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       第6話 「 焦がれる者 (中編) 」 (3)


    少女はなかなか戻らず(多分、矢が突き通した穴をつくろっているのだろう)、その間に
   沸いた湯でゼネスは二人に茶を淹れた。いつも弟子がする通りにナイフで茶葉の固まりを
   削り、沸き立つ湯の中で葉が広がったら火から下ろしてフタをし、蒸らす。その後、三つ
   あるカップ(城街の城外市場で、マヤはカップを買い足していた)に茶を注ぎ分け、勧めた。
    「飲め」
    ロメロはもちろんすぐさま手を伸ばし、「ごっそさん」礼を言ってさっそくすすり始める。
   少年はしばらくためらい、やがて小さい方のカップに手を出そうとする。
    「それはあいつのだ、こっちにしろ」
    ゼネスはもう一方を取って彼の前に置いた。
    「あんたは飲まないのかい」
    またロメロに訊かれたが、
    「あとでいい、それより…
     "ネズミ遣い"のことを知りたい、教えてくれ」
    少年の目を見ていった。
    少年―ヴィッツはしばらくの間、しかめた眉の下から険悪な視線をゼネスの顔に向けて
   いた。が、ふと目をそらすとカップを持ち上げ、茶を一口飲んだ。
    そして小さく一つ息をつくと、話しはじめた。
    「ヤツは…セプターだけど魔力は少なくて…仲間うちの誰よりも少なくて…"ネズミ野郎"
    って呼ばれてたんだ。ネズミのカードぐらいしか使えないから。
     でも、ヤツはそれでも平気な顔してよくネズミを出しては遣ってた。それでオレに言う
    んだ、『ネズミはいいぞ、遣ってみな』って。
     確かにヤツのネズミはものすごくよく動いたけど、オレは嫌いだったんだ、皆にバカ
    にされるなんてイヤだったから。ヤツみたいにはなりたくないって、いつも思ってた。
     二年ぐらい前に急に姿が見えなくなって、しばらくしたらどこかの国の公認セプター
    になったらしいって、風の噂が流れてきたんだ。でも皆んな、"ネズミ野郎に何ができる"
    ってハナで笑って相手にしなかった」
    「"ネズミ野郎"ねえ…ひでえ言い方だな」
    ロメロがつぶやいたが、ゼネスはなおも尋ねる。
    「きさ…いや、お前の父親と伯父とは仲が悪かったのか」
    「…仲がいいとか悪いとかじゃなくて…」
    少年の口は重い。それでも、彼は話すと決心したようだった。言い難いはずの事柄をも、
   その決心が言葉に変えてゆく。
    「オレ達の間じゃ力が全てだから、兄弟の順番よりも大事なことだから…伯父貴のやつ
    はずっと、親父の野郎に頭なんか上がんなかったんだ。
     それで親父の方は…仲間うちでも実力者で有名だったし、家のカードは継いでるしで、
    伯父貴のことはほとんど眼中に無いみたいだった。
     "ネズミ野郎"ってアダ名をつけたのも親父なんだ。いつもアゴで使ってバカにしてた」
    そこまで言うと、彼はさすがに口を閉ざした。無理もない、その伯父の境遇は今後の彼
   自身の境遇でもあるのだ。野(や)にあるセプターの仲間うちに留まる限りにおいては。
    その場の男三人の間にひと時、沈黙の時間が流れた。
    「それでそいつは、人生の一発逆転を賭けて魔力増幅実験に臨んだというわけか。
     なるほどな」
    ようやく、ゼネスが独り言のように小さくつぶやくと、
    「それでヴィッツ、お前さんにこんな事を聞くのは酷なんだけどよ…親父さん達が殺られ
    ちまった時、お前さんは何処でどうしてたんだね」
    ロメロがずばりと尋ねた。
    少年の顔がサッと蒼ざめてうつ向いたが、それでも彼はまた顔を上げ、重い口を開く。
    「あちこち転々としてた。一ト月ばかり前、親父の野郎に"ここを出ろ"と根城を追い出さ
    れてからずっと」
    「それはつまり、あの湿地近辺で活動するセプター連中の中から弾き出されたという事か」
    ゼネスもあえてハッキリと口にした。下手に婉曲な言い方をしたところでかえって相手
   のプライドを傷つける。ここはむしろ事実関係を明らかにしてしまう方が、つまらぬ怒り
   を買わずにすむのだ。
    はたして、少年は一瞬だけムッとしたような不快感を顔によぎらせたが、すぐにため息
   とともに認めた。
    「そうだ、親父に言われた。"お前はセプターである事を忘れろ"と、"生きる世界が違う"と」
    そう言って、じっとゼネスの顔を見つめる。まるで相手が自分の父親そのものであるかの
   ように、悲痛と苦渋に満ち満ちた眼をして。
    「オレは…オレは親父の息子に生まれたからセプターなんだ、親父の力を継いでるから
    カードが使えるんだ。なのにどうして、どうしてそのオレを産んだ親父に見限られなきゃ
    ならないんだ。
     オレがここに居るのは間違いなのか、あの親父の息子に生まれたのが悪いのか、親父
    が望むだけの力を持たずに生まれたのがいけなかったのか。
     あきらめられないんだ、セプターである事を捨てたくないんだ、オレはずっと、ずっと
    親父の息子だって事が嬉しかったのに…!
