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       第13話 「 壮士の剣 」 (3)


    「夢を見たの、今夜も。
     いつも同じ夢、あなたと旅を始めた日から夜が来るたびあの人に会う。
     背中だけが見える。背中を向けてあの人は立ってるの。
     何も言わない……でも、悲しんで嘆いてるような背中。私たちがこれからしようとしてい
    ることを、きっとあの人は許してはくださらないでしょうね」    



    しと、しと、しと……。
    今日もまた湿った音の下、師弟は街道を進んでいた。師が先に立ち弟子がそのすぐ左脇に
   付き従う、いつもの道行きの光景である。ただし、師の左眼は今、道の彼方の一点を見つめ
   て揺らがない。そこが常とは様相が違っている。
    ゼネスは今、眼帯を取って竜の眼を晒していた。もちろんそれは、人の眼では見定め難い
   遠い場所をはっきりと見るためである。幸い、頭には雨よけの傘があって、沿道を行き交う
   人の目から彼の顔の目の辺りまでを隠していた。ゼネスは傘の左側の一部に細い切り込みを
   入れ、そこから竜の眼で前方をうかがっている。これで、傘の内をのぞき込まれでもしない
   限りは他人に金赤の眼を見とがめられる懸念はない。彼は全くもって見ることに集中しきっ
   ていた。
    と、
    「ゼネス、ゼネス」
    小さく呼ぶ声とともに脇腹がつつかれた。
    「顔、恐くなってるよ、また」
    同じ声が注文をつけてくる。弟子の少女だ。
    「そうか?」
    師は慌てて自らの頬からアゴをなで下ろした。確かに、何やらこわばっているような感触
   ではある。
    「どうやら集中しすぎたようだな」
    そのままぐい、ぐいと頬を揉んだ。ただし、その間も彼方に当てた視線は決して外さない。
    彼がこれほど熱心に見つめているのは、例の薬売りと連れの二人組だ。弟子に宣言した通り、
   あれからずっと尾行を続けて街道を進んできた。
    とはいえ、竜眼を有する者の尾行である。監視の対象とは今、数十間は離れて歩いていた。
   もちろん通常の人の目では追いきれない距離だ。しかしゼネスであれば、注意力を眼に集中さ
   せることで辛うじて尾(つ)けることができた。ただしその分、神経の緊張が顔にも出る。
    「けど、ウェイ先生のところであれだけ修行したのに、やっぱりまだ顔に出ちゃうんだね、
    ゼネスは。あなたらしいっちゃらしいけど」
    「まったくだ」
    顔から手を離し、つぶやく。思うより先に声が出た。
    「お前の言う通り、どうも悪い癖ほど表に出る。まだまだ修行が足りん」
    そのまま、離した手を傘に添えて傾け、さらに歩を早める。弟子の声がうわずった。
    「え……? あれ?」
    左脇から声が追いすがってくる。
    「認めちゃうんだ、なんか、ゼネスぽくない」
    「そう驚くな。
     "気が前に出過ぎる"という話を思い出しただけだ、それより--」
    目標に目を当てたまま、つぶやく。
    「やはり何かありそうだな、奴ら」
    少しだけ傘を上げ、道の向こうを見直す。彼の視線の先には二つの背中、背の高い女と痩
   せた男が前後して歩いている。
    「なにせ、あれほど商売気の薄い商人というものも初めて見た」
    この数日、通り過ぎた村は五つ、町は三つ、どこもそれなりに活気ある人の住みかばかり
   であった。が、にもかかわらず、薬売り達はまるで商売熱心とは言えなかった。
    通常、行商人と言えば道中は急ぐとしても、村や町に入れば歩をゆるめ声を張って自らの
   存在を周囲に知らしめるものである。ゼネスは彼らの生活に関してそれほど詳しいわけでは
   ない。とはいえ、人家のあるところで物売りが客寄せの口上を朗々と唄うように唱えながら
   流し歩く姿は、これまでにも旅の途上でしごく普通に目にしてきた(というか、一時期同行
   したロメロがまさに彼らの一員だった)。それと比べて、先を行く二人はずい分とその行動
   が異なる。
    薬屋一行は(女も男も、だが)人家のある所で声を張る、ということを全くしなかった。
   どころか、村や町に入っても歩をゆるめようとしない。街道を往く時と同じ速度で、ただひ
   たひたと道の先を目指す。もし商売らしき真似をするとすれば、たまさかに女が背負う薬棚
   に目を留めた人が声を掛けてきた時ぐらいだ。
    ――あれでも商売人と言えるのか?
