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       第5話 「 巡礼 (後編) 」 (3)


    「ゼネス、さっきの大きな石のあった場所は、なあに」
    村の者に尋ねて得た道を街道へとしばらく歩むうち、マヤが口を開いた。二人はここまで
   ずっと黙ったまま歩いてきたのだが、ようやく弟子が先に口を利いた。
    「言ったろう、聖女終焉の地の記念碑だと」
    「それだけじゃないんでしょう、だって…あの石のそばに行ってさわったら、なんだか
   不思議な感じがしたんだもの」
    彼女はセプターではあっても尋常な人の身だ、竜眼を持つ師ほど鋭敏な感覚を持つわけ
   ではない。が、それでもさすがに湧き出す"力"の片鱗は感じ取ったようだ。
    「何を感じたんだ」
    弟子の問いには答えぬまま、逆にゼネスの方が尋ねる。
    「あまり…うまく言えないんだけど。
     やさしい雰囲気と厳しい雰囲気の、両方が入り混じってるような感じ」
    「わけがわからんな、それじゃ」
    「だから、うまく言えないんだってば」
    小さくため息をついて、少女は再び黙り込む。
    湿った風が吹いてくる。雨がいつ落ちてくるかと気にして二人ともだいぶ早足なのだが、
   まだ街道には至らない。この道は背の高い草むらの中を通り、遠方も見渡すことができない。
    「カモメのねぐらは見つかったのか」
    またしばらくしてからゼネスが訊いた。彼は少し気分を変えようとしたのだが、マヤは
   首を横に振る。
    「わからなかったの。やっぱり夕方近くになってから探さないとダメみたい。
     海沿いにずうっと北の方まで、山がそのまま海に入り込んでるようなところまでは、
    飛んで行って見て回ったんだけど」
    そうと聞いては返す言葉も無く、ゼネスはまた口を閉ざして道を往(ゆ)く。
    『さっきの漁師にカモメの巣のありかを訊いておけば良かったな』
    やっと気がついたが今さら遅い。
    「まだかな、歩くと時間かかるね。
     リオ、今は眠ってるけどだんだんからだが熱くなってきたみたいなんだよ、まだ熱が
    出るには早いはずなのに…無理させちゃったのかな」
    心配そうな声がする。―そんなことを言うな、あんなに楽しそうだったじゃないか―と
   振り返って言おうとした時、視界が開けた。やっと草むらを抜けたのだ。
    ようやく見覚えのある広い道に出た。街道だ、城塞都市まではあとひと息だ。
    ―しかし、どうも様子がおかしい。道を歩く者がいない、人々はただ道の両側に分かれて
   立ち止まっている。
    「何だ?」
    わけがわからぬまま、師弟はともに街道の真ん中に突っ立って周りを見ていた。
    すると後ろから、走ってくる馬のひづめの音がする。
    「こらっ、そこの者下がれ!王の御成りであるぞ、道の脇にかしこまって控えよ!」
    怒声を浴びせてきたのは、馬上の兵士だった。彼は、着用した軽めの革鎧とは対照的な
   ぶっそうなぐらいに長いランス(馬上槍)を抱え、曲者と見ればこれを突き出す構えでいる。
    『マズい時に来合わせた』
    まさか、あの城主の外出に出くわしてしまうとは。舌打ちしたいぐらいの気分だったが、
   今ここで悶着を起こすわけにはゆかない。ゼネスは黙ったまま目をそらし(うっかりと兵士の
   方を見たりすれば、思い切りニラみつけてしまいそうだ)、弟子とともに道の端へと下がった。
    だが、そのままただ待たされる。王の行列などはなかなか現われない。
    時おりランスを構えた先払いの警備兵が行きつ戻りつするだけで、街道の彼方を望んでも
   列の先頭さえまだうかがうことができない。
    そのうちにも空は次第に暗くなり、雲が重たそうに垂れ込めてくる。
    マヤがしきりに空を見ていた。雨が降ってくれば少年の病んだ体を濡らしてしまう、もう
   気が気ではないのだ。
    『くそ、今朝方は奴らの頭の上をさんざっぱら飛び回ってやったというのに…』
