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       第7話 「 緋の裳裾 (前編) 」 (2)


    賑わう街に歌の王者・ロメロの滑らかな寿(ことほ)ぎの詞(ことば)が広がった。

     さてもめでたや祭りの日
     仮の面にて魔を払い、寿(いのちながき)を願う
     ここにうたう者在り、うたもまた
     憂いを去り齢(よわい)を延(の)ぶるの業(わざ)なり
     花は雨、紅葉(もみじ)は風、人はただ嘘の波に揉まるるとも、
     うたの情けを知る心に邪(よこしま)はなし
     いざや巻(まき)を開かん 声に出(い)ださん

    柔らかな響きが揺れる、その芯には歌い手の太い気概が込められている。
    声が染みる、耳だけではなく肌に染みる。肌の表面(おもて)から腸(はらわた)まで、
   真っ直ぐと染み込み透(とお)る。
    人々の口からため息がもれる。心も、身も震わせられる悦び。その嘆息が、夜をほの
   赤く染めて波となる。
    『この感覚は』
    ゼネスは気づいた。人を揺るがす歌声がもたらす感興は、真に優れたセプターがカード
   を使う際に伝わる印象と同じものであるということに。しなやかに豊かに、喜びに満ちて、
   自在な変容と対応を繰り出す精神の運動そのもの。彼には未だに到達できずにいる、
   恐らくは最高の境地。
    ロメロにとって、歌うことはカードを使うことと同じなのだ。否、そもそもカードと歌が
   同じであるのかも知れない―ゼネスの考えは目まぐるしく駆け巡る。
    ―「カードを使うことは、表現だ」―
    以前マヤに言った出まかせが、ひと回りして今、頭の中に戻ってきた。
    『そうだ、そういうことだ』
    息を詰めて歌声に身をゆだねながら、ゼネスの内側で何かが、深くしっかりと嵌(は)まり
   込んだようだった。
    さて、まずはひとくさり歌い終えた歌手は、あたりを見回し何者かを捜し求める風を
   装いつつ、ゆったりと歩き出した。今日は、寸劇仕立てでマヤと歌の掛け合いを演じる
   予定なのである。

     誰がかざした花の香と 宵闇(よいやみ)遥か 月に訊く

    よく通る歌の声が耳に入ると不思議にも、微風がそよぎかぐわしい香りが漂ってきた。
   空を仰げば煌々(こうこう)と夜を照らす満月。

     月や月 西のお空に円(まどか)なる 天の鏡ぞ昇りたる

    突然、ロメロとは違う涼やかな声が聞こえてきた。そしてゼネスのすぐ近くの人垣の
   間から"少年"が一人、歩み出てくる。
    『マヤ…』
    服装こそいつもと変わらないが、彼女は淡い紫の薄布を頭から被衣(かづき)のように
   かぶり、その布端を両の手で顔のあたりまで掲げていた。うっすらと化粧を施し紅も引いて、
   霞みのような布にほんのり白い顔と紅い唇が透けて見える。
    これは「女形(おんながた:男性が女性の役をする)」のこしらえである。
    役者は揃い、男と女の歌の掛け合いが始まった。