     でもオレがそう言ったらあの野郎、この"長剣"のカードを叩きつけてよこしやがった。
    "お前はこいつと一緒だ、あっても無くてもかまわないヤツだ"って…。
     それでオレは、根城を出たんだ」
    青白かった顔が言葉を連ねるほどに赤く紅潮してゆく。視線が突き刺さる。悲痛と憎悪
   と、愛惜とが縒(よ)り合わさった烈しい視線がゼネスにまともに突き刺さってくる。
    『なぜ、そんな眼で俺を見る…!』
    触れただけでも血潮がほとばしり出そうな鋭さに、彼はつい眼をそらしたい気分になる。
    だが―、
    『逃げてはダメだ!』
    強く踏みしめるように心を構え、干からびそうなノドを、唾をひとつゴクリと飲んで湿す。
   そうして、答える。
    「誰の息子かじゃない、大切なのはお前がセプターでいたいかどうか、どんなセプターに
    なりたいかだ。
     自分の進む道は自分で決める、それが一人前のセプター、一人前の人間だろうが」
    「オレは…」
    少年の眼から鋭さが消えた。悲しみの色が強まり、視線を落としてじっと地の上を見る。
    「ガキの頃には親父みたいになりたいと思ってたんだ。親父は、嵐の巨人もヒドラ(七つ首
    の水竜)も同時に三〜四体は使えるほどのすごいセプターだったから。
     でも、そのうちにはオレにだってわかる、自分の限界ってやつが。親父が持っていた
    クリーチャーのカードを、オレは一枚も使えないんだ。嵐の巨人やヒドラはもちろん、
    リザードマン(人型爬虫類)もジャイアント・リーチ(巨大ヒル)も。
     弟は、オレより四つも下の弟はどれも自由に使えたのに」
    彼の顔に、次第に嫌悪の色が広がりはじめた。自らへの嫌悪が。
    「結局、出せるのはこの長剣だけだ。それなのにオレはセプターでいたい、このカード
    を捨てられない。
     根城を追い出されて口惜しくって、親父も弟も他の奴らもみんな憎くって、…でも、
    一番イヤなのは自分だ。こんな中途半端なまんまであがいてる自分自身が、他の誰より
    よりもイヤでしかたない。
     そんなこんなでフラフラしてるうちに、傭兵をやってたっていうじいさんに拾われて
    良くしてもらって、少し落ち着いた。
     でも急に、その国の兵隊の奴らが逮捕状もって押しかけてきやがって、番所に連れて
    かれちまった。でもそこで初めて知らされたんだ、親父と弟が殺されたってことを、
    殺ったのが伯父貴だってことも」
    ゼネスは黙って静かに少年の話に耳を傾けていた。ここで語られている口惜しさや切な
   さ、あるいは自身に対する情けなさはあまり他人事ではない。いや、むしろ彼の身にも
   つまされすぎる。
    ロメロも口をはさまずに聞いているところを見ると、同じ気分を味わっているようだ。
    「あの親父が伯父貴に殺られたなんて、今でも信じられない。だから確かめたいんだ、
    伯父貴を見つけて。あいつが親父のカードを持ってれば、それは本当の事になる。
     もし伯父貴が殺ったんだったら、親父や弟がどういうふうに死んだのかを、ヤツの口
    から直接聞きたい。ヤツとどうケリをつけるかは、それで決める。
     これからどう生きたらいいかなんて、全然わからない。でもその事を確かめないうち
    は、オレは宙ぶらりんのままみたいな気がする。だから、とにかく行かせてくれ」
    「ヴィッツ、わかったよ、君のやりたいこと。私たち応援するから、とにかくその伯父
    さん―オズマって人を捜そう。…いいでしょ、ゼネス、ロメロ」
