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       第6話 「 緋の裳裾 (後編) 」 (2)


    二人は余計なおしゃべりは控え、精一杯の早足で黙々とキャンプ地を目指した。一難が
   去り、今度は一人で待っているロメロのことが気遣われる。
    『俺の姿が突然消えたとなれば、監視役も驚いてすぐさま村の奴らに知らせただろうな。
     むむ、問題は誰が来るかだ。慎重な奴ならいきなり攻撃などしないはずだが、血の気
    の多い奴だったら何をするかわからない。あいつ(ロメロ)がうまく言い抜けしている
    ようならいいんだが』
    心急くままに、ゼネスは左の竜眼に神経を集中させて目的地を望み見る。
    すると――やはり何やら数人の影がうかがわれるではないか。
    「おい、先に行ってるぞ!」
    今のところ、人影どうし争うような様子は見えない。だが、彼は弟子に告げてまた走り
   出した(同時に、解呪も唱えて姿は現す)。
    そうして息せき切って駆けつけてみれば、ロメロの前に立つ男が三人。その真ん中にいる
   のはまたしてもロォワンである。
    彼はさすがに疲労の色をにじませていた。が、やって来た竜眼の男を見る眼は鋭い。
    ゼネスはその彼にあてつけるようにニヤリと笑った。
    「ほほう、お揃いだな。俺たちに何か用か」
    わざと空とぼけて尋ねる。若者の唇がいまいましげにゆがめられ、数歩ばかり進み出た。
    彼と共に来ていた二人の男(いずれも、ロォワンより歳若に見える)も、さっと両脇を
   固めてよそ者に相対する。
    「貴様、いままで何処へ行っていた!」
    難詰の声が飛ぶ。押し殺したような声音に、彼の苛立ちと苦衷とがにじんで感じられる。
    「これはまたずいぶんと機嫌の悪いことだ、しかし文句のタネならこちらにもあるぞ。
     俺は歌手二人の用心棒だと言ったろう。お前らも承知の通り、ついさっきまでこっち
    側の一人が危うい目に遭っていた、様子を見に行くのは当然というものだ」
    胸を張り肩をそびやかして、ゼネスは答えた。左足を踏み出し、竜の眼で三人を見据える
   ――という態度も忘れない。
    「幸いなことに、お前の説得が功を奏して俺が手を出さずとも騒ぎはおさまった。
     しかしそれもこれも、俺が貴様らをあまり刺激せんようにとこの姿を隠し、ギリギリまで
    割って入ることを我慢したからこそだ。
     その気になりさえすれば、あの時家の前にいた奴らの全てをなぎ倒し、連れも姉弟も
    ひっさらって脱出するなど俺にはたやすいことだった。それをしなかったのだから、貴様
    らにはむしろ礼を言われてもいいぐらいだな」
    この尊大な物言いはもちろん、相手方の気分を大いに害した。
    「何だと、言わせておけば勝手なことを!」
    「貴様一人に遅れを取る我らではない!」
    両脇の二人がいきり立つ。しかし彼らを手で制してロォワンが口を開いた。
    「貴様はそう言うが、そもそもの騒ぎの元は何だ、貴様の余計な行いではないか。
     なぜ我々の村の者に手を出した!」
    若者の顔は憤怒に紅潮し、声も身体もわなわなと震えている。しかし先ほどの彼と姉娘
   とのやりとりを見てしまったゼネスとしては、しごく冷静に相手の心中を推し量ることが
   できた。
    『こいつ、姉娘には直接ぶつけられない自分の不満を俺にぶつけようというのだな。ふん、
    青二才め、そんな精神状態のまま俺にケンカを売ったところで勝てるものか」
    鼻の先で笑いたいような気分になったが、これ以上若者たちを怒らせると本当に戦いに
   突入するとも限らない。
    そこで彼は顔を引き締め、一人のセプターとしての疑問を彼らに披瀝することにした。
    「お前は、俺があの娘とカードの戦いをしたことが気に入らないようだな。
     しかしセプターとしての力を高めるためには、優れた相手との対戦の経験は欠かせない
    はずではないか。
     俺は単に、強いヤツと戦(や)り合うのが好きなだけだ。技を磨き、知恵を蓄え、胆力
    を養えるのはただ、真剣勝負の場においてだけだからな。
     それにしても、あの娘の腕前は見事だった。俺はずい分強いヤツらと渡りあってきた
    ものだが、その中でも指折りだ。
     だからこそ、俺はむしろお前らに問いたい。なぜお前らは彼女があれほどのセプター
    だと知って、まず"戦いたい"と思わない?俺だったらこんな所まで出て来て難癖を言う
    ヒマがあるなら、さっさと対戦を申し込んでいるがな。
     それとも何か?自分たちの仲間うちだけで仲良く力比べをしていればそれで満足なのか?
