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       第4話 「 鏡 」 (2)


    時に背丈よりも高い藪を漕ぎ、あるいはトゲだらけの低木の茂みの下をくぐり抜けなど
   しながら、ゼネスとマヤは森の外れの山すそを黙々と登っていた。
    人目につかないよう、行く道はもっぱらケモノの通り道だ。それさえ無ければひたすら
   藪を抜け、下草をかき分けて進むしかない。
    これではまるで落ち武者ではないか―と、ゼネスはつくづく情けない気分になる。
    『覇者の試し人たるこの俺が、まさか戦いを避けるためにコソコソと逃げ隠れせねばな
    らんとは…』
    それもこれも、カルドラ宇宙において人々の意識が変わってしまったことに原因がある
   ―ようだが、今の彼にはまだ、どのように働きかければ以前のように多くの世界で覇者を
   目指す者が現われるようになるのか、およそ見当もつかない。
    確かに、後ろを付いてくるマヤの能力が十二分に開花すれば、宇宙に何らかの「変化」を
   起こすことが出来るのではないか、という期待はある。彼女の力はそれほど特異で、かつ
   人並みはずれて大きい。
    だが、それでも未知の要素が多すぎる。
    マヤ自身が術者としてはまだ初心者であるし、これから熟練して神に並ぶほどの"力"を
   手に入れたとしても、何をすれば必要な「変化」を起こせるのかという、肝心な情報に関し
   ては今もって全くのナゾなのだ。
    つまりまだまだ当分は、こんなお忍び行脚(あんぎゃ)が続くと見ていい。今後の道のりの
   遠さを思うと、ゼネスは真実ため息をつくよりほかにすることが無い。
    『せめてこいつがもう少し従順だったらな…。素質は申し分ないのに勝手な事ばかりを
    しでかすし、何かといえば俺に突っかかってくる。
     それに、だれよりも"力"に通じているクセに「覇者」は眼中にないときた。まったく
    人をバカにした話だ、やり難くてかなわん』
    チラリと右目で後ろをうかがった。道なき道を行く女(おんな)子どもにはキツい行程だが、
   彼の弟子は文句一つ口にせず、懸命に足を動かしながら後ろに続いてくる。
    さすがに息づかいはやや苦しげだ、それでも彼女はきっと、自分から「休みたい」などとは
   言い出さないだろう。
    マヤのそんな様子を見ると、ゼネスは何とはなし、情けない気分もやや上向くように感じる。
    『まあ、ハネっ返りだけに戦う相手としての手応えはあるか。それにもっと手練(だ)れに
    なれば、俺も肩慣らし程度じゃすまなくなりそうだ。
     ヒマつぶしの相手としては、上出来の部類だろうな』
    こんなしがない旅路ではあるが、楽しみも全く無いわけではないのだ。そう、思いなおす。
    再び前方を向いてしばらく斜面を登ると、山腹から棚のように突き出て平らになっている
   場所にさしかかった。
    この辺りの木々は今は葉を落としており、"棚"の上は早春の光が揺れて明るい。だが幾重
   (いくえ)にも重なる木の枝先は、すでに芽吹きの色を帯び始めていた。この場所の地の上に
   陽の光がじかに届くのは、一年のうちでも今時分の間だけだろう。
    周囲の音や気配に耳と目を向けながら、ゼネスは"棚"を渡ってさらに奥の山々を目指す。
   ここまで来ればもう他人とバッタリ行き遭う危険など無さそうだが、彼もマヤもこれまでと
   同じように口を閉ざし、できるだけ足音をたてないようにしながら木々の下を歩いた。
    『そろそろマヤには、別のブックも作らせておく必要があるな』
    柔らかに落ちる陽光を受けながら、ゼネスはそのことを考えている。
    先に荒地の中を抜けている間に、彼は弟子に言って手持ちカードの中から一組のブックを
   作らせていた。
    だがこの時はあまりにも開けた場所にいたため、ごく簡単な説明で間に合わせのブックを
   用意させたに過ぎない。
    セプターがブックを作っておくのは、もともと必要なカードをすぐに取り出して使うためだ。
