ以上を朕は望み
    ません」
    「陛下」
    マヤは膝行(:ひざまずいたまま進む)し、皇帝ににじり寄った。切迫していた。
    「私の身柄につきましては、寛大なおはからいをいただきましてまことにありがたく存じ
    ます。ただ、ひとつ……ひとつだけさらにお尋ねすることをお許しください。
     カードを失ったお国のセプターの五名と、その方々のご家族は今どうなさっているの
    でしょうか?」
    「その件でしたら、現状は私がお話しできます」
    玉符将軍が皇帝に代わり、返答した。
    「セプターチームは五名とも、カード奪取の罪に問われたまま国外に逃亡中。そして彼ら
    の身内は罪人を捕らえる名目で国によって身柄を取り押さえられ、獄に繋がれております」
    「ああ……やっぱり……!」
    身を揉んで少女は面を伏せた。
    「お話をうかがってもなお、不用意な行為の罪は如何ともし難いものがありますが……」
    マヤの嘆きを見やりつつ、皇帝はアゴに手を当ててしばらく考えふけった。やがて、
    「カードそのものの行方はすでに判明しました。ですから、もう家族にまで罪の塁(るい)
    を及ぼす必要もありませんね。その者たちは獄から解き放ち、国外退去ということで一
    件の落着としたいものですが」
    「それが良うございます、陛下。こたびのご封禅の恩赦ということにすれば、国の名目
    も立ちまする」
    玉符将軍も口を添える。マヤは頭を上げ、二人を仰ぎ見た。
    「ありがとうございます……本当にありがとうございます、陛下。もう、他にお礼の申し
    上げようもございませんが、ありがとうございます。この胸の重石がようやくに取り除
    (の)けられました」
    次第に赤味を帯びる光の下、ゼネスの眼に弟子の後姿は安堵と控え目な喜びとに濡れて
   見えた。




    「あ〜あ、行っちゃった、帝さまもお父も」
    深い木立の向こうに近衛軍の最後尾が消えたのを見送って、ジャクチェはため息を吐いた。
    「ジャクチェはお父さんのこと、ホントに大好きなんだね」
    笑って、栗色の髪の少女は赤毛の娘を見やる。
    「でもさ、帝さまもカッコ良い御方だったねェ。マヤは何かいろいろとお話もしてただろ?
    もう、うらやましいったらありゃしないよ」
    山猫娘はまるで遠慮もなく肘でマヤの脇腹をこづく。しかしマヤも負けずに相手をこづき
   返した。
    「カードのことをあれこれお話ししたんだよ、ジャクチェ。私はセプターだもん。
     あ、ほら、見て。下の田んぼであなたの"良い人"が呼んでる」
    山猫娘が慌てて振り向く。山の下からチェンフの声が上ってきた。
    「お〜い、稲の穂が出てきたぞー、いつもの年より早いや、きっと竜神さまのおかげだ」
    聞いて、弾かれたように跳び出して畑道を駆け下ったのはマヤだ。
    「わぁ、稲の穂だって、見たい見たい!」
    「ちょっと、待ってよマヤ!」
    にぎやかな声が去り、畑地に残されたのは、山の彼方を仰ぎ見てなお動かない、二人の
   師匠たちであった。



    ―×―×―×―×―×―×―×―×―×―×―×―×―×―×―×―×―×―×―×―




    ――風が吹いていた。
    どこまでも風が吹いていた、かすかに憶えてる。
    吹いていた、わたしの中を。どこまで行ってもわたしだった。
    わたしが終わらなかった、風もわたしだった。


    光だった、水だった、土だった、どれもわたしだった。

    ひとつだった。


    でも、墜ちた。
    ひとりちぎれて落っこちた。
    あの人を見つけて、わたしは墜ちた。

    そしてわたしは「私」に戻った。戻ってしまった。


    ひとつだった。
    あの時私はきっと、「ひとつ」だったんだと思う。


                                                        ――  第11話 (後編) 了 ――

前のページに戻る
「読み物の部屋」に戻る