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       第7話 「 緋の裳裾 (後編) 」 (3)


    マヤとロメロに出迎えられてあれこれと手短かな会話を交わした後、姉と弟は二人並んで
   ゼネスの前に立ち、深々と頭を下げた。ツァーザイも今日ばかりはえらく神妙な顔つきを
   している。
    やがて、静かに顔を上げると姉娘が一歩進み出た。
    「竜眼のセプター様、お願いがあります。
     ――私は明日の早朝、ロォワンとカードの戦いをすることになりました。場所は、今
    皆さんがいらっしゃるここです。
     あの人が、できるだけジャマが入らないようにするにはここしかないだろうと、そう
    言いまして、私も従うことにしました。
     それで……あの、実はあなた様に戦いの"判定人"をお願いしたいのです。村の人たち
    には内緒のことですから、他の方にはお頼みできません、お受けくださいますでしょうか」
    緊張に強張る顔の中で、緑の瞳が一心にゼネスを見上げている。彼はかすかに口の端を
   上げて笑みを作ってやった。
    「否やはない、俺で良ければその"判定人"とやら、務めさせてもらうとしよう。
     ただし俺がその任に就く以上、これから当の戦いが終わるまで、お前に対して助言の
    たぐいは一切できない。公平を期すためだ、わかるな」
    努めておだやかな声で言い聞かせる。娘の顔がようやく明るくなった。
    「それはもちろん、承知の上でございます。感謝いたします、竜眼のセプター様」
    彼女はもう一度、丁寧にお辞儀をした。姉の行為を見て、弟もまた慌てて頭を下げる。
    「さあて、そうと決まったらもう堅苦しいあいさつは抜きにしようや、お姉ちゃん。ほれ、
    ツァーザイも頭ァ上げた上げた。
     オイラもう腹ペコだよ、今晩は何作って持ってきてくれたんだね?待ちきれなくって
    さあ、あんた方の顔見た時から腹の虫が騒いじまっておさまらねえ」
    調子のいい男がおどけた様子で腹をさすってみせると、ユウリイもツァーザイもマヤも、
   ゼネスさえもが声をたてて笑ったことだった。
    ――さて、その日の夕餉はひき肉と野菜の煮込みだった。例の蒸しパンに切れ目を入れ、
   各々好きなだけ挟み込みながら食す。少し辛めの味付けで酒が欲しくなるようだったが、
   そこはさすがに茶で我慢だ。皆々、いつものようになごやかに腹を満たした。
    だが食事が済んで茶のお替わりがゆき渡ったあたりから、どうもお互いの口数が少なく
   なってきた。
    なにしろ、ユウリイの顔が曇っている。彼女はマヤが淹れてくれた茶のカップを両手で
   支えたまま、思い詰めた様子の、それでいてどこをも見ていないような目をして、焚き火
   に顔を向けて座り込んでいる。
    昼間は確か「お話したいことがあります」と言っていたはずだが――と、ゼネスは気に
   掛けていた。だが彼女が言い出そうとしない以上、強いて尋ねるわけにもゆかない。
    マヤもそしてロメロも、あえて今のこの場の"止まった"雰囲気に耐えながら、ユウリイ
   に口を開く勇気が蓄えられるのを待っている。
    そう、聞き手の三人は、彼女がこれから何か大切な話をしようとしている事を十二分に
   感じているからこそ、余計な口出しを控えているのだった。
    だが、
    「あの、ロメロさん?」
    「何だね、お姉ちゃん」
    ユウリイがまず口にしたのは、他人への問いだった。
    「ロメロさんは、セプターなんですよね」
    「ああ、オイラはセプターだよ、確かに。といってもカードは持ってないしもう何年も
    使っちゃいないし、これからも使う気はないセプターだけどね」
    以前ゼネスに答えた時と同じく、何の屈託もないひょうひょうとした調子で彼は謂う。
    「はい……それは弟からも聞いてます。
