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       第12話 「 水の上に映る  」 (3)


    次の日、早朝。
    師弟はウェイ老と連れ立ち、いつものように裏山の稽古場に向かっていた。(山猫娘は
   チェンフの畑に寄るとかで、今は同道していない)日はようやく山々の頂(いただき)から
   顔をのぞかせたばかりであり、薄明の林間はしんとして葉ずれの音さえごく高いところで
   かすかに響くのみ、その音は地上には落ちず空へと抜けてゆく。
    うっそりと暗い小径を歩き進む。やがて土がむき出しになった稽古場が丸く白っぽく、
   ぼんやり浮いて見えてきた。
    と、
    「ヒョスクどの、おいででしたか」
    老爺が近くのヤブ陰に呼びかける。応じてゆらり、そこから人の影がひとつにじみ出た。
    影の輪郭に見覚えがある。果たして、それは先だって皇帝軍の本隊を案内して現れた者、
   ジャクチェの父なる"黒豹男"であった。
    「ウェイ先生」
    進み出た彼は、黒光りするなめし革に似たほほをゆるませた。
    「先日はしかとごあいさつもせず、失礼をばいたしました。しかし先生のお働きのほど
   は、近衛騎士どのらからたっぷりとうかがいましたぞ。まっこと鮮やかな立ち回りに指揮
   ぶりであった由、この眼にも見とうござった」
    言って、カラカラ笑う。が、すぐに真顔となった。
    「――にしましても、先生が元の大将軍閣下であられたとは。いずれひと角の人物とは
    お見受けしておりましたが、さすがに驚かされましたな」
    「いや、それは」
    手を振り、老爺は顔を赤くする。
    「昔日の話にござれば、今は忘れ申した。ひとり山中を彷徨いおりし時、貴君に見出さ
    れたがこそ私は新しき道を得ました。なれば、どうか今後とも変わらぬご好誼のほどを
    お願いいたしましょう」
    頭を下げかける、のを山男は慌ててさえぎった。
    「何の、是非もないことです、先生。
     過去とはかかわりなくあなた様は我らの誇り、そのお方が"忘れた"と仰るのであれば
    我らもまた忘れましょう。先生にはいついつまでもこちらの村にお過ごしになられて、
    後進へのご指導をいただきたく」
    師の恥じらいを取りなすように笑顔を作った。色黒の顔に白い歯が冴える。
    そしてひとしきりあいさつを済ませた、と見たか、
    「さて……と先生、そちらのお二方がこの度の功労者であらせられますな?」
    老爺の後方にたたずむゼネスとマヤの師弟に目を向けた。
    「おお、これはご紹介が遅れてしまいましたな」
    老剣士は軽く頭を掻き、客人らに振り返った。
    「貴君もすでにご存知ではござろうが、あらためてご紹介つかまつりましょう。あちら
    が山の民の頭領にしてジャクチェの父御である、セン=ヒョスクどのでござる。そして
    ヒョスクどの、こちらが我らのお客人、ゼネスどのとマヤさんのセプター師弟でござる」
    「これはお初にごあいさつを申し上げまする」
    色黒の男は足音をたてずに近づき、大きな手のひらを差し出した。
    「先日のご活躍はお見事にございましたな。多勢に無勢の窮地を知略と胆力をもって跳ね
    返された、詳しうは近衛騎士どの方よりうかがいました。こうしてお近づきになれたこ
    と、幸甚と存じます」
    はきはき、極めて明快な口跡である。ゼネスも進み出て目の前の手を握った。がっしり
   とした、それでいて柔らかな温もりある手だった。
    「頭領どのよ、お初にお目にかかる。俺はゼネス、後ろにいるのは弟子のマヤだ。こち
    らこそ、頭領どのの噂はかねがね聞き及んでいた。娘御にも常日頃からずいぶんと世話
    になっている、今日(こんにち)こうして対面できたことは心から喜ばしい」
    互いに忌憚(きたん)なく礼を交わした。さらに、
    「マヤ、お前もこちらに来てあいさつをするがいい」
    促す。弟子の少女は遠慮がちに少しだけ歩を進めた。
    「ジャクチェさんからよくお噂はうかがってました、マヤと申します、頭領さま。私も
    お目にかかれて嬉しうございます」
    いくぶんかはにかみつつも丁寧に礼をする。山の男の黒い顔にまた、白い歯がのぞいた。
    「マヤさん、貴女方にお会いできることをも楽しみにして参りました。先日のお働きは
