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   『 カルドセプト ―"力"の扉― 』 

   第3話 「呪文」 (1)


  あれから丸々2日はたっぷり歩いた。広い荒地もようやく端へと差し掛かかったらしい、
 いつのまにか、足の下の大地が黒っぽく軟らかい土へと移り変わってきている。
  地表には草の芽吹きが見え、あたりに生い育つ木の種類も増えてきた。遠くには、濃い
 緑の帯が見える。目指す森まではあとひと息だ。
  しかし間の悪い事に、ここに来て雲が暗く低く垂れ込めてきた。どうも、森に着くより
 先に雨が降り出しそうだ。
  「まいったな、もうすぐだというのに。しかしまあ、いい機会でもあるか。
  お前はまだ"飛んだ"ことが無いと言っていたな。これから飛行クリーチャーを使うぞ」
  そう言うと、ゼネスはカードを一枚取り出して掲げた。
  するとすぐさま現れるまばゆい光球、その中からサッと飛び出して空(くう)を払ったのは、
 黒い羽根に覆われた大きな翼だ。
  現われたのは黒いたてがみ、黒いひづめ、耳の先から尾の先まで全身がツヤツヤと黒い、
 一頭の翼ある馬の姿だった。両の目だけが炎の色に燃え立ち、紅く輝いている。
  「わぁ…、黒い天馬なんているんだ!」
  マヤは大きく目を見張って感嘆した。
  「天馬っていったら白い馬だとばかり思ってたのに」
  「こいつは俺専用だ。宇宙広しと言えど、黒の天馬はこれ一頭しかいない。
   言わば、時限の漂流者としての"しるし"みたいなものだな」
  本当は得意でたまらぬ気分をひた隠し、ゼネスはあえてぶっきらぼうな調子で言った。
  「ふ〜ん…。でもこの馬、ちゃんと馬具も一式着けてる。カードのクリーチャーなのに、
 どうして?」
  「戦いには使わない、純粋に乗用だ。そういう条件で、覇者の試し人の任に着く際に、
 カルドラ神の使いから渡されたのさ。
  何か特別に欲しいカードがあるかと訊かれたから、"黒の天馬"と答えたら手に入った。
 言ってみるものだ」
  遥かな昔を思い出し、ゼネスは少し懐かしくなる。しかし、
  「でも、どうして黒い馬を?」
  マヤに尋ねられて、彼は現実に引き戻された。
  「それまでは乗用に普通の白い天馬を使ってたんだが…、俺に白馬が似合うか」
  「アッハハハハハ…!」
  少女は弾けるように笑い出した。師に対する遠慮もものかは、腹を押さえ、うっすらと涙まで
 浮かべて笑っている。あんまり笑い続けて、ゼネスが渋い顔をしている事にも全く気づかない。
  「おい、笑いすぎだぞ!弟子のくせに師匠の事を何だと思ってる!」
  師の苦情に笑い声はクスクスと小さくなったが、
  「ゴメン…なさい…、そんなつもりじゃ…」
  謝る言葉にさえ、なお笑いが混じっている。
  「貴様、想像して笑ってるな。そんなに俺がおかしいか、失礼な奴め!」
  確かに、黒のザンバラ髪に竜眼、全身薄汚れた風体の男が白馬にまたがったところで、
 あまり誉(ほ)められた絵にはならない。
  それは百も承知であるだけに、そんな自分の姿をマヤに思い浮かべられ、あげくしたたか
 に笑われたのは彼にとって堪(こた)えた。
  恥ずかしさのあまり、全身がカッカと熱い。自分に白馬は似合わぬなどとは余計な言い草
 であったと、反省しきりだ。
  それでも、やがてマヤはどうにか笑いを収めた。ゼネスの天馬をつくづくと見て、
  「でも素敵ですよ、黒い天馬。格好良いと思う」
  うっとりした表情(かお)で、惚れ惚れと言う。
  『何を今さら』と彼はまだ腹を立てていたが、少女は黒馬に遠慮なく近づき、太くたくましい
 首を手のひらで何度も優しくなで下ろした。
  さらにたてがみを指で梳(す)いては、しなやかな感触を楽しむ。
  その様子を見るうち、ゼネスは自身の体がどことなくうずくような感覚に襲われた。
  「いいから、お前も早く飛行クリーチャーを出せ。飛竜(ワイバーン)が適当だな」
  急(せ)かすと、
  「え?私にも天馬ならありますよ。乗るなら馬のほうがいいな」
  マヤが振り向いた。少し不満そうだ。
  「飛行クリーチャーでも四ツ脚付きは上級者向けだ、お前みたいな初心者は飛竜が丁度
 いい。一番飛びやすいし、スピードも出るんだぞ。俺の言うことはちゃんと聞けよ」
  そう諭(さと)され、
  「そうなんだ…、わかりました」
 と、彼女は承知した。しかしまだ未練があるらしく、なおも黒馬のたてがみを指に巻きつけ