   男:かがやきの御顔 ありがたやのお月さまかな 
     物言わぬこそうらめしけれど
     澄みし水 濁りの水にも隔てなく 影をば映したる

   女:ええ憎や 吾が方のみぞ向きたれや
     花心(:浮気心)の月は憎し

    男の後を女が追い、男が近づけば女は逃げる。行きつ戻りつ笑いつ泣きつ、
   恋の駆け引き。

   男:差し向かいては 思い差しに差せよや盃(さかずき)
     蕩(とろ)け解(ほど)けてかたぶく月をみるまで

   女:放しゃんせ 片袖しき枕を抱いて眠りゃんせ
     吾が顔の赤きは酒の咎(とが) 汝(なれ)を恋うにはあらしゃず

   男:ようよう逢い見たれども 早や東の方の白みいたる
     げに明けやすきは夏の夜かな

   女:つれなき朝よのう 陽(ひ)を隠せ 隠しやれや雲
     降らばや雨 君が情け 吾を濡らせやしとしと

    女形は布から手を離し、空を見上げながら両腕で我と我が身を抱きしめた。願いの雨
   の替わりに、月の光が降りそそぐ。
    時が止まる。清らかに艶めいて、今ここに立ち切なく身をよじるのは少年か、少女か。
   淡い紫の薄絹をへだてた白い顔、紅に彩られた唇、その正体はもはやゼネスの目にさえ
   定かではない。
    全ての音が途絶え永遠の静けさが続くかと思われた…瞬間、「ひょう」と一声の笛の
   音(ね)が走った。強く鋭くどこかしら寂しい、吹き抜ける風にも似た響き。
    その笛と共に人々の間から現われたのは、まだ十かそこいらの男の子だ。淡い亜麻色
   の髪に深い緑色の瞳。横笛を口にあて、熱心に吹き鳴らす。流れ出す旋律は、ここまで
   二人の歌い手が披露してきた歌と見事なまでにぴったり良く合っている。
    ロメロがほほ笑みながら彼を手招きした、この小さな飛び入りを歓迎する身振りである。
   少年の顔が輝き、曲調が変わった。
    また風の音がする。冷たく乾いた荒野をよぎる風、びょうびょうと草木の乏しい赤茶けた
   山々の間を抜ける風―ありありと脳裏に浮かび体に知覚される風景に驚き、ゼネスは
   周囲を見回した。他の人々はみな夢の中をたゆたうようにただ呆然として、笛の音に
   聴き入っている。
    「蕭々(しょうしょう)と 袖吹き返す 山の風」
    女形の声が響いた。ハッとして見れば、その片手は布をからめたまま高く差し上げられ
   ている。風が吹く、笛の音と共に吹く風が、長く垂れた布の端をひらひら、ひらひらと
   ひるがえらせる。

   女:蕭々と 袖吹き返す 山の風
     去り行く人に この領巾(ひれ)を振る

   男:君を千里の外に置き 
     月の下(もと) 独り汲む 酒の苦さよ

    笛がいよいよ高く、強く鳴る。ひと時寄り添い、そして遠く離れてしまった男と女。
   二人の間を風が渡る、千里の風が渡る。
    吹き切った音が止まった。女形の手がゆるゆると下げられ、二人の歌手が深々と礼を
   する。笛の少年も慌ててちょこんと頭を下げた。が、聴衆はまだ息をひそめて身じろぎ
   もできずにいる。
    ゼネスは力を込めて両の手のひらを何度も打ち合わせた。すると拍手の音にようやく
   我に返ったものか、人々の賛嘆がドッと広場を揺るがした。



