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     第2話 「苦い道」 (3)

 

  風の流れが急に速くなり、雲がかかって陽射しが翳(かげる)る。しかし二人の間には、
 ぶれない緊張の糸が張り詰めている。ゼネスはカードを五枚取り出した。マヤは右足を一歩
 踏み出し、やや腰を落とすと胸の前にマジックシールドをしっかりと固定するように構えた。
  用意ができて、師は弟子に忠告と激励を与えた。
  「マジックボルトが五枚ある、連続でシールドの中心を狙うぞ。
  呪文攻撃は本来なら、術者の集中力が高ければ必ず当たる代物だ。風や目標の動きは
 一切関係ない。だからこそ、昨日逸(そ)らした時には驚いたんだが…。
  とにかく、俺はこれから全力で狙って撃つ、お前も全力で自分の能力を確かめてみろ。
  ―行くぞ!」
  「はい!」
  ゼネスが掲げたカードが輝き、鋭い発射音とともに一発の青白い電光が撃ち出された。
 真っ直ぐにマヤのシールドを目指す、"光の矢"。狙い違わず目標に突き刺さる―と見えた
 瞬間、いきなり光の軌跡が折れ曲がって左に大きく逸れ、彼女の後方の地面に炸裂した。
  「あっ!」
  マヤが叫んで振り返る。上手くいかなかったようだ。
  「何やってる、当たらんぞ!」
  ゼネスはあえて叱咤した。そら見ろ、やっぱり簡単なものじゃない―と、胸の内でつぶやく。
  「続けてお願いします!」
  マヤはしかしひるまなかった。盾を構えなおして次の電光に備えている。その意気に感じて、
 彼は立て続けに三発を撃った。
  三本の光の矢が、次々に少女を襲う。だがいずれも、当たる寸前に右へ左へと逸れていって
 しまう。とてものことに、盾が役立つ瞬間が来ようとは見えない。
  「どうした!」
  「もう少し、お願いします」
  マヤは盾の少し先の一点に目を凝らしている。光が折れ曲がっては逸れる、その一点だ。
  「お願いします、こんな何かに守られてるみたいな事は、どうしてもイヤです」
  彼女は真剣で、必死だ。呪文攻撃が当たらなければセプターとしては有利であるはずなの
 だが、少女はそれを「ズルだ」と言う。
  ―その気持ちは、ゼネスにも想像がつく。他人と違う事がイヤなのではない、自分だけが
 有利という事がイヤなのだ。飾りない自分の力だけで世界に立つ。そのためにこそ、彼女は
 己れの特殊な能力さえも制御しようとしているのだろう。
  「好きなだけやるがいい、俺も乗りかかった船だ、今ある魔力の限りは付き合ってやる。
 マジックボルトを何発撃てるか、数えてみるのも一興だ」
  そして、彼はさらに撃ちつづけた。しかし何発試みても、やはり"矢"は逸れてしまう。
  だがあの一点を見つめていたマヤは、急に声をあげた。
  「やった、曲がり方が変わった!逸れ方が少しだけど減りました!」
 手ごたえを感じているのか、顔つきも明るい。しかし喜んだ拍子か体がわずかにブレた。
  カードからすでに放たれていた電光が、その瞬間これまでとは違う角度で曲がり、少女の
 左腿をかすめた。
  たまらず膝を突いてうずくまるマヤ。ゼネスは駆け寄ろうとしたが、彼女は手を上げて
 それを制止した。
  「大丈夫です、ちょっと痺(しび)れただけですから。続けてできますよ、ほら」
  彼女はすぐに立ち上がって見せたが、ゼネスは賛成しかねた。
  「無理するな、それに俺も少しは休みたい。マジックボルトをもう十数発は撃った、こんな
 事は初めてだ。あとどれだけ連発できるか、自分でもわからん」
  人間が"力"を使う際には、コストとして"魔力"が必要だ。"魔力"は体力のようなもので、
 使うたびに術者の肉体に負担がかかる。
  ゼネスは竜眼の恩恵により、人の身としては頭抜けた魔力を誇っていた。とは言えさすがに
 マジックボルトを連続で十発以上も撃ったとなると、魔力の枯渇は時間の問題だった。
  そうなれば、疲れきって歩く事さえままならなくなる。
  しかしマヤは再びシールドを構えなおし、すがりつくような面持ちで師に懇願した。
  「何か掴(つか)めそうなんです、上手く言えないけど、わかりかけてる"感じ"があるんです。