    いぶかしさはその点に極まっていた。
    「あの二人、本職の行商人ではないな」
    傘の下で、師は弟子に言うともなく感想をもらす。だが、
    「でも……あの女の人の人あしらいは上手いよ、ゼネス。男の人の方は用心棒かも知れな
   い、そういうのって今は別に珍しくないじゃない」
    少女は賛同しない。
    「なんか……私たちが尾けてるのバレたらすごく怒られそうだよね。悪いことしてる気分」
    どうやら、弟子は先だって薬屋の女にきっぱりと「人違いだ」と言われた件がこたえてい
   るようである。しかしゼネスの方はもちろん、そんなことは意にも介していない。
    彼が気にかけることは、別にある。
    「男は言うまでもないが、あの女の方もなかなかただ者には見えんぞ。奴は尾行にかなり
    気を使っている。必要もなく路地に入ってみたり同じ場所を何度も巡ったり、あれは追跡
    をまくための行動としか思えん」
    目を細め、篠つく雨を透かして目標を見続ける。
    「それだけでない、感覚もかなりに鋭い。
     素早い動きにはすぐ反応してそちらを確認する。頭の上を鳥が飛んで通るのもただには
    見過ごさん、一度石を投げてひと撃ちで落としたことがあったな。あの時はお前にも言っ
    たから憶えてるだろう?
     宿で窓から薬を投げ込んできた者、それはお前の推測通りあの女だった可能性も十二分に
    ある。月のない夜に、窓の隙間目がけて正確に投げ込んだ腕前は本当に大したものだった。
    ことによると、あれは忍(しのび)の修行をした者かも知らん。
     もし――だとすれば、だが、奴に顔を見られた時にちょうど眼帯をしていたのは、今にし
    て思えば運が良かった」
    「忍って、皇帝陛下を襲った人たちが遣ってたあれ? でもあの人、黒い服なんて着てないよ」
    「おいおい」
    思わず苦笑した。弟子の言葉に肩をすくめ、指先で傘を弾く。
    「忍がどういう者か見当がつかんわけでもなかろうに、お前にしては間抜けたことを言う。
    前に見たのはカードのクリーチャーだ、だから忍が夜間に活動する際の格好をしていた。
    本物の人間の忍はむしろ、人の目をはばかり忍ぶものだ。大概は時々の自らの役割に応じ
    てふさわしい服装を選ぶ、わかったか」
    「ゼネス、今笑った」
    返ってきたのは笑みを含んだ声だった。意外さに目の端で傍らをうかがう。と、肩の辺で
   傘の下からにこやかな顔がのぞき、
    「これで少しはほっぺた緩んだ? ずっと難しい顔してたけど」
    「お前は」
    続ける言葉に詰まり、慌てて視線を先に戻した。もう一度頬に手を当ててみる。
    確かに、指で揉んだ時よりも顔の肉がほぐれた気分ではあった。


    「ねぇ」
    そのまましばらく進むうち、また傍らから声が上がった。雨音の合間を縫うようにして、
   やや遠慮がちに小さく。
    「何だ」
    応じる。と、