 たりしてもてあそんでいる。
  「早くしろ、降ってくるぞ」
  重ねて注意されて、ようやくカードを取り出した。少女の前に、金色の翼を持つ竜が現れた。
  出現した飛竜は翼を背中にたたんだまま、地上に二本の脚で立っている。竜と言っても
 火竜ほどに巨大ではない。それでも、天馬の二倍に近い大きさだ。
  短い角のある頭を高く掲げ、静かなたたずまいで彼方を眺めている。やはりマヤの遣う
 クリーチャーであるなと、ゼネスは感じた。
  「さあ、乗って飛ぶ準備をしろ」
  彼が促すと、少女はサッと飛竜の背に飛び乗り、首に両腕を回してしがみついた。次いで
 竜が大きな翼をゆっくりと広げ、バサバサと打ち振る。…しかし、
  「あれ?飛べない…」
  盛大に砂ぼこりを巻き上げるばかりで、飛竜のからだは少しも持ち上がる気配がない。
 足の裏を地面にピッタリと貼りつけたままだ。
  「当然だ、そんなデカい者(ヤツ)がただ羽ばたいただけで飛べるか。風の妖精(スプ
 ライト)とは違うんだぞ」
  先ほどの仕返しとばかり、ゼネスはニヤニヤと意地悪く笑ってみせる。マヤがふくれ面
 (つら)になるのを見て、ニヤニヤ笑いは口元からさらに顔全体にまで広がった。
  「ひどいなあ、本当になんて人が悪いんだろう。何かやり方があるなら、どうして先に
 ちゃんと教えてくれないんですか」
  師のニヤニヤ顔をニラみ返しながら、弟子は不機嫌そうに抗議した。
  「自分の常識の無さを棚に上げて何を言う。
  翼だけで飛び上がれる大きさには限度があるんだ、そんな事、少し考えればすぐわかる
 ハズだろう。
  だったら、飛ぶ前にお前の方から質(ただ)すのがスジってものじゃないのか」
  やり込められて、マヤはグッと言葉に詰まったようだ。唇を結んで一瞬悔しそうな顔を
 したが、すぐに形を改めた。
  「…済みませんでした。飛び方を教えてください」
  頭を下げ、意外にすんなりと教えを請う。
  ゼネスは大いに溜飲を下げた。
  「わかればいいんだ、いつもそう素直なら俺も言うことはない、今の態度を忘れるなよ」
  彼もニヤニヤ笑いを収め、まじめな顔つきになった。
  「まずは"上昇"をイメージしろ。と言っても言葉じゃない、感覚だ。言葉だけ思い浮かべ
 たって意味はないぞ。
  自分が飛竜になったつもりで、からだ全体で空へと向かい、昇ってゆく感覚を想像する
 んだ。それが"力"を呼ぶ」
  マヤは飛竜の首から少し身を離し、空を見上げた。そして、すうっとひとつ大きく息を
 吸い込む。
  やがて、遠くを見ていた飛竜の眼が焦点を結び、らんらんと輝き始めた。頭を空に向け、
 口を開き、高く引っ張る啼き声を一声あげる。途端に飛竜の足裏が地面から離れ、体全体
 がふわりと空中に浮き上がった。
  「すごい!浮いた!」
  興奮で顔をほてらせながら、少女は竜の足の下をのぞいて見回した。金色の翼は静かに
 横に広げられたまま、少しも動かない。それでいて竜の体躯は、大地から空へゆるゆると
 昇ってゆく。
  「どうだ、これが魔獣の力だ。今の啼き声には"浮遊"の呪文効果がある。ほかの飛行
 クリーチャーも基本は一緒だ、その感覚をよく憶えておけよ」
  ゼネスは説明しながら、彼の頭の上の高さまできた金色の翼の先を、両腕を伸ばしてつ
 かんだ。
  「いったん止まれ」
  指示に従い、上昇はピタリと止む。宙に浮かんだ竜を見上げ、彼はその周囲をぐるりと
 ひと回りした。仔細ありげにうなづき、もう一度両腕を伸ばして右側の翼をつかむ。そし
 て少し起こすように角度をつけ、傾けた。
  左側へも回って、同じ角度で傾けてやる。
  「よし、こんなところだろう。
  次は"風"をイメージしろ」
  続けて指示を出した。
  「"風"?」
  マヤは首をかしげている。意味がよくわからないらしい。
  「真正面から吹きつける、強い風だ。今の翼の角度をよく憶えて、しっかりと固定して
 おくんだぞ。風が吹いたら、胸を張って翼で風をつかめよ、"飛ぶ"とはそういうことだ。
  ―さあ、イメージしろ!」
  そう呼びかけ、彼もまた天馬にまたがった。すぐに飛竜が強く短く吠える。と、
  「ドッ」と音をたてて強い風が正面から吹きつけてきた。
  「ヒャッ、わっ!」
  急激な風にあおられ、竜は一瞬仰向けにひっくり返りそうになった。が、マヤはすぐに
 体勢を立て直した。
  向かい風を受けてしっかりと胸を張り、広げた翼いっぱいに風をはらむ。金色の皮膜が