 もし今休んだら、忘れてしまうかもしれない。
  だから、もう少し続けさせてください。お礼に、あとで美味しいものたくさん作りますから」 
  ゼネスは思わず苦笑した。彼女の望むまま、疲れて倒れるまで魔力を使うと決めた。
  「約束だぞ、美味いものを腹いっぱい食わせろよ」
  しかし、それからが大変だった。光の矢の逸れ方が非常に不規則になったのだ。これまでは
 綺麗に右か左に分かれていたのが、どうにもメチャクチャな方向に逸れるようになってしまった。
  とんでもない遠くへと行った次には、マヤの身体スレスレを飛んで過ぎる。彼女は気丈にも
 きちんと見切って微動だにしないが、見ているゼネスの方は冷や汗が出る。
  一度、マヤの頬をかすめるように飛んだときには、彼もたまりかねて叫んだ。
  「おい、かえって前よりヤバいじゃないか!お前の頭を吹っ飛ばしでもした日には、俺は一生
 寝覚めが悪い。まだ何とかならんのか!」
  額に汗がにじむ。濃い疲労が身体を覆い、骨も肉もきしむようだ。いつのまにか風が変わり、
 雲は去って陽がまた顔を出している。
  マヤは、自分の能力をどうやって制御しているのだろう(まだ完全には成功していないが)。
 額の汗を手の甲で拭(ぬぐ)いながら、ゼネスはふと考えた。が、
  『雑念だな』
  そう思って頭を振った。彼女と同じ能力を持たない自分がどれだけ想像したところで、わかる
 事など無い。わかり得ない事を想像する時間と余力があるなら、今取り組むべき問題に注ぐべきだ。
  マヤも、シールドを抱えて待っている―。
  彼は、少女の顔を見た。強い風に吹かれて乱れる濃い栗色の髪、その下のきらきらと輝く眼が、
 じっとこちらを見つめているのを確かめた。
  「マヤ、悪いが多分あと数発しか撃てない。その間に何とか仕上げてくれ」
  彼女が大きくうなづいたその時、表情が微妙に変わった。視線がほんのしばらくの間宙を漂い、
 すぐにピタリと一点に定まる。そしてニッコリと微笑した。
  二人の間で張り詰めていた空気が、穏やかに静まる。
  『いけるのか』
  ゼネスはゆっくりとカードを掲げ、マジックボルトを撃ち出した。一直線にシールドを目指す、
 光の矢。そして青白い電光は、ついに逸れることなくマジックシールドに吸い込まれた。
  「やった!!」
  二人はほとんど同時に歓声を上げた。しかしゼネスはすぐに顔を引き締め、喜ぶ弟子に告げた。
  「念のためだ、もう一回行くぞ」
  次に撃ち出されたマジックボルトも、あやまたずシールドに吸い込まれて消えた。もう大丈夫
 だろう、彼女は能力の制御に成功したのだ。
  「ありがとうございます、やっとできました」
  「礼はいいから、メシにしてくれ。もういい加減腹ぺコ―」
  言いかけて、ゼネスはハッと空を見上げた。急速に人の気配が近づいて来るのに気づいたのだ。
 青い空から、金色の翼が舞い降りてくる。飛竜(ワイバーン)だ。
  『くそ、こっちに集中しすぎた。他のセプターがいるのに気づくのが遅れるとは…!』
  ほぞを噛んだが、今となってはどうにも遅い。慌てて駆け戻ってきたマヤを後ろにかばい、
 彼は招かれざる来訪者を待ち受けた。 

    あたりの土ぼこりを巻き上げつつ着陸した飛龍の背から、男が一人飛び降りた。若い
 男だ、背丈はあまり高くない。服こそ新しくて立派だが、顔は痩せたネズミのように貧相だ。
 その顔に、薄ら笑いが浮いている。
  「よう、竜眼の兄貴、なかなか派手にやっていなさる、穴ぼこだらけじゃないか。ガキ相手
 にこれだけ撃ちまくるなんざ、やるねえ。さすが人相悪いだけのことはある」
  ややしゃがれた猫なで声で、そんなことを言う。大いに気分を害され、ゼネスはわざと身体
 の左側を相手に向けて、肩をそびやかした。
  「貴様なんぞに兄貴呼ばわりされる憶えは無いな。こいつは俺の弟子だ、どんな稽古をつけ
 ようと貴様には関係がない、とっとと失せろ!」
  しかし男は薄ら笑いのまま近づいてきた。
  「そんなつれないこと言うなよ、あんただって「ビンディス」の奴らが持ち出した『カタストロ
 フィ』のカード狙いなんだろ?