     それで、あの、どうしてロメロさんはカードを持たないでいようって決められたんですか」
    遠慮がちに、それでも相手の顔をじっと見つめながら姉娘はさらに問いかける。
    「そうだね、私もまだそのことは聞いてなかったね。何となく、ロメロがそうしたいなら
    いいじゃないって思ってたけど。
     でももし話してもらえるんだったら、興味あるな、私も」
    マヤも身を乗り出した。
    「う〜ん……」
    若い男は苦笑いしながら二人の少女の顔をかわるがわる見て、頭を掻いた。彼の顔つき
   は"話し難い"というよりは"照れくさい"様子に見える。
    「それがさ、白状しちまうとオイラの流儀の大元は"ひいばあさん"なんだよ」
    「ひいおばあさん?どんな方だったの」
    マヤが小首をかしげた。
    「前にオイラの実家は代々の公認セプターだっつったろ。それ実はお袋の家の方なんだ、
    親父はセプター能力を見込まれて婿入りしたクチで。
     ほんでもって、お袋の実家の屋敷てのがやたらにデカかったんだ、そりゃもう、中で
    迷子になるくらいに。
     オイラ、確か八歳かそこらだったかな。お袋の実家に寄せてもらった時、デカい屋敷
    の中を探検したくなって一人でチョロチョロしててさ――それで、遭っちまった」
    「お祖母さまにですか?」
    今度はユウリイが訊く。
    「いや、そン時はまだそれが自分ちのひいばあさんだなんて、オイラ知らなかった。
     あちこちいろんな廊下やら階段やら通り抜けて、ずい分奥深いとこまで来たなあって
    感じでいたら、ヘンな部屋があんのを見つけたのさ。戸の替わりにえらく頑丈な鉄格子が
    はまった部屋をね。
     その中に婆さんが一人居た。ものすごく歳取った、しわくちゃに縮かんだ大変な婆さんがね」
    彼の語る話に、少女たちだけでなくいつしかゼネスも引き込まれていた。広大な屋敷の
   奥深い一隅、閉じ込められているかの如き一人の老婆。
    「オイラ、恐いもの見たさでのぞいて、思い切って声掛けてみたんだよ。そしたら婆さんが
    ゆっくり顔を上げて目を開いて――オイラを見て言ったんだ。
     『よく来たね、ずっとお前を待っていたよ』
    てね。しわがれてたけどハッキリした声だったな。
     ビックリしたよ、そりゃあ。でもその声を聞いたとたん、不思議とあったかい光が射して
    くるような感じがしてね、オイラ無性に嬉しくなっちまった。それで言ったんだ、
     『こんにちは、お婆さん、何かお話してくれる?」
     ――昔話を聞くのが好きだったもんで、オイラ。そうしたら婆さん、ニッコリ笑って
    いろんな話をしてくれたよ。すごく古い言い伝えやカードやセプターの話を、いくつも。
     面白くってね、もう夢中になって聞いたな。それからはその屋敷に行くたびにこっそり
    婆さんの部屋に行くのが決まりになっちまった。
     まあ、なんかワケありっぽいとは子ども心にも感づいちゃあいたから、鉄格子の部屋
    に居る理由だけは聞かなかったけどね」
    「古い言い伝えやカードやセプターの話……それでロメロ、いろんな事知ってるんだ。
     そのひいおばあさん、もしかして今もお元気?」
    マヤが尋ねた。が、ロメロは静かに首を振った。
    「亡くなったよ、オイラが十歳の年に。
     冬の寒い晩だったな。屋敷からお袋に急使が来て、何だって聞いたら『大祖母さまが
    亡くなられたのよ』なんて言う。
     ヤな予感がしてさ、一緒に行かしてもらったら棺の中に寝かされてんのがあの婆さん
    じゃねえか、頭なぐられたみたいにガツンときたね。
     でも、それでようやくその人が誰なのかがわかった。
     オイラ達の曾祖母、ミリア=ソレルだったんだ」
    「ミリア=ソレル!!」
    マヤもユウリイも一時に声をあげた。二人ともに大きく目を見開いた驚愕の表情である。
