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   第1話 「旅の始まり」  (3)


  焚き火の炎が赤々と燃える。空はすっかり暗くなり、夜の帳(とばり)が下りて、火の周りの
 他は荒地の全てが闇と静けさに包まれている。物音といえば、薪(たきぎ)のはねる音とマヤが
 食事の支度をする音だけだった。
  焚き火の隅に組んだ石のかまどの上で、鉄の浅ナベに湯が沸いている。マヤは荷物の中から
 油紙の包みを出すと中身の塩漬け豚を二切れナイフで切り取り、ナベの湯の中でさっと湯がい
 た。肉の色が変わると皿の上に取り出し、コーンミールを振りかけてまぶす。
  その間、浅ナベの湯は捨ててもう一度火にかけ、熱くなったところへ豚脂(ラード)をたっぷり
 めにひくと、粉をまぶした塩漬け豚を並べた。ジュウと肉が焼ける音が立ち、香ばしい匂いが
 辺りに漂う。良い加減に焼けたところで、彼女は肉を皿の上に盛り付け、パンを添えてゼネスに
 差し出した。
  「どうぞ召し上がってください、先生」
  パンは黒っぽく固くボソボソしていたが、豚肉は焦んがりと焼き目がついて、大層うまかった。
 しかし二人とも黙って食べた。
  肉とパンとを平らげる間に、かまどの上では小ぶりの深ナベに湯が沸いていた。マヤは今度は
 陶製の壷を取り出した。片手に乗るほどの大きさのその壷には茶褐色の丸い塊が入っていて、
 彼女はその塊をナイフで少しずつ削っては、沸いている湯の中にパラパラと落としてゆく。
  しばらくすると、湯気の中から茶の香りが広がりはじめた。先程のものは、どうやらつき固めた
 茶葉だったようだ。マヤはナベを火から下ろし、カップの中に茶を注ぎ入れるとまたゼネスに
 差し出した。
  「どうぞ、先生。少し渋いんですけど、温まりますから」
  「"先生"は止めろ」
  カップを受け取りながら、ゼネスは多少大げさに顔をしかめて見せた。なおも続けて、
  「"先生"だの"師匠"だのと、俺はそんな呼ばれ方をしてしかるべき人間じゃない。それに
 敬語を使われるのも好かんな、どうにもゾッとする。
  俺を呼ぶときには、ただ"ゼネス"でいい。以後、気をつけろ」
  ひと息にそれだけ言うと、茶に口をつけた。確かに、渋みの強い味だった。
  「本当にそれでいいんですか。
  いえ…でもやっぱり、私には難しいですね。だって、あなたの事をまだ良く知らないんですから」
  「だからこそ、とりあえず丁寧に扱っておこうという腹か。ふん、その割には思った事をハッキリ
 口にするじゃないか。悪くない態度だ」
  "竜眼"がギロリと動いて少女を見る。しかし、その視線に不快さは含まれてはいない。だが
 マヤはバツの悪そうな顔をして、皿に注いだ茶(食器は全て彼女の物で、カップも皿も一つずつ
 しかないのだった)をすすっていた。
  そうしてまたしばらくの間、言葉のない時間が続いた。
  肉を食べ熱い茶を飲んだおかげで、胃の腑(ふ)の辺りからじんわりと体が温まってくる。マヤが
 二杯目の茶を出したのをきっかけに、ゼネスはずっと気になっていた事を尋ねようと切り出した。
  「それはそうと、お前、戦う前におかしなことを言っていたな。セプタ―の公認制度があるとか
 何とか。どういう事か説明してみろ」
  「それはですね――」
  彼女は焚き火の炎を眺めながら、ぽつぽつと話し始めた。

  その話を要約すると、こうだ。現在この世界(マヤは、世界の名称は知らないと言った…)では、
 だいたいどこの国にもセプタ―の認定制度がある。カルドセプトのカードを持って旅をしたり
 戦ったりするには、国から発行された認定証が要ることになっている。
  この認定証を持つのが"公認セプタ―"であり、国境や関所もカードを持ったまま通ること
 ができるという、通行の自由が保障されている。
  彼らの身分は国や王の直属で、待遇はきわめて良い。ただし、カードを個人で持つ事はでき
 ない。カードは全て国家あるいは王の持ち物で、公認セプタ―は自分の任務に応じて、必要な
 カードをその都度預かり、持ち歩くのが普通である。
  「何だ、つまりセプタ―の公認制度はカードの管理制度でもあるわけか。
  気に入らんな、人間ごときがカードを管理しようなどとは」
  眉をひそめ、不快感を露(あら)わにしてゼネスは吐き捨てるように言った。しかしマヤは、
 自身の意見ははさまずに、なおも淡々と話を続けた。
  「あなたと同じように、認定制度を嫌ってどこにも所属しようとしないセプター達もいます。