    「やあ、お前さん大したヤツだな。その歳でそれだけの音が出せるってのは並大抵の
    ことじゃあないやね」
    歌が終わり聴衆に惜しまれつつ広場を後にしながら、さっそくロメロが笛の少年に
   話し掛けた。
    「私はマヤ、一緒に歌ってたのはロメロ、こっちの人はゼネスっていうの。ゼネスは
    歌わないけど私に魔術を教えてくれる先生なんだよ。
     ね、キミの名前も教えて」
    ほほを紅潮させながら、マヤも身をかがめて少年の顔をのぞき込む。相手は真っ赤に
   なった。
    「マヤ…じゃあやっぱりお姉さんだったんだ。ボクもね、お姉ちゃんがいるんだよ。
     ボクはツァーザイ。笛吹くの大好き、お兄ちゃんたちの歌を聞いてたらどうしても
    一緒に吹きたくなっちゃって…。許してくれてありがとう」
    はにかみながらも、ハキハキと返事をする。
    "ツァーザイ"と名乗った少年は、歳は10だと言った。
    「ううん、私たちこそありがとうだよ、ツァーザイ。キミの笛が入って、歌の景色が
    グンと締まったもの。ねえ、ロメロ」
    「ああ、お前さんのおかげで百点が二百点になった、オイラものすごくいい気分だ。
    ありがとうな、ホントに」
    若い男は優しく笑って少年の頭に手を置いた。少年―ツァーザイの顔もまた嬉しげに
   ほころぶ。
    「ゼネスもわかったでしょう?この児の笛、私たちの歌と良く合ってたよね」
    急に話を振られ、ゼネスはどきまぎした。彼の弟子は楽しそうに目を細め、師の顔を
   見上げている。まだ薄化粧したままのほの白い顔と紅い唇、街に灯るぼんやりした呪文
   の明かりも、竜の眼を持つ身で彼女の見知らぬ顔をまともに見るにはまぶしすぎる。
    「…ううむ、確かに…俺にも見えた、荒野と裸の山並みが…笛の音を聴いてあんな気分
    にひたったのは初めてだ」
    「あれはね、"風の歌"。ボクが作った曲なんだ」
    褒められて嬉しい少年は、得意満面で説明した。気難しそうな黒髪の男の風貌も彼は
   まるで気にしていない。
    「へえ…、すごいね、とってもいい曲だったよ。私にも荒野や山の間を通る風が見えた
    もの、それで"山の風"って歌ったんだけど。
     う〜ん、もう少しお話したいなあ、でももう遅いね。いくらお祭りでも、もう帰らないと
    お家の人が心配しちゃう。送って行ってあげるから、また明日会ってくれる?」
    マヤが優しく持ちかけたが、ツァーザイの顔はみるみるうちに曇り、うつむき加減に
   なってしまった。そうして小さい声で、
    「ボクね…この街の子じゃないの、ボクの村はここからすごく遠いの…。お姉ちゃん
    とケンカして、だまって出てきちゃったんだ…」
    驚くべきことを謂うではないか。
    「おやおや、家出かい。こりゃまいったな」
    さすがのロメロも苦笑して頭を掻いた(なにしろそう言う彼もまた、元は家出者だ)。
    「すごく遠いって、でもキミは一人で来たんじゃないの?」
    少女が尋ねるのももっともで、この街の東方は森、西方は平原から荒野に至るという、
   人家のある場所は限られる地域だ。街道はあっても一番近い村でさえ大人の足で半日が
   ところは掛かる、とても年端の行かない子どもが一人で安全に歩ける距離ではない。
    しかしゼネスにとってはようやく、一番確かめたい事を質す機会ができた。彼は体を
   屈めて少年の頭の近くまで顔を近づけ、低い(が、穏やかな)声で訊いた。
    「お前はセプターだな、ここへはカードを使って来たのだろう」
    小さな肩がビクッと震えた。緑色の目が大きく見開かれ、怯えをたたえて彼を見上げる。
   これほど驚くということは…
    『野にある奴らの方だな』
    そう踏めた。
    「あ、そんなにビックリしなくていいよ、私たちも公認のセプターじゃないんだから。
     でも、どうしよう。とにかくキミを一人で返すわけにはいかないよね、遠くても必ず
    送ってくから安心して、ね」
    彼の弟子はしゃがみ込み、子どもに目線を合わせ肩をなでてやりながら懸命になだめた。
   そのかいあって、ツァーザイ少年はやがて元気を取り戻し、コクリと大きくうなずく。
    「そうだなあ、オイラ達が送ってって、一緒にお姉ちゃんにあやまってやるよ、そいつ
    がいいや。
     じゃあ、今のうちにとりあえず何か食っとこうや。なんにしたって腹ペコはキツいぜ、
    街を出たら食い物の調達が難しいしな。
     さあツァーザイ、お前さんも食った食った」
    ロメロが促し、四人は街角の屋台で食事を摂ることにした。