    「交代しようよゼネス、見張るの」
    「お前の目では無理だ」
    にべもなく返した。
    「それはわかってるよ。だから、妖精を飛ばせて上から見るの。それなら私にもできる
    でしょ」
    自分の目の代わりにカードのクリーチャーの力を使う、そうした案だ。しかし、
    「剣呑だな、賛成できん」
    師は傘の内で顔をしかめる。
    「どうして?」
    「気づかれるぞ、特に女の方。奴はかなり優秀だ、さっきからもう何度も言っている。
    一度でもバレたらそれでこの尾行は失敗だ、そんなリスクを犯せるか」
    「はいはい……でもゼネス、あなたずっと女の人の方の話ばっかりだね。男の人はどう
    なの? 私ここからじゃよくわからないんだけど」
    急に話の向きが変わり、不意を突かれて一瞬言いよどんだ。後、
    「男……は、よくわからん、俺にも」
    「え?」
    キュッ、とマントが引っ張られた。
    「わからん、てどういうこと? それ」
    「奴は何にも反応せんのだ、ここまで見てきた限りは。途方もなく腕が立つであろうこ
    とだけは間違いないのだが」
    そう説明しつつも、彼はまだ弟子に、自分が感じた男の特異な印象に関して何一つ語っ
   ていなかったことにようやく気づいた。あの眼、冷え冷えとした暗く虚ろな穴に、しかし
   自身にも理由がわからぬまま引きつけられて止まない事実と共に。
    ――だが、彼はそれについては触れないことにした。
    「あの男は……ただ黙々と歩を進めている。すれ違う誰にも、何にも目を向けようとし
    ないし横を見たり振り向いたこともない。一度、早馬が奴のすぐ脇を走り抜けたことが
    あったが、女が腕を引くまで避けるそぶりもなかった。どうも普通ではない。
     あの二人、見ているとまるで、男は目も耳も閉じていて、その分女が二人分の目や耳
    を持って男の感覚を補ってでもいるかのようだ」
    「ふ〜〜ん……」
    弟子はいったんはうなずいた。だが続けて、
    「それだとさ、よくあるのとは逆だね。男の人が女の人の用心棒やってるんじゃなくっ
    て、女の人の方が男の人を守りながら旅してる、みたいな」
    「ああ、俺もそう感じている」
    うなずいた。しとしと……雨は変わらず一定の調子で降り続く。
    「ただ、二人のセプター、それもかなり力のあるセプターがひたすらに王都へと向かう
    道を往く。目的は何だ? そこが引っ掛かる」
    「でも……必ずしも悪い目的じゃないのかもだよ、ゼネス」
    傍の声が低くなった。
    「その、男の人の様子が普通じゃないっていうなら、都に行くのは病気とかの治療なの
    かも知れないし、そんなハナから疑ってかからなくても」
    小雨にまぎれて低い声がにじみ広がる。
    「ゼネスはあれこれ言ってるけど、あの人と戦いたいんでしょ? 要は。あの男の人が
    とても強そうだから気になって仕方ない、そういうことなんでしょ?