    もしくは、女と戦って負けでもしたら沽券に関わるとでも思っているのか?
     つまらん、全くもって馬鹿々々しい、向上心に欠けることおびただしい奴らだな」
    とうとうと一方的に語るゼネス、両脇の若者らがついにたまりかねたように叫ぶ。
    「貴様、ヨソ者のくせに我らに口を出すな!」
    「そうだ!我らには我らの流儀がある、何も知らぬ貴様にとやかく言われる筋合いなど
    無いのだ!」
    二人とも鼻をふくらませ目を怒らせて竜眼の男をにらみつけている。――が、その間に
   いるロォワンはただ黙っている。
    彼の顔つきは今や、初めの頃よりもさらに苦しげだ。怒りの色は薄れ、替わりに大きな
   苦痛に耐える者に似た声なき呻吟(しんぎん:苦しみうめく)の気配が浮いてきている。
   「葛藤」の表情である。
    先刻ユウリイに投げつけられた言葉、そして今またゼネスに説かれた言葉がないまぜに
   なって、若者を揺り動かしているに違いない……ゼネスはそう踏んだ。
    この機とばかりさらに言葉を継いで相手を圧倒しさろう――と口を開きかけた、その時、
    「なあ、兄ちゃん」
    この場の誰とも違う、温もりある声が掛かった。ここまで静かだったロメロである。
    ロォワンは振り返った。
    「兄ちゃんよ、お前さんが守りたいものは何だね。今のままのあんたで守れるものかね、
    それとも、あんたが変わらなくっちゃ守れないものの方かね。
     よっく考えてごらんよ。なあ、損も得も見得も抜きにして、本当に大切な、一番守り
    たいものは何なのかって。失くしたら死ぬほど後悔するのはどっちなんだって――さ。
     まあ、でも決めるのはあんただ。だからオイラはこれ以上は口出ししないよ。あんた
    の出した"答え"に文句つけるつもりもないし。うん、そこんとこは気にしないどいて
    くれや。
     ああ、それとオイラ、ウソなんかついちゃいなかったろ。用心棒の先生はうちの女の子
    を迎えに行ってるだけだって。あんた方は疑りまくってたけど」
    そこまで言って、彼はニヤリとあの人なつこい笑みを見せる。
    「オイラ達は、あんた方に含むところなんてこれっぽっちもねえよ。ただあのツァーザイ
    って子の音楽の才があんまり素晴らしいもんだから、できれば大きな街に連れて行って
    きちんと勉強さしてやりたいって思ってるだけでさ。
     そこんとこ何とか、信じてやっちゃくんねえもんかねえ」
    愛嬌あふれる男はまことににこやかに、そしてしごく友好的に語りかけた。と、対する
   三人の若者たちの険しかった表情に、かすかな"揺らぎ"が揺れ始める。とまどうような、
   恥らうような微妙な綾(あや)が。
    そこへ丁度、遅れて来たマヤも到着した。
    「あの、ロォワンさん、さっきはユウリイのこと助けてくださってありがとうございました」
    まだハァハァと息を弾ませながらも、少女は礼儀正しく背すじを伸ばして頭を下げる。
    「私……何もできなくて、ただお家の中で隠れてどうしようってオロオロしてるばっか
    りでしたから、本当に助かりました。
     ユウリイも、あんなこと言ってたけどきっと同じだと、あなたに感謝してると思いますよ」
    少女にそう言われ、若者の顔が一気に赤くなった。姉娘とのやりとりを持ち出されては、
   彼には大変部が悪い。
    「別に、俺は助けに入ったつもりはない、村の中で騒ぎを起こしたくなかっただけだ」
    慌てた様子で訂正したが、表情からはもう怒りの熱は完全に失われたように見える。
    「あんた方が村にとって危険でない者だと言うなら、とにかく余計な手出しは謹んで
    もらいたい。そうしてくれるなら、水を汲んだり食を分けるぐらいは黙認できる。
     ツァーザイのことは、俺から長に話しておこう。あいつはまだ子どもだから、許しは
    出るんじゃないかと思う。
     だがユウリイは別だ、彼女が村から出ることはとても難しい。もし彼女が家のカード
    を全て村に納めるというなら、少しは事情も変わってくるかも知れないが……いずれに
