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     第2話 「苦い道」 (4)

 

  マヤはそのまま五体の竜の前に立ち、鋭い声で相手を責めた。
  「先生は今お疲れなんです、あなたはその事を知ってて戦おうとしたんだ、卑怯なやり方
 だとは思いませんか!」
  "竜遣い"も怒鳴り返す。
  「すっこんでろ小僧!てめえの限界もわきまえずに戦いを受けた、その先生とやらがバカ
 だったのさ。一緒に踏み潰されたくなかったら、てめえらのカードをさっさと出しやがれ!」
  まずい、戦いを好まないマヤがカードを渡してしまうのではないか―と、ゼネスは気を
 揉んだ。だが、少女は背筋を伸ばしてキッパリと告げた。
  「あなたみたいな人にカードは渡せません、ここからは私が先生に代わってお相手します」
  そして彼女は数枚のカードを取り出し、掲げた。
  全てのカードから一斉に強烈な光が吹き出した。それに呼応するように、辺り一帯の地面が
 はるか遠くまでまばゆく輝き渡る。マヤの立つ場所を中心に、ゼネスの竜も"竜遣い"の竜達
 も、全ては広大な輝きの円の上だ。
  『地形変化呪文!―シンク(水化)か!!』
  それは現在の地表の一定量を特定の地形と置き換えてしまう、高位の呪文だ。クリーチャーを
 展開するよりもずっと多くの魔力を必要とし、制御も難しい。そんなカードを数枚分も出して、
 果たして素人同然のマヤがうまく使いこなせるのだろうか。ゼネスは危ぶみ、あせった。
  『こんな広い範囲で術を使ったところで、竜には痛くも痒くもないぞ、わかっているのか』
  だが彼の懸念を裏切って、輝く円は出し抜けに半分以下の面積にまで縮んだ。それも同心円上
 ではない、中心は五体の竜、彼らだけを囲い込む円へと移ったのだ。
  「うおっ!!」
  "竜遣い"はうろたえ、慌てて円の外へと竜たちを移動させるべく試みている。しかしさすがに
 五体は多すぎた、押し合いへし合いするばかりで機敏に逃げる事など不可能だ。
  彼らの進退は窮(きわ)まった。
  「来たれ!」
  澄んだ声が響く。次の瞬間、轟音と共に円から高い水柱が立ち上がった。地から大量の水が
 噴き出し押し寄せて、たちまち荒地に深い湖を生み出してゆく。
  その水は波立ち逆巻き、大渦を作って紅い竜の灼熱の体躯を胸の上までも飲み込んでゆく。
 熱い体が急激に冷やされ、激しい音をたてて水蒸気が入道雲のように沸き上がった。
 

