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     第1話 「旅の始まり」  (2)


  「よし、始めるぞ。―先ずはクリーチャーを呼び出す!」
  二人はほとんど同時に一枚ずつカードを掲げた。途端に、それぞれのカードから強い輝きが
 放たれ、鈍い唸りをも発して辺りの空気を殷々(いんいん)と震わせはじめる。
  やがて、輝きはカードの中心に収斂(しゅうれん)し、そこから「ピシリ」と軋(きし)る音をたてて、
 "力"が兆した。
  それは最初、白い光の球として発現した。二枚のカードの表面(おもて)から、二つの光は大きく
 迫(せ)り出し、膨らむ密度の高い気配が周囲の大気をも歪め、ゆらゆらと陽炎が立ち揺らぐ。
 "力"―全てを創造できる"カルドセプト"のエネルギーが、ここに招来されたのだ。
  するとカードの形は空間に溶けるように消え、それを合図に"力"の「変換」が始まった。
  まばゆい光球の中で何者かの姿が急速に形作られ、輝きから抜け出すように現われ出てくる。
 それはなんと光="力"が結晶し、この世界のものとして実体化してゆく有様なのだ。
  こうして造り出された者こそ、確かな形と質量とをもつ"被造物者"、すなわち「クリーチャー」
 なのであった。
  先程まで男と少年しかいなかった場所に、忽然とクリーチャーが出現する。この、無から有を
 生み出す一連の不思議な現象こそが、カードの能力。宇宙の源たるカルドセプトの"力"の具現
 とされるものだ。
  そして、この二人のようにカードから"力"を引き出せる特殊な能力を持つ者を、「カルドセプト」
 にちなんで「セプター」と呼ぶのである。
  こうして、男のカードからは醜悪な顔の小悪魔(グレムリン)が、少年のカードからは羽ばたく
 半透明の小柄な妖精が出現して、各々を呼び出した主の前に静かにたたずんでいた。
  「これで第一段階だ。次は呪文(スペル)カードを使う番だが、お前、使うか?」
  「使いません」
  少年はかぶりを振り、男は胸の内でほくそ笑んだ。
  「では、俺は使わせてもらう。―出でよ!」
  彼が次に掲げたカードは、先のものとは波長の違う光と唸りとを発した。その中心から生じる
 "力"の威力を、彼はよく心得ていた。
  『あの小さいのは風の妖精(スプライト)だな。運の悪い奴め、この"マジックボルト"なら一発で
 消し飛ばせる』
  カードがひときわ輝いた次の瞬間、そこから一条の電光が飛び出した。高圧のエネルギー弾だ。
 それは矢のように一直線に小妖精に向かった。
  ―が、妖精に当たる寸前"矢"は大きく逸(そ)れ、少年らの右横の地面を深々と穿(うが)って
 消えた。
  「バカな、外しただと!?」
  男は驚愕した。彼の憶えている限りでは、こうした場面で光の矢を射損じた事など、ただの一度
 も無かったはずだ。 しかも、矢はただ外れたというより自ら逸れたようにも見えた。
  『まさか、そんなことあるはずが無い。これはミスだ、単なる俺の油断だ』
  彼は強いて自分にそう言い聞かせた。だが動揺は大きく、すぐには平静に戻れそうにない。
  「…フゥ、ああ良かった…。もういいんですか、次はどうしましょう」
  のんびりとそんなことを尋(き)いてくる相手を睨(にら)みつけ、吠えた。
  「こっちが一回外したぐらいで安心するなよ。行くぞ!これからが本当の勝負だ!」
  男の小悪魔が飛び上がり、奇怪な声をあげて小妖精に突進した。その様子を見て、少年は慌て
 て別のカードを掲げる。
  『道具カードを使う気か、ムダだ、小悪魔には通用しない。あれに道具破壊の特殊能力があること
 を、ヤツめ知らんな』
  少年のカードが輝くと、妖精の左手に円形の盾が現れた。その盾は、迫る小悪魔の叫びにほんの
 一瞬震えたが、しかし何事もなく敵の攻撃を受け止め、逆に小悪魔のほうが妖精の爪を食らって
