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   『 カルドセプト ―"力"の扉― 』 

   第2話 「苦い道」 (1)


  焦げた土を掘り返し、かまどを作った石組みを崩して念入りに焚き火の跡を消しながら、
 ゼネスはマヤの帰りを待っていた。
  出発の準備を整えた彼女は、もう一度水を汲みに行ったまま、まだ戻らない。朝方よりも
 だいぶ帰りが遅いので、少し心配になると同時にイラついてもきた彼だった。
  「何をやってるんだあいつは…!まさか、何か面倒なことに巻き込まれてるんじゃないだ
 ろうな。といっても、俺達の他に人の気配は感じられないが」
  つい、ブツブツと独り言も出る。
  マヤが朝食後に語った話によれば、この荒地は普段は商人などの行き来がなかなか多い
 場所なのだという。だからこそ、東の山を越えてきた避難民たちも通ったのだろう。
  しかし三日前の襲撃事件のために、一般の者は恐れて、しばらくはあえて通り抜けようとは
 しないはずだ。
  それだけに、今人影を見つけたらそれは、セプターや魔術師などの"力"を使う者である
 可能性が高い。彼女がそういった者達と出会ってしまえば、戦いになるかもしれないのだ。
  だがゼネスは今、マヤがカードを使うところを、できるだけ他の者には見せたくなかった。

  昨日マヤとカードの戦いをした際、彼女には呪文の攻撃が通用しなかった。また、クリー
 チャーの特殊攻撃も発動しなかった。
  その上彼女はカードから持ち主の経験を感じ取ったり、挙句(あげく)の果てには眠っている
 間に黒魔犬を出現させまでした。
  どれも通常では考えられない出来事だ。
  まだきちんと確認したわけではないが、マヤが何か特別な"力"の使い方ができるセプター
 である事は、ほぼ間違いないと見ていい。
  もしもその能力が世の中に広く知れ渡ることになれば、彼女は世界中の"力"を求める者達から
 熱心に追い回される羽目になるだろう。他人より優れた力を是が非でも手に入れようとする者など、
 どの世界に行こうと常に数多く存在するものだ。
  だがそんな事態だけは何としても避けたいと、ゼネスは今、強く危惧していた。
  その思惑はしかし、本来の彼の行動や考え方とは大幅に違う。
  彼は長い間ずっと、カードの戦いだけを求めて生きてきた。マヤが追われる立場になる方が
 むしろ、好都合と言っていいのではないのか。
  というのも、そうした状況に陥(おちい)れば彼女と共にいる限り、撃退すべき相手が次から
 次へと現れて戦いを楽しむには事欠かないはずなのだから。
  けれどそれにもかかわらず現在の彼は、この特別なセプタ―の存在をできるだけあからさま
 にはしたくない。
  彼は、マヤという「秘密」を白日の下に晒(さら)してしまう事が、どうにも惜しかった。
  他の者はおろか彼女自身さえもが、おそらくはまだその全てに気づいていない未知の
 セプター能力。今それを確かめる事ができるのは、ゼネスただ一人だけなのだ。
  そう考えると、マヤに事実を知らせる事さえためらわれる。もうしばらくの間は、何も知ら
 ないままの彼女の振る舞いを観察して、その力の詳細までをも見極めたい。
  『あいつの能力(ちから)は、俺だけが知っていればいいコトなんだ』
  それが彼の密かな本音だった。
  