    「ミリア=ソレルって――大賢者ミリアさまですか」
    姉娘が両手で口を覆った。マヤも、
    「私も知ってる、だって"大賢者"の称号を持ってるただ一人のセプターなんだもの。
    山を動かしたり河の流れを変えたり、海を陸地にすることも簡単に出来た人だって。
     でも……もう何十年も前に亡くなったはずなのに」
    ひたすら驚く少女たちを前に、若い男は厳かな、そして寂しげな顔となった。
    「確かに、表向きは五十半ばで死んだことになってる。でも生きてたんだ、ずっと。実際
    には百と十七歳になるまで。
     後でお袋から訳を聞き出したよ、それはこういうことだ」
    ひとつ息を大きく吸い込み、気持ちを整える。そして彼は続ける。
    「五十半ばに差しかかったミリア婆さんは、ある日突然『もう出仕はしない、気ままな
    旅に出たい』と言い出して王様の御前に出ることを止めちまった。
     王様の方じゃビックリさ。彼女がそんなこと言い出す理由が全然思い当たらないし、
    何より自慢の臣下だ。それで"再考せよ"としきりに使いを送るんだけども、婆さんは
    いっかな聞かない。
     『ひらにお許しを。私めはもう老いぼれました、この上は心のおもむくままに過ごし
    とうございます』の一点張りだ。王宮では困って緘口令(かんこうれい:口外することを
    禁ずる命令)を敷いた。
     なにしろ"大賢者"と呼ばれるほどのセプターだ、たとえカードを持たなくても他所の
    国に流出なんぞされたらたまらない。しかもミリアの一族からは何人も政治向きの要職
    に就く輩が出てる。この扱いをどうするか、内々ずいぶん頭を悩ませたらしい。
     ――で、そうこうするうちにミリアの五人の子ども達から連名で届け出があったんだ
    そうな。
     『私どもの母は"物狂い"となりました。これ以上国の御役務めは果たせそうにありません、
     今後は彼女を屋敷内に閉じ込めおくことといたします』
     で、結局その案が採られたワケだ。表向きは大賢者ミリアは急な病に臥せり、ほどなく
    死んだという事にしてね。
     でも生きてたんだよ、婆さんは。その後の六十年ばかりを、あの小さな薄暗い部屋で」
    ロメロはひと時沈黙し、目を閉じた。他の四人も寂として声をたてない。
    「でもなあ、そんな長い間閉じ込められてる人には見えなかったよ、ミリア婆さんは。
    いつも悠々としておだやかに笑ってて、まるで天井や壁の向こうに空を見てるみたいな
    感じだった。
     いや、本当にそうだったのかも知れない。彼女は城のお堀の外側からでも、城内の倉庫
    にあるカードの力を引き出すことができたセプターだったそうだから。
     みんなわかってたんだよな、きっと。大賢者なんていう身分になってしまった以上、
    自由を求めようと思ったら、それはもう自分の内側に見出すしかないんだ。だからこそ
    出仕を止めて幽閉される道を選んだんだろうな。
     ――それでこっからが肝心な話なんだけど、最後に婆さんに会った時、実はオイラ愚痴
    っちまったんだよ。
     『何でカード使えるヤツと使えないヤツとがいるんだろう?』てね」
    「私も……それはよく思うことだけど、でもどうしてその時そんなこと言ったの?ロメロ」
    マヤが尋ねた。若い男はあい変らず寂しげな顔のままふと微笑み、
    「うん、その頃ちょうど一族の同じぐらいの歳の子ども等に対してセプターの"選別"が
    始まってね。誰それの家の○○はセプターで、カードがどれだけ使えるの使えないのと、
    まあ品定めされるわけだよ、大人連中に。
     それがきっかけで仲良かった従兄弟と気まずくなっちまって、落ち込んでたんだ、オイラ」
     それでつい婆さんにもグチ言っちまったんだけど、そしたらあの人は何て答えたと思う?