    ほんの数枚のカードしか持たないセプターならばともかく、十数枚以上のカードが手元に
   ある場合は、使いたいカードを捜し出すだけでもそれなりに手間がかかってしまう。
    そこで、今後しばらくの間すぐに必要になりそうなカードを一まとめの束にしておいたの
   が"ブック"の始まりなのだ。こうしておけば、戦闘のような非常時でも次から次にカード
   を繰り出して対応できる。
    ただしマヤの場合は、特殊な能力によって入用なカードをすぐさま「宙より」取り出す事が
   できた。彼女に限っては、わざわざブックを組んでおく必要など無い。
    しかしそれでも、セプターである以上ブックは組んでしかるべきだ―というのがゼネスの
   方針だった。
    ―「ブックは自分のイメージの具体化なんだ」―
    荒地で、彼は弟子にそう説明した。それと同時に、自身が置かれた状況を把握し、どんな
   事態が(といっても、彼が想像するものは戦闘以外に無いのだが)降りかかっても即座に対応
   できる心構えを用意する事。それが、ゼネスが解釈するブックの意義だったのである。
    歩きながら、彼は弟子に課した。
    「マヤ、もう少し先まで行ったら休憩にする。それまでに、この近辺で戦うためのブック
    の内容を考えておけ。休んでいる間に作ってもらうからな」
    さらに"復習"も忘れない。
    「これまでにお前の手持ちカードを少しずつ見ながら、それぞれについて特長を説明して
    やったろう。クリーチャーカードを使う場合、俺はどんな事に注意をしろと言った?」
    「…今自分がいる土地が、どんな属性の影響をどれだけ受けているのか…よく感じ取って
    判断しろ…という事でした。
     …カードのクリーチャーの中には、特定の属性の影響のもとで…力が高まったり、逆に
    弱められてしまうものもあるから…」
    疲れのために息を継ぎながら、弟子は答えた。
    「この場所についてなら、お前はどう考える?」
    ゼネスは少し歩調をゆるめ、また質(ただ)す。
    「ここは木がたくさん生えてる場所だから…地属性の力が強いんだろうと思います。
    ブックを組むなら…地属性と親和するクリーチャーを入れればいいのかな…」
      やや自信なさげな声が聞こえる。
    「確かにそれで間違いじゃあないが、この機会に一つ教えておこう。
     この場所のように特定の属性の影響が強いからといって、似たような傾向のクリーチャー
    ばかり用意するのは考え物だな。
     例えばここで、地属性の力を受けて能力の高まるクリーチャーばかりを選んで展開した
    とする。ちょっと目にはいかにも優勢に映るだろうが、しかしもし相手が土地変化の呪文
    を使ってきたとしたらどうなる?」
    「"あの時"…みたいなことになります…」
    マヤは痛みを思い出したような表情を浮かべた。
    「そうだ。あの"竜遣い"は五体もの火竜を出したが、お前のシンク(水化)一発で手も足も
    出なくなった。いい反面教師だ。
     特定の属性の影響を受けるクリーチャーのカードは、だからできるだけ一つのブックに
    二種類以上は取り混ぜて入れておいたほうが賢い。
     この場所であれば、地属性とは親和の働く水属性のクリーチャーを合わせて入れるか、
    あるいは全く反対に、反発しあう風属性のものを入れるという手もある。これはどちらか
    と言えば上級者向けだがな」
    得々と説明しながら、ゼネスはずんずんと歩き進んだ。"棚"はもう半ばを過ぎて、目の前
   には新たな山間(やまあい)が迫ってきている。
    「待って、踏まないで!」
    突然、マヤの声が響いた。その声に驚かされ、下ろそうとしたままで彼の足が止まる。
    ゼネスが足元を見るとそこには、地にへばりついて広がる草が、あたり一面泡立つように
   小さな青い花をたくさん咲かせていた。
    「踏まないでください、春が来て、せっかく咲いたお花です」