    いつの間にか戻ってきていたマヤが、男二人の後ろから出てきて声をかけた。
    「オイラはかまわねえよ、人助けってのはいつだっていいもんだ」
    とロメロ。
    「俺はあのネズミの集団への対抗策を考えたい。知っていながら黙って見過ごすのは、
    どうにも業腹だからな」
    ゼネスも否やはない。
    「二人ともありがとう。聞いたよね、ヴィッツ。だからもう、一人で行くなんて危ないこと
    言わないでね」
    「でも…親父ほどのセプターが敵わなかったんだぞ。番所の兵隊も食い殺されたって、
    そこのあんたなんか自分の眼で見たんだろう、本気で言ってんのか」
    片眉をひそめた信じがたいという顔で、少年は三人を見回した。が、少女は笑顔で請けあう。
    「心配いらないって、私たち、君が思ってるよりも役に立つんだから。君のことも、
    番所から助け出せたんだしね。それにみんなで考えればきっといい知恵も出るよ。
     ―あ、ゼネスの服、乾いたから。はい」
    ついでに、師の服を手渡した。
    「さて、―となるとまずは情報だな。この辺りでセプターの動向に関する情報が拾える
    場所といったらどこだ、知ってるか」
    渡された衣服を手早く身に着け、ゼネスがロメロに尋ねる。調子のいい男の唇の端が、
   ニヤリと上がった。
    「そうさなあ、そりゃあやっぱり、湿地の"盗人街"だなあ。ヴィッツもそこ行くつもり
    だったんだろ?」
    少年は小さくうなずいた。しかし師と弟子には初耳だ。
    「何だ、その"盗人街"というのは」
    竜眼の男が聞き返すと、若い男は再びニヤリと笑う。
    「あの湿地の真ん中辺に、いつの間にか出来あがった街さ。盗人だのサギ師だの非公認
    のセプターだのが集まっちゃ、持ち寄ったブツや情報を交換するためにね。
     もちろんそこは、どこの国の力も及びやしない。完全に自由で、生きるも死ぬも自分
    の責任て場所(とこ)だ。大っぴらには扱えねえはずのモノ―たとえばカードや裏の事情
    なんかも、売り買い自由さね。
     そんなだから、あちこちの国から諜報員なんかも来てるって噂もあるぐらいだよ。
     法を敷(し)き秩序を立てる側からすりゃあいまいましい場所だろうが、無けりゃ無いで
    困る裏回路。てなことで、半ば黙認されてるんだな。
     そこ行きゃあきっと、ネズミ遣いに大量のネズミのカードを売ったヤツが居るはずだぜ」
    「ふむ…なるほどな。ここからだとどれぐらいかかる?」
    距離を確かめると、
    「歩いて丸々二日ってとこだな」
    その答えにうなずき、ゼネスは皆の顔を見渡した。
    「どうやら最初の行き先は決まったな。だが、ネズミの群れがいつ押しかけて来るとも
    限らない。移動は夜に回し、休み時間はできるだけ明るいうちに限った方が安全だろう。
     ということでまずは睡眠だ、一人ずつ交代で見張りをしながら休もう。まずは…」
    「オイラがやるよ、お師さん」
    ロメロが手を挙げた。
    「あんたは大分疲れてるはずだ、たっぷり寝てくれよ」
    いかにも彼らしい気遣いを見せる。ゼネスは軽く目礼して謝意を表した。
    「ありがたい、それでは休ませてもらう。他の二人も早く寝ろ」
    日が高く昇った山間(やまあい)の林の中、一行四人は薄暗いヤブ下に隠れて休みはじめた。

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