     『カードを使える者と使えない者との間に、何ほどの"違い"もありはしないのだよ、本当は。
      カードの力はただ、"表わし"の一つに過ぎないのだからね』
     オイラその時すぐにはわからなくて、それはどういう意味かと訊いたんだけど、そしたら
    婆さんは笑って、
     『お前はお前の答えを得れば良い。求め、望み、探り、究め、思考し続けるが良い。
      しかる後に獲得されたものこそが、お前の答えである』
     ――そう言ったさ。
     ズシンときた。意味はわからなくても、大事な話を聞いたってことだけは感じた。オイラ
    を待ってたっていうのも、この話をするためだったのかも――とも。
     それでオイラも婆さんに言ったよ、"わかった、その答えは探す、頑張って考える。
    だからオイラが答えを見つけるまで、婆さんも生きて待っててくれよな"って。
     ミリア婆さんはニコニコして『それは楽しみだ、私は待っているからね』と応えてくれ
    たんだけど……でもそれが、婆さんと話した最後になっちまった」
    ロメロの言葉が途切れた。彼は身じろぎもせず静かに、暗くなった空を見上げている。
   他の四人も空を見た。空には星々が輝き、その中心に大きな月が出ている。
    「婆さんのおとむらいは、内々だけでひっそりやった。棺は裏庭の片隅に埋められた。
     六十年前の表向きの葬式は、王様も臨席して大々的だったそうだけど、その時功臣の
    墓所に造られた立派な墓の下には、ミリア=ソレルはいないんだ」
    まだ夜空を見上げたまま、彼は語った。それでも、やがて少女と少年たちの方を向き、
   再びほほ笑んでみせる。
    「オイラ、おとむらいの後でお袋だけには話したんだ、屋敷の奥でミリア婆さんに会った
    って事を。そしたらお袋はオイラの顔をじいっと見て、
     『そうかい、お前は会ってしまったのかい、あの人に』
     それだけ言って、またしばらく黙ってオイラの顔見てたな。
     今思えば、そん時お袋は覚悟したのかもしれない。この息子はいつか、家も国も振り
    捨てて行っちまうんじゃないかって。
     はは、敵わねえよなあ、お袋ってやつには」
    彼は笑ったが、少女と少年たちはピクリとも動かずに耳を傾け続けている。
    「それから、いろいろあって実際家も国も出ちまったわけだけど、ずっと考えてるよ、
    婆さんの言ったことは。いつでも探し続けてる。
     カードを使わない流儀にしたのも、カードから離れて"力の表わし"そのもののことを
    考えてみたかったってのが大きいな。
     ――それで最近はこんな風に思うんだ。カードの力が"表わし"の一つだというなら、何も
    カードを使えるだけがセプターってわけじゃない。だから人はみんな"セプター"になれる、
    きっと、気づかないだけで。
     それはもちろん、普通に言われてる意味の『セプター』とは違うけどね。ま、オイラ一人
    の考えだから、無理に賛成してくれとは言わないよ」
    ロメロはそう言って話を締めくくり、照れた様子で頭を掻いた。
    「ううん、ロメロ、その考え面白い。ていうか素敵だよ、とっても。うまく言えないけど、
    セプターがそういうものだったら嬉しい、私も。
     カードの力は"表わし"の一つ――ミリアさんの言葉も忘れないからね。"力"のことを
    考えるのにすごく大きな手掛かりをもらった気がする、ありがとう、本当に」
     ……あれ、ユウリイどうしたの?」
    目に力を込めて若い男に礼を言ったマヤだったが、隣りに座る少女の"異変"に気づき、
   慌てて彼女の顔をうかがう。
    姉娘は、ハラハラと涙していた。
    「カードの力は"表わし"の一つ――ああ、本当にその通りかもしれません……」
    彼女は立ち上がり、一枚のカードを取り出し掲げた。まばゆい光の輝きが生まれ、それ
   は空に舞い上がりながら変化し始める。赤く、紅く、揺らぎ羽ばたく一羽の鳥の姿へと。
    「お姉ちゃん、それ――!」
    ツァーザイも跳び上がるように立った。上空に月より明るく燃え耀やく、朱赤の"花"
   を指差す。
    「ずっと……ずっと恐ろしいと思っていました、私は。いつかツァーザイにセプター能力が
