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      第11話 「 師とその弟子 (前編) 」 (4)

 

    「さぁなら!」
    夕暮れ、手を振って帰る子どもたちを見送ると、
    「それでは、お二方とも我があばら家においでくだされ」
    微笑を含みつつ老爺は言い、四つ這いのままするすると斜面を登り始めた。彼の後を、
   農具や間引き菜などの収穫物を手にした士がついて行く。師と弟子とは一度互いの顔を見
   交わし、うなずき合ってから後に従った。
    畑の中ほどを、さらに上の方に向かい斜めに上がってゆく細い道が続いている。朝な夕な
   人の足が踏むのであろうそこは、周囲の草の中でひとすじ土と石くれがむきだしになっている。
    歩きながらゼネスは、それとなくウェイ老人の手足を観察していた(きっと、彼の弟子も
   同じことをしていたに違いない)。
    彼の人の両の脚は、ちょうど膝下のあたりで断ち切られたようにそこから先が無かった。
   腰に穿いた短い裁っ着け袴の裾より、丸く盛り上がった肉の端がのぞく。老人はその肉の
   先端と両手のひらに、藁で編んだ足半(あしなか)に似た履物を装備して歩いていた。
    それにしても……と瞠目せずにはいられない。四つ這いに近い体勢で山道を行く老爺は
   しかし、猿(ましら)のように身軽だ。すいすいと手を脚を進ませては身体を運び、駆ける
   ほどの速さで上ってゆく。
    いったいもう何年、このような身体で日々を過ごしてきたものか。痩せ型の体つきをし
   ているとはいえまるで身の重さというものを感じさせず、まさに風が動くとしか見えない。
    そしてその印象はそっくりそのまま、老爺が遣う士にも当てはまるものだった。
    それなりには重いはずの鍬二丁(これらはそれぞれ刃の太さが違う)を携えた上に収穫
   物を入れた籠まで負い、それでいてサッサッと主に負けぬ速さで傾斜の道を行く。ゼネス
   はこの二人(?)に離されぬよう、かなり真剣に足を動かさねばならなかった。上ってやや
   平坦な棚地に出た頃には、吐く息が荒くなっていた。
    「はぁ、はぁ」
    その"棚"の端に、一軒の小屋があった。二間もあるかどうかという、ごくこじんまり
   した百姓屋である。近づくと、裏手には山からの清水を引いた小さな池も作られてあった。
   斜めに切った竹の筒から水がほとばしり、清冽な音をたてる。
    池の端に立ち、汗をぬぐった。やや遅れて「ふぅ、ふぅ」、弟子の少女が息を吐きつつ
   やって来て追いついた。
    「足……速いですね、ウェイさんも士も……。私、歩くのは自信があるほうだったのに、
    こんなに離されちゃった……なんか口惜しい……」
    すっかり息があがってしまっている。彼女はけれど「口惜しい」と言いながらもペロリを
   舌を出した。老爺も笑って応える。
    「いやいや、単に"慣れ"でありましょうな。それに、私の元に来てくれる子どもらの中に
    は私以上に山道を歩くのが得意な娘もいてござる。マヤさんにお引き合わせができる
    機会があれば、よろしゅうございますがのぅ」
    二人のやりとりはごく親しげだった。実際、半日とはいえ同じ畑で同じ作業を分かたった
   のだから、互いに親しみの情を抱くのも当然のことだ。
    だが、その一方でゼネスの感覚は弟子の少女の面貌にかすかな「翳り」を感じ取っていた。
    『気のせいか? ……いや』
    マヤの内で今、何かが騒いでいる。憂いか、それとも苦悩か、ごくごく薄いがベールの
   ように面上を覆って揺らぐ、動揺している。
    彼にはわかる、日々寝食を共にしてきたゼネスだからこそ、彼女のわずかな変化であっ
   ても五感に自ずから引っ掛かってくる。
    畑で茶を飲む前、話しかけてきた時のマヤには今のような翳りはなかった、いつもと変わ
   らなかった。であるのになぜ、どうして?
    気にかかる。が、ゼネスはその心配をあえて胸底に押し込んだ。
    『もし何かあるのだったら、そのうちには必ずあいつの方から俺に言ってくるはずだ』
    無理に触れてはかえって傷つけるかもしれない、「花」は自ら咲くまで待たねばならない。
    マヤを探しに行ったあの夜、風の妖精に導かれて葦原の中で少女の手を取った。その時
   彼はこう告げた。
    ――「(自分のことは)話したくなった時に話せばいい」――
    そして彼女はそれから後、少しずつ過去のことを話してくれるようになったのだ。
    『だから待つのだ、今は』
    そう思い定め、歓談する少女と老爺の傍らを静かに離れて士の動向に注意を移すことに
   した。