 その人達は"カードはセプターのものだ"と言って、制度側に対抗しています。
  カードをたくさん保管している大きな街なんかに、戦いをしかけることもあるそうです。
 セプターとカードを権力から開放するという名目で…」
  彼女の顔はうつむき、声は沈みがちだ。形の良い睫毛(まつげ)がとび色の眼に被さって翳
 (かげ)りを作っている。
  「制度側ではその人達を"非公認セプター"と呼んで、捕まえてカードを取り上げようとして
 います。でも、攻められたら追い払うのが精一杯で、あまりうまくはいってないみたいですね。
 人数は公認セプターのほうが断然多いのに」
  「それは多分、野(や)にある奴らのほうがセプターとしての能力が高くて、カードも力の大きい
 上級クラスのものを使っているんだろう」
  そう意見を述べてから、ゼネスは少女に向かって単刀直入に尋ねた。
  「で、お前の立場はどうなんだ。"公認"じゃあなさそうだが、制度側に露骨に対抗している
 ような話し振りでもないな」
  するとマヤは、焚き火を見つめたまま黙り込んだ。瞳の中に、炎の赤い影が映ってちらちらと
 揺れている。
  しかし、彼女自身は身じろぎ一つしない。静けさが凝り固まったように動かない。
  沈黙。ゼネスも気圧されるほどの、それは侵しがたい沈黙の時間だった。辺りの闇よりも濃く
 重い何かが、この少女の内側に押し込められている―。辛うじて、そのことだけが感じ取れる。
 彼は答えの催促をすることなく、ただ静かに待ちもうけた。
  「制度に立つ人達から見れば、私は非公認セプタ―でしょう。でも、対抗する人達みたいにカード
 がセプタ―だけのものだとも思えません」
  再び話し出した時、マヤは焚き火からは視線を移して遠くの闇を見ていた。ゼネスからは、彼女
 の左の横顔が見えた。
  左眼の下の目じり際に、黒子(ほくろ)が一つある。横を向いているはずの少女の瞳がふとこちら
 に動いた気がして、彼は背中にザワリとした疼きを覚えた。
  「私が、自分がセプターだと知ったのは一年ばかり前の事です。わかったときには回りの人たち
 にずいぶん迷惑をかけてしまいました…わざとじゃなかったんですが…。
  生まれた場所からは離れたいとずっと思っていたから、旅に出られた時には嬉しかった。でも、
 すぐにセプターだという事を辛く感じるようになりました。何故だかわかりますか」
  遠くを見つめたまま、彼女は言った。不意に問い掛けられて、ゼネスはややうろたえた。
  「世界が争いに満ちているからか…」
  思わず、このところの実感が口に出た。
  「そうです。何処へ行っても、セプターや魔術師が絡んだ争いごとを聞かない日はありません。
  この荒地でも、おとといの夜明け前に戦いがありました」
  思い出した―、彼はハッとした。マヤが見つめているのは、夕暮れ時に彼も見た、あの戦場跡
 の方角だ。
  「東の山の向こう側にある"ビンディス"という街が戦争で焼かれて、逃げ出した大勢の人が
 ここを通りかかった時にセプターの集団が襲ってきたんだそうです。私は生き残った人から直接
 話を聞きました」
  「避難民の中にも、カードを使って応戦した奴がいたようだが…」
  見たことどもを一つ一つ思い浮かべながら、ゼネスも問い返した。何故かジリジリとして落ち
 着かない気分だ。
  「"ビンディス"を守っていた公認セプターが、街のカードを持ち出して紛れ込んでいたよう
 です。その事がどうしてか漏れ伝わって、襲われてしまったんでしょう。
  それで戦いになって、クリーチャーや呪文の応酬になって、セプターでもなんでもない人たち
 が巻き込まれて大勢亡くなったそうです」
  この返答は、しかし彼をイラつかせた。
  「それがどうした、酷な話ではあるが今時珍しくも何ともない、どこへ行ったって同じだ、
 どこへ行ってもな」
  彼はマヤが見ているのとは反対側の闇に眼をそむけて言った。この手の話はしたくないのだ。
  「…そう、確かにあなたの言う通りです。こんな事は、ちっとも珍しくなんかない。"力"を
 使えない人達が、"力"を持つ人たちの争いに巻き込まれて死ぬ。いつでも、どこででも有り
 得ることなんだから」
  いったんは眼をそむけたものの冷やりとした気配を感じて、ゼネスはまたマヤの方を見た。
 彼女も彼を見ていた。
  ―強く厳しい底光りする眼が、じっと見上げていた。それは地の下の死者から見返されている
 ようで、彼は心底たじろいだ。