    マヤが見つくろって決めた屋台の料理はうまかった。中が袋状になった平たいパンに、
   焼いてそぎ切りした肉ときざみ野菜がたっぷりはさんである。これをヨーグルト風味の
   ソースで食すのだが、ゼネスもロメロも大ぶりの品を立て続けに二つ、全部平らげた。
    食事をしながらツァーザイから少しずつ聞き出すと、彼は八つ上の姉と二人暮しの身
   の上だった。母親は二歳の時に病没、父親も半年ほど前に事故で亡くしている。
    彼の住む村は荒野をだいぶ北に向けて進んだ乾燥地帯であり、笛の音と共に浮かんだ
   あの風景は、どうやらツァーザイが幼い頃から慣れ親しんだ景色であるらしい。
    「…とすると、こりゃホントに大分遠くだなあ、ここいらから山なんてかけらも見えねえ
    もんな。お前さん、いったい何のカードを使って来たんだね」
    若い男は最後の方は声をひそめて尋ねた。陽気な彼も、さすがに街中でカードの話を
   する時には慎重になる。
    少年は頬張っていた肉を飲み込み、答えた。
    「ロードランナー、ボクが持ってるのはそれ一枚きりだもの」
    "ロードランナー"とは、大きな鳥の姿をしたクリーチャーだ。ただ、鳥といっても翼は
   短く、空を飛ぶことはできない。
    だがその代わりに太く長くたくましい脚を持ち、馬よりも速く走る。スタミナも高く、
   かなりの距離をひと息に走り切るという、地上での移動能力には長(た)けた鳥だ。
    なるほど、それに乗って来たのであれば合点がゆく。師弟と歌手の三人は深くうなずいた。
    「あいつに乗って走ると風になれるんだ、ボク。それでいろんな風の歌が聞こえてくる。
    ボクはいつもその歌を笛で吹いてるんだよ」
    緑の瞳が輝く。日常を離れ、別の世界、別の次元に出会う喜び。その驚きとときめき
   の強さが彼の目を輝かせている。ゼネスは、ヴィッツ少年がカーバンクルを遣った時の
   様子を思い出した。
    ―だが、ツァーザイの瞳はすぐまた翳りを帯びてしまった。手にしたパンをそのまま、
   屋台の机の上に視線を落とす。
    「でもボク、村にいるとカードを遣えないんだ、使っちゃいけないんだ。だからいつも
    遠くまで離れてから走ってる」
    「どうして?キミの村には公認のセプターでもいるの?」
    マヤが尋ねた。しかし少年はかぶりを振る。
    「ううん、村のセプターはみんなそういうんじゃないよ。それで…遠くの村や町まで出稼ぎ
    して荒野や山を旅する人や、荷物を積んでく商人さんを守ったり、自分たちが荷物を
    運ぶ仕事なんかしてる。
     父さんは仕事をしてる時に、盗賊と戦って仲間をかばって死んじゃったんだって。
     ボクが村でカードを使わないのは、ボクがカードを使えるってわかったらお姉ちゃん
    のカードが取り上げられちゃうからなんだ」
    「カードを取り上げるって、どうして、誰がそんなことを」
    マヤの声がやや高くなった。ゼネスが注意するより先に、ロメロが彼女の肩をポンと
   軽く叩く。少女は「ごめん」と小さくあやまった。
    「村の人…っていうか、村の男の人たちだよ。ボクの村では昔から、女の人は本当は
    カードを使っちゃいけないことになってるんだ。お父さんのカードは男の子だけが
    継ぐきまりになってるし。
     でもお姉ちゃんは8歳になるまでボクが生まれなかったから、特別にカードを使わ
    せてもらってたんだよ。男の子がいない家は、女の子も結婚するまではカードを守ら
    なくちゃいけないから。
     そのうちにボクが生まれたんだけど、ボクはカードはちっとも使えなくって…それ
    でやっぱりお姉ちゃんが、いつかボクがセプターになるまでって約束で使ってたんだ、
    父さんが村の人たちに掛けあって」
    少年はそこまで話すと、コップに入った水をゴクリと飲んだ。
    「お姉ちゃんはね、ボクのお姉ちゃんはカードを使うのがすごく好きで、とっても上手
    なんだよ、ボク知ってる」
    子どもらしく話の脈絡が飛んだ。だが彼は姉のことを話し出すとパッと顔が明るくなっている。
    「ツァーザイはお姉さんのことが大好きなんだね。でもキミはさっきカードを使って
    ここまで来たって言ってたよね、いつからセプターになったの?」
    マヤが訊くと、小さな頭がまた下を向く。だが彼の眉は厳しくしかめられていた。
    「父さんが死ぬ少し前から。でもボク黙ってた、ずっと。だってボクがセプターになった
    ってわかったら、お姉ちゃんはもうカードにさわらせてももらえなくなっちゃうもの、
    そんなのかわいそうだ。
     父さんだって、本当はボクがカードを使えるようになればいいって思ってたんだ。
    いつもいつも『笛なんか吹いてないで早くカードを使えるようになれ』ってボクのこと
    怒ってばかりだったんだから。
     ボク、父さんのこと嫌いだ。死んじゃって良かったとまでは言わないけど、でも嫌いだ。
     父さんは笛をほめてくれたことなんて一度だってなかったし、ボクが作って大事に
    してた笛を、全部折って燃やしちゃったことさえあるんだ。
     あの時には悲しくて口惜しくって、村の近くにある山に登って大きな声で
     『バカヤローッ』って叫んだよ、ボク。
     ―でもそしたら、そうしたら足もとの土の中からカードが飛び出してきたんだ」
    「それが"ロードランナー"ってわけかい。お前さん、そん時初めてセプター能力に
    目覚めたんだな」
    ロメロが確かめた。彼は身を乗り出して目を輝かせ、非常に興味深そうな様子である。
    「うん、そう。風みたいに走る脚が見えた時に、ボクは初めて父さんのこと怖くなく
    なった。もういつでも行ける、父さんなんか振り切っていつだって遠くまで走れるん
    だってわかったら、少しも怖いと思わなくなった。
     それから少したって父さんが死んでから、お姉ちゃんにだけは話したんだ、ボクも
    セプターになったんだよって。でもほかの人には絶対言わないから、父さんが残した
    カードはお姉ちゃんがずっと使っててねって。
     そしたらね、お姉ちゃんはとてもびっくりしたけど目に涙をいっぱいためてね、
    『ありがとう』ってギュッてしてくれたんだよ、すごく嬉しかった。
     ボク、お姉ちゃんと村を出たい。お姉ちゃんを守りたいんだ」
    わずか10歳とは思えぬ毅然とした言葉、ゼネスは少年の顔を見直した。深い緑色の
   瞳の中には強い意志の力がある。
    だが同時に、今の事態の元となったケンカの原因にも察しがついてしまった。
    「お前が飛び出してきたのはその辺の事情がからんでいるな、村を出る出ないで姉と
    モメたんだろう、どうせ。
     守りたいなどと言っておきながら心配を掛けるとは世話もない、これからどうする
    つもりでいるんだ」
    彼が小言めいたことを言うと、笛吹き少年の目は三度び下を向く。今度はシュンと沈み
   きってしまい声も出ない。
    「当たりだな、さて―」
    これからすぐ発つか、それとも朝まで待つか…と他の二人に意見を求めようとすると、
    「ツァーザイみたいな小さい子に夜通し歩かせるなんてムリだよ。今日はもう寝て、
    明日の朝早くから行こう」
    先回りしたマヤが提案した。
    「そうだよなあ、もしかすっとそのお姉ちゃんが迎えに来っかも知れねえし。
     考えたんだけどさ、オイラ達は城壁の外の平原の側で寝ることにしねえか。そんで
    もってツァーザイだけしっかり寝せて、三人が交代で起きながら見張ればいいんだ」
    すかさずロメロも自分の考えを言う。
    「そういうことなら俺一人で足りる、お前らはいいから寝ていろ。
     ツァーザイ、お前の姉とやらはいつもどんな服装でいるんだ?」
    ゼネスが尋ねると、少年はちょこんと顔を上げた。
    「うん、あのね、マヤとおんなじような男の子の格好してるの」
    この意外な返答に三人が三人とも目を丸くした事は言うまでもない。