   現われて、自分がカードから隔てられてしまうのではないかと。
     ……他の女(ひと)たちと同じように思いを形にする術(すべ)を奪われて、私がもう
    何者でもなくなってしまう日の来ることを」
    ユウリイの唇から言葉がこぼれ落ちる。ゼネスもマヤも、ロメロもツァーザイも、その
   言葉に向かい、受け止める。
    「前に、こうして不死鳥を舞わせている所を父に見つかって、ひどく叱られました。
     『カードの"力"はそんな遊びに使うものではない、真剣な戦いにこそ使うものだぞ。
    これだから女はダメだ、今度そんな事をしてみろ、二度とお前にカードは使わせない』
     ――そう言われて私は震えあがり、それからはひたすら父に認めてもらうために精進
    し続けました。
     でも父は最期まで認めてはくれませんでした。私が女だという、ただそれだけの理由で」
    燃える不死の鳥は舞い踊る、火の粉を散らし朱金の尾を曳きながら、狂おしく体を震わせ
   風を呼ぶ。
    「毎日毎日、来る日も来る日も、朝起きれば弟がセプターになっていないかと心配し、
    夜寝る前には『明日も彼がセプターになりませんように』と祈る――。
     私のことを慕ってくれるツァーザイはこんなにも可愛いと思うのに、その一方で弟に
    カードを奪われたくないと祈り続ける。
     セプターは本当は、今セプターでない者が恐いのです。一度"力"を手にしてしまった
    者は、まだそれを持たずにいる者がいつか"力"に目覚め、自分の所に奪いに来るのでは
    ないかと恐ろしくてたまらないのです。
     ……でも、わかっていました、ずっと。それは私だけでなく、父たちもまた同じだったと
    いうことを。
     あの人たちも、"力"を誰にも渡したくないからこそ女をセプターとは認めず、自分の
    分身と思える息子にだけ継がせることを望んでいたのですから」
    ユウリイの視線は炎の翼に据えられたまま、動かない。ゼネスはまた胸の内が締め付け
   られ、息苦しくなった。
    よくわかっているのだ、彼女は。自分が今カードを持つことができるのは、父とロォワン、
   二人の"強い男"の思惑の間で偶然に"許可"されているに過ぎない――という現実を。
    彼女の立場は不安定な境界の上だ。だがだからこそ、境界の内側や外側に浸りきっている
   者には見えないものを見ることができる。
    「私たちシンの部族がなぜ、こんな暮らし難い土地に留まり続けるとお思いですか。
     ……隠しているからです、一枚のカードを。それは恐ろしく強大な、世界を滅ぼすほど
    の力を持つというクリーチャーのカードです。村を抜けた先にある山間の谷の、森の中の
    湖の底にそのカードは沈められています」
    不意に、驚くべき事実が明るみに出された。他の四人の顔色が変わり、耳がそばだてられる。
    「"魔王"のカードか」
    ゼネスは慎重に問いを発した。「魔王」とは、火・水・地・風の四つの元素の力を各々
   最大限に発揮することができる、四体の特別なクリーチャーの呼称である。(※註)
    「私の口から……申し上げることは出来ません。みだりに名を呼んではならないのです、
    お察しください。
     それから私たちが山の"畑"で育てている作物ですが、これもカードを隠していること
    と関係があります。この村は、その作物を売ったお金で生計を立てておりますので。
     作っているのは、"プードゥ"という草です」
    「知ってるよ、それなら。麻薬ができるヤツだな」
    今度はロメロがうなずいた、姉娘もうなずき返す。
    「はい、この辺りの山地のような乾いた厳しい場所に、ごくわずかずつ生じます。栽培
    の難しい草ですが、出す所に出せば、高値で取り引きされます。村のセプターの"仕事"
    というのは、採れた草を取り引きの場所まで運んでお金に替えてくることなのです」
    「そりゃあ、ヤバい"仕事"なわけだぜ」
    息を呑みつつ、またロメロが応じる。ゼネスも、麻薬の売買ルートのことはわからない
   がこの"仕事"内容の危険性には見当がついた。
    高額の金が動く周囲が安全でなどあるはずがない。恐らく彼らは、取り引き場所の防衛
   をも担当し行っているのだろう。