    そのウェイ老の士はと言えば、小屋の裏手にある物置に鍬を片付け(それらは、畑から
   引き揚げてくる際にすでに小川で泥を落としてある)再び戸口まで戻って来るところだった。
    ゼネスは「彼」の顔を見つめた。浅黒い肌の男だった、歳は二十代の半ば過ぎくらいに
   見える。がっしり張ったアゴに切れ長の眼、髪は黒く皺もないがまさしく、遣い手である
   ウェイ・ラン老人の若き日の姿を映したものだ。
    若い士の体躯は、だが決して筋骨隆々というものではなかった。主と同じく痩せ型で、
   背丈もごくごく尋常な中背である。ただし、身の動きの中に一種独特の「しなやかさ」が
   あってそこが普通の人とは大きく異なっていた。どこがどう――と指摘することは難しい
   とても微妙な、そして精妙な、靭(つよ)さを秘めたしなやかさ、それが身に通っている。
    戻って来て、戸口の脇に立った。すっと背すじが伸びている。武張ったところのまるで
   無い、ごく自然で軽やかな立ち姿だ。
    『これは――本当の"士"とはこのような者であったのか』
    そこに居るのはカードのクリーチャーであると同時に一個の魂、老セプターの精神の形だ。
    ドクッ、ゴクッ。
    彼に呼応してゼネスの血潮がどよめいた。熱くうねり、膨れあがる。しかして、頭の芯
   はキンと冴えた。感嘆と畏敬と、かつは闘志によって冴えかえった。身体が勝手に、急速
   に「出来上がって」ゆく。最高の状態へと、肉も骨も神経も丸ごとに準備を整え自身を盛り
   立ててゆく。
    『やるぞ、俺は』
    すでに亜神の身分も念頭から捨て去られていた。彼は今、ただ一人の裸のセプターだ。
   ウェイ老人との対戦に向け、ひたすらに研ぎ澄まされてゆく。
    老爺が振り向いた。
    「ひと休み――は、しかし」
    戻って立つクリーチャーをチラと確かめ、さらに客人の方をもうかがい見て老セプター
   はニヤリ笑う。
    「どうやら、いらぬ野暮というものでござるな」
    「お気遣いに感謝する」
    間、髪を入れずにゼネスもまた恐れ気なく笑んだ。視線がかち合った、気迫が立った、
   「ピリリ」此方と彼方、互いの気魄が膨らみ接する。
    勝負は、すでに始まっている。
    士がふと小屋の戸を開け、中に消えた。だがすぐに出てきた、見れば左腰に一本の刀を
   落し差しにしている。彼らもまた「準備」は整ったのだ。
    「こちらへ」
    颯と身をひるがえし、老爺は小屋の裏手に進んだ。池に注ぐ小川に沿い、さらにまた山
   を登る。そのすぐ後に士が続き、師弟も行く。
    ザザ、ザザザザ……ザザ……。
    風が出てきた。夕風だ、ヒヤリと汗が引く。空よりもひと足先に小暗い山の茂りの下を、
   四つの影は細く続く山の道を上って行った。