    「踏むなと言ったって、これじゃ足を下ろす場所なんて無いぞ」
    進みかねたまま、彼は不機嫌な声を返した。青い花の群落はかなり大きく、今立っている
   場所から先の"棚"のほとんど全てを覆っているのだ。
    「花の周りを回って行きましょうよ。いいじゃないですか、もうそんなに急がなくっても」
    そう言いつつ、マヤは早くも迂回(うかい)を始めている。花の群落の周囲に沿うように、
   回りながら歩いてゆく。
    「つまらんことを気にしおって」
    文句をつけたが、ゼネスもまたあえて花を踏む事はせずに、少女と行動を共にした。

    今度は弟子が先に立ち、師が後に続くかたちでしばらく歩いた。"棚"の端の、山の斜面に
   近い場所だ。ここは日陰になっているせいか、例の草は広がっているが花は咲いていない。
    所々に茂る常緑の藪の一つにさしかかった時、ゼネスは急に立ち止まってしゃがみこんだ。
    「伏せろ」
    小声で、だが強い調子で指示を送る。マヤもすぐさま藪の影にしゃがんだ。
    そのまま、緊張した面持ちで師の方を振り向く。
    ゼネスは、黙って斜面の上の方を指差した。
    二人から見て右側の、斜面のかなり上にある藪の根方で何かが動いている。山鳥だ。
    「見えるな」
    弟子の視線が定まったのを見て、彼は確認した。少女がゆっくりとうなづく。
    「狩れるか」
    薄く笑いを浮かべ、さらに問い掛けた。彼はマヤが困惑するものと想像し、そして早く実際
   にそういう顔を見たいものだとも思っていた。
    ところが、
    「できます」
    彼女は即座に答えた。一瞬の迷いもためらいもなく、すでに狩人の顔つきに変わっている。
    これはゼネスの予想外だった。
    「よし、やってみろ」
    軽い驚きを覚えつつ、促(うなが)す。
    ―と、少女の右手にカードが現われて輝き、それはスリング(投石具)へと「変換」された。
    『ほう、いい選択だな』
    スリングは、皮ヒモを振る遠心力の働きで石を飛ばす武器だ。技術の習得こそ難しいが、
   コツさえつかめばそれほど膂力(りょりょく:腕の力)は必要としない。マヤのような少女で
   あっても、比較的手軽に取り扱える。
    強靭な皮ヒモを手に、マヤはさらにカバンの中から石を一つ取り出した。ちょうど片手に
   収まる大きさのそれを、ヒモの真ん中にある留め具に素早く挟み込む。慣れた手つきだ。
    準備が整うと右手にしっかりとヒモを握り、すぐさま石を振り回し始めた。
    たちまち、手を中心に高速で回転する円が出現する。そして回転が目にも止まらないほど
   速くなった瞬間、腕が斜めにサッと振り下ろされ、ヒモから石つぶてが外れて撃ち出された。
    つぶては一直線に飛び、首をもたげた山鳥の頭に命中した。脳天を砕かれた鳥が驚いたよ
   うに数歩走り、そこでパタリと倒れる。
    「見事だ」
    ゼネスは褒めたが、マヤは黙ったまま鳥に近づいて拾い上げ、両手でささげ持つようにして
   しばらく頭を垂れていた。
    それから再び師の元に戻り、今度は麻のヒモを出して鳥の脚を結ぶと、そばの木の枝にぶら
   下げた。
    そうしておいてからナイフを抜き、ブラリと伸びた細い首をひと息に切り落とす。
    下草と落ち葉の上に、赤い鮮血がほとばしって飛び散った。
    狩った獲物はこのように早々に"血抜き"をしておかないと、体中に血が滞って食えたもの
   ではなくなるのだ。マヤの全ての動作は極めて滑らかで、かつ的確だった。もう何度も狩り
   とその後の処理を経験してきたものと見える。
    彼女のほほには、鳥の血が数滴飛んでいる。だがそれを拭いもせずに、少女は流れ落ちる
   赤い色からじっと眼をそらさずにいる。
    ゼネスの胸の内に、不意に憎しみが湧いた。マヤが憎い。今までの小憎らしさが一転して、
   急激に強い憎悪へと変わる。
    「慣れたものだ、やればいくらもできるじゃないか」
    口から、トゲを含んだ言葉が飛び出した。そんな事は今言うべきではないと内心かすかに