  『こいつは…何だ』
  そのゼネスの畏(おそ)れを感じ取ったかのように、マヤは静かに視線を外してまた火明かり
 を見つめた。
  風はなく、炎が真っ直ぐに立ち上る。月が見えず星も少ない、暗い夜だ。目の前の少女が、
 闇の精であるかのように思われる。
  彼が何も言う事ができないまま、時間ばかりが過ぎた。―そしてまた、不意に問われた。
  「あなたは、戦う事が好きなんですか」
  ゼネスの方を見ずに、マヤはそう訊(き)いてきた。
  「俺は…戦うためにこそ、生きている」
  彼は正直に答えた。だが、誇らしく言う事はできなかった。
  「カードは何のためにあるんですか。戦うためですか。
  "力"を持つ人どうし傷つけあって、"力"を持たない人は踏みつけて顧みなくって、そうして
 勝ち残った人だけ生かすためにあるものなんですか」
  火の色を眼の中にちらつかせながら、彼女は迫るように言う。
  ゼネスは追い詰められた気分になって言い返した。
  「もしそうだとしたら、それがイヤだと言うなら、お前が一番強いセプターになって世界を
 変えればいいだろう。
  カードの"覇者"になれば神にだってなれるんだ、世界なんてどうにでも好きなように出来る」
  マヤの眼が、再び彼を見た。
  「あなたの言う強さって、何ですか。他人を傷つけて平気なのが強さなんですか。それとも、
 自分だけが正しいって押し付ける事の出来るのが強さなんですか。
  そういう強さは…、私にはありません、それが"強さ"だったら要りません」
  とび色の眼は大きく見開かれ、声は苦しげにふるえている。ゼネスは途惑った。彼にこのような
 問い掛けをしたセプターなど、かつて一人もいなかった。
  彼はこれまでに、非常に多くのセプターと対峙(たいじ)してきたのだが。
  「だったら…、何を求めようというのだ…」
  濃い闇の中で、音も色も形も、今は全てが遠い。火に照らされるマヤの面差しと彼女の声
 だけが、生まれて初めて見聞きするもののように彼の感覚の内に染みてくる。
  「カードのこと、"力"のことが知りたいんです。自分がセプターだから、それがどういう
 ものなのかちゃんと考えたいんです。魔術の事を教えてもらいたかったのも、そのためです。
  "カードの覇者になれば神になれる"―その言い伝えは知ってます。でもそれだけが本当
 なら、覇者になれなかったセプターは皆んな絶望しなきゃいけない。他に何か、きっとあるはず
 だと思うんです、私は」
  少女が眼を上げた。光ある瞳に、驚いた顔をした男の影が映っている。
  「セプターは、カードを使って何をするのが"本当のこと"なんだろう。それを突き止めたいん
 です、どうしても」
  キッパリと言い切った。
  ゼネスはしかし、半ば唖然としながら、目の前のこの不思議なセプターの顔をただ見守っていた。
 マヤの言う言葉は耳に聞こえてはいる。だが、その意味の全てが彼に理解できたとは言えない。
  わかるのは、彼女が根元的な何かを探ろうとしている―ということだけだ。彼がこれまで
 考えたことも無かった、カードとセプターとの関係の根元部分、人が"力"を使う事の意味。
  自分よりも遥かに短い時間しか生きていないはずの少女の視線に、何故これほどまで遠く
 深い射程があるのか。
  ゼネスは、自身が体ごと足元から揺さぶられるような衝撃を感じていた。
  『お前は、誰だ』
  彼の認識を超えた者が、そこにいた。

   "カードの覇者になれば神になれる"――言い伝えだけではなく、それはこの宇宙において
 厳然たる事実だった。全ての始まりである宇宙創造の時、最初に出現した究極絶対神カルドラ
 は、創造と破壊の書『カルドセプト』によって宇宙の全てを作り出し、それぞれの運命を決
 めていったのだ。
  その後最初の世界「リュエード」で、中立神バルテアスが『カルドセプト』を奪って絶対神
 への反逆を試みた。この時、カルドラ神は『カルドセプト』を自らの手で打ち壊した。
  その破片が「リュエード」に降りそそいでカードと化し、世界に散らばった。この出来事
 以来、カードから"力"を引き出せる"セプター"が世界に続々と誕生し、互いに切磋琢磨
 して競い合うようになったのである。
  一つの世界の中で、最も優れたセプターとしてその世界の神から「覇者」と認められた者
 は、カルドセプトの"力"と同化して新たな神となり、別の新しい世界を創造することができた。
 この繰り返しで宇宙は成長してきたのだ、今までは。