    風に騒ぐ木々の間をたどり、しばらく登る。と、やがて狭いが踊り場のように平らになっ
   た場所に出た。山肌に襞を作って深く切れ込んだ、沢すじの棚地である。深い木立ちと切り
   立つ急斜面に囲まれ、しんしんとしてうす暗い。その中ほど、ザァザァと音高く流れる清水
   の脇に三間四方ばかりの裸地があった。
    丸い形に広がるそこにだけ落ち葉が無い。草も生えていなかった。近づいて見ればむき
   出しの土の面は人の足でしっかりと踏み固められ、雨が降ってもぬかるまぬぐらいによく
   締まっている。ここが老人の"稽古場"であるに相違ないと知れた。
    「だいぶ暗うなってまいりましたな、明かりをお点けしましょう」
    老爺は立ち止まり、中空を見上げた。だが、走り寄ったマヤが先に手を伸べた。
    「私が」
    "照明"の呪を唱える。すると、上に向けた手のひらに光の球が現われ出た。「パァッ」
   牛の頭ほどの"太陽"だ、さっと白い光が放射されて流れ、夕闇に沈みかけていた棚地の
   上を明るく隅なく照らし出す。
    そのまま、光はゆるやかに昇ってしずしずと虚空にたたずんだ。
    「これは見事な」
    目を細めた主の傍らを通り過ぎ、士が裸地の中に踏み込んだ。
    真ん中よりも右の側に、スックと背を伸ばして立つ。
    「それでは」
    老爺が微笑した。士はあくまで静かにこちらを見つめている。ゼネスも裸地の端に立ち、
   カードを掲げた――二枚を。
    まばゆい輝きが生じた。その中から現われ、飛び出して裸地を踏んだ者は一人。白銀の
   鎧をまとった騎士、その腰に佩(は)いたは大剣・クレイモア。
    『剣には剣を――』
    カードの戦いに際しては、相手の最も得手とする戦法にあえて同じ戦法でぶつかってゆく。
   それがゼネスの永年の流儀であり誇りなのである。
    こうして新たに騎士も出現し、裸地に立つ影は二つとなった。右に士、左に騎士、いずれも
   剣を腰に四歩の間合いを保って対峙する。
    ヂヂヂ……
    頭上の照明球が微かに唸った。が、風は無い。
    「御免」
    ゼネスの騎士が大剣を抜き放った。両の脚を踏ん張り、長い刀身を右肩にかつぐように
   して大きく構える。
    「私は、このままに」
    老爺の士は刀を鞘の内に納めたままでいた。足裏をぴたりと地につけ、左足を前、右足は
   やや斜め後ろに、身体は起こして左手を軽く鞘に添え、右腕を前にして刀の柄に掛けんとする。
    『"居合い"か』
    ゼネスも、この構えは辛うじて知っていた。刀身を鞘に収めた状態から素早く抜いて切り
   倒す、こうした刀の技を「居合い」と呼ぶ。抜き打つ呼吸に手練の速度を実現できる、士に
   して初めて可能な、難度の高い剣士型クリーチャーの技術である。
    そうして、「彼」はやはり静かに立っていた。眉間に「気」がある。気迫が練られている。
   しかし不思議だ、圧し出すというよりも包み込んでくるような気配だ。技の主体の「中心」が
   見えない、重心が無い。刀を抜く他の動きが読めない。
    『さすがだな、しかし』
    ひしひしと身を噛む緊張が満ちてくる、それでもゼネスの精神は昂然として奮い立っていた。
    『俺には、大剣の片手突きがある』
    かつて目の当たりにしたユウリィの技、それは弟子と共に彼の内にも脈々と受け継がれ
   ている。振りかぶった構えから瞬時に長い射程の刺突へと移る、この技を予見することは
   経験豊富な剣士であってもなお難しい。
    『勝負は一瞬だ、ならばこの"速度"に賭けるのみ』
    剣は「切り払う」より「突き抜く」方が速い。さらに、どれほど優れた剣士であっても剣を
   「抜く」瞬間と「打ちかかる」瞬間にはわずかながら隙が生ずる。気迫負けせず相手の隙を
   確実に捕らえて突くことだ。第一、士の得物である刀よりもこちらの大剣の方が刀身(すな
   わちリーチ)は「長い」ではないか。
    ――必ず、突破する――
    心に決め、肢体に刷り込んだ。闘気が高まる、照明の光よりも激しく、強く放射される。
   士に対して真っ直ぐに立ち向かってゆく。
    ザザザザザザ……
    また風が出てきた。だが無論、相対する二人の剣士の耳にざわめく葉擦れの音が届くはず
   もなく。
    その時、
    「ツツッ」士の右手が滑るように動いた。
    ――今だ!――
    「イヤァーーーーッ!!」
    裂迫の気合、騎士は大剣を突いて出た。転瞬、眼前の影が沈んだ。
    「なにっ?!」
    沈んで斜め後方に跳んだ、読めなかった、大剣の切っ先はわずかに士の左袖の下、ここ
   から薙ぎ払えば、だが、
    「やられた……」
    相手の刀身はすでに、騎士の兜の額の真中を貫いていた。
    鮮血を噴き出す暇(いとま)もなく、騎士の体躯は消えた。大剣だけが地上に投げ出される。
    「"逆手"で刀を抜いたとは……」
    唸るしかなかった。片手突きが来た瞬間、士は彼の動きを見切って腰を落としつつ斜め
   後方に跳び、さらには跳ぶと同時に刀を逆手で持って抜いたのだ。そして突っ込んで来る
   騎士とすれ違うように体をかわし、そのまま手を飛ばして相手の額に刀身を突き立てた。
    「完敗」だった。だがいっそ清々しい、互いに全身全霊をもってぶつかりあった結果で
   あってみれば。
    「お手前、お見事。まことにもって感服いたした」
    感嘆の辞を述べるゼネス、応えて老爺もまた大きく息を吐く。
    「いやいや、貴君の剣風のあまりの鋭さに此方も寸止めができませなんだ。もしわずか
    でも躊躇しておれば、我が胴は大剣の刃に薙がれておったでしょうな」
    「なんの、お恥ずかしい。
     ――マヤ、これへ」
    ゼネスは傍らに弟子を呼んだ。少女が来るとすぐ、つかつかと歩み出て老セプターの前
   まで進んだ。
    「実は、貴兄の優れたる腕前を見込んで是非にもお頼みしたいことがある。この弟子の
    者にひとつ、剣技の基礎を仕込んでいただきたいのだ。
     俺も剣はひと通りは扱える。だが何分にも我流、形ばかりで剣の真髄というものを
    知らない。しかし我が弟子には、形のみならず剣技の何たるかを深く心得て欲しいと
    密かに願ってきた。
     その点貴兄ならばまことに適任、どうかお引き受けを願いたい。この通り、衷心から
    お頼みを申し上げる」
    願いの件を述べ、彼は深く腰を折って頭を下げた。慌てて付いて来た弟子の少女の頭を
   も、右の手でガッシとばかり抑えて一緒に下げさせながら。

    頭を垂れる師と弟子を前に、老剣士は厳粛に顔を引き締めた。
    「わかり申した。私でよろしければお弟子へのご指南の件、お受けいたしましょう」
    そして、彼もまた両手を地に突いて深々と礼を返したのだった。


                                                   ――  第11話 前編 了 ――
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