 たわみ、風をつかんだ。すると竜の腹が風の流れに乗り上げ、そのままぐんぐんと斜め上
 の方に昇り始める。"浮遊"よりずっと速い上昇スピードだ。
  空へと昇りながら、飛竜が羽ばたきを開始した。タイミングよく翼を打ち振るたびに、
 速さはいや増す。"飛翔"だ。
  「飛んだ、飛べた飛べた!」
  目を輝かせ、風の音より大きな声でマヤが叫ぶ。
  「あまり騒ぐな、落ちるぞ」
  ゼネスもまた、飛竜の横に自分の天馬を並べて飛んでいた。彼はハシャギ過ぎと見える弟子
 に注意した。

  耳元で風が鳴る。目の下には、黄土色から淡緑色へと、入り混じりながら変化してゆく大地。
 頭上には、低い灰色の雲。雨が降り出す直前の地上の匂い―湿った砂に似た匂いが、こんな空
 の上の方にまでかすかに漂ってくる。
  ポツッと、ゼネスの顔に雨粒がぶつかった。肩にも胸にも、次々に水滴が当たる。とうとう
 降ってきたようだ。
  それでも、飛竜の飛翔は順調だった。マヤはすぐにコツを飲み込み、金色の翼を巧みに強い
 風に乗せて、安定した飛行姿勢―大きく翼を広げ、胸から頭部にかけてをやや上にあげた―を
 保っている。
  『ふむ、やはり動きをつかむスジはいいようだな』
  彼は感心しながら弟子の様子を眺めた。思えば、先日見た彼女の操るストームジャイアント
 も、動きこそややぎごちなかったものの、本来の実力は充分に引き出されていたものだった。
  得意なのは、うたうことと踊ること―マヤは以前、そんなことを言っていた。リズムの感覚を
 持ち、かつ身体を動かす技量に秀でた者であるならば、クリーチャーの動きの感触をつかむ
 ことが速(すみ)やかであるのもうなづける。彼女には確かに、カードの覇者を目指せるだけの
 素地があるのではないか。彼の目は、そう判断しつつあった。
  「ああ、飛んじゃうとやっぱり速いんだなあ。
 こんなに楽チンなのに、どうして今までずっと飛ばずに歩いてきたんですか」
  飛竜の背の上から、風の音より大きな声でマヤが訊いてきた。地上を遥かに見渡し、初めて
 味わう飛行の爽快さを楽しんでいるようだ。
  「セプターたる者なら、自分が今立っている土地の特性を、常に五感全てを使って把握して
 おかねばならん。楽して大した用意もないまま動き回っていては、いざという時に遅れを取る。
  それに、飛行は目立つんだ。うかれてないで、この前みたいに他のヤツに見つからないよう、
 注意を怠るなよ」
  ゼネスも負けずに、怒鳴るような大声で返した。
  しかしそうは言ったものの、地上にも上空にも他の者の気配は無い(だからこそ、彼も飛ぶ
 ことにしたのだが)。"竜遣い"に遭った後は、わずかに数人の商人らしき旅人とすれ違った
 ぐらいで、セプターにはまだ一人も出遭ってはいない。
  難民への襲撃事件からも日数がたち、荒地は元の往来の場としての姿を取り戻し始めた
 ように見える。
  マヤがこれだけしっかり飛べるなら―次第に近づく緑の帯を眺めつつ、ゼネスは考えた。
 もう、わざわざ横について見守る必要もないだろう。そろそろ着陸地点を見定め、降下の体勢
 に入る用意をしなければ。
  そのために、彼は天馬を飛竜の前に進めた。
  「スピードを上げるぞ」
  あまり濡れないうちに森へと入るため、彼が弟子に告げようとした時だった。
  突然、後ろで竜の啼き声が響いた。同時に風の音も変わる。慌てて振り向くと、飛竜の姿は
 無い。そして、強い風が上から下へと吹き降ろしてくる。
  「何だと?!」
  ゼネスは天を仰いだ。ずいぶんと上の方に、竜の後ろ姿が見える。頭を空に向け、真っ直ぐ
 上へとぐんぐん遠去かって行く。
  「おい、こらっ!待て!」
  大声を張り上げて呼び止めながら、彼も急ぎ天馬の首を空の方に向けた。しかし、直線上を
 より速く飛ぶことにおいて、天馬は飛竜にとても及ばない。彼の焦りをよそに、金色の輝きは
 たちまち雲の中へと消えてしまった。
  「何やってんだ、あいつは!」
  ゼネスには思いも掛けない、弟子の行動だった。予想外の出来事に、怒りよりもむしろ不安
 が先に立つ。
  上空へ行くほどに、風の流れは速い。雲と風に阻まれ、このまま永久にマヤを見失ってしま
 ったとしたら…?そう思うと、彼は急に腹の底が冷えて胸が息苦しくなった。
  それでも、とにかく一刻も早く彼女を捜し出さねばならない。彼もまた、天馬で雲の中へと
 突っ込んだ。

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