    本当に類い稀なるものでしたなぁ。お師匠どのとマヤさん、お二方のおかげで皇帝陛下
    のお命とお志は無事に永らえ、タイハン国は救われ申した。タイハンの民として、私か
    らも幾重にも御礼を申し上げます」
    澱みなく言い、娘のような少女に深々と腰を折って頭を下げた。清々しい態度である。
    「それで、実は――」
    ややあって頭を上げると、彼は別の話を切り出した。
    「私、皇帝陛下よりお二方へのお礼のお品をおあずかりしております」
    意外な言葉が口にされた。頭領の手はすでに衣のうちを探り、何やら小さな布袋ようの
   ものを取っている。
    「どうぞ、ご覧くだされ」
    そのまま、うやうやしくゼネスの前に差し出す。受け取って中をのぞいてみた。小さく
   折り畳まれた布……いや、薄手で柔らかい上質ななめし革だ。そっと広げた。見れば、中央
   に大きな朱色の印が捺されてある。全体は楕円で、細かな文様と飾り文字が浮き出している。
    ただ、その文字はゼネスには読めない。しかし首をひねるより先に後ろからのぞき込んで
   いた弟子が読みあげた。
    「"タイハン皇帝の名に於いて此の印を所持する者の天下往来を許可す"――これって、
    もしかして」
    大きな声だった。最近の彼女にしては珍しく。
    「そう、お察しのように通行手形です。これを各国の街の関所に提示なされば、お二方は
    タイハンゆかりのセプターとしてカードをお持ちになられたままお通りになることが出来
    ましょう」
    「それはありがたい」
    ゼネスの声も高くなった。思わず。彼はあらためて手にした革製の「手形」を眺めた。
   写された文字の意味はわからずとも、意匠の風格や朱の色の冴え具合から見て、この印が
   常とは異なる特別な種類のものだという事実はうかがい知れる。しかるべき者が目にすれ
   ば確かに、持ち主を丁重に扱ってくれるだろう。そう思い至って、胸に熱い安堵が湧く。
    いずれこのリュエードを離れる彼はともかく、身寄りも頼りも無いマヤにとり、この印
   はどれほど頼もしい拠り所になってくれることか。
    「本当にありがたい、これは百万の味方を得たに等しい」
    急ぎ姿勢を正し、山の男に向かった。
    「頭領どの、もし再び陛下にお会いされる機会があるならば、我らのこの感謝の念を必ず
    お伝え願いたい」
    言って、深く頭を垂れた。無論のこと弟子も続く。
    「しかと承り申した、お師匠どの」
    相手も腰を折って礼を返した。
    「大事のお品を快うお受け取りくだされまして、私も大任を果たしおおせました。あり
    がたく存じまする」
    そのまま、しばらくは三人が三人ともに礼の姿勢を崩さずにいた。しばらくして誰から
   ともなく体を戻す。と――ゼネスと頭領の目がふと合い、どちらからともなく笑った。
   ことにも、黒豹男は緊張から解放されたせいか口軽かった。
    「マヤさんと言えば、先日の龍神さまはまことにお見事なお姿でしたな。あれほど神々
    しい水神の顕現はこの私も見た憶えがございません。シェン山の麓(ふもと)に住まう
    者として末代までの語りぐさといたしましょう、まさに貴女は龍神の巫女さまと……」
    「お父、お父ったら!」
    突然大きな、遠慮というもののまるで無い高い声が林間に響き渡った。次いでザザザザ
   ……山道を駆ける足音と共に声の主もまた稽古場に飛び出した。
    「お父、マヤに"巫女さま"なんて言っちゃダメだ。この娘はそんな呼ばれ方するのイヤ
    がってんだからね、普通にしてあげな!」
    「や、ジャクチェか。お前、今まで姿が見えんと思っておったが」
    数日来の再会を果たした父娘ではあった。だが会話は微妙に噛み合わず、山猫娘はじれっ
   たそうに赤毛の頭を振る。
    「そんなこといいよ、後で。それよかお父、マヤに龍神さまの話すんのはもう止めとく
    れ。そっとしといてやっておくれよ」
    つかつか、父親の目の前まで出て来て口をとがらせる。黒豹に似た男は頭に手をやって
   がしがし掻いた
    「おお、そうか。これはしたり、儂が悪かったわい。マヤさん、お気持ちも考えずベラ
    ベラとすまんことを」
    太い眉を下げて詫びを言う。少女の顔に安んじた色が差した。
    「いえ、あの、頭領さま、どうぞお気になさらないでください。お褒めのお言葉をいた
    だきましてありがとうございます」