    しろ難しいということは心得ておいてくれ。
     俺が今あんた方に言いたいことはそれだけだ、疑ったのは悪かった。
     ――帰るぞ。
    ロォワンは他の二人に声を掛けて促し、自分はスタスタと村の方角に足を運び始めた。
   若者二人は顔を見合わせたが、不服そうな様子は見せずに素直に従う。
    こうして、三人の影は速やかに遠ざかった。
    「ああ、行っちまったか……。
     聞いたぜ、昨日の対戦のせいでお姉ちゃんが文句つけられて、ねじ込まれちまったん
    だって?――まったくもう、了見の狭い奴ばかりだねえ。カード持ってるセプターなら、
    力試しの戦いぐらい誰だって普通にやってんじゃねえか。
     しかしまあ兄ちゃん、確か今日の昼過ぎぐらいに帰るんじゃなかったかい。予定より
    お早いお帰りだね」
    額に手をかざし、爪先立ちして村の方を望み見ながらロメロが言う。すると、
    「そうだよね、きっとユウリイのことが心配で早く帰ってきたんだよ、あの人。
     あ、そうそう、ねえ聞いてロメロ。ユウリイはね、ツァーザイと一緒に村を出るって
    決めてくれたんだよ」
    マヤが姉娘の決意を伝えた。それを耳にして、
    「ほぉ、そりゃあ良かった、幸い転じて福と成す、かもな。いやもう、あの娘はそうした
    ほうが人生開けるってもんだよ」
    いかにも嬉しそうに相好を崩すロメロ。が、マヤはやや心配そうだ。
    「でもそれでねえ、彼女はやっぱりロォワンと、どうしてもカードの対戦をするつもり
    みたいなんだよ。気持ちはわかるんだけど、ロォワンの方で受けてくれるのかなあ」
    姉娘を気遣う弟子に、ゼネスは薄く笑ってみせた。
    「それなら大丈夫だ、ヤツにはさっき俺がハッパをかけておいた。
     セプターであるならば、己れの力を高めるために優れた相手との対戦を望むのは当然
    だろう、女と戦うことが沽券にかかわるなどとは、向上心の無い奴の言い草だ――とな。
     ヤツにセプターとしての気骨があるなら、ここまで言われて受けないハズがない」
    彼は得意満面で胸を張り、この言に弟子も必ずや感心してくれるものと信じていた。
    ところが……当の少女は片眉を上げた微妙な上目使いで師を見やる。
    「へえ、そんなこと言ったんだ、ゼネスは。
     それ、正しいなとは私も思うけど、でもゼネスが実際にやってることはちょっと違う
    よね。あなたは"向上心"関係ないもんね、身体も気持ちもカッカッと熱くなれればそれ
    でいいんだもんね。
     そっちの方はどうなの?それも"当然"なの?」
    予想とは全く反対のことを言われた。彼は唖然として言葉を失った。
    『こいつは……』
    彼女の目は、『あなたは空っぽじゃないですか』と確かに言っているような気がする。
   そしてロメロに至っては、腹を抱えて笑ってさえいる。得意など何処へやら、ゼネスは
   この場からすぐさま消えたくなった。
    「ははははは……こいつは一本取られたなあ、お師さん。まあオイラは、あんたのそう
    いうトコも結構好きなんだけどね」
    そう言われても少しもなぐさめられた気分にはなれず、彼は穴があったら入りたい慙愧
   の念にひたすら耐えるしかなかった。

    その日の午後はそのまま、何事もなく過ぎた。
    マヤは昨夜「できるようになる」と宣言した通り、この午後いっぱいを騎士と大剣による
   "突き"の稽古に費やした。もちろん、ゼネスがその指導役である。
    方法としては、さすがに最初から大剣を片手で扱うことは無理であるため、まずは左手
   を添えながらごくゆっくりと基本の "突き "の動作を反復する。
    両脚を踏みしめての重心移動のタイミング、そしてヒザと腰の使い方。一つ一つの動作
   のすみずみにまで意識を集中させながら、入念なチェックを繰り返す。
    そうして、少しずつ「自分の動き」を模索し作り上げてゆく。
    「 "動き"というのものはイメージで決まる。だから新しい動きを獲得するためには、
    新しいイメージが必要だ。