 傷ついた。
  「何だと!」
  通常なら、間近で小悪魔の叫びを浴びた道具は全て、消滅してしまうはずなのだ。男はまたして
 も、信じ難い光景を見たことになる。
  『どうなってるんだ、いったい。何か仕掛けでもあってハメられたのか、俺は…』
  彼はそれとなく辺りをうかがった。カードに細工して、発現する"力"の性質を変えることは不可能
 とされている。
  が、呪文などでクリーチャーの能力を封じる、特殊な結界を張ることはできるのだ。あの少年の
 言葉にウソは無いと信じたいが、他の何者かが術を使って男をワナに掛けているのかもしれない。
  しかし、その疑いを裏付けるような証拠は得られなかった。"竜眼"を持つ男が神経を研ぎ澄ま
 せて周囲を探ったのにもかかわらず、不審な人影はおろか怪しい動き一つさえ、見つけることが
 できなかったのだ。
  彼は少年との勝負をそのまま続けるしかなかった。

  ―それから小半時ほどが過ぎた。男の小悪魔はすでに少年側の攻撃によって消し去られ、今は
 巨大なグリフォンが替わって立っていた。少年の小妖精は、相変わらず傷一つつけられていない。
 こちらは右手に長く鋭い剣を携えて、軽やかに羽ばたいていた。
  太陽は徐々に地平線に近づき、後方から射す光を浴びた少年の影が長く伸びて、今にも男の足元に
 届こうとしている。
  男はすっかり追い詰められていた。グリフォンの防御の要であった道具カード"プレートメイル(板金鎧)"
 は、つい先刻少年が使った呪文カード"シャッター(破壊の呪文)"の発動によって、打ち砕かれて
 しまっていた。
  もう、彼らの攻撃を退ける術(すべ)は無い。次に二体のクリ―チャ―がぶつかれば、勝負は決する。
 彼は逆転の望みをかけて、最後のカードを取り出した。
  「呪文を使う、俺はあきらめんぞ!」
  男はただ、このまま負けたくなかった。いまや弟子の件のことなどは念頭から消え去り、その一心
 だけが彼を支配し動かしている。
    そうして掲げられたカードの中心から、腹の底に響く唸りの音と共に、不穏な気配が噴き出し
 始めた。それは最初うす暗い影だったが、見る間に墨のように濃い闇となり、ついには暗黒の炎の
 形へと凝集した。男の肌も思わず粟立つ。これは、身体に深刻なダメージを与える死の炎なのだ。
  「行け!"イビルブラスト"!」
  男の命を受け、黒い炎は暗紫色の尾を引いてまっしぐらに小妖精に迫った。対する妖精は剣の刃
 を正面に立てる。炎と切り結ぶ構えだ。
  「バカめ、剣で呪文を切れるものか!」
  彼の叫びと同時に黒い炎が妖精に襲いかかり、その身を包み込む――と見えた刹那、刃のきら
 めきが一閃(せん)して炎を打ち払った。男の渾身の一撃は、使命を果たせぬままあえなく霧散した。
  この余勢を駆って妖精が飛び出し、グリフォンに激しく突きかかる光景を、男は黙って見ていた。
  巨大な魔獣の姿は悲鳴に似た叫びを残して掻き消え、同時に再びカードがその形を取り戻して
 地に落ちた。
  後に立つのは小妖精のみ。男の手に、もはや使えるカードは一枚も無い。彼は自分の敗戦を受け
 入れるしかなかった。

   夕暮れの中、勝者が晴れやかな顔―だがまだ緊張の残る顔で近づいてくる。男は、渋い顔で
 彼を迎えた。
  「私が勝ちました。弟子にしてもらえますね」
  「わかってる。だが俺は"考える"とだけ言ったはずだ。
  先にお前が今持っているカードを貸せ、少し調べたいことがある」
  負けは認めたものの未だ疑念の残る彼は、少年が使わなかった最後の一枚を要求した。
  「どうぞ」
  少年の方では、男に疑われているなどとは露ほども感じていないらしい。何のためらいもなくあっ
 さりと、手に残ったカードを渡してきた。
  その表面に触れると同時に、男の脳裏に一つの鮮烈なイメージが浮かび上がる。
  ―大きな、黒い犬。強力な牙、頑丈なアゴ。赤い目を光らせ、炎のブレスを吐く―
