「読み物の部屋」に戻る
前のページに戻る 続きを読む


       第6話 「 焦がれる者 (中編) 」 (2)


    再び朝がやってくる。空が白むにつれ、森の中の闇も少しずつ薄まって竜眼がなくとも
   周囲が見定められるようになる。うっすらと朝もやがたゆたう森の木々の枝、その間を、
   甘い香りのする湯気がゆらゆらと広がり始めていた。
    香りの元は、マヤが焚き火にかけている小ナベの中身だ。濃い茶色のとろりとした液体
   を、彼女はさっきから盛んにかき混ぜている。
    「おおっ、そりゃ"ショコラ"じゃねえか、いいもんあるなあ、オイラももらえるんだろ」
    小ナベから香りが立ち昇り始めた頃、ロメロがそう言ってねだった。しかし、
    「だーめ、これはとっときなんだから、元気ない人の薬だよ」
    マヤにきっぱりと断わられてしまった。どうやら少年―ヴィッツの分だけらしい。
    「できた…」
    独り言して、彼女は"ショコラ"をカップに注いだ。それを見て性懲(しょうこ)りも無く、
   またロメロがねだる。
    「なあおい、ひと口だけでもいいから味見さしてくれよ、そんな匂いだけ嗅がしといて
    イジ悪じゃねえか。お師さんだってそう思うだろ?」
    ついに、ゼネスにまで助けを求める。
    「そんな甘いモノなど俺は要らん、女(おんな)子どもの飲み物だ」
    調子のいい男の目論見には乗らず、彼はニベもない返事をする。だが本音では、ロメロが
   言うようにひと口ぐらいは飲みたいものだと思っていた。味は知っているのだ。
    マヤは少し離れた場所に座っている少年のところまで出向き、カップを差し出した。
    「どうぞ、おいしいよ」
    だが相手はそっぽを向く。
    「いい、甘いモノなんかいらない」
    「ゼネスの言ったこと気にしてるの?」
    彼女はチラと師を見やってからにっこりと笑み、
    「あのね、あの人ヘソ曲がりだから、あんなこと言う時は本当は欲しいんだよ。
     君が遠慮なんかしたら、向こうのオジさん二人が喜んで山分けしちゃうけど、いいの?」
    そう言われると、少年の頭が廻ってカップの中身をじっと眺めた。やがて、そろそろと
   手を伸ばして熱い容器を受け取る。唇がゆっくりとカップに近づき、ふうふう吹いてから
   ひと口すすり込む。
    すると、彼の表情がかすかにゆるんだ。
    「ね、おいしいでしょ。熱いから気をつけて飲んで」
    マヤはとても嬉しそうな顔をして、彼の様子を見守っている。
    「なんだよお、その"オジさん"てのは。オイラまだ若いんだぜえ」
    ロメロの苦情などはまるで聞こえないフリだ。そしてゼネスはといえば、オジさん呼ば
   わりより何より、彼女が少年にずいぶんと親切すぎるような気がして、それが何とはなく
   面白く思われない。
    少年が落ち着いてカップを傾け始めると少女はそばを離れ、沢の水でナベを洗ってから
   新たに水を汲み、男二人の元に戻ってきた。
    「皆さんにはお茶を淹(い)れますから」
    ナベをまた火にかけ、いつものように茶の壷を取り出す。
    ロメロはにこやかに、ゼネスはむっつりとして、それぞれに彼女の手元を見ていた。
    「あのさ、思うんだけど…」
    湯が沸くのを待ちながら、マヤは小声で言う。
    「ゼネスとヴィッツって、似てるよね。素直じゃないとことか、"俺には関係ない"って
    言うとことか。だからあんなケンカにもなるんだよ」
    「あー、オイラもそれ思ったな」
    すかさずロメロもうなずく。しかも目を剥(む)いたゼネスに向かい、
    「なあお師さん、あんたヴィッツぐらいの歳の頃ってあんなだったろ、違うかね」
    真顔で訊く。
    ゼネスは、どうも非常に旗色が悪いと焦りを感じた。
    「貴様ら何が言いたい!」
    だが実際には彼は、あの少年を見ていて感じた不愉快の根拠が、一瞬にして腑に落ちて
   しまっていた。他人に打ち解けず、不機嫌と不満の塊(かたまり)と化して、世界の全てに
   対する激しい敵意を燃やす者。―それは正しく、憶えある彼の少年時代の姿に相違ない。
    いや、ヘタをすると今もなお…
    「くだらん、あんなバカと一緒くたにするな」
    ―『俺は関係ない!』―思わずそう言いそうになって、辛うじて口をつぐむ。
    その心中の狼狽ぶりを見透かすかのように、少女と若い男はじいっと彼をうかがっている。
    「言いたいことはね、もうヴィッツに辛く当たらないでってこと。自分に似てるからって
    嫌うのはやめてよねってこと。
     ただでさえあの子、まだ傷口がヒリヒリしてるんだから」
    口を尖らせ、弟子は師に全く遠慮なくズケズケと言う。
    「でもなあ、オイラもあんまし他人のこと言えねえんだよなあ。お師さんと同(おんな)じ