  ―そう、今までは。ゼネスは自分も良く知るカルドセプトとカードの由来をあらためて思い
 返していた。
  これまでに彼がめぐり合ったセプター達の大半は、カードの覇者を目指す事が世界の安定
 に通ずる事だと信じて疑わない者ばかりだった。
  彼らの事なら、容易に理解できた。途中で回り道をする事はあっても、最終的には神となって
 自分の理想の世界を実現する。その一点については、誰しも同じだったのだ。まただからこそ、
 かつて宇宙は無事に成長を続けてきたのだろう。
  だが何時からか、どの世界のセプターも覇者を目指さなくなった。それは、人がカードに
 理想を託さなくなったという事を意味する。
  そうして今、彼はついにこれまでにない驚くべきセプターと出会った。マヤという名のこの
 セプターは、彼も初めて見る特異なセプター能力を持ち、そのうえさらに、人がカードを使う
 事の意味そのものを問いたいなどと言う。
  『これはもしかすると、人とカードとの関係が変化するという証しなのだろうか…』
  遅ればせながら気づいたのは、その点だ。人がカードに理想を託すことが無くなれば、今の
 システムは立ち行かなくなって、宇宙はいずれ滅びの時を迎えてしまう。滅びを回避するため
 には、何らかの「変化」が必要のはずだ。
  『新しいタイプのセプタ―なのか…こいつは。とにかく、何かが変わろうとしているらしい
 事は確かだぞ』
  ゼネスは興奮を覚えた。カードの戦いとは別の、静かな、それでいてふつふつと湧く熱を
 胸の内に感じる。
    『今の状況が変わりさえすれば、俺も再び覇者を目指す者と戦えるようになるはずだ。
  もしもこいつが「変化」に何らかの関わりがあるのだとしたら…、確保しておけば、いずれ
 いい手ゴマとして使える時が来るかも知れない』
  彼はゆっくりと立ち上がって少女を見下ろし、自分の身分を明かした。
  「俺は亜神"次元の漂流者"だ。長い長い、長い間、宇宙に散らばるさまざまな世界を渡り
 歩いては、覇者となる寸前のセプタ―達と戦い、その力量と精神を試してきた」
  これはさすがに思いがけない告白だったようで、マヤも驚いた顔になった。彼女は、目を丸く
 してただ彼を見上げていた。
  「だが本当のことを言えば、そんなのは表向きの理由に過ぎない。実際には、俺はただ強い
 奴と戦(や)りあいたかった。ただ戦い続けたいだけだった。
  そのためにこそ、この役目に志願したのだ」
  まだ覇者と決まったわけでもないセプターにこんな話をするのは、ゼネスも初めてだった。
 少女はしかし、とても真剣な表情で彼の言葉に耳を傾けているように見える。何がしか喜ば
 しいような気分をも感じつつ、彼は言葉を継いだ。
  「この世界で今起こっている事と同じような問題は、他の多くの世界でも起きている。
  何時のまにか、このカルドラ宇宙に居るほぼ全てのセプターから覇者を目指す志(こころざし)
 が失われてしまったのだ。
  どうしてそういう事態になったのかは、わからない。いや、俺は今の今までこの現実とまとも
 に向き合おうとしてこなかった。
  思うように戦えないという不満を感じはしても、その原因を探ったり対策を立てるなんて、
 俺のやるべき仕事じゃないと、ただそのままに放置してきたのだ」
  実際その通りで、さすがにこの点を話すのは後ろめたい。それでも彼は偽り無く告げた。
 マヤはやはり、ゼネスの顔をじっと見つめて一心に聴いている。
  『そうだ、俺を見ていればいいんだ』
  ―傍にいろ、そのまま後について来い。お前がいる事で変化が起きるのだとしたら、俺は
 お前を利用してでも戦いの日々を取り戻してみせる―
  「今、お前はセプターがカードを使う事の本当の意味を考えたいと言ったな。それに引き換え、
 俺は自分の血を燃やす戦いを求めるばかりで、覇者とはなり得ぬ者をも含め、セプターの一人
 ひとりがどのように生きるかについて、深く考えたことなどついぞ無かった。恥ずべきことだ。
  だからと言うのもなんだが、俺は…俺もお前と同じように探してみたい。お前の問いの答えを、
 "力"が世界に現われることの意味を。
  魔術の事はもちろん俺の知っている事、出来ることは全て提供する。付き合わせてくれ」
  この言葉はごく自然に彼の口から出た。しかしそれはあくまでマヤを自分に結び付けておく
 ための方便だと、ゼネスはこの時割り切っていたつもりだった。

 
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