     でもそれって、もしかして向こうには迷惑なんじゃないの?」
    弟子の言葉はついにはっきりと非難に変わった(ここ最近では珍しく)。
    「――黙れ、お前に何がわかる!」
    大声を出していた、思わず。傘の内が震える。脇の気配が固くこわばった、ことにはす
   ぐ気づいたが、言葉は飛び出すことを止めない。
    「お前は何もわかっちゃいない、ああいうヤツは危険だ、放っておけば必ずロクでもな
    い大事をしでかす。俺にはわかるんだ、お前と違って。俺は以前にもああした奴を見た
    ことがある、そいつは大きな街を一つそっくり焼き払った、奴はそいつにそっくりだ」
    返事はなかった。言った側もさらに次ぐべき言葉を失って口をつぐむ。
    自分がなぜあの男を目に留めたのか、それでいてなぜ彼について触れたくないと感じる
   のか、その理由の中心をゼネスはたった今、自覚した。
    ザーーー。
    雨脚が少し強くなった。
    「マヤ、お前は確かに歳のわりには多様な人間を見てきただろう。だが俺の経験はそれ
    より遥かに長い、力があって危険な奴なら星の数ほど接してきた。その俺の感覚が臭う
    と言っているのだ、お前は黙って付いてこい」
    師は歩を早めた。弟子はその後に続いた。



    時はすでに夕刻に至っていた。だが師弟は通りかかった村のはずれを今しも抜けようと
   していた。雨は降り続け、止む気配はない。これから道は山懐(ふところ)に入り、次の
   村はもっと先になるはずだった。つまり、今ここに足を止めないのであれば夜は雨の中、
   山中に過ごすこととなる。
    夕暮れの薄い闇を突いて、しかし師弟は歩き続けていた。止まらない理由は無論のこと、
   先を行く二人組が宿を取らずに街道を進んでいったためだ。 
    しと、しとしとしと、しと――。雨の中、ただ黙して歩く。街道の石畳を一歩外に出れ
   ばそこはぬかるみが広がり、ヴィッツ少年と出会ったあの湿地の道が思い起こされる。
    『奴ら、動きが早くなっているな』
    傘の内で口を結び、ゼネスはずっと考えをめぐらせていた。尾行を初めて今日で五日目
   の夕暮れだが、彼らがこれまで夜に山中に向かったことはなかった。とすると、これは何
   事か急ぐ理由が出来たのか、それとも。
    『罠、ということはあるまいか』
    最も気にかかるのはそのことだ。万が一尾行が発覚した場合、追跡されていた側が取る
   行動は通常、二つに一つだ。「撒(ま)く(=尾行をはぐらかして逃げおおせる)」か、
   あるいは「尾けてきた者を待ち伏せして叩く」か。
    こうして考えるうちにも、夕闇は濃くなりまさり、道は進んで村の明かりも雨のうちに
   遠く見定め難くなる。月のない街道すじは暗さに加えて細く狭く、尾けられる者と尾ける
   者の他に人の影は見当たらない。見失わぬよう気取られぬよう、ゼネスはこれまで以上に
   慎重に歩みを進めた。と、
    「…………や?」
    小声、ではあるが覚えず声を上げた。透かし見ていた闇の向こうに変化が生じたのだ、
   彼にとっては重大な変化が。
    「どうしたの?」
    同じく小さく問いかける声に、
    「奴ら、道をそれた。山の中に入って行く」
    足を速め、ほとんど小走りになって言い捨てた。
    刻々夜へと向かう山々は粗い藪(ヤブ)に覆われ、人ふたりの身を隠すことなどたやす
   い。せめて彼らの進む方角ぐらいは確かめておかなければ。急ぎ追う足をさらに速めなが
   ら、しかしゼネスの脳裏にはかえって先刻の懸念が大きく膨れあがる。
    『これがもし罠だとしたらどうする? 尾けられていると気づいて俺たちをあぶり出しに
    かかった――ということも十分にあり得るが』
    歩きながらしばし逡巡し、街道から山中にそれる分かれ道でついに立ち止まる。そして
   振り返った。
    「お前はここで待機だ、マヤ」
    「え?」
    後ろに続いていた者は、急に止まった師にぶつかりそうになって踏み止まった。
    「どうして?」
    思いもかけなかったのだろう、声にどこか不安の響きがこもる。
    「これは罠かも知れんからだ。だからお前はここで待っていろ」
    「そんな……だったらなおさら、ゼネスひとりで行くの危ないじゃない」
    声の緊迫が増し、震えた。少女の肩もまた。その上にそっと手を伸ばし、弟子の目をのぞ
   き込む。
    「罠とわかったらすぐ引き返す、約束する、それで別の策を練ろう。そういうことだ、
    心配するな」
    ささやいた直後、身をひるがえして藪の合間に飛び込んだ。
    「約束だよ、ゼネス」
    後ろから少女の声がすがるように聞こえた。

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