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     『 カルドセプト ―"力"の扉― 』

       「独白 2」

   あの人がすがる支えを、私は取り上げようとしている。
   あの人の生きる目的を、私は打ち砕こうとしている。
   私の願いがかなう時、あの人の願いは失われる。
   失われてしまう、永遠に。
   その事を知りながらなお、私はあの人と共にいる。
 
   いつかきっと、私は殺されるだろう。
   他でもない、あの人に。





       第4話 「 鏡 」 (1)

   大地が揺らぐ。
   重い衝撃の波動が大気に響き、唸る。
   深い木立にも震えが伝い、梢の葉が擦(こす)れあう。ざわざわざわ、と鳴り騒ぐ。
   青白い肉体と赤い肉体とが、ぶつかり合った。地響きを立てて、森の大地が踏み揺るが
  される。
   青白い肉体は雨混じりの旋風をまとい、赤い肉体は高温の熱風に取り巻かれている。
   二つの肉体がぶつかるたびに二つの風もぶつかり合い、蒸気が立ち昇っては木々の上に
  雲を生み出す。今日は朝から良く晴れていたというのに、このあたりの上空だけは嵐の前
  のように薄暗く、荒れ模様だ。
   青白い肉体はマヤが操る嵐の巨人。そして赤い肉体は、ゼネスが遣う炎の巨人。人気の
  ない森の奥深くで、ゼネスは今、弟子に大型クリーチャーを扱う稽古をつけていた。
   赤の巨人が鋭く一歩を踏み出し、拳を振るう。熱い風が吹き抜け、周囲の木々の枝先の
  葉が一瞬にして干からびる。
   しかし青の巨人は辛くも避(よ)けた。身を捻(ひね)れば大粒の雨が風に乗り、赤い
  肉体に向かって降りかかる。だが飛沫(しぶき)はその肌を濡らすことなく、身を包む熱気
  のためにたちまち蒸発し去った。
   空振りした炎の巨人が、グイと踏み止まる。身軽く振り返り、未だ体勢が戻り切らない
  嵐の巨人の向こう脛(ずね)を蹴り払った。たまらず倒れる青白い体躯(く)。
   それでも、転がりながらも相手との間合いは離し、安全な距離を取ってからすぐさま起
  き上がる。
   青の巨人はもう、あちこち土まみれだった。しかし赤の巨人の方は、足の裏の他はどこ
  にも土などつけていない。
   「また転がされたな、もう何度目だ?
   敵わないと思ったら道具(アイテム)を使ったっていいんだぞ」
   師が弟子に声を掛ける。左の竜の眼に、余裕の色が笑みを含んで浮いている。
   「使いません」
   弟子はキッパリと応える。男装の少女の眼は、炎の巨人の爪先の動きへとしっかり貼り
  付いている。
   『だいぶ慣れたな』
   弟子と嵐の巨人の様子を見つつ、ゼネスは心中で頷(うなづ)いた。
   以前"竜遣い"と対峙した時に比べ、マヤの嵐の巨人は格段に動きが速くなった。ゼネス
  の炎の巨人の攻撃をすでに何度かはかわし、倒されてもすぐさま起き上がって来るほどに
  は上達してきている。
   ただし、まだ師と対等に渡り合えるまでには至っていない。土だらけの姿がその証左だ。
   「ヤセ我慢するな、それにこんな手応えの無い事じゃ俺がつまらん、道具の一つぐらいは
   使って力を高めろ、とても勝てんぞ」
   だが、
   「勝つためにやってるんじゃありません」
   赤い巨人を見据えたまま、少女は言い放つ。
   『小癪(しゃく)な事を…』
   弟子のこの言い草は、少しばかりゼネスの癇(かん)に障(さわ)った。
   マヤは師に手加減を請うことなど決してせず、何度倒されても淡々と起き上がっては、
  いつの間にやらしたたかに、相手の動きを読む視線を獲得している。
   ゼネスが思うに、彼女の言葉の正確な意味はこうだ。
   ―「あなたに勝つために、今ここで稽古をしているんじゃありません」―
   常の行動や応答からは彼女の本心を捉(とら)えきれない彼も、マヤがクリーチャーを遣う
  時だけは、その精神の動きのおおよそを感じ取る事ができる。
   嵐の巨人は今、両手をやや開いた格好で静かに立ち、炎の巨人の次の動きに備えている。
   ゼネスは赤い肉体の動きを止める事はなかった。ゆっくりとでも絶えず足を踏み変えて、
  動きの先読みはさせない。互いの間合いが微妙に変化し、緊張が高まる。
   稽古をつけ始めた時にはまだ、マヤは間合いの感覚には乏しかった。
   対峙する相手との距離が瞬時に"伸び縮みする"という事を、まるで知らなかったのだ。その
  ため嵐の巨人は最初、炎の巨人にいいように振り回され、子どものようにあしらわれた。
   マヤの呼吸の間に割り込むような調子で進み、そして退く赤い巨体。いきなり目の前に現わ
  れたと見えて、次の瞬間には素早く横や後ろに回りこみ、小突いたり蹴飛ばしたりしてくる。