    「男の人たちは言います、あのカードを隠し続けることが我らの務めであり誇りなのだ
    ――と。でもその"我ら"の中に、私たち女は一人も数えられてはいません。
     それに、麻薬で多くの人に苦しみを与えておきながら何が"誇り"でしょう。
     そんなにも恐ろしいカードであるなら、火の山の火口の底へでも投げ込んでしまえば
    いい。それも難しいのであれば、外に心有る人を捜して、どのように使ったら良いもの
    かと知恵を出しあったっていいはずです。
     結局彼らはただ、強い力をいつまでも握り続けていたいだけ。自分たちが、"選ばれた
    特別な者"だと信じていたいだけなのです」
    ユウリイはまた火の鳥を見上げた。一度はおさまった涙が、再び眼のふちに光りはじめる。
    「ああ……でも、でも同じでした、私も。彼らの思いはよくわかります、だからこそ苦しかった。
     カードの"力"をきちんと使える私は特別で、他の女(ひと)たちとは違うのだと。父に
    だっていつかは認めてもらえるはずだと……。
     愚かしい望みでした。そのことは自分でもわかっていたはずなのに、なかなか思いを
    捨て去ることができませんでした。ツァーザイがセプターになったと打ち明けてくれた、
    あの日まで」
    「お姉ちゃん!」
    弟が姉にしがみつく、姉が弟を抱きしめる。
    「この子は言ってくれました、カードを使う私が好きだと、父のカードをずっと持って
    いて欲しいと――目が醒めたようでした。
     カードを使えることが特別だなんて、何と思い上がった考えでしょう。この子が、
    ツァーザイが奏でる笛の音以上の何を、私たちは示すことができるというのでしょう。
     "力"を振るい他人に見せつけることしか知らないセプターほど、心貧しい者はないの
    ではありませんか。
     カードの力は"表わし"の一つ――ミリアさまのことは、母から聞いて存じ上げており
    ました。女の身で大賢者となられたセプター、ずっと密かなあこがれでした。
     そうです、"表わし"であるなら、カードを持つ持たないなど大した事ではありません。
    それよりも私がセプターである事こそが、最も大切で奪われてはならない事なのです。
     そう気づいて、私は決めました。
     この村でカードを使うことのできる女として、私は彼らに証し立てしなければなりま
    せん。女もまたセプターであるということ、そしてセプターであることを奪われてはなら
    ないということを。
     そのためには、一度は彼らの流儀に従い、最も強いセプターにカードの戦いで勝つしか
    ない。難しいことです、とても。でも、それでもやり遂げねばなりません。
     自分たちだけ逃げるわけにはゆかないのです、それが『自分は特別だ』という愚かしさ
    を捨て切れなかった私の、他の女(ひと)たちへのせめてもの罪滅ぼしだと思います」
    ――語り終えて、姉娘は涙をぬぐった。今は彼女の瞳に強い光が見える、「お話したい
   こと」とはこの決心だったのかと、ゼネスは得心した。他人に自身の迷いの道程を隠さず
   打ち明けることで、彼女はかえってその迷いを断ち切ったのだ。
    『何と強い娘だ』
    彼には、ユウリイの心根がこの上なくまぶしく気高いものとして感じられた。
    「ただ、どうしても……」
    まだ弟をしっかりと抱いたまま、姉娘は村の方角に目を向ける。
    「気になるのが、これからのことです。
     実はしばらく前から、西のほうの国のいくつかが手を組んで、プードゥの取り引きを
    厳しく取り締まるようになっています。民に害を成すものなのですから、当然といえば
    当然ですが。
     そうして、いずれは産地も突き止めて根絶やしにするつもりなのだとか。
     もし西の国々から大勢の人が攻めてくるようなことになれば、村の男たちはあのカード
    を使おうとするかもしれません。それを思うと、私は……」
    彼女の顔に影が差す。気遣っているのは強大な"力"の出現か、それとも、
    「魔王のカード……だとすればだが、あれは力が大きすぎて、よほど能力も経験も豊富な
    セプターでなければ使いこなせない難物だ。
     たとえあのロォワンという若者であっても、本当に世界を滅ぼすほどの力を引き出せる