    静かに、淑(しと)やかに一礼してホっと息つき、そして、
    「ジャクチェ、百合の花咲いたんだね」
    一転して山猫娘に笑いかけた。
    「うん? ああ、ほら!」
    娘も勢いよく己が右手を差し出した。濃い赤紫が目に染む。朝の日はすでに山の端より
   昇りきり、最初の木漏れ日の下で花の色がくっきりと匂い立つ。
    「ああ……すてき、きれい」
    思わず、というようにマヤは声をあげ、五弁の花に近々と顔寄せた。ジャクチェの百合
   は崖の百合に比べて少しく小ぶりではある。が、花弁にはツヤが乗り赤紫の色も鮮やかに
   映えていた。活気にあふれた彼女にはいかにも似合わしい。
    「ちょうど今朝方咲いたんだよ。お父が迎えに来てくれるのに間に合ってホント、良かった」
    山猫娘も目を細め、うっとりと手先を眺めた。その顔を見ていると、ゼネスまでもが何
   やら(柄にもなく)喜ばしい気分になってくる。
    「そうだ、ちょっと待っててねジャクチェ、いいこと思いついたから」
    花の香りと美を愛でていた少女がふと顔を上げた。
    その手はすでに、一枚のカードを取っている。
    「この花に"治癒"の呪文をかけてあげる。水に浸けなくても長い間咲いていられるように」
    言って、カードをかざす。途端に淡い緑味を帯びた光があふれ、盛んに降り注いだ。
    「へぇ……」
    目の前で展開される呪文の効果、娘は不思議そうに目を丸くして見入った。そして、
    「あ、」
    あることに気づき、驚きの声をあげた。
    「葉っぱに露がついてる!」
    見ればジャクチェが言う通り、百合の葉の先端に光る粒が震えていた。茎を切られたはず
   の花にみずみずしさが満ち、露となって吹き出しているのだ。これが"治癒"の力、生命力
   を高めるのみならず活力をも吹き込む、独特の呪文の効果である。
    「これで安心だね、もうどこにでも持っていけるよ。
     ジャクチェ、ほら、こっち向いて。お花を髪に飾ってあげる」
    ほほ笑みつつマヤは言い、ズボンのポケットからピンを二、三本取り出すと娘の手から
   花を借りて、彼女の左耳の上に器用に留め付けてやった。
    「うん、きれい。その百合、本当に貴女によく似合ってる」
    できあがった艶姿(あですがた)を前に、満足そうにうなずいた。実際、百合の赤紫は
   山猫娘の赤い髪にはよく映えて互いの美点を引き立てあわずにいない。素直に美しい。
    『むむ、たったの花一輪で山猫の女ぶりがこうも上がるものとは……』
    口にこそ出さないが、ゼネスも(大いに)感心していた。いや、彼だけでなくウェイ老、
   黒豹男も「ほぉ」と嘆声をもらして娘を眺めている。
    皆の視線をぞんぶんに浴び、山猫娘もさすがに珍しくほほを染めてはにかんだ。
    「ほら、鏡あるから見てみて」
    マヤは先ほどピンを取り出したのと同じ場所から、丸い小さな鏡を出して与えた。
    「わぁ……ありがとう!」
    飛びつくようにして鏡を手にし、娘は顔中輝かせて喜びをあふれさせる。手のひらの内
   を熱心にのぞき込み、ためつすがめつ、鏡に映る角度を変えては己が姿を何度も確かめた。
    「あたし、こんなに」
    さらに振り返り、ある人物を見た。
    ウェイ老の後ろ、いつの間にかこの場に来て立っていた少年の顔を。
    『チェンフ、あいつもジャクチェと一緒に来ていたのか』
    大人の男三人と少女が見守る中、山の娘と村の少年とは互いに見つめ合った。
    彼らは今、たった二人だけの世界で未だ生まれていない言葉を語り合っている様であった。



    ほっそりした手が長い金(かね)の箸を取って囲炉裏をかき回した。白っぽい灰をかぶり、
   埋もれたおき火が赤く熱を帯びる。暗い部屋の中でその火の色ばかりが明かりであった。
   夜はしんしんと更けてこの家も人をも分厚く包み込んでゆく。
    食後の茶はとうに飲み終え、三人はずっと無言のまま過ごしていた。
    ジャクチェが父親と共に山に帰った――それだけで、小屋の中がいやに広々として陰多く
   寂しくなった心地がする。日頃から一番よくしゃべりまくっていた者が急にいなくなり、
   残された者どもは誰も口を開くきっかけさえつかめない。
    そのまま、さらにしばらくの間も皆が黙然としていた。夜が刻々と闇の濃さを増すに連れ、
   人と人の関係の糸も濃密にわだかまり粘ってかえって口を重くするものかも知れず。