  こうした懸念とともにジリジリと少女を見送った方向を見つめていた目に、ようやく待ち人の
 影が映った。
  やや足早のようには見えるものの、その姿はまだまだ遠い。業を煮やし、ゼネスはつかつかと
 前に出た。
  遠くとも左の竜眼で見れば、マヤがニコニコと嬉しそうな様子であるのがわかる。ますます腹
 の立つことだ、柄にもなく彼女の身を案じた自分自身さえもがバカバカしい―と、彼は苦虫を噛み
 つぶしたような顔になっていた。
  「遅いぞ!貴様!いったい何をやっていた!」
  ようやく戻ってきた弟子を、彼はさっそく叱責した。
  「それが、これを見つけちゃって」
  少女はしかし悪びれる様子もなく、右手を差し上げる。見れば草の株だ、地上部は茶色く枯れて
 いるが、根には指でつまめるほどの芋がいくつもぶら下がっている。
  「なんだ、それは。たかが芋のために俺をどれだけ待たせたと思っているんだ、反省しろ!」
  そんなモノで納得できるはずもなく、彼はさらに小言を言った。
    それでも、マヤはきょとんとした顔だ。
  「"たかが芋"じゃないですよ、これは。薬の採れるありがたいお芋なんです、どこの市場に持って
 いってもいい値がつくんですから。
  でもちょっとでも傷をつけると売り物にならなくて、掘り出すのにずいぶんと手間どっちゃったん
 ですけど…。
  ―あの、もしかしてこれの事、ぜんぜんご存知ありません?」
  自慢の芋を見せても師の腹立ちがおさまらず、彼女は困っている。
  遅くなった理由は飲み込めたので、ゼネスもそろそろ小言は切り上げる事にした。
  「俺はそういう世俗の事は知らん、これまで必要なかったからな。
 そうはいっても、しばらくこの世界に留まってお前に付き合うとなれば、生計(たつき)の道も
 考えねばなるまい。
  お前はこれまで、そうやって山野草を採ることを生業(なりわい)にしてきたのか」
  そう問われ、マヤは越し方を思い浮かべるような顔になった。
  「これだけじゃありません、いろんなことやりました。農繁期の手伝いや人足仕事やら、
 お店の呼び込みに洗濯に、賄いなんかもやったな。
  とにかく、生きてかなくっちゃならないんだし、それにはお金が要りますし」
  「一番の得手は何なんだ」
  重ねて聞かれ、彼女は急に顔を赤らめた。
  もじもじとたいそう恥ずかしそうにして、しばらく黙っている。
  それでも、やがて小さな声で答えた。
  「―うたうことと、踊ること」
  「だったら、それを生業にすればいいじゃないか」
  ゼネスとしては当然の意見なのだが、マヤはそうは思わないらしい。じっと下を向いて、口を
 つぐんでいる。
  ややあって、
  「―あの、それはちょっと…。  すいません、これ以上聞かないでください」
  とだけ言った。
  どうもマズい事を尋(き)いたようだと、ゼネスもようやく気づいた。昨晩は彼女に自分の過去に
 触れられて叱り飛ばしたというのに、今日はこちらが失態だとは。
  気まずい雰囲気を変えるため、彼は話題を移した。
  「イヤなら聞かぬさ、芋もいい加減しまっておけ。
  それにしても公認制度は厄介だ、セプターが人前でやたらにカードを使えないのでは、ろくろく
 金も稼げない。
  ―しかし待てよ、魔術についてはどうなんだ。これも公認制とか許可制とかがあるのか」
  薬の芋を大切そうに布にくるんでカバンの中にしまい込み、立ち上がったマヤは、もう今までの
 彼女だった。
  「魔術師の認可制度ですか…、聞いたことないですねえ。何しろ人数が少ないし、カードみたい
 にすぐわかるモノを持ってるわけじゃないから、制度があったとしても意味ないんじゃないですか。
  ただ、ほとんどの魔術師は王様や国のお抱えで、すっごく大きなお屋敷に住んでますよ」
  「どこも変わらん事情と見える。魔術の研究はリスクが大きいが、成功すれば莫大な"力"を
 手にする事ができるからな。
  しかしまあ、魔術は使えるなら金のほうも何とかなるだろう」
  全ての準備は整い、ゼネスは南東の方角に向かって歩き出した。
  だがすぐに立ち止まり、弟子のほうへと振り返った。
  「魔術師の屋敷を見たことのあるヤツが、何でわざわざ、俺のような放浪の術師に弟子入り
 志願なぞしたんだ?」
  尋ねる師の鼻先を、弟子はしかし止まることなくスタスタと追い抜いてゆく。
  「高いんですよ、お金が。一日いくらの稼ぎじゃとても払えないような金額を積まないと、私み
 たいな庶民は弟子入りなんてさせてもらえないんです。
  ―それに何より、"女はダメ"という所ばかりで」
  「しかしお前の男装はかなりのモノだ、この俺の目でも見抜けなかった。どうとでもごまかせる
 だろう」
  慌てて再び歩き出したぜネスは、歩を早めてマヤを追い抜き返した。
  「イヤですよ。どこの屋敷の門にも"女人禁制"とか"女子はこの門より内に入るべからず"とか、
 そんな文句を平気で掲げてるんです。そういう人たちに何か教わりたいとは思いませんね」
  マヤのほうもかなりの早足だった。どうも腹立ちまぎれの様子だ。
  「―それは、女だと損な目に遭ったり辛い事も多くて、何で女に生まれたんだろうと思う事は
 あるけど、だからって私は男になりたいわけじゃないんですから」
  太陽は次第に高く昇り、乾いた冷たい風が吹き渡る。早足で歩く二人にはその風もいっそ心地
 良いはずだが、少女はひどく不機嫌だ。どうも今日は、彼女にとって不快な方向へと話が動く。
  しかし長い道中の出だしでもあり、ゼネスは同行者の不機嫌にこれ以上つき合わされたくなかった。
  「呪文を扱う際には精神の集中が必要だ。しかし大概の男は、女がそばに居ると気持ちが乱れる
 らしい。それであらかじめ遠ざけておくんだろう。
  まあ、修行の浅い奴等の言い訳だと思って放っておけ」
  「だったら悪いのは自分たちの方なのに、何で女の人のせいみたいに言うんだろう。
  ああ、この話はもう止めましょう、腹が立って仕方がないや」
  やれやれ、俺だってたくさんさとゼネスは内心ホッとした。このまま無難に話題を締めて、しばらく
 は歩く事に専念したいところだ。
  「女ってヤツは何かと大変なんだな。それでもそんな事は早く忘れて、カードと呪文の修行に励め。
 お前にとって、今一番大事なことだ」
  だが、この一言こそは最も余計だった。
  「"そんな事"ですって!他人事なんですねえ、あなたにとっては。やっぱり、男の人には女で
 いることの辛さなんてわからないんだ、少しも!」
  このように極めつけられては、さすがのゼネスも返す言葉が見つからない。師と弟子はともに
 口を閉ざし、ただ黙々と荒地の上を歩きに歩いた。