   青い巨体は幻惑され、見失い、キリキリ舞いをしていた。
   だが数回転がされた後には、ほぼ完全に空間の測り方を把握してしまった。嵐の巨人は今、
  炎の巨人の動きの変化にすぐさま対応してくる。相手との間合いを見極めて、進めば素早く
  下がり、引けば即座に移動しつつ足を踏み出してくるのだ。
   だから現在はもう、ゼネスの側が一方的に間合いを操ることは出来ない。彼の本気の一撃
  さえも、たった今はかわされた。
   クリーチャー同士の対決は、どちらが空間を支配するかで大方は決まる。この弟子が非常
  に手強い相手になるのは、もう時間の問題でしかないだろう。
   しかしだからこそ、なんとも癇に障るのだ―と、彼は複雑な思いに駆られる。
   『セプターがカードを使うのは、どういうことなんだろう』
   そんな懐疑を持つマヤにとって、目指す目標は師を超える事などではない。それどころか、
  カードの覇者となる事でさえない。
   カードを、"力"を使う事を通じて、人は何を知るのか。そして何がもたらされるのか。
  彼女の射程は長い。目の前の勝ち負けなど、もとより眼中には無いのだ。そのくせ、セプター
  として非常に優れた素質を持ち合わせてもいる。こうして手合わせしてやる度に、そのこと
  を痛感する。
   そして痛感するからこそ、小面憎さがつのる。戦いの興奮を追い求めてきたゼネスにして
  みれば、自分が滑稽な一人相撲をしているように感じられてたまらない。
   『俺を何だと思ってるんだ、こいつは』
   だが勝負の最中に余計な算段は禁物だ。彼は自身をなだめるため、一つのたくらみを実行
  に移すことにした。
   二体の巨人がジリジリと動きつつ対峙する森の地には、嵐の巨人が呼ぶ雨による水たまり
  が所々にできていた。小さな水たまりは炎の巨人が踏むとすぐに乾いたが、もう少し大きな
  ものは、乾ききらずに泥濘(ぬかるみ)となっている。
   炎の巨人はまさに今、そうした泥濘の一つに足を踏み入れた。白い蒸気が上がって表面は
  すぐさま乾いたが、下の方はまだ柔らかく、巨人の大きな足裏がヌルリと滑る。
   バランスが崩れ、巨体が一瞬、傾ぐ。
   それを見て、嵐の巨人の腕が反射的にピクリとあがりかけた。
   が、それだけだ。青白い肉体の動きをこらえ、弟子の視線が師の顔へと向けられる。
   ゼネスはニヤリと口の端を上げた。
   「よく判(わか)ったな、いい勘だ」
   もちろん、今滑ってみせたのはワザとだ。
   「からかわないでください、見え見えじゃないですか」
   マヤもまた、つられるように笑みを浮かべる。
   「よーし、いくぞ!」
   炎の巨人は両腕を持ち上げて大きく開き、真っ直ぐに突進した。嵐の巨人もこれを受けて
  立ち、腕を前の方に掲げて力強く踏み出す。
   鈍い音をたてて二つの巨体が正面からぶつかり、がっぷりと四つに組んだ。
   が、組んだのはほんのつかの間だ。赤い肩が青白い腕をサッと振りほどき、そのまま熱い
  肉体が押し切って豪快に投げを打つ。
   「あっ!!」
   マヤが今日初めて驚きの声をあげた。
   嵐の巨人はきれいに投げ飛ばされ、遠くまで転がった。辺りの木が、一気に四〜五本ほど
  なぎ倒される。
   その様子を見る彼女の顔には、『やられた!』と描いてあった。
   「掛かったな、お前が俺と真っ向勝負をしようなんざ、百年は早いぞ」
   ゼネスは今度こそ本当に笑った。試合巧者の腕前を見せつけ、実に気分が良い。
   「う〜ん、注意してたのに、つられちゃった」
   マヤもまた、苦笑混じりながら明るい声で返す。
   「ああ、こんなに木を折っちゃってどうしよう」
   "惨状"にため息をつきながら、倒木の間に座り込んでいる巨人の元に向かう。
   「なに、少し陽射しが入ったほうが若木が育つ」
   そう応えた瞬間、
   『!!』
   彼は他者の気配に気づいた。それも、マヤの近くのようではないか。
   「誰だ!」
   「あっ、大丈夫ですか?」
   鋭い問いと呼びかける声とが同時にあがる。ゼネスも慌てて弟子の後を追った。
    差し込む日の光が、腰をおろした青白い巨体を照らしている。そのすぐ脇の藪(やぶ)の下
   に中年の男が一人、へたり込んで震えていた。どうやら、腰を抜かしているらしい。背中
   に籠(かご)を背負っているところを見ると、山菜でも採りに来たものだろうか。
    「大丈夫ですか、脅(おど)かしちゃってごめんなさい、おケガはありませんか」
    男の様子を気づかいながら、マヤは静かに近づいて手を差し伸べる。助け起こすつもり
   のようだ。
    しかし男はうろたえ、下草の上に尻餅をついたままズルズルと後ずさりした。