    ドォッ――――
    不意に風が立ち、「ゴト、ゴト」小屋の戸が動いた。
    「山の風、か」
    ゼネスがつぶやいた。ことがきっかけになったか、
    「ウェイ先生」
    マヤも口を開いた。薄闇の中、目に見えるかと思われるほど声が立つ。
    「何でしょう」
    老剣士はおだやかに返事した。彼は少女が呼びかけてくること、いや、それだけでなく、
   これから何を聞いてくるつもりでいるのか――さえもすでに見通しているかのように泰然と
   していた。
    「あの……ずっとおたずねしたかったのですけど」
    手にした火箸を灰に突き立て、彼女は囲炉裏の傍に居住まいを正した。
    「"無我"について、です。先生は以前、剣技において『無我を最上とはしない』と仰い
    ました。そのことが……まだ私、合点がゆかずにおります。詳しくお話をお聞かせいた
    だけましたらありがたいのですが」
    話す態度は淡々としていた。ただし、視線は強い。老爺の表情のごくわずかな変化をも
   見逃すまい、として。
    「心得ました」
    その彼女を受け止め、ウェイ老もまた淡々と返した。響く声音の底に張りがある、剣を
   取る者の覚悟の張りが。
    ゼネスの背すじが自ずと伸びた。二人の「立ち合い」はすでに始まっていた。
    「私は……以前に舞踊を習っておりました。その際に、最上の舞いは舞いを忘れた舞い、
    作為の無い舞踊にしてこれを『神域』と呼ぶ――そう、教えられました。
     実際のこと、舞踊には舞い手の気持ちのありようが隠しようもなくそのまま表れてし
    まいます。自分が好きでよくおさらいできている曲であれば楽しく何も悩まずに踊って
    いられますけれど、難しい曲やあまり得意でない曲ですと、『次の手順はどうだった?』
    とか『ここは難しいから気をつけないと』なんて思いがちで。でも、そうした気持ちの
    働きはみんな舞いの上に出てしまうんです。ちゃんと見る人が見れば一目瞭然、という
    感じに明らかに。
     と言いますか、そういった何らかの作為が紛れ込んでしまう舞いがほとんどなんです、
    人が舞う時には。それが人の限界なのかしら、と思うほどにも。
     なのに、そうであるにもかかわらず、作為がまるきり抜け落ちた"舞い"というものは
    あるんです、確かに。
     その時には人が舞っていると言うより、舞いが人の姿をしてそこに現れている、むき
    出しに舞踊だけがあって動いている、そのように見えます。
     だから私は、作為を抜けて一種の"空っぽ"になることが大事なんだと考えてきました。
    それは、先生が仰った『無我』に近いのではないかと思うのですが」
    「貴女のお考えの通りです」
    即答があった、いつもの微笑と共に。
    「作為を抜けて空(から)となる、それは無我そのものにござる。舞踊における神域は、
    まことに最上の境地であろうとこの私にも想われます」
    「ならば、なぜ」
    すぐさま少女は問い返した。
    「剣における無我が舞踊とは違って最上とされないのは、それはやはり、剣が人を斬る
    技だからですか」
    ためらわず、口にした。だが老剣士の顔色にはいささかの変化も見られない。
    「直裁に言えば、そういうことです」
    瞬きする間も措(お)かず、応える。
    「人を斬り、人を傷つけて制することこそが剣の最終目的。どのように言い繕おうとも、
    この事実は揺るぎませぬ。なればこそ、剣士は『空』であってはならぬ、無作為を言い
    訳としてはならぬ、あくまで人を斬る理非を己が身に負わねばならぬ。
     たとえ当座は『理あり』と判断して成した行為であっても十年、百年、千年を経た後
    に『非なり』と断罪され得ることも含め、全て己が身と名をもって負わねばならぬ。
    それが私の考える剣士の心得にござる」
     息が止まった。耳が熱い。いや、痛い。戦いを求めて亜神にまで化した身に、老剣士
    の一言一句はことごとくが突き刺さる。
     だがマヤは、師の慚愧も知らぬげに老爺の顔だけを見つめていた。大きな目が白く光
    っている、彼女本来の知的貪欲さを今は隠そうともしない。
    「でしたら、お尋ねします。カードは剣ですか、舞いですか、先生のお考えをお聞かせ
    ください」
    ふっ――と間が空いた。乾いた唇が一瞬引き結ばれ、そして薄く笑う。