  「"ヘルハウンド"か。風の妖精を倒したとしても、こいつが控えているようじゃあ、どの道
 勝ち目は薄かったな」
  彼はためつすがめつ、何度もカードを見返した。指の腹でなで、爪を立て、歯に当ててさえみた。
  が、それは変哲もない薄い石版に似たカード状物体。人には分析できず、製造できず、加工する
 事すらできない、"力"を生み出す"カルドセプト"のカードの一枚に過ぎなかった。
  先刻の戦いで彼が味わったいくつもの常識外れの現象は、どうやらカードそのものに原因がある
 わけではなさそうだ。
  『…とすると、カードを使ったセプタ―本人に特別な能力(ちから)があるということなのか。こいつ、
 トボけてるわけでもなかろうが、いったい何者なんだ…」
  男の意識の内に、にわかに少年に対する興味が湧いて出た。もしこの少年に特別なセプタ―能力
 があるのだとしたら、自分はぜひともその正体を暴いておきたい。そのためには、しばらく彼を手元
 に置いて観察してみるのもいいだろう。
  ―密かに、そう考えた。
  「もういい、カードは返す。今からお前は俺の弟子だ、魔術について知っているだけの事は教えて
 やろう。
  それと、お前はセプタ―のくせにカードの事をあまり知らんようだから、ついでにそっちの方面に
 ついても教示してやる。ありがたいと思えよ」
  「はい、ありがとうございます。よろしくお願いします」
  新弟子は深々と頭を下げた。また少し顔がこわばり、緊張が高まったように見える。
  「師弟となったからには、互いの名乗りだな。
  俺の名はゼネス、"竜眼のゼネス"とも他人は呼ぶ。―で、お前の名は何というのだ」
  しかしその問いへの答えは、すぐには返ってこなかった。少年はしばらくの間言いよどみ、一つ
 大きく息を吸って、吐いて、ようやく告げた。
  「マヤ、…と言います」
  「マヤ?なんだか女みたいな名前だな。―いや、いや違うぞ、待てよ、―お前は、お前はもしかして、
 女なのか?」
  彼―ゼネスはまたしても驚かされ、もう一度まじまじと目の前に立つ相手を眺めた。
  女と疑う目で見れば、確かに身体の線は細いし、手足もいくぶんかは小作りで、それらしく見え
 ないでもない。
  だが胸のふくらみなどは目立たず、首元は立ち襟とスカーフで隠され、これまでの声音や動作
 にも、女と気づかせる様子は少しもなかった。これらがすべて男の振りだったとしたなら、ずいぶん
 と見事に演(や)ってのけたものと言える。
  『まいった、ハナから男としか思わなかった、俺としたことが何という不覚。本当に女だとしたら、
 連れ歩いても面倒な事ばかりだぞ。とはいえ、こいつの能力の事を思えば放ってもおけんしな。
 ううむ、どうする…』
  ゼネスが考え込む間、「マヤ」と名乗った者は男の視線に耐えるかのように唇を噛み、うつむいて
 押し黙っていた。
  が、急に顔を上げ、彼の眼を真っ直ぐに見返すと訴えた。
  「そうです、確かに私は女です。今男の子の格好をしてるのは、そのほうが旅するのに都合が
 良かったからにすぎません。
  …でもそんなこと、魔術を習うのには関係ない、どうだっていいことのはずでしょう?
  私はあなたについて行きたいんです、あなたに!」
  とび色の大きな眼に、強い光がある。その光に射られて、ゼネスの心は決まった。
  「良かろう、魔術の修行に男女の区別はないからな。
  ただ、俺のような放浪の術師は、本来なら異性の弟子を取る事は控えるものだ。そこを曲げる
 のだからな、お前も覚悟があるなら俺に余計な気を使わせるなよ。
  修行は厳しいがしっかりやれ。お前ならできるだろう、マヤ」
  「はい!」
  少女の顔が明るくなり、口元がほころんだ。これが、ゼネスが見た最初のマヤの笑顔だった。

 
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