    とは思えない。その件については、お前がそれほど深刻に考える必要はないだろう。
     むしろ問題は、実際に魔王を遣うセプターが負うリスクのほうだな。
     あれの力を呼び出すためには、術者は己れの命か、命よりも大切な何かを贄として差し
    出さねばならない。お前はそのことを気遣っているのだろう、ユウリイ」
    ゼネスが問うと、姉娘は俯いた。短く切り揃えられた髪の中に見える耳朶が、赤く染まっている。
    「そういうことなら湖の隠しカードは、お前たち二人をロメロの言う王都に送り届け次第、
    俺と弟子とで必ず何とかしてやる。
     肝心のカードさえ無くなってしまえば、あの村の人間も生き方を変えるかも知れん。
    なに、イザとなればコソ泥のマネだってどうということはない。そうだな、マヤ」
    師が言葉と目線を投げる。すかさず、
    「もちろん!」
    間髪を入れず、弟子が引き取る。
    「泥棒さんだけはまだやったことないんだ。でも狙うものが大きいほどは面白い仕事だ
    ろうね、あれも。
     ユウリイ、心配しないで。カードのせいで誰かが亡くなったり傷ついたりするなんて
    私もイヤだもの。村の人たちには悪いみたいだけど、湖のカードはもうここに無い方が
    いいみたいだから、頭絞って盗っちゃうよ、私とゼネスとで。
     だから、ね、安心して」
    彼女は努めて明るく言った。そして横合いからロメロも口をはさむ。
    「お姉ちゃん、オイラしばらくこのお二人さんと一緒にいるからわかるけど、なんしろ
    スゴくデキる師弟なんだぜ。たぶん、村のセプターが束になったって敵わねえだろうなあ。
     その二人が請けあう仕事なんだ、あんたはもう何にもよそ見せずに、明日の対戦のこと
    だけ考えておいでな」
    「ありがとうございます、皆さん……」
    ユウリイがまた涙ぐんだ、今度は感激の涙だろう。ゼネスも彼女のそば近くに寄った。
    「そうだ、奴の謂う通りだ。お前にはこれから成すべきことがある。
     明日の戦いについて、"策"は考えてあるのか」
    できるだけ穏やかに尋ねる。姉娘は「はい」とうなずき、常の凛とした表情に戻った。
    「ならば良い、今夜はもう頭も身体も休めて明日に備えろ。不死鳥も仕舞っておけ」
    すると、
    「あ、ちょっと待ってユウリイ、私も少し遣いたいの」
    そう呼びかけながらマヤがカードを掲げた。きらめく光球が生まれ、その中より背高く
   屈強な一体の人影が現われ出て地上に降り立つ。
    それは黄金色の炎が象(かたど)るたくましい青年の姿だった。
    ……にしても何という豪奢。豊かに渦巻く長い髪、冴え冴えと輝く整った面貌、上半身は
   裸体で太い首や厚い胸板、力強い腕が男性美を強調している。全ては盛んに燃え上がる焔
   (ほむら)によって形作られていた。
    これは熱く輝ける火の精霊、"イフリート"なのである。
    めらめらと揺らぎつつ天を指す髪、謎めいた微笑を宿す口元、マヤの遣う精霊は男の姿
   をしていながらもなお、優美にして艶かしい情趣をたたえている。
    精霊は、空の不死鳥に向かってゆるやかに腕を伸べた。
    「来て、ここへ」
    燃え立つ火の鳥は一度身を揺すぶり、大きく翼を広げた。風が凪(な)ぐ、そして燃える
   炎の"花"が、ふわり、ゆらり、ふわり、しずかにしずかに円を描きながら降りてくる。
    笛の音が流れはじめた、あの「火の羽」の曲が。
    美しい鳥と、美しい青年との邂逅。恥らうようにためらうように、鳥の脚先は精霊の手
   に触れそうで触れ得ず、未だ中空にたゆたう。
    精霊の髪と不死鳥の羽毛から、幾千もの火の粉が吹き上がる。濃い藍色の空に舞い昇り
   交わり合い、さらに笛の音色に溶け込んで、余韻と共に広がってゆく。
    少女二人と少年、三人の雅やかな"遊び"は一曲が果てるまで、大平原の夜空に華麗な
   絵巻を繰り広げた。

    (※註 魔王  火の王:フレイムロード
              水の王:ダゴン
              地の王:ダークマスター
              風の王:ベールゼブブ   )

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