    で、あの坊主見てるとイタいぜ、いろいろと。なあ」
    調子のいい男は苦笑してゼネスにうなずいてみせた。が、彼は返事どころかグウの音も
   出ない気分である。
    「だけど、お父さんが子どもを棄てるだなんて…魔力が少ないからっていうの?どうして
    そんな酷(ひど)いことを…」
    マヤがうつむいてつぶやいた。ヴィッツ少年が持っていたカードは「長剣」一枚きりだ。
    ―「これしか遣えないからってオレを棄てやがった」―
    あの絶叫の意味するところは、もって生まれた魔力が少なくて力の小さなカードしか遣う
   ことのできない息子を、その父親が放逐したという事実に間違いない。
    「ヴィッツんとこは非公認のセプターだろ、奴らは自分たちの魔力とカードだけが頼りだ
    からな、厳しいんだよ。
     自分の子どもの中でも、一番魔力の高いやつだけに強いカードを継がせるのが当たり前
    らしいからな」
    ロメロもため息まじりに言う。が、
    「貴様、イヤに詳しいな」
    ゼネスは聞きとがめた。調子のいい男は再び苦笑いし、頭を掻く。
    「へへ…実はオイラの実家は代々の公認セプターの一族でね。そんなだから、セプターの
    事情には何となく通じちまってんだよ。
     ま、そうは言っても十五ン時に飛び出しちまったからな、最近のことはわからねえや」
    「だったら是非にも聞きたい事がある」
    ゼネスはジロリと相手を見ると、できるだけ重々しい声を作って問い質(ただ)した。
    「公認だの非公認だの、そんなバカげた制度はいつ頃からある。それは、カードを管理
    することが目的なのか」
    これは、彼がマヤに出会ってよりずっと心中に引っかかっていた疑問だ。
    ロメロは視線を斜めに上げ、懸命にいろいろと思い出すかのような顔つきになった。
    「う〜ん、制度が形になってからはもう、百年以上は経(た)つんだろうなあ。実家の
    系図も五代前ぐらいまではたどれるらしいから。
     もともとの始めは、魔力の少ないセプター連中が大きな力を持つセプターに対抗する
    ための集まりだったんだよな。そのうちに権力と結びついて、段々に今あるような形に
    整えられてきたってワケだ」
    「すると、セプター自らの選択なのか。あきれたな」
    竜眼の男は顔をしかめた。だが若い男はそれにはかまわず説明を続ける。
    「まあ…魔力の低いセプターってのは、いつまでたっても浮かぶ瀬がねえからなあ。
     かといって、それでも大半の奴はカードを使うことを止められねえ。何とか強い力を
    持ってるセプターの鼻を明かしてやりたいって一心だったんじゃねえかな。
     でもよう、百年も経って今じゃあんまりやってること変わんねえんだよな。
     長い間には公認セプターの一族にも、高い魔力に生まれつく奴は出てくる。そうすっと、
    強いカードをドシドシ使えるような奴がやっぱり優遇されちまう。もって生まれた魔力
    の高い低いが、そのままセプターとしての序列になっちまうんだ。その点ではどっちも
    同じになっちまってるのさ」
    そう説明し終えると、肩をすくめて見せた。さらに、
    「魔力なんてあんなもの、当たり外れだろう?本人の努力じゃどうにもならねえそんな
    モンでランク付けされちまうんだから、寒い話だぜまったく」
    彼もまた"あきれた"という顔をしてみせる。
    「ゼネス、セプターは魔力が高くないと認めてもらえないものなの?ゼネスはどう思う?」
    うつむいていた顔を上げ、弟子が師に問い掛けた。ナベの湯はとうに沸き立っていたが、
   茶の葉はまだ投入されていない…。
    「それは魔力が高いに越したことはないが、魔力が全てだとも言えんな。
     セプターにとって最も大切なのは、カードの持つ力をどれだけ理解し引き出すか、だ。
    たとえ力が大きかろうと小さかろうと、どのカードでも十全に使いこなしてみせるのが
    真に優れたセプターの条件だ」
    「おー、さすがにイイこと言うねえ、お師さん」
    ロメロが手を打って感嘆してみせる。だがゼネスはふと気配を感じて少年のいる方向へ
   と視線を移した。
    ヴィッツが空になったカップを片手に下げ、数歩近づいてこちらの話に聞き耳を立てている。
    「何だ、盗み聞きか」
    「ゼネス!」
    どうもあの少年の顔を見ると、彼は売り言葉を口にしたくなる。だが、そこにすかさず
   マヤのキツい声が鞭打つように飛んだ。
    しかし少年は顔をゆがめ、ほほを紅潮させてまくしたてる。
    「きさまの言うのはキレイ事だ、長剣やネズミをどれだけ上手く遣ったって認めてくれる
    奴なんかいない、笑われるのがオチじゃないか!