  ずいぶん急いだつもりだったけどなあ、来て見たらもう影も形もありゃしない。
  なあ、あんたが奴らから奪(と)ったんじゃないのかい」
  『カタストロフィ』とは、非常に広い地域にわたって壊滅的な打撃を与えられる、強力な
 呪文のカードだ。街の一つや二つは簡単につぶせる。そんなカードが流出したとあっては、
 血で血を洗う争いが起こったとしても不思議ではない。ゼネスもさすがに驚きを隠せなかった。
  「『カタストロフィ』だと?それであの襲撃騒ぎか。
  しかしあいにくだな、俺は知らん、そんなカードを使う趣味も無い。またハズしたな、貴様。
 間の悪いやつだ」
  彼が鼻先で笑うと、男の目が細められた。
  「ふ〜ん、シラ切るわけだ。ま、本当に知らないんだとしてもいいか、あんたのカードを
 全部もらっちまえば、俺も無駄足にはならないもんな」
  そう言いつつ後ろに下がって距離をとると、男は懐からカードを一枚出して掲げた。すぐ
 さま強い光の玉、非常に大きな光の玉が現れる。
  「変換」が始まり、光球から真っ先に突き出されたのは、鋭い爪の生えた巨大な手だった。
 真っ赤に灼(や)けたウロコに覆われた、ワニのような手。そして角を戴いた恐ろしい顔と長い
 首、頑丈な胴体、さらに力強い足、太い尾が次々と出現する。どれも灼熱の紅い色だ。
  「俺は仲間内じゃ"竜遣い"で通ってんだ。さあ、カードは全部置いてってもらおうか」
  すっかり姿を露わにした"竜遣い"の火竜(ドラゴン)は、背中の翼を広げて大きく咆哮し、
 地響きを立てて一歩、二歩と踏み出した。
  「この俺にケンカを売ろうってのか、いい度胸だ、力量の差というものを見せてやろう」
  "竜遣い"に向かって応えながら、ゼネスは片手を後ろに回し低い声でマヤに呼び掛けた。
  「おい、お前"ドラゴン"を持ってるか。俺は持ってないんだ、あったら貸せ」
  「ありますけど…」
  「よし!早く貸せ。
  ただし気をつけろ、俺以外のヤツの前でカードを宙から出したりするなよ」
  彼が横目でうかがうと、マヤはちゃんと上着の内ポケットから出すふりをして一枚のカード
 を手渡してきた。たしかに"ドラゴン"だ。
  「でも大丈夫ですか。これ、"重い"カードですよ」
  "ドラゴン"のような強力なカードを使うためには、それだけ多くの魔力を必要とする。
 ゼネスはすでにかなりの魔力を使ってしまっているので、これからさらに"ドラゴン"を出せ
 るのかと彼女は心配しているのだ。 
  「これ一枚ぐらい大丈夫だ、あんな奴すぐにひねり潰してやる。お前は下がって見てろ」
  振り向きもせずに言い放ち、彼もまたカードを掲げた。
  巨大な"力"が降りて来る―ミシリッと心臓を鷲づかみにされるような苦痛を感じたが、
 ゼネスは脚を踏ん張って平静を装った。
  そして、彼の斜め前にも真っ赤な竜が立ち現れた。
  「行くぞ!」
  出現と同時にゼネスの竜は地を蹴立て、翼を羽ばたかせて突進した。この竜は地響きなど
 立てない、頭を低くし、首と尾とをピンと真っ直ぐに伸ばして、ただ爪が硬い土を掻く音だけ
 が聞こえる。ほんの五、六歩でトップスピードまで加速した。
  対する"竜遣い"の竜は、やっとスタートを切ったところだ。
  ゼネスの竜の速さに、"竜遣い"も驚いて目をむいた。慌てて上空に浮いていた飛竜を降下
 させ、相手の進路をさえぎろうとする。
  だが、疾走する竜は太い尾をヴンと右へ振り、一瞬でターンすると飛竜の攻撃をかわした。
 そのまま一気に"竜遣い"の竜の横へと回り込む。
  相手は首を回すのが精一杯、脇はガラ空きだ。
  「遅い!」
  ゼネスの竜が肩を固めて勢いよくぶつかると、鈍い音を立てて、"竜使い"の竜が無様に横
 倒しになった。
  じたばたと足掻く、"竜遣い"の竜。そこにゼネスの竜が迫った。
  しかしまた飛竜が後方から攻撃を仕掛けて来る。
  「邪魔だ!」
  地を蹴りジャンプして飛竜の翼を爪に掛けようとしたが、間一髪かわされた。しかしこれは
 実はフェイントだ。着地と同時に身体を目一杯縮めて腰をひねる。尾が唸りをあげて襲い、
 着地の際を狙って降下してきた飛竜の背をまともに打ち据えた。