   制止する声をかき消し、走り出した憎悪の感情が彼の全てを引きずり浚(さら)えてゆく。
    目の前にいる少女の精神に、爪痕のような深い傷をつけたい。ひたすらそう願い、呪う。
    「どの道、人は他のものの生命を奪わないことには生きてゆかれないんだ。戦うことがイヤ
    だの他人を傷つけることがイヤだのと、お前は下らんことにこだわりすぎる。
     望まなくとも"力"を持つ以上は、戦いに巻き込まれる恐れなんていくらでもある。襲い
    かかってくる奴がいたら戦って倒せ、それが生きる道だ」
    「それに、さっきの男も結局逃がしてしまった。あいつの顔つきを見ただろう、セプター
    でない者がセプターのことをどう考えているか、その本当のところをお前は知らないだけだ。
     セプターが奴らに嫌われてるんじゃない、奴らがセプターを嫌っているんだ。利用でき
    る時には利用して、いらなくなったり手におえないと見れば排除しようとする。それが、
    一般の人間の本性というやつだ」
    「それとも何か、お前は世の中に良いセプターと悪いセプターがいて、良いセプターであれ
    ば認めてもらえるとでも信じているのか。
     善だの悪だの、そんなものは立場の違いだ、一枚の紙の裏表だ。お前なんてただの甘い
    偽善者に過ぎん!」
    堰(せき)を切ってしまったかのように、マヤに対する罵倒の言葉があふれ出して止まらない。
   そしてこれだけ言いつのりながら、ゼネスの胸中は晴れるどころか、かえってキリキリと刺す
   ような痛みにさいなまれてゆく。
    少女はじっとして立ち尽くしたまま、やや蒼ざめた顔でただ聞いている。泣き出すことも
   反論することもせず、師の言葉が途切れるまで黙ったままと決めているのか、少しも動かない。
    山鳥の首から血がしたたり落ちなくなった頃、ゼネスの悪罵はようやく尽きた。さすがに
   疲れたのだ。
    彼は大きく息をついて少女を見据えていた。するとマヤが、やっと口を開いた。
    「ゼネス、あなたはカードの"力"で他の人を傷つけたり、殺したことがあるんですか」
    その眼は師に向けられてはいない。まだ、鳥の傷口を見つめたままでいる。
    「お前はすでにその答えを知っているはずだ。知らないなどとは言わせんぞ」
    彼はイラ立ち、また声を荒くした。瞬間、パッと彼女の顔が彼の方を向く。視線と視線が
   まともにぶつかり合う。
    「その通りです、私はもう知ってます、あなたを見てればわかる。
    でもまだあなたの口から直接聞いたわけじゃありません」
    強い視線、強い口調。だがそこに、ゼネスを鋭く刺し通そうとする意思は込められていない。
    あるのはもっと別の―むしろそっと触れようとしてくる感覚のように思われて、彼はつい
   たじろぎそうになる。
    言葉の表面とそこに込められた意思との間にへだたりがある。そういう表現に、彼はあま
   り慣れていなかった。
    「そうだ、俺は人殺しだ。
     知っててついてきたなら今さら聞くな、愚問だ」
    全身全霊を持って、ゼネスはマヤの視線を押し返そうとした。もしもここで先に眼をそら
   したりすれば、もう二度と彼女に対峙できないような気がする。
    そんな畏(おそ)れとも焦りともつかない何かが、彼の内に在って彼を追い詰める。
    結局、先に眼をそらしたのはマヤのほうだった。
    だが、
    「あなたは、私のことをあなたと同じようにしたいんですか」
    口にされた言葉は、彼をその場に凍りつかせた。
    頭の先から血の気が引き、顔色が見る見るうちに変わる―彼には、そんな自身の姿がまざ
   まざと見えた。
    彼女は獲物の処理を再開した。鳥の腹を裂いて、内臓を抜く作業に取りかかり始めている。
   その光景を前に、ゼネスは自分の心臓もまたマヤの手で掴(つか)まれているように感じた。

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