    人として社会の仕組みの中に生きていれば不自由ばかりだ、それも大半は理不尽な不自
   由ではないのか、思うさま飛翔するためには自らを見えない者にするしかないような。
    『…そうだ!!』
    ひらめいた、同時に「ポツリ」、雨滴が落ちてくる。
    「やだ!」
    泣きそうな声を出した弟子の耳元に口を寄せ、ゼネスはそっとささやきかけた。
    「今から呪文を一つ教える、唱えてみろ」
    「え…何が起こるの、それ」
    少女が師の顔を見た。とび色の瞳がこれまでになく間近に、彼の目と鼻の先にある。
    「悪いことは起きない、ただ周りの奴らの動きをしばらくの間止めるだけだ。成功すれば
   街まで一気にクリーチャーで飛んで行ける。
     俺を信じろ、マヤ」
    彼女の眼の色が変わった。大きく一つ、うなづく。
    「わかった、やってみる。…教えて」
    「よし、思い切りやれ、この空の全てを使うつもりで唱えてみせろ」
    警備兵の馬がやってこない間を見計らい、ゼネスは小さな、だがハッキリした声で彼の
   弟子に呪文の綴(つづ)りを伝えた。
    聞き取ったマヤが正面を向き、目をつむる。すぐにゼネスの肌に急激な"流れ"が生じた
   感覚が伝わってきた。それは彼女を中心に、大気を吸い込むようにしてとうとうと渦巻く。
    これは、高位の術者が強い集中力を揮(ふる)う時に起こる"気の流れ"だ。だがそれに
   してもなんという激しさ、まるで世界のことごとくが一点に、マヤの額の辺りに引っ張られて
   ゆくかと思われるほどではないか。ゼネスの傍らで、異様に密度の濃い圧縮された"気"が
   ぐんぐんと成長してゆく。
    『…すごい』
    息を呑んだが、ただ感心ばかりもしていられない、彼もまた呪文を唱えた。先ほど弟子に
   伝えたものとは別の呪文を、何度も何度も続けざまに唱える。ゼネスのからだを、人には
   見えない呪文による防御壁が何重にも覆う。
    そうして、ついにマヤの唇が動いた。たった今教えられたばかりの呪文が口から流れ出る。
    ―途端に、大気も大地も身震いをした。
    ざわめきが聞こえる。街道に立つ者たちは地震が来たとでも思ったようだ。だがゼネスが
   注視しているのは空だった。
    空が、見える限りの空いっぱいが、あますところなくゆがみ、ねじれてゆく。
    雨雲がぐるぐると渦を巻いているが、あれは雲の動きなどではない、確かに"力"を引き
   出す「孔」が生まれているのに違いないのだ。
    『まさか、本当に空一面を使いやがった』
    あぜんとすると共に、彼は急に自分の呪文壁が心もとなく感じられた。あれほど大規模な
   "力"の発動など、見たことも聞いたこともない。下手をすれば防御が破られて、彼までもが
   マヤの呪文の支配下に置かれてしまう。
    慌てて、さらに幾重にも防御壁をまとった。
    雲の描く渦はもう空全体にまで広がっている、不安定なゆがみの気配がそろそろ臨界を
   迎えそうだ。ピリピリ、ビリビリ、小刻みな震えが世界の隅々にまで充満し切る。
    『―来るぞ!』
    空を見上げつつ、全身に力を込めて気を引き締める。次の瞬間、雲の底に稲妻のような
   光が走った。
    地上に"力"が降りそそぐ。一瞬のうちにまばゆい輝きが全てを包み、白く遮(さえぎ)った。

    しばらくはまぶたを閉じて耐え、やがてゼネスはそろそろと目を開けた。
    周囲はシンと静まり返っていた。少し離れた場所で、兵士の馬が歩きかけた姿勢のままに
   動きを止めている。馬上の兵士もまた、同じようにランスを構えたままで動かない。
    見渡す限り、師弟の他に動く者はいない。草木の葉さえも風にそよぐことを止めている。
    「成功だな、俺も何とかやり過ごせた」
    「この呪文、なんて言うの」
    辺りを見回しつつ、マヤが訊いてきた。自分で術をかけておきながらびっくりしている。
    「ストップ(停止)だ。スリープ(眠り)の強化版みたいなものだが、こちらは生き物の
