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   『カルドセプト ―"力"の扉―』

   第1話 「旅の始まり」  (1)


  藪が疎(まば)らに茂る荒地は、行く先遥かに見える山並みを除き、地平の果てまでただ
 茫漠(ぼうばく)と広い。乾いた大地の上を寒い風が過(よ)ぎり、先刻までちらちらと舞って
 いた雪の覆いをまだらに吹き飛ばしてゆく。
  「男」は、薄っすらと白い地表を踏んで、雪の下に広がる戦禍の痕を眺めていた。
  彼の視線が辺りを廻る。かなり遠くまで、所々土の焦げた場所や不自然な窪み、さらには
 変色した血痕が透けて見える。いずれもまだ、新しい。ここで戦闘があったのは、つい最近の
 ことのようだ。
  傾きかけた陽の光が、男の背を照らす。彼は異相だった。―黒く硬い蓬髪、額に巻かれた
 赤の模様入りバンダナ、頬からアゴにかけての無精ヒゲ、首から下を覆う薄汚れた青いマント。
  その風体は遠い道程を行く旅人の姿そのものではあったが、男の左眼は"竜の眼"だった。
 金赤の虹彩と縦長の瞳孔を備える、爬虫類のような"竜眼"。その異形の眼は鋭く強い光を
 放ち、彼が特別な力を持つ者であることを誇示していた。
  しばらく周囲を見回していた男が、歩き出した。吐く息は白いが、大気の内には微(かす)かに
 緩みがある。風や雪こそあるものの、季節は冬の終わりへと向かい始めているのだ。
  しかし、彼はそういった事象にはさして注意を払わずに、ただ舌打ちした。彼は今、あまり
 機嫌が良くなかった。
  「ここもハズレだ、ただの殺し合いにすぎん、覇者を決める戦いの跡などではない。
  結構歩き回ったがこの世界も望み薄だな、覇者を目指す者など何処にもいない、また他所
 へ向かうしかないのか」
  辺りの景色を横目に見つつ、足早に進む。彼の左眼が雪を透かして、地面の上につけられた
 無数の足跡を見出す。それらは数多くの人間と、人間とは違う巨大な怪物のような何者かとの
 ものだ。
  しかしその痕跡は決して、人間達が怪物を打ち倒すために戦った跡ではない事を、彼は承知
 していた。これはむしろ、怪物を操る人間同士が激しく戦った跡なのだ。
  そして焦げた土や窪みの間には、多くのうち捨てられた荷物やちぎれた衣服、壊れた日用品
 が散乱していた。いずれにも、黒っぽい血の染みが目立つ。
  「ずいぶんと巻き添えが出たようだな、近頃はどの世界へ行ってもこんな有様ばかりだ、俺の
 出る幕じゃない。
  ―それにしても、カードの覇者はもう何処にも現れないのか?俺が最後に戦ってからすでに
 どれだけの時が過ぎた?
  いったい何時までこうしてウロウロとさまよっていなければならないんだ?」
  いら立ちばかりが募(つの)り、男はまた舌打ちすると遥かな上空を見上げた。
  『どこの世界にも、カルドセプトのカードはあるし、セプター達も数多(あまた)いる。それなのに
 カードの戦いといえばこんな殺し合いや戦争ばかりで、カードの覇者を目指す誇りある戦いは、
 もう幾久しく起きていない。
  覇者が生まれなければ新しい世界も生まれないというのに、愚かなことだ』
  胸の内に、焦りとある種の虚しさとが湧きかける。ふと歩みも止まった。
  『このまま宇宙が老いて全てが滅びるまで、俺は覇者との戦いに焦がれ続けなければならないのか』