     魔力の高いヤツにオレたちの何がわかる、知った風な口を利(き)くな!」
    次いで手に持ったカップを投げつけようとした。が、寸前で思い止まったように慌てて下げる。
    「ヴィッツ、ごめんね」
    素早く立ち上がり、マヤは怒れる少年に駆け寄った。
    「私たちは誰も、魔力が低いからってバカにしたりなんかしないよ。ゼネスは口が悪い
    からついヒドい言い方するけど、さっきだって君が一人で行くなんてムチャな事しよう
    とするから、止めただけなんだ。
     ねえ聞いてヴィッツ、私はね、セプターはカードを使って何をしたらいいのかってこと
    を、ずうっと考えてるんだよ。なかなか答えが見つからないんだけど。
     君もセプターでしょ、一緒に考えてくれない?」
    彼女は懸命に語りかけた。聞く少年の顔から怒りの色が消え…しかしポカンと丸く口を
   開ける。呆気(あっけ)にとられているのだ。
    「なんだそれ、あんたの言うことはよくわからない…」
    声が小さい。理解できない相手に戸惑っている。
    しばらく困ったようにモジモジしていたが、それでもポツポツと言葉を押し出した。
    「セプターはカードを使って…戦ったり、その…いろいろと自分の思う通りにするんじゃ
    ないのか」
    「思い通りにって、じゃあ君は今よりたくさんの魔力があったとしたら、何をしたい?
    カードを使って何をするの?教えて」
    少女は少年の眼の中をジッとのぞき込んだ。二人の背丈は、少女の方がわずかだが高い。
   首を少し傾げ、近々と顔を差し寄せて親しげに見つめてくる相手を、少年はきまり悪げな
   上目遣いで見返している。
    ややあって、彼は眉をしかめて唇をへの字に結んだ。
    「わからない?じゃもしかして、君をバカにしたっていう人たちを見返したいだけ?
     でも、それだと同じになっちゃうんじゃないの。力を多く持つ人が、少ない人を踏み
    つけにするってことでは同じだよ」
    「それは…」
    彼の視線が少女の顔から離れて宙をさまよい、やがて足元へと落とされる。
    「だからさ、ねえ、少し違うこと考えてみようよ。
     私もホント言って、カードを使って何をするかだなんて、どこからどう考えたらいい
    のか、今まではよくわかってなかったんだけど…
     でも君の話を聞いていて、ちょっとだけど手掛かりがつかめた感じがするよ。それは
    きっと魔力の多い少ないに関係なく、セプターなら誰でもできるはずのことなんだ。
     やっぱり、いろいろな人の話を聞くのって大事だね。君に会えて良かった、ヴィッツ。
    もっともっと話を聞かせて」
    言いつつ、さっさと少年の空いている方の手を取って、彼女はしっかりと握手した。
    『あいつ…やる事が何だかこっちのバカに似てきてるぞ』
    ゼネスは内心あきれていたが、「こっちのバカ」と評された当の男は、
    「おうおう兄ちゃん、手なんか握ってもらっちゃって幸せ者(もん)だねえ」
    ニヤニヤ笑いのつぶやきを漏らし、すぐさま竜眼の男にものすごい形相でニラまれて、
   ぺロリと舌を出したのだった。

    少年はその後少女に手を引かれるままに(と言っても彼は、相手が少女だという事実に
   まるで気がついていない様子なのだが)、焚き火を囲む輪の中に入れられてしまった。
    先ほどのゼネスに食ってかかった勢いはどこへやら、今は所在なさげに身体を丸めて
   小さくなっている。
    そんな彼を笑顔で見やってから、ロメロはマヤに話しかけた。
    「セプターはカードを使って何をする?かあ…
     お前さんは偉いなあ、オイラがお前さんぐらいの頃には、そんな広い目で世の中の
    ことなんて考えられなかったぜ。
     とにかく自分のことで手一杯でさ、それも"食いたい"だの"モテたい"だの、"仲間
    うちでいい顔したい"だのしょうもない欲ばっかり。恥ずかしくてしょうがねえや、な、
    兄ちゃん」
    いきなりそんな話を振られ、少年の顔が真っ赤になって下を向く。
    「そんな、私だって今は一人きりじゃないから考えてられるだけで…」