    体内の時間まで止めてしまう。
     術をかけられた方にしてみれば、効果が働いている時間はまばたきのまぶたが閉じて
    いる間のようなものだ。こいつら、醒めたところで自分に何が起こったかさえ気づかんさ。
     さあ、行くぞ」
    ゼネスはカードを一枚掲げた。光の球の中から、いつものように黒い天馬が現れ出た。


    彼らが宿の三階の部屋に戻ってしばらくすると、街の喧騒が再び鳴りはじめた。慌しく
   駆け回る大勢の靴音が石畳に響く。突然降りだした雨(それも気づいた時にはすでに本降り
   になっていた)から逃れようとする人々の足音だ。
    木製の窓を細く開け、イスにかけたままゼネスは外の様子をうかがっていた。
    この部屋に潜(ひそ)む彼らに注意を向ける目はない。確認し、部屋の中に視線を戻す。
    マヤはベッドに寝かせた少年の額にしぼった手ぬぐいを乗せていた。子どもの方は目を
   閉じていやに静かな息をしている。
    「そんなに苦しそうな感じでもないのに熱が高いなんて、どうしてなんだろう…」
    気遣わしげな沈んだ顔をして、彼女はもう一枚の濡れ手ぬぐいで時おり小さな唇を湿らせ
   てやっていた。
    そろそろ「覚悟」の時が来たのか―と、少年の容態についてはゼネスも一応気にはして
   いる。だがそれでも、彼の考えはやはりマヤの能力へと向いてしまう。
    『街の中までも、いや間違いなくこの平野全体に"停止"の効果が及んでいた…』
    街道からここまで黒馬でひと飛びする間、彼は眼の下の有り様にひときわ注意を傾けた。
   はたして風が吹こうと、地上の何一つそよとも動かない事実を目の当たりにした。
    まさしく、見下ろす全ての地域は呪文の支配下にあったのだ。
    『いったいどれほどの魔力を込めたんだ、あいつは。子ども一人のために』
    呪文を使えとけしかけたのはゼネス自身だが、それでも驚かないわけにはゆかない。
    しかもそれほどの"力"を使いながら、マヤの額には汗一つ浮いてはいなかった。
    『やはり人の身のままで、神にも匹敵する者なのか』
    考えてはいけない―と、一方には留めようとする彼がいる。―それ以上考えるべきでは
   ない、それはお前の任ではない―と。
    だが、もう一方には「知りたい」と望む彼自身がいる。
    『お前は、誰だ』
    「―ゼネス、ねえゼネスったら聞こえてる?」
    揺り動かすような声に、考えは中断させられた。彼の弟子が、やや怒ったような表情で
   すぐそばまで来ている。
    「何だ」
    「呼んでるのにボーッとしてるなんて。
     ねえ、リオの様子がなんだか…いつもと違うんだけど、どうしよう。雨が上がったら
    もう一度お医者さんとこに連れていきたい」
    彼はしばらく少女の顔を見守った。濃い栗色の巻き髪、とび色の眼、赤の他人の子ども
   を思って震える唇、悲しみと痛みとに震える唇。―この娘は確かに人間なのだ、どれほど
   巨大な"力"を扱える者だとしても。
    「お前の気持ちはわからないわけじゃない、だが…どんな命にも限界がある、もうその
    子の命は限界が近いんだ、今さらどうしようもない。
     医者には他にも診なければならない患者がいる、その手を煩わせるな」
    こんなことは言いたくない、特に彼女には言いたくない、こんな辛いことは認めたくない、
   だがそれでも彼は言わねばならない。
    師としてか、亜神としてか、それとも…
    震える唇がゆがんだ。双(ふた)つの瞳に涙が盛り上がる。
    「私できないんだ、何にもならないんだ、カード使えたって呪文使えたってリオのこと
    助けてあげられないなんて…!」
    「ばか!」
    思わず立ち上がった。
    「人の生き死にが自由にできなければ、"力"に意味が無いとでも言うのか。
     人を救うためにあると思ってるのか、カードも呪文も、神も」
     ―お救いください―
    「もともと世界の全てを創ったのは神の"力"なんだ、"力"の前では全てが等しいんだ、