    「ひ、ひえ…おたお助け…」
    恐怖のあまり蒼白な顔が、引きつっている。
    「ほんとうにごめんなさい、今仕舞いますから」
    少女が右手を掲げると同時に嵐の巨人の姿は消え、その手の内にカードが戻ってきた。
    さらに彼女はクルリと振り向いて、師にも頼む。
    「そっちも、早く引っ込めてくださいよ」
    だがゼネスはそんな注文に応ずる気など無かった。
    「そいつはケガなんぞしていない、そのまま逃がすなよ」
    「えっ?!」
    これは思いがけない返答だったらしく、マヤは眼を見開いて一瞬立ちすくむ。
    けれど師が厳しい表情で男の方へと歩き始めると、その前に飛び出してきた。
    「ちょっと待ってくださいよ、"逃がすな"ってどういう意味ですか」
    ゼネスの腕にすがりつくようにして、引き止めにかかる。
    「どうもこうもない、言った通りだ」
    取られた腕をそのままに弟子を半ば引きずりながら、彼はなおも男へと向かう。
    その剣幕を見て取り、腰を抜かしていたはずの男が弾かれたように急に跳ね起きた。
   そのまま後ろの藪を突っ切り、全力で駆け出す。
    「セプターだ、セプターがいるぞ〜っ!」
    大声で叫びたてる。森の中には他の仲間も入っているようだ。
    「くそ、厄介だ、ヤツを捕まえるぞ」
    急いでふところからカードを取り出そうとするゼネスの手を、またマヤが押さえた。
    「やめて!あの人捕まえてどうするんです」
    「知れたこと、俺たちの事をしゃべるなと口止めをする」
    彼はことさらに恐ろしげな顔を作って弟子を見下ろした。それでも、少女はひるむ
   色を見せずに食って掛かってくる。
    「脅かすつもりなんだ。ひどい、そんなことするからセプターが嫌われるんですよ」
    師の腕をつかむ手に、さらに力がこもる。
    「顔を見られてるんだぞ、いいやり方じゃない事ぐらい承知の上だが止むを得ん、
    離せ!」
    「イヤだ、私たちがここに居るのがいけなかったんでしょうに」
    「貴様!」
    押さえる手を振りほどき、ゼネスは弟子に詰め寄った。
    「聞き分けのないことを言うんじゃない、この世界の事情はお前の方が良く知っている
    はずだぞ。
     セプターが人前でカードを使ったら面倒な事になる、クリーチャーを遣う稽古だって、
    人目をはばかりながらこんな森の中なんぞでやらなきゃならない。
     そこへ来て、大型クリーチャーを遣えるようなセプターが二人もウロついてるなんて
    事が知れたら、どんな騒ぎに巻き込まれるかわからん。口止めしておくのが一番だ」
    一気にまくし立てる。
    マヤは辛そうに顔をゆがめた。『そんな事はわかっている』と言いたげだ。そしてなおも
   食い下がる。
    「だったらすぐに、もっと遠い所まで行けばいいんだ、やろうと思えばできるんだから。
    関係ない人に迷惑なんか掛けなくったって!」
    『俺はお前のためを思って言ってるんだぞ!』
    というセリフが口の端まで出かかったが、ゼネスは辛うじて我慢した。
    たとえどれほどの戦いが降りかかろうとも、彼自身は少しもひるむ者ではない。いや、
   むしろ命を燃やすようにして立ち向かってゆくだろう。
    だが、マヤまでが戦いの場に引きずり出されるとなれば話は別だ。
    彼女の特異なセプター能力が他の者にさらされるような事態は、なんとしても避けたい。
   「秘密」はあくまで、自分一人の手に握っておかねばならない。
    だから今はできるだけ、目立たぬよう知られぬように行動する必要があるのだ。
    ゼネスはこれ以上の説得は時間のムダと判断した。制止は無視してさっさとカードを
   取り出し、逃げた男の行方を目で追う。
    が、しかし―求める姿はすでに見えなくなっていた。やはり土地カンのある地元の者、
   二人が言い争う間に身を隠してしまったらしい。
    「しまった、逃げ足の速いヤツめ…」
    ホゾを噛んだが遅い。こうなってはマヤの言う通り、早急にここを離れるしか手はない。
    「仕方ない、すぐに移動するぞ」
    そう告げて、ゼネスは前方にある木々の枝先を透かし見た。視線の先には、山脈がある。
   森林地帯の終わり、そして別の土地との境目だ。
    「あの山を越えれば追われる心配はないだろう。
    だが人の通る道など通らんぞ、泣き言を言わずについて来いよ」
    弟子はまだ師を睨(にら)み返している。その顔を横目に見つつ、彼は先に立って歩き
   始めた。

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