  空の高いところで、強い風が雲を次から次へと押し流してゆく。男は、よぎる思いを払うように
 頭を振って、つぶやいた。
  「そんなことは真っ平だ、戦いだけが俺の全てなんだからな。イライラしながらウロつくのにも
 いい加減飽きた、もう我慢の限界だ。
  どうせ皆滅びるんだ、これからは覇者に限らずセプターなら誰でも相手にしてやる」
  左眼に、ギラついた光が宿る。
  「―で、手始めに先ずはあいつだな。手応えがあればいいんだが―おい!」
  彼は振り返ると、少し離れた藪の辺りに向かって大声で呼ばわった。
  「朝方からずっと俺の後をコソコソ尾けて来ているヤツ、用があるならさっさと出てきて顔を見せろ!
 俺は今虫の居所が悪いんだ、隠れたままならそっちへ行って引きずり出してやるぞ!」
  その言葉が終わらないうちに、藪から少年が一人飛び出して走ってきた。彼は男のそばまで来て
 立ち止まり、きちんと一礼すると緊張した面持ちで話しかけてきた。
  「あの…あの…あなたを怒らせたのならごめんなさい。あの、頼みがあるんです、私に魔術を教えて
 欲しいんです。あなたは魔術師でしょう?"竜眼"をお持ちなんですから。
  魔術を習いたいんです。どうしても、呪文がわかるようになりたいんです。それで、教えてくださる
 方を探してずっと旅して来ました。どうか私をあなたの弟子にしてください、お願いします!」
  少年の表情は手を突かんばかりに必死で、言葉つきにも切実さが感じられる。その勢いに押されぬ
 よう、男は腕組みして考えるふりをしながら、素早く相手を観察した。
  濃い栗色の巻き毛、とび色の瞳(め)、きりりと利発そうな顔立ち。歳の頃は十五、六か。綿入れの上
 衣に膝の辺りで絞った皮ズボンを合わせ、長い革靴を履いている。
  荷物は肩掛けカバンが一つだけ。炊事道具と覚(おぼ)しきものの柄が、カバンの口から飛び出している。
 顔はすっかり日に焼け、靴も磨り減っていて確かに長らく旅をしてきた様子に見えた。
  『こいつの言う話にウソはなさそうだ。しかし…まだ肝心な事を告げていないぞ。まさか、この俺に
 隠し立てが通ると思っているんじゃあるまいな』
  おもむろに、男は応えた。
  「いかにも、俺は呪文を使う者だ。このように各地を放浪する身だが、魔術の基礎ぐらいなら教えて
 やれんでもない。ただしそのためには条件が一つあるぞ。
  俺は呪文と共にカードも使う、カード術師でもある。いや、むしろカードのほうが本職の"セプター"だ。
 お前と同様に、な。お前もセプターなら、俺と今すぐカードの勝負をしろ。お前が勝てたら弟子の件は
 考えてやる」
  すると、少年の顔がにわかにこわばった。表情に警戒の色が浮き、男の顔をじっと見据えながら二、
 三歩後ずさって凍りついたように身を硬くしている。
  「どうした、怖じ気づいたのか。逃げる事は許さん、さあ戦え、俺を楽しませろ」
  男は、久しぶりの戦いへの期待に高ぶりながら相手の反応を待った。が、帰ってきた言葉は意外な
 ものだった。
  「こんな場所(ところ)でカードの勝負だなんて…、あなたは"公認"セプターなんですか」
  今度は男が驚く番だった。
  「"公認"セプターだと?なんだ、その"公認"てのは?何でセプターが"公認"なんてされる必要が
 あるんだ?!」
  彼の声は思わず大きくなったが、少年の表情はホッとしたようにゆるんだ。
  「良かった、"公認"セプターじゃないんだ。でも、どうして今さらそんなにビックリされるんですか?
  セプターの公認制度なんて、私が生まれるよりもずっと前からあるじゃないですか」
  「知らん!俺にはそんな制度なんぞ関係ない!それより戦うかどうかのほうを早くハッキリさせろ、
 そんなに長くは待ってやらんぞ!」
  焦(じ)れて怒気を含んだ男の声に、少年は再び顔を引き締めた。
  覚悟を決めたのだろう、背筋を伸ばし、凛とした声が届く。
  「わかりました、この勝負、受けます!」
  「よし!」
  男は初めてニヤリと笑った。
  「カードを出して用意しろ、始めるぞ」
  彼は、自分のふところから手のひら大の薄い石版の束を取り出した。少年はと見ると、かなり分
 厚い束を幾つも両手に抱えている。これほどの量のカードを何処に隠し持っていたのかと、男は
 少しく疑問に感じた。
  が、それを質(ただ)すよりも先に言うべきことがあった。
  「お前は"ブック"を組んでいないのか?カードは数あればいいってもんじゃない、そのままじゃ
 まともに戦(や)り合えんぞ」
  「は?"ブック"ですって?それ何ですか?」
  少年が首をかしげた。狐につままれたような顔をしている、本当に知らない様子だ。
  「ごめんなさい、実はこうしてちゃんとカードの勝負をするの、初めてなんです。やり方を教えて
 ください」
  彼は申し訳なさそうに詫びたが、男は怒るのを通り越してむしろ嘆かわしい気分におちいった。
  『こいつ、とんでもないド素人だ。この俺がこんなヤツとしか戦えんとは、情けないにもほどがある…。
 しかし吹っかけたのはこっちだしな…ええくそ、取りあえず一番簡単な方法にしておくか』
  身の不運を噛み締めながらも、彼は相手に指示した。
  「これから"ブック"を組んでたら明日の日が昇る。今回は特別に一発勝負にしてやろう。
  そのお前のカード全ての中から五枚だけ選べ、表には触れずにランダムで、だ。俺も同じだけ取る」
  男は手持ちの分から適当に五枚のカードを抜き出し、残りはしまった。
  「取ったか?―そうだ、それでいい。ところで、カードに三つの種類があることはわかっているか。
  念を押すぞ。
  一つは、クリーチャーを呼び出す"クリーチャーカード"。もう一つは、クリーチャーを強化できる
 "道具(アイテム)カード"。そして呪文効果をもたらす"呪文(スペル)カード"だ。
  この勝負では互いにクリーチャーを戦わせて勝敗を決める。だから、選んだ五枚の中に一枚も
  クリーチャーカードが無ければ、その時点で負けだ。俺の分にはあるが、お前の方はどうだ」
  少年は、大丈夫というようにうなづいた。

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