    なのになんで人間だけが特別扱いで救われなくちゃならない、他のどんな生き物が救い
    なんて求める。
     人間など世界の一部に過ぎないんだ、世界が人間のためにあるわけじゃない、だから
    こそ神でさえ、あえて人を救わないんじゃないのか」
     ―お救いください―
    「お前が見つけたいと言ってるのはそんな事じゃないはずだろう、だったらもっとシャンと
    しろ、"力"でできることとできないことを見極めてから考えろ」
    マヤが涙を拭いた。唇を噛んで、じっとゼネスの顔を見上げている。
    「…それに、お前はもうその子を助けてる。お前と出遭ってからずっと、そいつは実に
    幸せそうだった、俺が見ていても羨(うらや)ましくなるぐらいにな。
     それはカードにも呪文にもできないことだ、お前にしかできないことをこれまで精一杯
    やってきたんだ。そうじゃないのか、マヤ」
    とび色の眼にまた涙が浮かんだ。唇が動いて何か言いかけたが、
    「…まーや、まーや…」
    小さな声に呼ばれ、もう一度涙を拭いて振り返る。
    「なあに、リオ」
    「…だっこして…」
    「うん、すぐにいくからね」
    少年が寝ているベッドに入り、彼女は共に横になると痩せたからだを抱きしめてやった。
    「ずっと一緒にいるからね、リオ」

    雨は一晩中降り続いていた。
    次の日の明け方、雨がやむ頃に子どもは息を引き取った。



    「それはまあ…何と申し上げましたらよいやら…」
    その日の朝方、ゼネスが少年の死を宿のご隠居に告げにゆくと、品のいい老人は盛んに
   目をしばたたかせながらお悔やみを言ってくれた。
    「幼い者が亡くなりますのはまことに悲しゅうございますなあ…。あたしのような老い
    ぼれがこのように生き恥さらしておりますのに、いっそ替わってやりとうございますよ。
     それでもご奇特なことをなさいました。他人様のお子をお拾いなされてお参りも済ま
    された、なかなかできることではございません。必ずやルツ様が格別のお導きにて、
    天の御父神様の元へとお連れくださいましょう」
    そう言って客をなぐさめ、さらに野辺の送りのやり方も教えてくれた。
    それは昨日老漁師が言っていた通り、ファヅンの河口近くの河原で遺体を火葬に付して
   から、遺骨と遺灰を河に流すのであった。
    棺が来るのはどうやら夕方になりそうだということで、師弟はそのまま宿の部屋にこもり
   きりでいた。
    昨日に比べ、マヤは取り乱した様子もなく静かでいる。ベッドに腰掛けて、そこに横たわ
   っている少年のほほや頭をなでさすってやっている。
    ゼネスが見ても、子どもの顔は眠っているように穏やかだ。死の間際まで、彼は満ち足り
   た気持ちでいられたのだろうか。
    しかしそう考えたからといって、気持ちが晴れるというものではないが。
    彼は少年のことは哀れと思うものの、相変わらず好きにはなれない。だが今は、喪った
   という欠落感がすき間風となって胸の内に吹き込んでくる。
    床の上で、窓から漏れる光が少しずつ動いてゆく。ゆっくり、ゆっくりと太陽は中天に昇り、
   そして次第に傾いてゆく。昨日と同じくり返しに見えるが、昨日と今日とは別の日だ。
    どうしようもなく、別の日だ。誰にも動かすことのできない、その違い。
     ―お救いください―
    悲しみに震え、
     ―お救いください―
    苦しみに喘(あえ)ぎ、
     ―お救いください―
    辛さにのたうち、
     ―お救いください―
    憎しみに焼かれる。
    『人は揺らぐ者だ、耐えるしかない、全てが薄れ消え去るまでただ耐えるしか』
    だが、忘却こそが救いなのか。
     ―ずっと一緒にいるからね―
     ―待っていたぞ―
    忘れられないこと、忘れてはいけないことに人はどのように向き合えばいいのか。
    ゼネスは眼を上げた。弟子の少女はもう物言わぬ子どもの顔を静かに見つめている。