    食事を済ませると、ツァーザイは眠そうに目をこすり始めた。やはり子どもだ。
    四人はゼネス達が街に入った時とは反対側の城壁の外に出た。そこはまばらな草地の
   上に、ぱらぱらと撒いたように幾棟かの人家が建てられている。家々の軒下では、帰り
   そびれた祭りの客が何人も座り込んだり寝転がったりして夜を明かしていた。中にはまだ
   酒盃を手放さない者もいる。
    できるだけ平原からやってくる旅人の姿が目につく場所を探して、子どもを除く三人
   は寝場所を選び整えた。マヤがツァーザイを抱いてブランケットにくるまると、少年は
   すぐにすやすや寝息をたてはじめる。
    「いいよなあ、子どもは。悩みがあっても寝ちまえる、しかもマヤちゃんに抱っこされ
    てさ、うらやましいよなあ、お師さん」
    調子のいい男の言葉を、ゼネスはもちろん聞き流した。この男のこの手のセリフには、
   もうだいぶ慣れてきている。
    「でも、この子のお姉さんはきっと、心配で寝てなんかいられないんだろうね。
     早く帰さないと…」
    少年の頭をそっとなでながら、マヤが案じた。自分と同じ年頃の少女の気持ちを思い
   やっているのだ。
    「平原から来る奴は皆んな俺が見ていてやる、だからお前ももう寝ろ」
    ゼネスが促すと、
    「ありがとう。じゃあお願いね、おやすみなさい、ゼネス」
    「すまんねえ、頼むぜお師さん」
    少女も若い男も横になり、やがて眠り込んだ。
    ゼネスはしばらく、遠い平原の彼方とすぐそばの城壁とを見比べていた。
    平原は、地平線が真っ直ぐ平らにどこまでも続いて見えるほど茫々として広い。晴れ
   上がった夜の空がまたたく星を貼り付けたまま、地面に丸く覆い被さっているようにも思える。
    対して、城壁の方は祭りの喧騒がまだまだ賑わしかった。夜を徹して続くらしい騒ぎは
   石の壁などものともせずに乗り越えて響いてくる。
    だが彼が夜空を仰ぎ見ると、雲のない深い藍の色の中に隈(くま)なく輝く"天の鏡"が、
   地上の全てを静かに見下ろしているのだった。

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