    しかし広い荒地だった。地表には石ころが目立ち、ぽつぽつ散らばる藪の木は人の背丈
 ほどの高さで、いずれも厚ぼったくて硬い、小さな葉をつけている。草はほんのわずかずつ
 生えていたが、いずれも冬枯れていた。
  畑作や居住には向かない、人の進出を拒む地だ。時おり見かける道しるべの石積みだけが、
 辛うじて旅人の往来あることを示している。
  こんな場所をあてもなく歩いては、抜けるのにかなりの日数を要するだろう。だがゼネスには、
 頼りにできる道が見えていた。それは森へと続く道、彼はとにかく早く森に入りたいのだ。
  「なぜこの方角を目指すのかわかるか」
  しばしの沈黙を破り、彼は弟子に問いかけた。マヤは首を振る。
  「お前はまだ素人同然だ、無理もないか。
 俺は森を目指している。そのために、今、地下の水脈の上をたどっているのだ。
  俺には地下水の気配を感じ取る事ができる。だが、そういう能力がなくとも魔術を志す者なら、
 地下の水の流れぐらいはすぐにわからないと恥ずかしいぞ。
  よく周囲(まわり)を見て、藪の散らばり方に注意してみろ」
  歩きながら彼女は首を回してしばらく観察していたが、やがて「あっ」と声をあげた。
  「木が列を作って生えてる、川の流れに沿うみたいに!すごい、今までぜんぜん気づかなかった
 なんて…」
  「わかったか」
  驚く少女を前に、ゼネスは得意気な笑みを浮かべた。
  「あの藪はおそらく、地下深くまで根を下ろせるタイプの木だ。下に流れる水を求めて増えて
 ゆくから、ああいう分布になる。枯れた一群も見えるが、きっと過去にはあの下に水脈があった
 のだろう。
  地下の水も流れが変わったり、枯渇する事がある。しかし地上にはその痕跡が残る、見ての通りだ。
  さて、小腹が空(す)いたな、少し休んで何か食うとするか」
  二人はそばの藪に隠れるようにして腰を下ろした。中天高く太陽が昇っている。風は相変わらず
 冷たく、座るなら陽射しの下に出たいところだが、百戦錬磨の男は無用心なマネはしない。
  空腹を満たすだけなので火も焚かず、二人はただ水を飲んで干し肉を噛んだ。

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