  何か潰れたような音をさせて、飛竜が地面に叩きつけられた。再び舞い上がろうとしたが、
 果たせない。翼が片方折られて開かないのだ。
  もがく飛竜にゼネスの竜が近づき、太い足を高く掲げて一息にその頭部を踏み潰した。
  飛竜の体躯が光を放って消える。その頃になって、ようやく"竜遣い"の竜は起き上がった。
  「この野郎!バカにしやがって、見ろ!」
  "竜遣い"の顔は怒りで真っ赤にふくれている。彼は数枚のカードを取り出し、高く掲げた。
  目を灼くような強い光が辺りに満ち、ゼネスは思わず瞼を閉じた。光がおさまって再び目を
  開くと…、
   何という事、さらに四体もの紅い竜が出現しているではないか。今度は彼のほうが目をむく
 番だった。
  「へ…へ、驚いたか」
  "竜遣い"は脂汗をにじませ、息遣いを荒くしながらも得意げだ。ゼネスは相手の通り名の
 真の意味を、ようやく悟った。
  『こいつ、技量が未熟な分を魔力の高さでカバーしてきたのか。とんでもない奴だ』
  四体の竜の投入により、両者の形勢はほぼ逆転した。
  ゼネス側は相手を一体一体切り離そうと、す早く走り回っては炎を吐きかけるなど、何度か
 誘いの攻撃を仕掛けた。だが、"竜遣い"側もその点は心得て、五体の竜の連携を乱さない。
 相手の疲労を見越し、持久戦に持ち込むつもりなのだ。
  ゼネスの状態は悪かった。鉛色の疲れが体を蝕み、拭っても拭っても滝のように汗が流れる。
 脚も、まるで自分のものではないように重い。
  しかしそれほど追い詰められながらも、彼の喉の奥からはクツクツと笑いがこみ上げてくる。
 ヒリヒリしみる焦燥、生命を引き絞るこの緊張感が、たまらなく楽しい。
  ―全てを忘れるこの瞬間のためにこそ、俺は生きている。こんなところで負けてたまるか、
 必ず勝ってもっと強い奴と戦ってやるぞ!―
  戦いへの無限の欲望、そして戦い続けてきた者の意地だけが、今彼を地の上に立たせていた。
  『まったく、あの貧相な顔でこれほどの魔力を使うとは。しかし奴のほうもあれで精一杯だ。
 肩で息をしているし、道具(アイテム)を使う気配も無い。竜が五体になって、動きはさらに落ち
 ている。勝機はあるはずだ』
  どうやって短期決戦に持ち込むか、ゼネスは頭をフル回転させて策を練った。
  『待っていてはダメだ、とにかくこちらから行くしかない。俺の魔力はあとどれぐらいだ、
 "ロングソード"を使って竜の爪と牙の威力をさらに高めるか。せめて"隼の剣"が使えれば、
 動きをもっと俊敏にできるし爪と牙もそこそこは威力が上がるんだが―』
  必死に考えている最中だと言うのに、誰かが袖を引く。マヤだ。
  「うるさい、下がってろと言ったろう、今取り込み中だ!」
  叱責したが、彼女は引かなかった。
  「竜は水を嫌いますか」
  小声でそっと訊いてくる。
  「当たり前だ。見ればわかるだろう、あれは火属性のクリーチャーだからな」
  と、つい反射的に答えてしまったが、すぐに重大な事に気づいた。
  「あっ、お前何かするつもりだな。許さんぞ、これは俺の戦いだ、口をはさむんじゃない!」
  ゼネスは弟子を押し戻そうとしたが、逆に彼女にその手を掴まれた。
  「もう止めてください、すごく辛そうじゃないですか。こんなに汗かいて、脚だってフラつき
 始めてる。これ以上カードを使ったら倒れちゃいますよ!」
  ばかやろう、倒れたってかまうものか、俺は今楽しいんだ邪魔するな、と彼は叫んだつもり
 だった。が、急に口が動かなくなっていた。見れば、マヤの手の片方にカードが輝いている。
  『サイレンス(口封じの呪文)か!』
  「ごめんなさい!」
  弟子は唇をへの字に曲げ、サッと身をひるがえして師の元から離れた。ゼネスはその背中を
 追い駆けようとしたが、脚が固まったようになって動かない。彼女との距離は見る見る開く。
  『ご丁寧にバインド(緊縛の呪文)まで掛けやがって…!』
  彼は"竜遣い"の方へと向かう少女の姿を、ただ見送るしかなかった。

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