    彼女の眼は悲しみや痛みにも曇ることなく、短い命の面影を確かに記憶に刻みつけよう
   とするかに見える。
    その姿がまぶしい。まぶしく、遠い。
    『俺はずっと、カードでできることしかしてこなかった。偉そうにあいつに説教なんか
    垂れていい身分じゃない。
     それどころか、師匠ヅラする資格だって怪しいものだ』
    強くなりたい、強さが欲しい。震え、喘ぎ、のたうち、焼かれてもなお、逃げず堕ちずに
   向くべき方向、進むべき道を手探りできる強さを。生まれて初めて、今こそ切実に願う。
    共に歩み共に見て、共に探せるように。
    ―コン、コン。
    控えめなノックの音が響いた。
    「入ってくれ」
    返事をすると静かにドアが開き、ご隠居が顔をのぞかせる。
    「お棺が着きました。出立のご用意をいたしましょう」
    次々に数人の男女が入ってきた。先頭が棺を担いだ男二人、あとは女が四人でいずれも
   腕いっぱいに白い花の束を抱えている。
    花は細くやわらかい花びらをたっぷりとつけ、清楚な香りを放っていた。
    男たちが小さな棺のフタを開けると女たちが次々に花を摘み取り、棺の底に敷き詰めて
   ゆく。花のしとねの上に白服を着せた少年を横たえ、さらにそのからだを覆い隠す。
    作業は手際よく進み、棺の中はたちまち花で満たされた。その中に目を閉じた子どもの
   顔が浮かんでいる。
    最後にフタを閉める前にマヤ、次にゼネスが小さな頭をなでた。
    『生きているうちに一度でも、こうしてやれば良かったな。…すまん』
    彼はただ胸の内につぶやいた。

    男たちが担ぐ棺を先頭に、二人は初めて宿の表戸から外に出た。すると、大勢の人が
   前の通りに並んでいる。師弟が現われたのを見て、彼らは皆いっせいに頭を下げた。
    それは宿屋の一家、働く者たち、そしてほかの宿泊客だった。
    通りの中央に、ロバが引く荷車が一台停まっている。男たちがその上に棺を固定すると、
   人々の間から背の高い男が一人歩み出た。
    その男は白地に金糸の縫い取り模様のある長い服を着て、経典のような書物を携えている。
    「ご僧はもうお呼びしておきました」
    ご隠居がそっとゼネスにささやいた。
    背の高い僧は棺に向かい、例の独特の節回しで祈りを唱えた。周囲の者もその声に唱和し、
   街路に歌声のように祈りの調べが流れ、広がり響いてゆく。
    ゼネスもマヤも目を閉じ、頭を垂れて聞き入った。
    僧は最後にふところから札を一枚取り出すと、棺の上に貼り付けた。
    「良うございました、これで間違いなく御父神様の元に導かれましょう。まことにありがたい
    ことでございます」
    老人はそう言って、僧にうやうやしい礼をささげた。
    「これで全て滞りなくあい済みました。お客様は、もう一度こちらに戻っていらっしゃいますか」
    「いや、送った後そのまま発つつもりだ。
     いろいろと、その…世話になった、本当に」
    そこまで言ったら、ゼネスは声が出なくなった。急にノドが詰まったようになってしまい、
   話すことができない。
    そのままたたずみ、何とか声を出そうとしたら替わりに涙が出た。右目からも左眼からも
   熱い涙があふれ、こぼれて流れ落ちる。
    誰かが彼のマントをぎゅうと引いた。すすり泣きの声がする、マヤだ。
    それを合図に、辺りの人々も一時に泣き始める。
    しばらくして嘆きの声がようやく下火になると、ゼネスはまだ涙を拭いているご隠居にひと言、
    「すまん」と詫びた。
    「何の、子どもを一人亡くすのは、私ども全ての明日の日を一つ失うことではありませんか。
    皆で悲しむのは当然のことでございますとも」
    こうして大勢の人に見送られ、今は棺に入った少年とともに師弟は城塞都市を後にした。

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