    マヤもまた、照れたようにほほを染めた。若い男は優しい微笑を浮かべてさらに言う。
    「いやいや、お前さんはどうしても考えちまう性質(たち)なんだよ。どんな苦しい時で
    も、たとえ生き死にの境い目にいる時にでも、疑問をもって考えずにはいられない。そう
    いうことなんじゃないのかね。
     でもそれがきっと、お前さんがここに生きてる証(あか)しなんだろうな。だったら考えな、
    考えて考えて考え抜きな。お前さんのやるべき事をやり抜いてやんなよ、な」
    少女の顔が嬉しそうに、本当に心から嬉しそうに輝いた。
    「ありがとう、ロメロにそう言ってもらえると自信が湧いてくる感じがするよ。
     本当にありがとうね」
    だが、弟子の少女の顔が明るく喜びに満ちた表情であればあるだけ、師であるゼネスは
   なにやら取り残されたような寂しい気分に囚(とら)われずにはいられない。
    ロメロは、マヤに単なる励ましを言っているわけではない。彼自身が彼女の言葉や態度
   に感動を覚えたからこそ、そのままの道を行けと、言わば"祝福"しているのだ。だから
   少女もまた、あんなにも素直に喜びを露(あら)わにする。
    性別も歳も違うこの二人の間に、打てば響くような「共感」が行き交う。そのことに、
   ゼネスは羨望を感じたのだった。
    ―羨望?自身の抱く感覚に気づいて、しかし彼は内心うろたえる。他人に対してこの種
   の羨ましさを思うなど、これまでにはほとんど覚えが無かったことだと。
    だが、にもかかわらず彼は今、このロメロという名の人物の心栄えを羨ましいと思わず
   にはいられなかった。それもセプターとしてだけでなく、一人の人間として、男として。
    ゼネスは、この一両日ばかりのうちに見たロメロの言葉や振る舞いの全てを思い返した。
   そうするうちにこのようなセプターがなぜ、カードを使う際に格段の力を発揮するのか、
   その理由が少しずつ身に染みてきた。
    この若い男に顕著なのは、まずは他人を見る視線の深さ。加えて、他人と接する態度の
   柔軟さだ。そしてロメロは自身のそうした力を、対する相手をしっかりと受け止めるため
   にこそ活用している。
    荒れ狂う少年に呼びかけることも、マヤの精神の高さを称えることも、彼の内にあって
   は多分同じことの表現なのだ。他者を理解し、受け止める―すなわち、「認める」ことの。
    しかも彼はその「認める」行為を、過程も結果もひっくるめて自分の"喜び"として組織
   しているのだった。
    『そんなヤツに、今の俺が勝てるわけがない…』
    ―そう、目の前にいるのは他者を自分だけに都合のいい「手段」ではなく、理解し受け止め
   る「目的」として見出す者だ。ゼネスが彼らに歯が立たないのは、しごく当然の事だった。
    というのも、彼が相手を戦いをもたらす「手段」としてしか見ていなかったのに対し、
   彼らはゼネスをこそ「目的」として、理解し認めるためにカードを使っていたのであるから。
    今彼のそばで少女と少年にほほ笑みかける若い男は、かくも大きな人間だった。反対に、
   ゼネスは自分の存在などいかにも小さくみすぼらしく思えるばかりで、深く恥じ入るしかない…。
    その時、
    「あ、ゼネスの服もう乾いたかな。私、行って見てくるね」
    マヤが立ち上がり、焚き火から離れた。結局、茶葉の入った壷はフタも開けられていない。
   話に夢中になっている間にいつしか、ナベの湯は蒸発してもう残り少なくなっている。
    ゼネスも立ち上がり、ナベを取り上げた。次いで少年に向かって片手を突き出し、
    「貸せ」
    促すと、彼は一瞬敵意のこもった目で見上げたが、すぐに自分の手に空のコップがまだ
   ある事に気づき、慌てて差し出した。
    「あれえお師さん、洗い物ならオイラがやるぜ」
    ロメロが申し出たが、
    「いやいい、俺がやる」
    ゼネスは沢に降り、冷たい流れでカップをすすいでからナベに新たな水を汲んだ。
    今はなぜか、そうせずにはいられない気分だった。

前のページに戻る 続きを読む
 「読み物の部屋」に戻る