    「これは、難しいご質問ですな。
     私は士のカードより他には知らぬセプター。なれど、それでもお答えできる限りはお
    答えをいたしましょう。
     カードは剣であり、同時に舞いでもあるもの。そのように思うております。なれど、」
    言葉の中途で息を引き、目の前の少女の光る眼を見返した。
    「カードの力において、剣と舞踊とは混ぜ合わされた海の水と川の水のようなもの。どこ
    からどこまで、との区別はつきませぬ。剣の中に舞いが立ち現れ、舞いの内に剣が突き
    立ちもいたしまする。貴女の神龍がまさしくそうでありましたように」
    言って、皺の中の細い目がやさしく少女を見る。思わぬ褒め方をされてマヤは赤面した。
    「あの……ありがとうございます。
     カードの力と言えば、普通には『剣』の方ばかりが取り上げられますけど、私は自分
    なりにカードと関わるうちに『舞い』だってあるんじゃないかって、そう感じられるよう
    になってきたんです。ですから、今日こうしてウェイ先生に『剣でもあり舞いでもある』
    とご指摘をいただけて、とっても心強い思いでいっぱいになりました」
    顔中を赤く染め、言葉を重ねる。力のこもった声だった。
    「さようでしたか、私の考えが貴女にお力を添えたのであれば喜ばしいことです」
    言って、老爺の口元も温かにほころぶ。さらに身を乗り出し、
    「それでは、今度はマヤさんに私の方からお尋ねをいたします。
     カードが剣であり舞いでもある――として、その所以を貴女は何であると思われますか」
    逆に問い返してきた。急に質される側に回り、とび色の眼から白い光が消えて視線が宙
   をさまよう。
    「それは……」
    しばらく考えた後、眼に光が戻った。彼女は何事か思いついた。
    「カードの力は人のありようを映します。カードが剣であり舞いであるとは、もともと
    人の中に剣と舞踊の両方がある、そういうことではないでしょうか」
    「はい、私も斯様に思うております」
    ウェイ老も大きく頷いた。
    「ただしそれが正解であるか否かは、我らがカードと共にある限り探り続けてゆかねば
    ならぬことでありましょうが」
    「そうですね、本当に」
    ひとつ息をつき、少女は両手を床についた。
    「ご指摘、ひとつひとつが身に沁みました。ウェイ先生に心よりの感謝を申し上げます」
    平伏するばかり深く頭を下げた。
    「おお、そのように低い姿勢をされてはいささか……私も恐縮をいたします。どうぞ頭
    はお上げくだされ。
     それで、マヤさん。実は先ほどの貴女の舞いのお話をうかがって、私より一つお願い
    の件がございましてな。お聞き届けくださればありがたく」
    「ウェイ先生から"お願い"ですか?」
    背中をそっと起こし、少女の面が上がった。ややいぶかしげな色を宿し、それでも答えた。
    「わかりました。これまでのご指導の御礼に、先生のご希望に添えさせていただきます。
    どうぞ仰ってください」
    「では」
    老爺は薄べりの上に座り直した。
    「この私に一度、貴女の舞いをお見せいただきたい」
    「舞い……ですか?」
    いぶかしさが、「驚」きに変わる。
    「はい、マヤさんの舞踊に関するお話をうかがって、貴女の舞いに興味が湧きましたの
    でござる。ぜひこの機会にひとさし、舞うてくだされ。これ、この通り」
    白髪の頭が垂れた。――が、少女にはたじろぎが見えた。彼女にとり、舞踊は妓女であっ
   た過去と分かち難く結びついている。たとえウェイ老の所望とはいえ、快く二つ返事でき 
   る話ではない、ということはゼネスにも今は察しがつく。故郷の記録は消されても、マヤ
   の裡(うち)には愛憎入り交じった記憶が生き続けているのだ。
    「……承知をいたしました」
    それでも少女は返答した。たじろぎは素早く押さえ、芯の通った声で。
    「歌の舞いをひとさし、舞わせていただきます」
    両の手をあらためて床上に揃え、
    「花の盛りを愛でる詩を謡(うた)います。実りの花々のために、お庭先をお借りして
    よろしいでしょうか」
    老爺はうなずいて了承し、マヤは立っていって小屋の戸を開けた。

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