    竜たちの悲鳴が聞こえる。口々に泣き喚(わめ)きながら震える影が、白いもやに霞(かす)
 んで見える。それは"竜遣い"の精神の悶え、すっかり弱りながらなおも消え去るまでには至らず、
 もがきつつ水の外へと逃れ出ようとしている。
  「止(とど)めを刺せ!」
  ようやく"ディスペル(解呪の呪文)"を見つけて口が利(き)けるようになったゼネスは、マヤに
 向かって怒鳴った。しかし彼女はためらうようにたたずむばかりで、動かない。
  「聞こえないのか!」
  さらに大喝されて、ようやく一枚のカードを取り出し、掲げた。
  カードの光の中から、荒ぶる風の唸りが響いてきた。さらに激しい雨の音も。そこから次第に
 姿を現わすのは、わだかまる巨大な嵐。雨混じりの旋風を身にまとった、青白い肌をした巨人、
 "ストームジャイアント"だ。
  湖のほとりに立った巨人は、水中へと足を踏み出した。その身を包む嵐もまた移動する。強い
 雨が水面を叩き、風が水を大きく波立て掻き混ぜる。巨人の動きはややぎごちなく、足取りもごく
 ゆるやかだ。しかし、確実に五体の竜へと進む。一歩、また一歩、ぶ厚い胸板が波を押し分けて
 近づいてゆく。
  「うわあぁぁぁ、寄るなああっ!」
  "竜遣い"が叫び、竜たちもまた甲高く哭(な)いては巨人と反対の方向へと首を伸べた。
  しかし、ついに最も端の竜の前に、巨人が足を止めた。
  狙われた竜は相手の方へと向き直り、アゴを大きく開いて精一杯の威嚇を見せる。だが巨人は
 意に介する風もなく、無造作に右腕を水中から引き抜いた。
  巨きな岩のような拳を握り締め、太くたくましい腕を折りたたんで肘を後ろへ後ろへと引き、
 上体を大きくねじってゆく。
  そうして肘を引ききり充分に矯(た)めを作ると、ねじれが一気に戻って、重く硬い拳が真っ直ぐ
 正面へと撃ち出された。
  アゴを開いて待ち構えていた竜は、その拳に食らいつこうとした。が、巨人の正拳は竜のアゴを
 頭部もろとも難なく打ち砕いた。頭を失った首と胴体の動きが止まり、上の方からボロボロと崩れ
 落ち、消えてゆく。巨人はさらに一歩を進めた。
  "竜遣い"は悲鳴をあげ、四体に減った竜はただオロオロと逃げ惑う。巨人はさらに両腕を差し
 伸ばし、揺れ動く長い首を二本引っ掴んで引き寄せた。
  激しい雨と風が弱った竜の身体をさらに冷やす。鮮やかな溶岩の色をしていた肌は、今や黒っぽく
 褪(さ)め果ててしまった。竜はもう、声を出す事すらできない。
  巨人の両腕の筋肉が盛り上がり、首を掴み締めた拳にさらに力が入った。
  すると二本の竜の首は、腐った木の枝のようにもろくも折れ砕けた。
  『もう、俺の出番はないな』
  仁王立ちで腕を組み、ゼネスは目の前の戦況を眺めていた。腹の底に、苦い怒りが沈んでいる。
  それは、戦いに割って入った弟子への怒りか。いや、むざむざと彼女の介入を許した、自分自身の
 不甲斐なさへと向けられたものだ。
  湖では、すでに三体の竜を葬った巨人が残りの二体に迫っていた。左腕を高く差し上げ、手刀の
 形を作って手近な一体に狙いをつける。
  「止めてくれ!もう止めてくれェェ!俺の竜をそれ以上壊さないでくれェェ!」
  "竜遣い"の泣き声が響いた。その男は地面に尻をつけてへたり込み、涙と鼻水とで顔をクシャ
 クシャにしている。ゼネスは舌打ちし、彼の顔を激しく憎んだ。それは自己嫌悪に近い感情だった。
  だが、巨人の動きはピタリと止まってしまった。マヤがまたうつむき、顔を曇らせている。
  「止めるな、続けろ!」
  ゼネスが再び怒鳴った。しかし巨人もマヤも動かない。彼はさらに声を荒げた。
  「俺の代わりだと言うなら俺の流儀でやれ!今さらためらうな!」
  その声を聞いて、やっとマヤの頭が動いた。チラリと巨人をうかがうと同時に巨人の手刀が振り
 下ろされ、竜の身体を真二つに打ち割る。
  割られた竜がビクビクと痙攣しながら崩れ落ち、消えてゆく。その光景を、しかしマヤは見よう
 としてはいなかった。じっとうつむき、固く目をつぶっている。肩が小刻みに震えている。
  そんな弟子の姿に言いようのない怒りを覚えて、ゼネスは大股の早足で近づいた。少女の前に
 立ち、下を向いたアゴを掴んで引き上げ、睨みつける。
  「この偽善者め、お前が選んだ戦いなんだぞ、最後までしっかり見届けろ!」
  マヤの眼が大きく見張られた。その上に透明な滴がうっすらと漲り、唇も何かをこらえるように
 歪む。それでも彼女は小さく、だが素早くしっかりとうなづいた。
  巨人が再び動き出し、最後に残った竜へと腕を伸ばした。その時だった。
  「止めてくれェ、俺の負けだあァ!」
  "竜遣い"が叫んだ。
  「俺の負けだあァ、お前には…勝てねえ…」
  そのまま地の上に両手をつき、頭を垂れる。
  途端に、最後の竜の体躯が光の粒子と化した。細かい光の粒は大気の中に広がって消え、カード
 が再びその姿を取り戻した。それは湖の中に落ち、揺れながら底に沈んでゆく。
  「負けを認めて『還元』したか」
  ゼネスがポツリとつぶやいた。マヤも湖の水と巨人を引き揚げ、カードに戻した。
  さっきまでの戦闘がウソのように、またもとの静かな荒地が広がる。その上のあちらこちらに、
 竜だったカードが散っていた。
  "竜遣い"が顔を上げ、近くに落ちているカードを拾おうと手を伸ばす。が、カードはひとり
 でに動き出し、フラフラと空中に舞い上がってしまった。
  慌てて捕らえようとする手をすり抜け、そのまま滑るように飛んでマヤの手の内に収まる。
 他のカードも同じようにして、次々に彼女のところへ飛んできた。
  "竜遣い"の手に戻ったカードは一枚もない。彼は呆然と口を開けたまま座り込んでいる。
  「どういうこと…」
  マヤは振り向いてゼネスの顔を見た。困惑の表情を浮かべている。
  師は落ち着きはらって弟子に答えた。
  「そのカードはもう、お前のものだ」
  彼女は"竜遣い"のほうを見やった。
  「でも…」
  「返しても無駄だ、奴のところへはもう戻らん。セプターが、他のセプターに対して心底から負け
 を認めた、だからこうなった。遠慮なく取っておくことだ」
  嗚咽の声が聞こえた、"竜遣い"だ。声はすぐに号泣へと変わった。
  「行くぞ」
  ゼネスはさっさと歩き出した。少し遅れてマヤが続く。
  彼女の足音が時々止まる、後ろを振り返っているのだろう。
  しかしゼネスは一度も振り返らなかった。