      "突き"の一連の動作をいかにムダなく円滑に行うか、今こうしてチェックしながら
    まずは自分の動きを頭の中で作り上げてみろ」
    通常の"両手突き"では、効き足の踏み込みと曲げた腕を伸ばす力とで剣を"押し出す"形を
   取る。
    一方で"片手突き"は、そこに腰のひねりというバネがもう一つ加わり、つまりそれだけ
   動作が速度を増す。さらに攻撃時には体側を斜めに伸ばすため、剣の届く範囲も広くなる。
    ただし、安定性の面では両手より片手が劣ることは否めない。そこへ持ってきて思い大剣
   を使用するのであれば、身体の動きと剣の重量との均衡をいかに巧みに調節できるかがカギ
   となってくる。
    「剣に振り回されるな、効き手でしっかりコントロールして、逆に重さを利用するんだ。
    ――おい、言ってるそばから右のヒジが下がってるぞ、しかも肩にも腰にも力が入り過ぎ
    じゃないか、そんなザマではスムーズになぞ動けるわけがない」
    平原の空と大地の間(はざま)で、ゼネスの厳しい助言の声が飛ぶ。その指摘に従いつつ、
   マヤの騎士が黙々と剣を突き出す。師弟の鍛錬の時間は、太陽が地平線に間近くなるまで、
   時おりわずかな休憩をはさむ他は少しも止むことが無かった。
    そして夕暮れに至り、
    「よ〜し、今日はもうこれぐらいにしておくか。
     初めのうちに比べればまあまあ格好だけはついてきたようだな、よく頑張った方だろう」
    赤みの増してきた光の中で、師は本日の稽古の終わりを告げると共に、心持ち表情をゆる
   めて弟子の努力を褒めた。
    「はい!」
    少女も輝かしい笑みを返す。彼女の顔が赤いのは多分――熱心な稽古と夕陽のせいだ。
    さらに、
    「長い時間のご指導、ありがとうございました」
    きちんと背すじを伸ばして深々と腰を折り、彼女は師への礼の姿勢をとった。
    こんな時のマヤの振る舞いはまことに弟子らしい恭順と丁寧さに満ちあふれ、ゼネスは
   ついつい(うかつにも)師であることの満足感を噛みしめずにはいられない。
    「ふうー、お二人さんとも今日はまた一段と熱が入ってたなあ。
     あんた方の稽古はいつ見ても面白いけど、今回に限っちゃすごい集中でオイラひたすら
    ジイッと固唾を呑んで見入っちまったよ。
     昨日のお姉ちゃんの騎士は、やっぱそれだけ刺激的だったちゅうことかね」
    ロメロが肩や腰を回しながら声を掛けてきた(あまりに同じ姿勢で見学しすぎて、体が硬く
   なってしまったらしい)。
    「うん、だってあんなすごい騎士に遭っちゃったら、私だって頑張らずにはいられないよ、
    ロメロ。少しでもユウリイに近づいて、ユウリイが見てるものを私も見たい。
     でも、私はこうやってゼネスに付ききりで教えてもらえるけど、彼女はお父さんの騎士
    を見てただけであとは全部、自分の独学で"片手突き"までできるようになったんだよね、
    すごいなあ。ねえ、ゼネスもそう思うでしょ」
    マヤは若い男に応えた後、首を回しざま師をも話題に引き入れようとする。
    もちろん、ゼネスも賛同するにやぶさかではない。
    「ああ、そうだな。あいつは本当に偉いヤツだ。
     あの逆境の中で己れを貫き通す強い意志といい、騎士を的確に動かすイメージの力と
    いい、いずれにしろ並々ならぬセプターだ、あれ(彼女)は」
    彼は今や、姉娘に対してかなり高い好意を抱くまでになっていた。(むろん、その大半は
   セプターとしての好意である)。
    「――で、その話題の主だが、今日もそろそろ来たようだな」
    村の方角を見透かしながら、ゼネスはひとりごちるようにつぶやいた。左の竜の眼に、
   夕暮れの平原をこちら側に歩いてくる二人と一頭(馬)の影が映っている。
    昨日と同じように、二つの人影はしっかりと互いの手をつないでいる。彼はなぜか急に、
   胸の内を強く締めつけられるような苦しさを感じた。

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