  泣き声が聞こえなくなってだいぶたった頃、ゼネスは早足で前を向いたまま弟子に釘を刺した。
  「お前によく言っておく、二度と俺の戦いの邪魔をするな」
  「そんな…、あなたが倒れそうになっていても見てろって言うんですか」
  "竜遣い"に対した時のような、鋭い声が彼の背中に響く。だがその声を振り切るようにさらに
 歩を早め、言い返した。
  「魔力が限界に近いのに、あの"竜遣い"とやらの力量を見くびって戦ったのは、俺自身の失敗だ。
 そんな時には、たとえ死ぬことになったとしても仕方がない。それがセプターという者の宿命だと
 憶えておけ」
  しかし、マヤはそれ以上に足を速めて追いすがった。ゼネスの前に回って立ち、師の足を止め
 させる。怒っているような強い視線が、彼を掴んで離さない。
  「それがあなたの考えるセプターの"本当のこと"なんですか」
  グサリと突き刺さる言葉がシャクに障(さわ)り、彼はまた大声で叱りつけた。
  「そうだ!俺自身の戦いを戦って、失敗したら死ぬだけだ。それが気に入らないと言うなら俺の
 元から去れ!」
  マヤの眼に涙が盛り上がった。こぼすまいと服の袖口で拭うが、すぐまたあふれそうになる。
  「嘘だ、そんなの、"本当のこと"じゃない。"本当のこと"だなんて思えない…」
  声がふるえている。何度も拭って、眼の周りはすぐに赤くなった。
  「意地張ってるだけだ、あなたも、"竜遣い"の人も。意地張って戦ってカード使って、意地の
 ためなら死んだっていいなんて言う。そんなの、ただの馬鹿だ。そんなことがセプターにとっての
 "本当のこと"のはずない…」
  ゼネスは黙って聞いていてた。
  実際マヤの言う通りだ。いったん戦いが始まってしまえば、ただ己れの意地を張り通すことにのみ、
 命を懸けずにはいられない。
  カードはセプターにとって表現の手段だと?確かに、最高に馬鹿な自分の表明だ。深い考えなど、
 何処にもない。彼自身にもよくわかっている。
  「嬉しかったんですよ、あなたが"本当のこと"を一緒に考えてくれるって言ってくれた時には…。
 すごく嬉しかったんですよ、私。
    …それなのに、倒れそうになっても見てろだなんて、自分の意地のほうが大事だなんて…」
  後はもう言葉にならず、彼女はひたすら歯を食いしばって耐えていた。それでもこらえきれずに、
 赤くなった目元から涙がポロポロこぼれ落ちる。
  ゼネスは深いため息をついた。
  まだ少女のマヤに、意地を張りたい男の気持ちなど、どの道解(わ)かるはずがない。だがそれでも、
 正しいのは彼女の方だ。自分が馬鹿なのだ、と思う。
  『意地より大事なもの、か―そうだ、俺は今、独りじゃなかったんだったな…』
  彼は、一つ大きく息を吸い込んだ。
  胸の底が痛い。
  そしてマヤの後ろに広がる荒地を眺めた。今、彼女の顔を見るのは辛かった。
  彼が立つ場所の斜め前に、また石積みがある。平たい石が三つばかり、積み重ねられている。よく
 見れば、石積みのそばには薄い盛り土もあった。
  これまでは単なる道標だと思って見過ごしていたが、実際にはこれらの石積みは、行き倒れた旅人
 を葬った墓標だったのかも知れない。
  『独りぼっちで置いて逝かれるのは、辛い事だものな』
  彼はようやく、まだ目元を拭っている弟子に声をかけた。
  「おい、いい加減にこするのは止めておけ、終いにはしみるぞ。
  お前、"ストームジャイアント"を遣ったのは今日が初めてだったのか」
  「え?あ、はい―そうです」
  急に話題を変えられて、マヤはとまどった様子で師を見上げた。
  「道理で、ノロい動きだったわけだ。あんな事で他の奴らにも通用するなんて思うなよ」
  その言葉を聞いたとたん、少女は眉根を寄せて唇をとがらせた。
  「また他の人と戦わなくちゃいけないんですか、もうたくさんです」
  ゼネスは笑った。愉快だった。
  「ハハハハハ…、それはお前次第だ。
  しかし俺がお前の師である以上、あんな体(てい)たらくのまま放っては置けんな、後でじっくりと
 シゴいてやる」
  太陽が地平線近くまで降り、辺りの全ては夕日の色に染まっている。
  ゼネスはまた、歩き出した。ややゆっくりとした足取りだった。マヤがすぐに、続いた。


                                                        ――  第2話 了 ――
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